【番外編】バレンタイン前夜
二月十四日……それがなんの日か、多くの人が知っているかと思う。そう、バレンタインデーだ。
一説にはチョコレート業界の陰謀なんて話もある。学生ならまだしも、社会に出ればただの平日とそう代わりない印象ではないだろうか。
少なくとも、現実を生きていた私にとってはそうだった。ドキドキしながらチョコを用意した事なんて……あ、どうしよう記憶にない。
ただ、この世界は現実であって現実ではないので。いや、私にとっては現実以外の何物でもない……はず。少し前まで全自動だったからちょっと自信はないが、脱した今ではちゃんと私の生きる世界です。
しかし、それ以前に、大前提として、この世界は乙女ゲームなのですよ。
皆さん知っていますよね?そもそもバレンタインデーって、好きな人にチョコと一緒に想いを伝える日。
はい、想像してください。それがきっと答えです。
──当然、見逃されるはずないよね。
「チョコレート?」
登校してすぐ、一つの本を二人で覗くプリメラとエルに気が付いていたけど……どうやらレシピ本を見ていたらしい。なんか美味しそうなお菓子の絵が数字と一緒にチラッと見えた。
「今度の休みにキッチンを借りて作ろうかと思ってるんだ」
「エルも一緒なんて珍しいわね」
プリメラはよく手作りのお菓子をくれるから知ってるけど、エルはむしろ苦手な部類じゃなかったっけ……ある程度目分量が通用する料理は何とかなるけど、キッチリ量らないと失敗するお菓子作りは苦手だって聞いた気がする。
それは私も同じだから、今までプリメラからそういった事に誘われた事はない。出来上がった物をもらって、話を聞いて、感想を言うのがいつもの流れだ。
「毎年、バレンタインだけはお互いに手作りのを交換してるの」
「いつも貰ってばっかだから、バレンタインくらいはね」
「…………」
「……マリア?」
「あぁごめん、ちょっと黒歴史が……」
「……?」
不思議そうに首をかしげる二人には申し訳ないが、こればかりは説明出来ないんでスルーさせてもらおう。悪役時代のあれこれそれを説明するなんて、口にしただけメンタルがすり減る。ゴリゴリ削れて瀕死待った無しだ、辛い。
でもそうか、もうそんな時期なんだ……時が流れが早く感じるのは歳を取った証拠って言うけど、色んな事があり過ぎて日付感覚が麻痺ってたせいだと思いたい。学園に上がった時に想定していた五倍くらい大変な思いしたんで、一年目からとんでもないハードモードだった。これヒロインが増えたら地獄じゃね……?とか思ったけど深く考えたら心が死にそうなんで止めておこう。
「マリアちゃんはあげないの?」
「それは、私にチョコをあげる交友関係が無いと分かった上での質問かしら?」
男女関係なく友達少ないって知ってるよね?なんならプリメラとエル以外に心当たりなんてゼロだからな。
「そうじゃなくて!ケイトさんに、あげないのって事だよ」
「ケイト……?」
なんでケイト……って、幼馴染みで送り合うなら、私の相手はケイトか。
そういえば、ケイトにチョコを上げた事がない……そもそもバレンタインを意識したのは現在だし。あ、でも毎年お母様の作ったお菓子を一緒に食べてたからそれをカウントすればあげた事に、は、ならないな。お母様はお父様に毎年あげてたけど、私にとってはお母様のお菓子が沢山食べられる程度の認識だった。どうしよう考え方がまんま幼女だった。
「もしあげる予定があるなら、マリアちゃんも一緒にどう?」
「チョコ……」
改めて考えると、私とケイトの関係なら渡してもおかしくないよね。むしろあげた事がない方が違和感あるくらいだ。幼馴染みだからとかではなく、お世話になりっぱなしな身としては。あれって好きな人とか、友達とか、お世話になった人に渡すんだよね。少なくとも現代日本で生きていた頃はそんな認識だったよ。
幸い、ケイトは甘いものが苦手ではないし、チョコレートも好きだ。大抵の物は美味しく頂ける舌をしている。
「そうね……作って、みようかしら」
「じゃあ、今度のお休みにうちの寮のキッチンでいいかな?」
「えぇ。材料とかは……」
「頼んでおくから大丈夫だよ」
「……そう」
うん、さすが乙女ゲームの金持ち学校ですね。バレンタインに至れり尽くせり過ぎると思う。
× × × ×
休日、私とエルはプリメラの済む王子寮にいた。事前の許可があれば出入りは比較的簡単で、大雑把に見えるけど警備は完璧って矛盾を突くべきかな。
その微妙な雑さと、異性相手なら絶対不許可な制度のおかげでヒロインの侵入イベントが成立するんだけど……迷惑だからもっと警備徹底するか、異性相手にも許可与えるかどっちかにして欲しい。
「おはよう二人とも」
「おはよー」
「おはよう、今日はよろしくね」
在籍生徒数に比例せずにだだっ広いキッチンには、もう驚かない。うちの寮はさらにでかいし、規格外に驚くのにはもう疲れました。
「何を作るかはもう決まってるの?」
「あたしはプリメラにお任せ」
「私は……生チョコ、かな」
いくらプリメラに教えてもらうといっても、初心者は初心者向けから始めるべきだと思う。後この世界のオーブンとか使うの怖い。科学的に証明された安全があった日本人時代ですら、熱しすぎて爆発しないかとか心配してた類いの人間だったから。
魔力を込めたらあら不思議、希望の温度に暖まってます!とか、普通に怖い。画期的過ぎて多少の不便が伴わないと安心できない程度には、この世界への警戒心を忘れてないです。ドライヤーとか冷蔵庫とかは、恐怖心を抱いてたら生活出来ないんで慣れたけど。
「そういうプリメラは何にしたの?」
「私は二人にブラウニーと、先輩用にチョコクッキーを沢山作るつもりだよ」
「……エル、私と同じにした方が良いんじゃない?」
「え、何で?」
きょとんとした顔で首を傾げるエルに、プリメラへの全幅の信頼を感じるけど……もうちょっと不安を持って、自分のお菓子作り歴に。
もしかして、ブラウニーの作り方知らない……うん、知らないな。私も知らないけど、難しいだろうって予想くらいは出来るよ。少なくとも混ぜて冷やして完成!とはいかないでしょうね。
「大丈夫だよ、エルちゃん用に出来るだけ簡単なレシピを用意してるから」
「そう、なの……」
あぁ、これは……毎年の事なんだな、了解把握した。プリメラの表情が完全に想定内だって言ってるよ。ご苦労様だなぁとも思うけど、それが楽しかったりするんだから幼馴染みの関係って外からじゃ分かんないよね。
「じゃ、始めよっかっ」
「はーい!」
「よろしくね」
ともあれ、私も人の事を心配出来る腕ではない。
プリメラに教わりながら四苦八苦した結果、何とか見た目は綺麗に出来たと、思う。皆で話ながら作るのは楽しかったし、むしろバレンタインってこれを楽しむ為なのでは……?とか思ったりしたんだけど。
出来上がりを自宅に持ち帰ってから、気が付いた。
「……これ、どうやって渡そう」




