シルフィーナと宝石人
シルフィーナの姿を見て、エーリスちゃんとファミーヌさんが私の腕の中に戻ってきた。
怯えたように小さく震えながら、けれど切なげに瞳を潤ませながら、窓辺に立っているシルフィーナを見ている。
「……シルフィーナとテオバルト様は愛し合っていたのに、テオバルト様はどうして、アレクサンドリア様を大切にするのでしょうか」
シルフィーナの世界は、かつて希望と輝きに満ちていた。
庭園の華やかな花々は、全てシルフィーナのために咲いていた。
けれど今は違う。
シルフィーナの瞳に映る世界は、灰色にくすんでいる。
庭園の花々も、晴れた空も、部屋の絵画も花瓶の花も、全て色を失っていた。
「永遠に続くものなどありはしない。幸福も、平和も、愛情も……時と共に摩耗し疲弊し、移り変わっていく。花が、いつか枯れるように。……だが、全てがそう、というわけではないと、私は思う」
切なげに、苦しげに、仲睦まじいテオバルト様とアレクサンドリア様を見つめているシルフィーナの姿を見ながら、ルシアンさんが言う。
時間がたてば、変わるものがある。
それはわかる。
私は少し前までは、ひとりぼっちだった。
でも今は、みんながいる。たくさんの人たちが、いてくれる。
そのせいで私はシエル様のことを、一度疎かにしてしまった。人は簡単に、人を傷つけてしまう。
だからもう私は、間違えたくない。
テオバルト様は、シルフィーナの悲しみに気づかなかったのだろうか。
こんなに、苦しくて、切なくて、痛いのに。
シルフィーナの感情が、胸に満ちてくるようだった。心臓が締め付けられるみたいに、苦しい。
「アレクサンドリアがこの地に降り立った女神だとしたら、王であるテオバルトが彼女を優先するのは立場を考えれば仕方ないことだとも言えます」
「ただの義務、なのでしょうか……」
「保護と慈愛が男女の愛情に変わってしまったのだとしたら、それは愚かしいことだと、僕は思います。何を優先し何を大切にしなければいけなかったのか、テオバルトは間違えたのでしょうね」
シエル様は目を伏せて、軽く首を振った。
ふと、景色が変わった気がした。
けれど私たちがいるのは同じ部屋だ。窓の外の景色が変わっている。庭園の花が、秋の花に変わっている。
それだけではなくて、部屋も何だか荒れている気がした。
掃除の行き届いていた部屋の隅には埃が溜まっていて、花瓶には花がない。
カーテンが破けていて、床に落ちたクッションからは、破けて鳥の羽が散らばっていた。
まるで、部屋の中で嵐が起こったような荒れ具合だった。足元から不安が這い上がってくる。私はシエル様の腕をぎゅっと掴んだ。大丈夫だというように、私の手を握ってくれる。
エーリスちゃんが私の胸元に潜り込んで、ファミーヌさんが私の首に巻きついた。
まるで、この先に起きることを見たくないというように、二人とも顔を隠している。
ルシアンさんが私を庇うように、一歩前に出る。
部屋のベッドの上に、シルフィーナが寝ている。その顔は、以前よりもずっとやつれているように感じられる。
お腹がかなり大きくなっていて、苦しそうな息遣いが聞こえてくる。
「シルフィーナ様のお部屋に近づくのが怖い」
「テオバルト様は私たちにシルフィーナ様を押し付けて、自分はアレクサンドリア様のいらっしゃる白月の宮へと入り浸ってばかり」
「キルシュタイン人は恐ろしい異端の魔法を使うというけれど本当ね」
「今月に入って何回、魔力が暴走したか……怪我をして辞めた侍女が何人いると思っているのかしら……」
「キルシュタイン人の姫など娶るから、こんなことになるのよ。薄気味悪い魔物使いの者たちだわ。きっとあのお腹にいるのも魔物の子なのよ」
「テオバルト様はシルフィーナ様を愛したとは思えないもの。シルフィーナ様の使い魔が、シルフィーナ様を孕ませたのだわ」
扉の向こう側から、侍女たちと思しき女性たちの噂話が聞こえる。
シルフィーナの耳にもそれは届いている。侍女たちはわざと聞こえるように噂話をしているらしかった。
酷い言葉を聞いても、シルフィーナ様はやつれているけれど慈愛に満ちた表情で、お腹をさすっている。
「もうすぐ、もうすぐよ……早く、あなたに会いたい。私とテオバルト様の、愛しい子……」
あぁ、この先を──見たくない。
怖い。
でも、私はそれを知る必要がある。知らなければいけないと、思う。
エーリスちゃんも、ファミーヌさんも、イルネスも。
シルフィーナの苦しみを、悲しさを、怒りを、憎しみを、一人で抱えてきたのだ。
とても一人では抱えきれないほどのそれを、シルフィーナから譲り受けてしまった。
そして──。
シルフィーナは赤子を産んだ。
その子は、全身が鉱物でできていた。美しい宝石人の赤ちゃんだ。
「……化け物だ」
御子がうまれたと知らせを受けたテオバルト様が、シルフィーナの元へとやってきた。
そして、うまれたばかりの子供と、久々に顔を見せてくれたテオバルト様の姿に、嬉しそうな笑みを浮かべるシルフィーナに、酷い言葉を投げつけた。
「これは俺の子などではない。シルフィーナ、化け物の子を産んだのか? 悍ましい。即刻、処分しろ」
「いや、嫌っ、やめて、お願いです、やめて、その子を奪わないで、お願い、やめて……!」
シルフィーナの懇願も虚しく、その赤子は取り上げられて、どこかに連れて行かれてしまった。
シルフィーナは泣きじゃくりながら、美しい金のかみをかきむしった。
「私の、赤ちゃん……私の……」
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
キルシュタインから嫁いできた時、世界は幸せに溢れていると、思っていたのに。
長く続くキルシュタインと蛮族の争いを終わらせるための、婚姻だった。
名もなき蛮族。キルシュタインの片隅にある小国は、何度もキルシュタインの土地を奪おうとしてきた。
本当は、最初は嫌だった。
嫌だったけれど、テオバルト様はとても素敵な方だったから、私は、恋に落ちることができたのに。
この恋は、この愛は、永遠に続くと思っていたのに。
「……殺してやる」
シルフィーナは、ぽつりと呟いた。
大切なものを奪われた。
殺された。
だから、私も殺していい。奪っていい。私から全てを奪った、アレクサンドリアを──。
「お母様、お可哀想」
お母様は、可哀想だ。
そして、殺されてしまった宝石人も、可哀想。
赤い月の牢獄に幽閉されているお母様はずっと夢を見ている。
同じ夢を繰り返し、繰り返し。
お母様の夢を与えられて、私はうまれた。
私はイルネス。病による死を司る、魔女の三番目の娘。
一番上のエーリスは頭が悪かった。
二番目のファミーヌは自分が一番だと思っていた。
私は、役目を与えられた。
お母様の愛する宝石人を、私が守らなくてはいけない。
それはお母様が大切にしていたお母様の子供。お母様からうまれた私は、お母様の望みを果たさなくては。
地上の宝石人たちは、お母様がうみだしたお母様の子供。他の魔物とは違う。
地上はお母様のもの。お母様の子供である宝石人のもの。
酷いことをした人たちを、私が消してあげよう。
「……あなたは」
宝石人たちが、空から落ちてきた私の前で、驚いた表情を浮かべている。
「私は、あなたたちを守り導く預言者イルネス。今日からあなたたちのことは、私が守ってあげる」
私は、宝石人の街に降りた。
お母様の望みを果たすため。地上を、お母様のための楽園にするために。
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