第十八話 門出なりて
「…………へ?」
猶予とか躊躇いとか一切無く、投げ付けられた言葉は受け取るにはあまりにも突然で、数秒何を言われたのか分からなかった。
「い、今なんて……」
「今日限りで、家庭教師を辞めます」
聞き返した所で現実は変わらない。
ただ、あぁ聞き間違いじゃなかったんだ、って再認識しただけだった。
良い予感はしてなかったけど、これは予想外すぎる。
「何、で……っ、わたし、私のせい」
「それは違います」
もしかして今日の事が原因か。どこか怪我をした?こんなことがあって嫌になった?責任を感じた?
色んな悪い想像が一辺に襲ってきたけど、それは私を飲み込む前にグレイ先生に一刀両断された。食い気味に即答された。
ホッとした……い所だけど、じゃあ、何で?
「マリア様のせいではありませんし、この仕事に不満がある訳でもありません。理由は、私にあります」
「え……?」
何がなんだか理解出来ていない私にグレイ先生は面倒臭がる事無く説明してくれた。
私が気絶している間に起こった事を。
そこで判明した事実を。
「属性、持ち?」
「検査もして、間違いないそうです。俺は聖属性を持っていると」
「聖、属性……」
確かに、攻略対象である教員となったグレイアスは聖属性の持ち主だ。 ルートの内容的にも、彼が生まれながらに属性を持っていたって不思議ではない。
でも、まさか、ここで判明するなんて。
彼が家庭教師になった時点で、オートモードの時とは違う展開になる可能性は予測してたけど……これまた予想外な展開だ。
「属性が判明したので、アヴァントール学園への入学が決まったんです。特待生制度と奨学金を使えば俺でも問題無く通えると……当主様が手続きをしてくださって」
「……それで、家庭教師を」
「はい。学園へ通うようになれば、私の場合寮に入る事になりますので」
アヴァントール学園は国中から生徒を募っているが、 クレーネ王国の国土は広い。それなのに交通手段は穴だらけで、汽車も飛行船もあるにはあるが本数は少ないし値段は高い。貴族ともなれば専用の交通手段を持っているが、特待生として入学する平民はそうもいかない。
そこで、アヴァントール学園には寮が完備されている。
勿論平民だけでなく貴族も入寮可能で、全寮制ではないが毎年ほとんどの新入生が寮を希望するらしい。
オートモードの時に見たけど、絢爛豪華な設備でしたよ。目が辛かった、マリアベルは気に入ってたみたいだけど。一つの体でも価値観まで同じにはならないらしい。
話が逸れた。つまりグレイ先生は進学の為に仕事を辞める、と言う事か。寮に入れば帰って来られるのは週末だけになるし、子供の家庭教師をしている暇なんて無くなるだろう。
それならば、仕方がない。元より駄々を捏ねるつもりはないが、正当過ぎる理由を聞いてしまえばもう何も言えまい。
「そう、ですか……少し残念ですけれど、喜ばしい事ですね。おめでとうこざいます、グレイ先生」
「……ありがとうございます」
緊張していたのか、終始真顔だったグレイ先生の表情がそこで初めて和らいだ。いつもと同じ、小さなお子さま相手の顔。
罵詈雑言でも吐くと思われてたのだろうか。前のマリアベルならいざ知らず、今の私はそんな事しませんよ?
「……マリア様」
「はい?」
「本当に、ありがとうございました」
垂らされた頭と、二度目の感謝の言葉。それが何な対しての言葉か分からなくて口を閉ざしたままの私に、グレイ先生は気にせず言葉を続けた。
「マリア様のおかげで、俺は魔法を学ぶ機会を得る事が出来ました」
何を言われるのかと思ったら、そんな事。
拍子抜け……は言い方が悪いかもしれないけど、私に向けられるべき言葉ではない事は確かだ。
「それは……違います。私では無く、グレイ先生自身のお力です。私は何もしていない」
聖属性が露見した『原因』は私の仕出かした事だけど、それに関してお礼を言うべきはグレイ先生ではない。
「私の方こそ、危ない所を助けていただきました。本当に、ありがとうございました」
グレイ先生がいなければ、私は文字通りどうなっていたか分からない。あの現象に関して不明な事は多いが、グレイ先生がいなければ無傷済まなかった事は間違いないだろう。
それに、グレイ先生は攻略対象、しかも隠しキャラと言うヒーローに次いだ大役だ。例え今回の一件が無くともきっとどこかで頭角を現していた事だろう。本人には決して言えないが。
と、感動的な感謝の章はここまでとして。
私にはまだ、一つ気になっている事がある。
「グレイ先生、私一つ気になっている事があるんです」
「はい、何でしょうか?」
「中庭で助けていただいた時……私の事、マリアって呼びませんでしたか?」
「え……?」
どうでもいいとか思います?
確かに些細な事だし、私も物凄く気になる訳じゃないけど、家庭教師辞めちゃうならしばらく会うことは無くなるんだろうし聞いておいて損はしないかなと思ったんです。
それに物凄くは気にならなくても、ほんのちょっと、背後で物音がしたけど振り向いても何も無かった時くらいには気になるし。
……私、誰に言い訳してんだろ。
「あの時は……その、俺も夢中で……よく覚えてない、です」
キョロキョロと視線を色んな所にさ迷わせながらの返答はしどろもどろで、多分本当に覚えていないのだろう。そして覚えていない事に焦ってる。
理由は……想像付く。と言うか一回断られてるしね。
「……失礼な事をして、しかも覚えてないなんて、本当に申し訳ありませ──」
「そうではありません」
恐縮して下がりそうになる頭を、遮るように言った言葉で何とか食い止めた。
もしかしたら私の聞き間違いと言う事もあり得るし、もし本当に呼び捨てで呼ばれてたとしても嫌な気持ちになったりしない。
怒っている訳じゃないんだから、謝られる必要は無い。
私が言いたいのは、そういう事じゃなくて。
「そうではなくて……折角ですから、これからはそう呼んでいただけないかと思ったのです」
「そう……って」
「マリアと、呼んでくれませんか?」
一度は断られたけど、出来れば『マリア様』ではなく『マリア』と呼んでほしい。
正直、お嬢様とかマリア様とか……苦手、だったりする。令嬢と言う自覚が足りないせいか、蝶よ華よと持て囃されるのが、しかもその相手が歳上だったら……慣れられるはずないじゃないか。
過去五周分マリアベルと供に令嬢をやってきたとは言え、そのほとんどが令嬢にあるまじきいじめの主犯格として、その後はただの性悪外道として、虐げ虐げられをしてきた。
令嬢らしさを学ぶ隙も無い。マリアベルに学べたのは、天罰って下るんだよ、って事くらいかな。
さすがにオルセーヌさんやアン達メイドには「呼び捨てが良い」なんてワガママ言わないけど。向こうの仕事にも影響しそうだし。
その代わりケイトとか、あんまり身分に囚われない人には好きに呼んでもらってる。ケイトのお父さんとかは「マリアちゃん」って呼ぶし。
「でも……それは」
「もう、家庭教師では無くなるんですよね?」
もう私はグレイ先生にとって雇い主の子供では無くなる。何か恩とかは感じてそうだけど、その辺はスルーで。
本当なら『生徒』で教えてもらう側の私がグレイ先生を敬うべきなんだし。
「ダメですか?」
「…………」
困ってるなー。何か物凄く良心に漬け込んでる感しがして罪悪感だよ。私にそのつもりは無いけど、グレイ先生は私にも恩を感じてるみたいだし。
どれだけの沈黙が続いたのか。結果として、折れてくれたのはグレイ先生の方だった。
「ま……りぁ……」
「っ……!」
「マリア……」
掠れて聞き取り辛かったけど、確かに聞こえた私の名前。
嬉しくて、息を飲んだ私に、駄目押しでもう一回。二回目はちゃんと聞こえた分、グレイ先生自身も戸惑っている感じで。音にならなかったけど口は『様』って動いてた。
でもそのくらい許容範囲だ。固くなに断られる事に比べれば、なんて事はない。
「……嬉しい、ありがとうございます!」
「いえ、大した事では無いです、けど……なんか、変な感じしますね」
「うふふ」
機嫌良く笑う私に、グレイ先生も困った風ではあったが笑い返してくれた。
少しは寂しいけど、これがお別れにならない事は私が一番よく知っている。ならば泣きじゃくって感動の別離を演じたって私の黒歴史が増えるだけだ。
冷静に、だけど冷淡では無く、まるで旅行に出掛けるみたいな気安さで、言った。
「いってらっしゃい、グレイ先生」
「……行ってきます、マリア」
そうして、グレイ先生は学園へと旅立っていった。
その後グレイ先生と再会するのは、私が彼と同じ門出を迎えた後の話である。




