病のイルネス
美しい大きな青い瞳と、白い肌と白い髪をした少女が、私たちの前に佇んでいる。
その瞳には憎しみや怒りといった感情は感じられない。
ただ静かに、透き通った湖面に映すように、私たちを映し出している。
シエル様は私を少女から庇うようにして、一歩前に出た。
剥き出しの背中にもいくつかの宝石が浮き出ている。治癒魔法を使ったのだろう、割れた皮膚が修復していくのを見て、私はほっと安堵の息をついた。
「あなたの記憶では、アレクサンドリアの聖女リディアは、もっと情けなく弱く、懐柔しやすいはずだった」
「記憶を勝手に探られるのは不快極まりないな。だが、お前は一体何を見たのか。リディアさんは、優しく、そして強い。戦わないことを選択し誰かを許せる人の強さを、お前は理解していない」
「それは違う。戦うことができない者は、弱者」
「よ、弱いです、私……戦う力はないし、戦うのは、嫌いです。あなたは、イルネスさん……エーリスちゃんやファミーヌさんの妹ですね」
私はシエル様の背中から顔を出して、イルネスに話しかけた。
今ではとっても可愛らしいエーリスちゃんやファミーヌさんだけれど、魔女の娘として出会った時は、イルネスのように怖かった気がする。
けれど二人とも沢山の悲しみを抱えていた。
「お姉様たちを飼い慣らすことができたから、私もできると思っている? アレクサンドリアの聖女。あなたの声は、私がせっかく支配したのに、シエルの心を狂わせる。だからシエルの望み通り、あなたは生かし、そばにおいてあげようと思ったのに」
「シエル様の心を、頭を勝手に探るのは、マナー違反です……! わ、私だって、人には言えない気持ちとか、記憶とか、いっぱいあるもの……それを口に出して言うなんて……! あ、あの、シエル様、私、聞かなかったことにしますからね」
心のそこに隠していた感情を、勝手に誰かに言われるのはいい気持ちなんてしない。
私がシエル様だったら、恥ずかしくて穴に入りたくなってしまうはずだ。
頭の中をそっくり見られるなんて、そんなこと、とても耐えられない。
私だって恥ずかしいことがたくさんある。例えば、新しく買った可愛いお洋服を着て鏡の前に立ってみて、なんとなくポーズをとってみたりとか。
マーガレットさんが貸してくれた恋愛小説を読んで、ベッドの上でごろごろ悶え転げたりとか。
そういう、一人きりだからこそできることを、人に知られてしまうようなものだ。
「……いえ。聞いていただいても大丈夫です。僕は自分を偽らない。あなたの前では。もう、隠すことは何もありません」
「シエル様、それはそれで恥ずかしいです……」
「然るべき場所で、然るべき雰囲気の時に、もっときちんと伝えます。ずっと隠していた、押さえつけていた、感情を」
「は、はい……」
シエル様の雰囲気が、少し変わったみたいだ。
触れたら壊れてしまいそうな繊細さが消えてしまったみたいに。
剥き出しの背中が、私よりもずっと大きくて男性のそれが、とても逞しく感じられる。
「……シエル。あなたは宝石人なのに、私と敵対するの? 私はお母様の望み通り、この世界に残されてしまった宝石人を守りに来たのに」
「徒に争いを起こすことは、守るとは言えない」
「先に争いを仕掛けてきたのは人間よ。この国から人間を駆除して、お母様の子供たちだけの楽園を作るの。そこにはもうお母様を苦しめるものはいない。赤い月から、お母様がこの世界に再臨なさるのよ」
「宝石人は、誰にも尊厳を奪われずに、静かに暮らしたいだけだ。ゼーレ王が成し得なかった理想を、その意志をステファン様が継ごうとしている。時間はかかるかもしれないが、いつかはきっとその願いは叶う」
「綺麗事だわ。シエル。私があなたの中に入り、あなたの記憶を見たように、あなたも私の記憶を見たでしょう? あの記憶を見ても尚、あなたは人に生きる価値があると考えるの? テオバルトの子孫たちに、そしてアレクサンドリアの子供たちが、許されると思うの……!?」
イルネスの声に、はじめて感情が籠った。
記憶──それは、エーリスちゃんやファミーヌさんが、私にくれたものだ。
きっとあの夢のつづき。
「古の記憶など、今を生きる僕たちにとって、どうでもいいことだ。過去の憎しみに囚われて今を壊そうとするなど、お前は……お前もまた、母の操り人形でしかなかったのだろう。僕と、同じように」
少し苦しげに、シエル様は言った。
「……私は、正しい。お母様の望みを叶えるために、私は生まれた。一番上のお姉様のエーリスも二番目のお姉様のファミーヌも、駄目だった。妹のメドゥシアナは、出来損ないの残り滓だった」
イルネスの足元から、黒い縄のようなものが何本もはえてくる。
「残った私は、望みを果たさなくていけない。かわいそうなお母様と、かわいそうな宝石人のために。でも……私は、もう、負けたのかしら。……お姉様たちは、あなたのそばで、楽しそう。シエルの記憶を見てしまった。……私も、救われたいと、愛されたいと、思ってしまったもの」
イルネスは両手で顔を覆った。
「感情なんて、知りたくなかった。私はシエルと重なって、……あなたと過ごした日々の、美しい記憶を見たのよ、リディア。本当はあなたを憎まなくてはいけないのに、宝石人のシエルや、お姉様たちを大切にしているあなたを憎むなんて、私にはできない」
その足元から伸びた黒い縄が、四角い檻を重なり合い編み上げるようにして形作っていく。
「闇夜の縛」
短い詠唱とともにシエル様が軽く手を握る動作をすると、イルネスの体から白い手のようなものが、黒い檻に吸い出されるようにしてずるりと多量に外に飛び出してきて、霧散していく。
「それは、魔力を奪う檻。お前が集めた魂を……魔力の塊を、お前から奪うもの」
「どうして殺さないの」
「……僕は、お前をいますぐ殺したいと思っている。だが、お前はエーリスさんやファミーヌの妹。……あの子たちは、お前に手を伸ばしていた。体の中に閉じ込められながら、僕はそれを見ていた」
檻の中でうずくまるイルネスの少女の体が、さらに小さくなっていく気がした。
「……お姉様たちが、羨ましい。アジフライというのね、あれ。美味しかった」
イルネスの青い瞳が、何かを訴えかけるように私を見た。
私は思わず、檻に駆け寄って、イルネスの顔を覗き込むようにしてその前にしゃがみ込んだ。
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