第七十一話 無邪気とは無意識な邪気である
どうやら迷っている内に森から山へと入り、私のいた場所は丁度斜面のすぐそばだったらしい。木が生い茂っていたから気付かなかった。
足ではなく手を踏み外すなんて中々出来ない経験だ。体幹とか鍛えとけばよかった、意味があるかは分からないけど。
「マリアさん、大丈夫……?」
「……えぇ、何とか」
擦り傷だらけだが大きな怪我はない。一日遅れで痛む可能性は否定できないが、転がり落ちた時も頭は護ったし、無意識下での行動にしては綺麗な受け身だったと思う。
無傷ではないものの落ちた距離と高さを考えたら動けるだけでも充分無事の範囲内。
「サーシア様こそ怪我はない?」
「うん、大丈夫」
同じ道を転がったのだから、サーシアも私と同様に擦り傷だらけだ。それでも大丈夫と笑う辺りが彼の人気に繋がる一つなのだろう。
「ごめんなさい、巻き込んでしまって……」
本来なら私一人が落ちるはずだったのに、彼は落下する時無意識に伸ばしていた腕を掴んでくれた。助けてくれた……結果は一緒に擦り傷まみれだけど、落ちる私を助けようとしてくれたのは事実。
とはいえ、まだ成長し切っていない子ども。スポーツ少年として多少の筋力はあれど、身長も大して変わらない私を重力に逆らって引き上げる力がなくて当然だ。
……私が重かった訳ではない、はず。
「謝るのは俺の方だよ。元は地図の間違いが原因だし……企画した一人として、本当にごめん」
「それは……もしかしたら私が道を間違えたのかも」
「迷子が出ない様に道筋は出来るだけ一本に出来る所を探したから。分かれ道も、ちゃんと地図通り進んだよ」
青い顔で上の空みたいだったのに、ちゃんと覚えてる事にビックリした。思い返すと客観視出来たりするもんな、出来れば迷う前に気付いて欲しかったけど。
「だとしても、落ちたのは私でサーシア様は助けようとしてくれたのです。本当に……ありがとう」
「……結局、一緒に落ちちゃったけどね」
まだ少し顔色は悪いけど、スタートの時と比べれば随分マシになった方だろう。青ざめて今にも倒れそうだったから、恐怖とは別の意味で怖かったし。
「良かった」
「え……?」
「いつものサーシア様に戻ったみたいで。酷い顔色でしたから」
現在私達が置かれている状況とサーシアの心境を合わせれば嫌な方向の結果しか想像出来なかったけど、どうやら心配は杞憂に終わったらしい。恐怖が天井を越すと逆に冷静になったり恐怖症解消されたりするもんな。ショック療法とか荒療治とか、そんな感じ?
安心する私とは裏腹に、サーシアは心底驚いたと顔が表現していた。驚愕のお手本みたいで、いつもの笑顔とのギャップが面白かったのは秘密にしておこう。
「暫く待っていれば先生方が探してくれるでしょうし、どこかに座って待ちましょう」
いつまでも立っていたって仕方がない。今は平気でも山の斜面を落ちているのだから、後からどんな痛みに襲われるか……受け身をとった時に変な筋肉使ったし、筋肉痛とかもありそう。
幸いにも私達が落ちたのは木だけでなく草花も沢山生えているみたいで、座っても痛くない所は簡単に見つかった。擦り傷程度で済んだのも、これ等がクッションの代わりになったおかげでもあるのだろう。受け身だけじゃ流石に無茶な説明だしな。
木の根っこで盛り上がった土に雑草が生えて緑になっている部分、苔じゃない事を確認してから二人並んで腰を下ろした。
「……あの、マリアさん」
「ん?」
「いつから気付いてたの……?俺の、事」
「……顔色が悪いのは、最初の方から」
顔色の変化を指摘された事がそんなに意外だったのか、もしくは今までバレずに隠してこれたのか ……多分両方。実際ゲームではヒロインだけがサーシアの変化に気付けたし、愛称で呼ぶ事もない私がそこまで自分の事を見ていたとも普通思わない。
私が気付けたのは先入観のおかげなんだけどね、ほとんど反則技なんでそんなに衝撃を受けられると罪悪感。
しかも分かっていながら止めないし。まさか迷った挙げ句こんな状況になるとは思ってなかったんだよー。
「気が付いた時に止めるべきだったわ、ごめんなさい」
「マリアさんは何にも悪くないって!俺が無理したせいだから、自業自得」
自虐的な笑顔は、サーシアに全く似合っていない。溌剌とした、子どもらしく無邪気に笑う姿が印象的だったからか。マリアベルと婚約してからはもっと苦しそうな笑顔ばっかりだった気もするけど……それ以上にただ明るく楽しそうな姿の方が記憶に色付いている。
「……夜の道が、苦手なんだ」
夜の、暗い道が、とてもとても怖い。
俯くその表情は髪に隠れて窺えないけど、口元は少し笑っている……様に見える。見えるだけ。
出来るだけ明るく話したいのに、声が思い通りになってくれなくて、表情も上手く作れてない。
サーシアにとって、一番秘めたい部分が露見している瞬間。わずかに残る盾をかき集めても普段通りにはほど遠い。
「俺のお祖父ちゃんの事、知ってるよね」
「えぇ……ロマン・ドロシー様」
教科書にも載っている、世界一の火炎魔法士。魔法を使わぬ者でも知っている、学ぶ者にとってはどこまでも遠く偉大な存在。
遠巻きに眺めるだけが精一杯な雲の上の存在だが、サーシアにとっては実のお祖父様だ。
「本当、凄い人でさ……皆知ってる」
誰もが讃える、尊敬に頬を染める。
偉大な人だと誰もが言った。あんな風になりたいと、でもなれないのだと。
彼を追う権利があるのは、その血を引く者だけなのだと。
祖父の子であるサーシアの父には、魔法の才が無かった。早々に魔法士としても期待は薄れ、皆と変わらぬ平民として生き結婚し、サーシアが生まれた。
綺麗な話、どこにでもあるありふれた幸せ。お伽噺になる様な劇的な何かはなくともこれ以上望む物は無いほどに。
そんな家族に僅かな変化が起こったのは、サーシアが走って遊べる様になった頃。
「異質魔力保持者って、知ってる?」
「……えぇ」
知っているも何も、私がそれだ。最近聞かなかったから忘れてそうだったけど。
「俺、それなんだって」
世界一がすぐ傍にいるからか、サーシアの家は平民ながらも魔法との距離がとても近かった。属性が定まる事はなくとも無属性魔法でちょっと遊ぶくらいは日常だったのだという。
そりゃ世界一が傍らにいれば何があっても対応出来るもんな。そこいらの家庭教師よりよっぽど信用出来るお目付けだ。私はリンダ先生で大満足でしたけどね。
でもサーシアが異質魔力保持者だったなんて……言ってたかな?私が聞いてなかったか、もしくはマリアベルには秘密だったとか……両方あり得る。
「それが分かってから、見る目が変わったんだ」
異質魔力保持者、普通とは違う魔法との繋がり。
コントロールの難しいそれに顔をしかめる者も多く、秘密というほどではないがわざわざ吹聴する事でもない。
きちんと学べば普通の魔法使いと同じ、私もリンダ先生にコントロールの方法を教わった。
ただサーシアにとっての普通は、私とも他の異質魔力保持者とも違う。
「お祖父ちゃんの孫だから、きっと俺も凄い魔法使いになるんだろうって」
異質とは、人と違うという事。
それは個性であり、一種の特別でもあった。生まれながらに特別な血液を受け継ぐサーシアに追加されたそれに、周囲はすぐ反応したという。
私の様に貴族の生まれであれば隠す事も容易だけど、隣人を愛さねば生活に支障の出る平民の中で隠し事は難しい。特に魔法関係者の家で起こった魔法関係の秘密なんて恰好のネタ。
降り積もる期待はサーシアにとっては重圧となった。しかし重圧とは、遠くから見ていると分かり辛い。期待されているという事は評価されているという事で、それは目をかけて貰っている事でもある。
幼い子どもの内は特に、構って貰える理由があれば重圧すら妬ましく写ったりするのものだ。
そして幼い頃の純粋な嫉妬ほど隠す事も抑える事も難しい。学校という小さなコミュニティの中で暴走するのに時間なんてかからなかった。
「友達に誘われて、夜の森に行ったんだ。森っていっても大した規模じゃなくて昼間は皆遊び場にしている様な所」
狭い地域の中にある小さな森。夜は月明かりも僅かしか届かない様な暗い場所だが、昼間は子どもの声で溢れるせいか公園に近い印象で。
子どもがちょっとふざける舞台には持ってこいだったのだろう。
「きっと大事にする気は無かったんだと思う。ほんのちょっと、驚かせてやりたいってくらいでさ」
サーシアばかり誉められるのが羨ましかったのか、友達として比べられる事が多かった事もストレスだったのか。仲の良い友達だったからこそ、少しの不満を自分だけで解消できなくて。
ちょっと、困ればいい。凄い魔法使いの卵かもしれないけど今は自分達と変わらないただの子どもなのだと、周りも、サーシア自身も知ればいいんだと。
「気が付いたら、一人で取り残されてた」
置き去りにした訳ではない、ちょっと隠れて怖がっている姿を笑えれば満足するはずだった。サーシアも真っ暗な中に木々の間を抜ける風の音を不気味に思いはしたが、恐怖を感じるほどではなく。
ふざけただけだと笑って、怒られたら謝って、家に帰ったら誰にも内緒の友達同士の秘密にして。
幼い友情の一幕で終わるはずだったのに。




