ある使用人の昔語り(前)
番外編『領主の代替わり』と同時期の話と、その後のラグーレンのことなど。
今より少し昔の話をさせていただきましょう。
私の名はロブ。代々ラグーレン家の従僕を務める家に生まれました。
十歳を超えた頃から仕事をいただき、今は通いの使用人としてラグーレン家のさまざまな作業を任せられています。
あれは、今から七年前だったでしょうか。
その頃はまだアルベス様が王国軍の騎士として活躍していて、先代の旦那様もご存命でした。
ルシア様は十三歳になる直前。あの頃のルシア様は小柄で、よく笑うかわいらしい方でした。
二十歳になったばかりのアルベス様ももちろんご立派で、ラグーレン家にまた明るい日々がやってきたと確信していたものです。
ただ、一つだけ心配だったことがありました。
それが先代旦那様のご体調です。
先代旦那様——旦那様はお体の弱い方で、力仕事などもできない方でした。貴族ですから、我ら使用人に任せていただければいいのですが。
アルベス様は騎士。普段は王都にいらっしゃいます。もし旦那様が急に倒れると、まだ幼いルシア様だけになってしまう。
皆が、心の中で心配していました。
だから——あの方も、同じことをお考えになったようです。
いつものように休暇をのんびりとお過ごしになった後、私を呼んでささやきました。
「ロブにこれを渡しておく。何かあった時に使ってほしい」
「……フィル様、これは?」
大きさは、手で簡単に握り込んでしまえるくらい。きれいな金色のメダルで、ずしりと重い。純金かもしれないと思い当たったのは、フィル様の素性をうすうす察していたからです。
フィル様は私の表情を見て、少しだけ笑いました。
「——君たちは、僕が誰か、知っているよね?」
「い、いいえ、私どもは騎士様としか」
「うん、そう言ってもらえるのは嬉しいよ。だが、僕にはある程度のことなら叶えてしまえるだけの力はある。だから……ラグーレンに何かあった時は、これを利用してくれ」
「……利用とは、どのようにすれば良いのでしょう」
「そうだな、単純なところでは、これを割って売ればそれなりの金額になる。急な物入りの時に使えるだろう。悪質な借金取りが騒いだら、これを投げつけてやれ。つけ上がったとしても、アルベスが戻ってくるまでの時間稼ぎには十分だ!」
そう言ってフィル様は人が悪そうに笑い、やはり純金だとわかって私は震えてしまいます。
でも、フィル様はすぐに真顔になって、私の目をまっすぐに見つめました。
「それから……こんなことは言いたくないが、親父さんやルシアちゃんに何かあった時は、これを見せればいつでも王宮に入ることができるようにしておく。深夜であろうと、いつでもだ」
王都への夜間の出入りは制限されています。
まして、私のような庶民が王宮に入るなど、普通はできません。
でも、アルベス様がおいでの軍の本部は王宮の一画にあり、直接の連絡をするためには王宮への門をくぐらねばなりません。
フィル様がおっしゃっているのはそういうことで……そういう事態を案じていらっしゃるのです。
「こんな高価なもの、本当にお預かりしていいのでしょうか」
「僕がしてあげられることは多くはない。だがこれくらいなら、親父さんも許してくれるだろう」
フィル様はそう言ってから、ふと表情を緩めました。
「……アルベスに知られると面倒だから、あいつには絶対に言うなよ?」
そのお顔は悪戯を隠そうとしている子供のようで、私は思わず笑ってしまいました。
きっとフィル様は、あえてそんな言い方をなさったのでしょう。
そうしてフィル様は王都にお戻りになり、アルベス様も一日遅れて戻っていかれました。
休暇の期間が同じのはずなのにずれているのは、アルベス様がぎりぎりまで旦那様の仕事を手伝っておられるからです。
アルベス様も、旦那様とルシア様のことをとても気にかけていらっしゃったのでした。
——それから数ヶ月後、ラグーレン領が水に浸かりました。
領民を守るために、旦那様は毎日忙しく動き回り、王都の役人たちとも交渉し、商人たちに頭を下げて食糧などを買い付けました。
アルベス様も手伝ってくださいましたが、王国軍のお役目があります。上層部に見込まれて出世を続けていることもあって、なかなか思うようには動けなかったようです。
それでも短い休みのたびにお戻りになって、旦那様を手伝っていました。
旦那様はそれを申し訳なく思いつつ、とても頼もしそうでもありました。ルシア様も、アルベス様のお帰りを喜んでいらっしゃいましたし、精一杯手伝っておられました。
私どもも、なんとかお支えしようとしたものです。
やっと少し落ち着いてきた頃——少しずつ寝込む時間が長くなっていた旦那様は、息を引き取ってしまいました。
寝込み始めた旦那様は、私どもに何度も「アルベスの任務を妨げたくない」とおっしゃっていました。ルシア様がいない時には「もし私が死んでも、勤務時間が終わるまで知らせるな」ともおっしゃいました。
念の為だと笑いながら、葬儀の手配もこっそりしていました。
旦那様を看取ったルシア様も、気丈に葬儀の準備を進めておられました。
だからこそ、私は村へ資材の手配をしにいくふりをして、お屋敷を出ました。そのままラグーレン領を出て、途中の王国軍の詰所でアルベス様への連絡をお願いしたい旨をお伝えしました。
フィル様にいただいたメダルを見せると、「お前がいくのが一番早い」と私を別の馬車に乗せてくださいました。
途中で私は疲れで寝てしまったようでしたが、目が覚めると王都についていて、王宮まで送ってくださいます。
王宮の門でも止められることなく、付き添ってくださった騎士様は私を軍の本部である東棟まで案内してくださいました。
私が控え室で座り込んでいる間に知らせていただいたようで、ほどなくアルベス様が駆けつけてくれました。
アルベス様は、私の顔を見た瞬間に悟っていたのでしょう。お父君の死をお伝えしても、大きく表情を変えませんでした。
でも、アルベス様はまだ任務が控えていたようで、迷っておられました。
そんな時に、あの方が来てくださったのです。
「ロブ、何があった?」
フィル様は、アルベス様へではなく、私に直接お聞きになりました。旦那様の死をお伝えすると、すぐにアルベス様の胸ぐらをつかんで睨みつけました。
「何をしている。早くラグーレンへ戻れ!」
「しかし、俺には任務が……」
「そんな腑抜けた目をした騎士など、我が軍には不要だ。休暇届の書類は作った。署名だけしろ」
横で聞いている私までぞっとするほど冷たい声でしたが、フィル様は少しだけ顔を歪められました。
「騎士の代わりはいくらでもいるし、僕も穴埋めができる。だが……ルシアちゃんの兄は、君だけなんだ」
フィル様の言葉に、やっとアルベス様は頷きました。
……その瞬間のアルベス様のお顔は、私の目に強烈に焼き付きました。
アルベス様は、お決めになったのです。
華やかな騎士としての出世より、お父君が必死に立て直そうとしていたラグーレン領とまだ幼いルシア様を守ることを選ぶ、と。
——旦那様のご遺志を裏切り、ルシア様の健気な決意も踏みにじった私は、一生、あのお顔を忘れることはできないでしょう。




