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デイブレイク/アウタースペース  作者: ルト
第二章 同輩の条件
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第十三話:行住坐臥

 いわゆる翌日は、何の変哲もなく始まった。いつも通りの朝の支度を進め、いつも通りの朝食を取る。朝食の時間と重なるように支度を終えた美晴が、慌ただしく出て行く。

 それを見送って、美空は、ふと洗面所の前で足を止めた。洗面台の鏡台が据え付けられて、洗濯機や廊下と、それらの真ん中に立ちすくむ美空を映し出している。

 いつも通りの準備を整え終えた向こう側の美空は、デブリ落下事故の続報を流すニュースを横目に見ながら、いつも通りに学校に向かうのだろう。

 見つめる先で、鏡の中の美空が、ぎこちなく微笑んだ。

「……そろそろ行こうかな」

 美空の朝は、いつも余裕がある。

 母が作りっぱなしにした朝食代わりのオカズを弁当箱に詰めて、ランチョンマットで包む時間を含めても、ゆっくりできる。おかげで遅刻とは無縁だし、多少寝坊しても問題ない。平時ならのんびりしてから家を出ても、充分間に合う。

 余裕を持って整えた身なりを、確認して家を出た。駅前で詩緒奈と待ち合わせている。

 駅舎の隅に、毛先がゆるく巻かれている髪をブレザーの背中に流す詩緒奈が立っている。体の前に重ねて鞄を握る手を、その手首のブレスレットを見つめるように、目を落としている。

「おはよ、詩緒奈」

「おはよう美空」

 詩緒奈は美空を振り返って、春風が吹き去ったあとの暖かさのように、柔らかく微笑んだ。

 その姿に、昨日までの詩緒奈との違いを見つけられない。詩緒奈はずっと、ブレスレットを手首に提げてきたのだ、と思い知らされた。

「通学は、車じゃないんだね」

「もう。あれは緊急のとき、って言ったでしょ?」

 詩緒奈は美空のからかいに怒ってみせる。笑いを交わして、改札を抜けた。通勤ラッシュど真ん中という時間だけあって、人の数は多い。

 ホームに階段を下りながら、声を潜めて詩緒奈に尋ねる。

「普通に学校行っても大丈夫なの? あの、クラストがいるのに」

「うん、大丈夫だよ。玲花ちゃんもいるし」

 まるで周囲を気にしない普通の声で詩緒奈は答えた。そういえば、玲花は学校に行っていないと言っていたな、と美空はぼんやり思い出す。

 詩緒奈の聞かれても理解は出来ないと割り切った態度に倣って、美空も普通に話した。

「あの基地、ここからだとちょっと遠くない?」

「コントロールギアでも空は飛べるし、いざとなれば近所までアルテミスとかヘルメスとか回すから大丈夫。それこそアテナも呼べるしね」

「あ、あれ遠隔操作できるんだ……」

「乗り物だけだよ。変形後は、姿勢制御ができないから」

 理にかなっているような、納得いかないような、微妙な顔で美空はうなずく。

 電車の到着を告げるアナウンスがホームに響いていった。

 電車の中でぼそぼそと交わした会話によれば、詩緒奈は、実際毎日あの基地に通い詰めているらしい。デートは口実で、実際は秘密基地で地球を守っていたわけだ。

 星斗くんとなかなか二人きりになれない、と不満げにぼやく詩緒奈に、美空はそっと同情の目を向ける。デートに行くと他人に言いながら、その裏でたまにはデートしたいと願わされる詩緒奈の内心は察するに余りある。

 ただ、幸い、クラストは日中にはあまり現れないらしい。詩緒奈の早退は、増えたな、とは美空も思っていたが、逆に言えばその程度に留まっている。

 会員サイトにアクセスすると現在の状況がブログ形式でアップされてる、ということを聞いて、美空はなんかもうどうでもいいや、という気分になった。なんて快適な地球防衛生活だ。

 学校に着いて、授業を受けて、休み時間はクラスメイトと話をして。

 美空は奇妙な俯瞰からその景色を眺めている自分に気がついた。

 それは「目の前の日常」が「自分の日常」であることに対する感動、とでも言うべきものだ。

 アニメオタクの友人が美空を引き込むべく虎視眈々と漫画やアニメを勧める機会を窺っていたり、サッカー好きの友人が部員の少ない女子サッカー部に美空を引き込もうと画策したり。

 そういう冗談に混じりながら、当たり前に同じ授業を受けて、同じ学校で生活を送る。

 日常を守る非日常という異変に触れた美空は、それがとても新鮮に感じられた。

 美空の中で、日常が相対化されていた。

「美空ちゃーん、今日空いてる? バスケの練習試合組みたいんだけど」

 放課後になって、美空はクラスメイトに声をかけられた。普段なら二つ返事でOKを返すところで、美空は口ごもる。宇宙研究機構に向かわなければならない。

「ごめん、今日は予定が入ってるんだ」

「そっか。じゃあ、また今度お願いしていい?」

「うん、オッケー。ごめんね」

 気にした様子もないクラスメイトと話す美空は、どうしようもない非日常の、色濃く深い影を初めて実感した。これをおくびにも出さず過ごしてきた詩緒奈に感心する。

 そもそも部活動に入っている美空が他所の運動部に手を貸して回っていいのか、と思うのが普通だが、バドミントン部はその点とんでもなく緩い部活だった。

 頑張ってねーと美空を送り出し、お疲れーと美空を迎え、いろいろな部活の助っ人で活躍する美空はバドミントン部の星であると豪語する。その論理には何か致命的な矛盾が含まれているが、そんなことは気にしない、気持ちの大らかな部員が揃っている。

 笑顔があふれるのんびりした部活で、実績もなにもない、はっきり言って弱小部だ。だが美空はあくまでバドミントン部であり、部活が好きだった。

 それを、詩緒奈は辞めてしまった。

 もう出れなくなるかもしれない、と思うと、それはひどく悲しいことに思える。

 それでも。

「まあ、やらなきゃ、って思っちゃったんだから、仕方ないよね。やり通さなきゃ」

 一人つぶやいて、鞄を背負う。詩緒奈に手を振って、一緒に教室をあとにした。

 まさか、二日連続で行くとは思わなかった繁華街を抜けて、例の雑居ビルに向かう。まさか徒歩であの距離を移動するのかと構える美空を、トンネル入り口に停まっているアルテミスが出迎える。遠隔操作できるのだから当然だ。ついでに、公道でないなら免許もいらない。

 格納庫に入って駐車すると同時に、フラッシュが光る。玲花がカメラと一緒に待ち構えていた。ファインダーから顔を外す玲花に、美空は下車しながら声をかける。

「玲花。待ってたの?」

「たまたま」

 そっか、と美空はうなずいて笑う。玲花はいつも言葉少なだが、美空は彼女のよく気を回す優しい気質を感じ取っていた。玲花はバイクに手を触れながら、端的に説明をする。

「訓練の準備をしようと思って」

「訓練?」

「リインフォースデバイスの」

 即答する玲花だが、相変わらず言葉を端折りすぎて要領を得ない。いまひとつ得心できない美空に、詩緒奈がすかさず補足する。

「オリハルコンって、自力で動かすでしょ? 自転車とかと同じで、慣れれば慣れるほど自然に扱えるようになるの」

 ほほう、とうなずく美空は、その言葉が持つ意味を深く考えていない。

 詩緒奈は軽く首を傾げて、美空に勧める。

「美空も練習したほうがいいよ。リインフォースデバイスの域外放射固定……あ、えっと、あの光を出すやつ。まだ覚えてないでしょ?」

「そうだね。玲花、私も一緒にいい?」

「もちろん」

 玲花は快く受け入れた。

「ところで、その訓練ってどういうものなの?」

「人目につかないように海中で、リインフォースデバイスを使って運動するだけ」

「それだけでいいの?」

「感覚の慣らしが目的だから」

 玲花は、それがとても簡単なことであるかのように、さらりと言った。


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