第十四話:百錬成鋼
注水室というものが、貨物用エレベータから下りた先にある。
それぞれ乗り込んだバイクと戦闘機が、やたらと広いその中に進入すると同時に、気密の分厚いハッチが閉まって密閉される。ざばざばと水が注水されて、機体に水が迫ってくる。
「うへあ。ねぇ、本当に大丈夫なの?」
コントロールギアをまとった美空が、不安そうに水面を見つめる。玲花は淡々と、
「宇宙空間でも活動できるよう調整されてるから、問題ない」
「気密はそうかもしれないけど、水圧とか違うんじゃないの?」
「よほどの深海まで行かなければ大丈夫。それに、気密の方式が違うから」
話している間に水位が上がり、アテナが両翼を水に浸して浮き上がった。
「う、浮いちゃうけど大丈夫? 天井にぶつかったりしない?」
「どうしてもぶつけたくなければ、変形して」
ぶつかるらしい。
空を飛ぶ以上軽く作られているのだから、当然ではある。美空はなんとなく騙されたような気持ちで、トリガーを引き込んで操縦桿をひねる。ぼこり、と気泡をあげて手足が開く。翼が折りたたまれたため浮力が和らぎ、四つん這いで床に沈んだ。
キャノピーの向こうで水面がじりじりと這い上がっていくのを見て、美空は顔が引きつる。
注水が完了して、天井の明かりが赤に変わった。
ごごん、と重たく響く音が機体に直接伝わる。ゆっくりと目の前のシェルター染みたハッチが開き、室内の水が撹拌される感覚に機体が揺れる。
「おお……水中だ」
ハッチの向こうに広がる景色に、美空は軽く感嘆した。濃紺のフィルターで覆い尽くしたような、光が揺らめく幻想的な光景。水中を流れる塵ですら、独特の雰囲気を作っている。
這うように少し進んで、ハッチの下を覗き込むと、岩肌のゴツゴツとした海底が見える。ややも進むと、崖のような急斜面になって見えないほど深度が深くなる。海底の岩には海草や苔のようなものが張り付いていて、それがゆらゆらと水流に揺らめいていた。
無音と無形の世界に嘆声を漏らし、笑みがあふれる。
「行こう」
玲花が変形したバイクで、床を蹴って外に飛び出していく。
美空も操縦桿を握り、玲花に続いた。
四肢の床との摩擦がなくなった途端、鼻先からゆるやかに浮かび始め、慌てて背部推進器で体勢を維持した。ぼごぼごと気泡が吹き出ている。
どうやって推力を作っているのだろう、と美空は首を傾げる。コントロールギアの力場で、すでにその問いに意味がないことに気づいていない。
「コックピット内部のエアが浮力になってる。エンジンに入り込んだ水と釣り合って浮力は少しだけみたいだけど、ちゃんと機体制御できるようにならないと、浮き上がっちゃう」
「えっと? つまりどういうこと?」
「オリハルコンを制御して」
なにそれ、と言わんばかりにキャノピー外に顔を向けた美空は、悠然と水中を回遊しているバイクロボットを目撃した。その全身はほのかに金色に光っている。例の光だ。
つまりその光で浮力を相殺しろ、と言いたいらしい。
そうはいっても途方にくれる美空だった。ノウハウがまるで分からない。少なくとも変形や武装のように、操縦桿を操作して出来るものではないようだ。すでにコックピット内部にあるトリガーやボタンは、すべて使い方が確定している。
「れ、玲花。それどうやるの?」
「力場を出すときと同じ。えい、って」
「その力場が分からないんだけど!?」
玲花のバイクロボットは回遊をやめた。頭を上に少しずつ浮き上がっていく。なにか考え込んでいるらしい間を置いて、玲花は機体を翻して背を向ける。
「じゃあもう気にしないで泳ごう。ついてきて」
「えっ、なにそれいいの?」
「いい」
淡々と答えて、玲花の機体が泡を引きながら横転して、水中背泳ぎになる。うつむくように頭を引いて、美空が来るのを待っている。
いいのかな、と迷った美空は、水中の青緑に染まった景色を見回して、笑った。
体を伸ばすように、伸び伸びと泳ぎ始める。スロットルを開けてエンジンから水流を噴き出しながら、アテナはのんびりと海中を進んだ。水の抵抗なのか水中には向かない推力だからなのか、空の機動性が信じられないほどゆったりとした動きだ。
「水中遊泳って、初めて! ちょっとした潜水艦だね、これ」
キャノピーの外を水流が流れていくのが、気泡と渦と光の屈折で目に見えた。コックピット内部は地上と変わらない空気に保たれていて、快適そのものだ。
「そもそも、ちょっとした宇宙船だから」
「あはは、そっか」
玲花は泳ぐ早さを緩めて、美空のアテナの隣に着ける。
こうして比べて見ると、”青藤のヘスティア”はアテナより一回り小さい。身長だけではなく、特に肩幅と腕部の差は大きい。ほとんど針金のようで、頼りなく見えた。
それが、光を発すればハサミ怪人と渡り合える力を発揮するのだから、やはり大したものだ。
「ねぇ、玲花って、いつからこういうことしてるの? ああ、つまり、オリハルコンの」
美空の曖昧な問いにうなずいて、玲花は几帳面に回答する。
「ずっと手伝いはしてたけど、戦闘に参加したのは、最近。三ヶ月前くらい」
「ふうん。学校行ってないって言ってたけど、普段はどんなことしてるの?」
「研究の手伝いと、あと、写真」
「ああ、写真が趣味って言ってたもんね。どんな写真撮ってるの?」
「風景とか、あと、人も。……いろいろ」
「そっか。ね、今度見せてもらってもいい?」
「……うん」
少し間を置いて、どこか弾んだ声で淡々と返事をする。
美空はぐるりと機体を翻して、背泳ぎになる。歪んだビニール膜のような、光を透過する水面がぐらぐらと揺れている。
酔ってきそうなほど幻惑的な視界に惹きつけられるように、美空はその景色を眺め続けた。
「ねぇ。玲花は」
美空は、なにかを尋ねようとして、口を閉ざした。
なぜオリハルコンなどというものがあるのか。オリハルコンというものは正しいのか。それを巡って争うことは、正しいことなのか。玲花はどうして戦っているのか。
聞きたいことが多すぎて、美空には、問うための言葉が見つけられなかった。
「美空」
「ん。なに?」
ざわりと水流を割って背泳ぎから体を戻し、隣を泳ぐバイクロボットに目を向ける。
その運転席にまたがる玲花は、いたずらの種明かしをするような目で、口を開いた。
「できてる。制御」
「……えっ?」
泳ぎを止めた。
前に行ったバイクロボットが振り返る。それを見る美空のアテナは、浮き上がっていかない。キャノピーから首をめぐらせて見てみれば、弱いジャグジーのように水流が機体表面から立ちのぼっていくのが見えた。その周辺は、ほのかに金色に光っている。
「えっ?」
「同じ要領で、手にボールを作ってみて。泥を丸めるみたいに、風船を作る気持ちで」
玲花に言われるまま、アテナの両手を胸の前に寄せる。ハサミ怪人が投げたような光の球が、そこに出来上がった。
ただその球を見つめるばかりで反応を返せない美空に、玲花が鈴を転がすような声で言う。
「美空、昨日の時点で制御できてたよ。両手の双剣で受け止めたときに」
「え、そうだったの?」
驚いて聞き返す美空に、玲花はうなずいてみせる。
あの強力な竜人の剣を、いくらオリハルコン製といえど、たかが戦闘機の翼で受け止められるはずもない。冷静になれば分かることだが、戦闘中も今も、美空はあまり冷静ではなかった。
「えー。なんか、結局どうやってるのか、分からないんだけど」
「それでいいの。詩緒奈も言ってたでしょ? 自転車の乗り方を覚えるのと同じ、って」
「そんなもんかなぁ」
不思議に首を傾げる美空に、ヘスティアが手を差し出す。
「もっと泳ごう。動けば動くほど、体が乗り方を覚えていくから」
「ん、分かった。いいよ」
玲花に誘われるままに、不恰好にアテナは水中を泳ぎ出す。
互いに回るように、踊るように、玲花に引かれる形で美空はアテナを海中に遊ばせる。
それがどんな姿勢制御で行われているか、自覚もないままに。




