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第十六話 恋と好意の違いなんて所詮は一文字(2)

 有り難い言葉だったし、素直に嬉しかった。

 でもやっぱりマリア様に魔法学を学ばせてあげられないのは心苦しかった。魔法学を教えて欲しいと言った彼女は、いつもより楽しそうだったから。

 そこで俺は、当主様に掛け合うことにした。


「あの……ご当主様」


「ん?……グレイアスか。どうした?」


「実は……お願いが、ございまして」


 魔法学の家庭教師を雇って欲しい、と。

 俺がクビになる可能性も否めなかったが、だからといって放っておくのは気が引ける。俺の他に魔法学の家庭教師を雇ってもらえれば一番良いが、そういった想像をしても俺の精神が削られるだけで結果は変わらないから早々に止めた。

 俺の話を聞いた当主様は、お願いをきちんと飲み込んだ上で「分かった」と言ってくれた。

 結果、俺がクビになる事はなかった。

 新しい家庭教師が来る事も無かった。

 その代わり、当主様の秘書であるオルセーヌ様が魔法学の基礎を教えてくれる事になった。


 何故か、俺も一緒に。


「基礎だけでも学んでおいて損は無い」


 そう言って、当主様はマリア様のと一緒に俺の分まで教材を用意してくれて。申し訳なくて、せめて給料から引いてもらおうと思っていたのに「一つも二つも変わらん」と聞き入れてはもらえなかった。

 冷たいのは外見だけで、中身は優しく甘い。奥様への対応を見ていたからある程度は把握してたけど、まさか自分にまで向けられるとは思っていなかった。


 当主様だけでなく、テンペスト家の人達は皆優しい。歴史が深く、王族に一番近しい位置に座する貴族だと言うのに、俺の知っている貴族とは全然違って。

 堕ちた元貴族の俺を蔑まない。哀れむ事も無い。

 同情がゼロだったとは思わないが、彼らは俺に過度な保護を押し付けようとしない。


 貴族は、苦手だった。

 恨んでいた訳ではない。例え期間は短くとも、俺もその貴族の一人だったのだ。恨んだ所でどうにもならない事くらい分かっている。

 それでも、俺が『テンペスト公爵家』に対して持っていたのは苦手意識だった。

 貴族が、そして昔の俺と同じ公爵の家系が、どうしても苦手だった……はずなのに。


 奥様は、初めて会った時と変わらない。

 当主様は、人は見た目では分からないと教えてくれた。

 マリア様は、植え付けたもの全てをひっくり返していった。 

 

 溶かされていく。変えられていく。塗り替えられていく。

 それがむず痒くて、居心地が悪くて、でも嫌じゃなくて。

 混ざりに混ざった複雑な心境のまま、最後の魔法学の授業を向かえた。


 そこで起こった出来事は、説明するまでも無いだろう。


 俺と同じように、マリア様が模擬杖を振り下ろした瞬間……空気が、変わった。

 光を放ちながら脈打つそれが『良い事』でない事はオルセーヌ様の反応を見れば明らかで。

 俺の危機管理能力は警告音を鳴らしていた。杖放り出したまま座り込んでいるマリア様だって、起こっている事態が異常であると認識していたはずだ。

 逃げなければ、とか。杖をどうにかしなきゃ、とか。どんな行動を取るにしろ、判断する時間が欲しかった。

 でも、異常事態は嘲笑うかのように俺達の願いを切り捨てる。


 突然引いた光、鼓動。一瞬の静寂。

 それが引き金だと言わんばかりに膨らんだ『攻撃』に、俺の体は脳ではなく心と直結して動いていた。


「マリア……ッ!!」


 何を叫んだのかは、覚えていない。

 ただ本能で感じた『しなければいけない事』に従って、マリア様の腕を引っ張って引き寄せた。

 軽くて細い、小さな体。庇うように抱き締めると余計に認識する、子供の体温。


 護らなきゃ。傷付かないように、俺が、護ってあげなくちゃ。


「っ──!!」


 衝撃に備えて、マリア様を抱き締める腕に力を込めた。歯を食い縛り、目をぎゅっと瞑る。近付いて来る攻撃の気配に、心を決めて、待った。

 

「…………あ、れ?」


 来ない、何も。攻撃も、伴うはずの痛みも、衝撃すら。

 脳内を巡る疑問符の答えが知りたくて、何が起こったのか確かめたくて、そして何も起こらないと言う安心が欲しくて、ゆっくりと目を開いた。

 初めに認識したのは鮮やかなオレンジ色、オルセーヌ様の髪だと思う。次は金色と菫色が並んで見えて、光に気付いた当主様と奥様が駆けつけたのか。

 それで最後は……俺を囲む、透明な何か。


「え……?」


 何だ、これ。

 シャボン玉の膜みたいに太陽の光を反射させて虹が見えるけど、硝子みたいに固そう。それは俺と、俺の抱き抱えているマリア様をドーム状に囲っている。

 地面を見れば、ドームの壁を避けるように芝生が散って土が顔を出していた。


「これ……」


 護って、くれた……?

 確証はない。でも俺もマリア様も無傷である事と、地面に残った傷跡がその証明である気がした。

 ゆっくりと、膜に手を伸ばす。無意識での行動だったが、指が触れるより先に、膜は発光しながら霧散していった。

 残ったのは、傷の残った地面と、無傷な……俺とマリア様。


「ッ、マリア様!!」


  腕の中で俺に体を預け切ったマリア様を見る。

 意識が無いのは明白で、でもそれが眠っているのか気絶しているのか、俺には判断できなかった。


「グレイさん、失礼」


「オルセーヌさ……」


「……大丈夫、意識はありませんが脈拍は正常です」


 いつの間にか近くにいたオルセーヌ様がマリア様の首筋を触って、余程不安そうな顔をしていたのか、俺に向かって微笑んだ。

 そのまま、流れるような動作で俺の腕からマリア様を受け取る。


「ですが念のため医師に見ていただきましょう。グレイさんも、外傷は無いみたいですが念のため検査を受けてください」


「は、はい……」


 何が何だか分からないまま、事態は終息に向かっているらしい。

 ホッとして肩を撫で下ろした俺に、次に近付いて来たのは当主様だった。


「グレイアス、怪我はないか?」


「は、はい。俺は何とも……」


 奥様はマリア様に付き添ったのか、姿が見えなくなっていた。

 当主様と二人きり……正直、緊張しかない。当主様が冷やかな容姿とは違い優しい方であると分かっていても、貴族で雇い主でもある相手に気安い事は言えるわけがない。


「ありがとう。君のおかげでマリアは助かった」


「え……いや、俺は」


「いや、君のおかげだよ」


 俺は何もしていない。そう言いたかったし事実その通りだ。マリア様を護ったのは俺ではなくあの透明な膜で、俺はただ感情のままに行動しただけ。

 そう否定したかったのに、当主様は真剣な眼差しで俺の言葉を遮った。


「マリアを護ったのは、君の力だ」


「え……あ、あの、何を」


「あの防御壁(シールド)を出したのは、君だよ、グレイアス」


「シー、ルド……って」


 矢継ぎ早に繰り出される発言は、いとも簡単に俺のキャパシティーを越えた。

 防御壁(シールド)の事は分かる。オルセーヌ様の授業で習った。文字通り、魔法も物理攻撃も防御する盾。

 でも、それを俺が出せるわけがない。


「ご当主様、俺には防御壁は出せません。あれは──」


「属性が決まってからでなければ出せない魔法だな」


「………」


 その通りだ。防御壁は無属性の状態で使える魔法ではない。属性事に特色があり、専属の教師が教える歴とした『属性魔法』だ。

 貴族である当主様が知らないはずはない。

 では何故、そんな突拍子もない事を言い出したのか。


「属性は何も学園で学ばなければ決まらない物ではない」


「それは、そうですけど……でも俺が学んだ知識程度では属性の固定には至らないはずです」


 そもそも魔法学は家庭教師でも教えられるが、属性を固定させるだけの知識はそう簡単に教えられるものではない。全ての属性の知識を習得した上で、無属性魔法を操れなければ属性の固定など夢のまた夢だ。

 俺がオルセーヌさんから教わったのは、魔法学の基礎。属性が固定されるなんて、ありえない。


「それは無属性を特定の属性に固定させるならば、の話だろう。元々固定されているのならば、話は別だ」


「元々、固定……って」


「珍しい事ではあるが、無いことではない」


 当主様が言いたいのは、生まれながらに属性を持つ者の事だろう。

 生まれた時は誰もが無属性である……それが魔法学の基礎知識だが、極々稀に生まれた時から特定の属性を持っている者がいる。

 そして、俺がその属性持ちだと。


「あの防御壁は聖属性の物だった……我が家に、聖属性はいない」


「……俺が」


 あの場にいたテンペスト家以外の人間……それは、俺しかいない。

 俺が、属性持ち……信じられない、と言うより予想外すぎて理解が追い付いていない。


「勿論正式に検査をして見なければ確実とは言えないが……ほぼ、間違いないだろう」


「って、事は……オルセーヌ様が言っていたのは」


「怪我も心配だが……『それ』も含めて、と言うことだ」


「……そう、ですか」


 何をどう言えばいいのか。この場合、何を言っても正解であり間違いな気がした。

 混乱と、困惑と、少しの恐怖。

 地獄を生き抜いてきたはずなのに、今はあの頃よりもずっと先が見えない。一切の想像がつかない恐怖感。


「……大丈夫だ」


「っ……とうしゅ、さま」


 足元が見えない恐怖に固まっていた俺の頭に、大きな手の感触が降ってきた。

 優しくて、ほんのり温かくて、髪を滑るように撫でる動きは心を落ち着ける。

 見上げた双眸は寒々とした冷たさを連想させる碧色だけど、その奥にあるのは強さと、絶対的な安心感。


「心配する事は何もない、俺に任せておけ」


「任せる……って、でも……」


「マリアを護ってくれたお礼だ」


「あ、あれは俺が……」


 俺が、勝手にやった事だ。

 運良く属性持ちだったから良かったものの、あの瞬間の俺はただ感情のままに行動していただけ。

 

「マリア様が……大事だから」


 その言葉に当主様は複雑そうな顔をして、それでも優しく俺の頭を撫でた。





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