北部砦の日常(1)
※本編終了後、ルシアに指輪を贈ったフィルが、北部砦に戻っている間の話です。全二話。
「北の地でも想い続けるとは言ったけど、やっぱり会えないのはつらいな。……今の僕は、世界で一番不幸な男だ……!」
そうつぶやいて、銀髪の騎士は切なげにため息をつく。
しかし周囲の男たちは、うんざりした顔で目を逸らしただけだった。
◇
王国北部に位置する北部砦。この地を拠点とする第三軍には、三人の軍団長が並立する。
北部貴族系侯爵が一人、東部貴族系侯爵が一人、それに、王族の三人だ。現在も三人の軍団長がいて、そのうち筆頭として実質的に第三軍のトップであるのが「フィル」と呼ばれている人物である。
正式な名はフィルオード。
現国王の弟で、透き通るような銀髪と美麗な容姿を持つ。
優れているのは容姿だけではない。身体能力はこの国を興した人物によく似ていると言われていて、その武術は実力主義の東部貴族が心酔するほど。
普通なら形式だけのお飾りとなるはずの王族出身軍団長なのに、騎士たちの圧倒的な支持を集めている。気取りのない性格のせいもあって、何かあるごとに中心に据えられる人物だ。
フィルが半年ぶりに王都へ戻った後もそうだった。
外気の冷たさとは対照的な、昔ながらの武人気質が色濃い北部砦の熱気のままに、帰還祝いという名の酒宴に主賓として座らされた。
……帰還時に、普通に馬に乗っていたのを見て安心した、というのもある。
前回の王都からの帰還は、どう見ても「連行」だった。王都に戻る過程も、途中から完全に「逃亡者」だった。
それに比べれば、鬱陶しいほど暗くても、自らの意思で馬を進めていた姿は颯爽としている。
少なくとも、ほっとした騎士たちにはそう見えたし、砦に出入りする女性たちに至っては、老若を問わず「物憂げでステキ!」と騒いでいた。
結果として、酒宴は近年稀に見る派手なものになったという。
しかし、北部砦は遊びの場ではない。
国境近辺に不審な動きがあるとの通報があると、気怠げに空を見上げていたフィルオード軍団長は表情を改めて軍の一部に出撃命令を出す。前日に散々に酒を飲んでいた騎士たちも、平然と国境付近へと出撃した。
もちろん陽動の可能性もあるから、他方面に対しても監視が同時に行われる。
幸いなことに、大規模な衝突は滅多にない。いつもの嫌がらせのような威嚇行動であるとみなされれば、警戒はやがて通常レベルに戻る。
そうなると、慰労の名目でまた酒宴が催されることになる。いつも通りに朝まで付き合わされたフィルは、しかし今回は翌日も気が休まる暇はなかった。
「お久しぶりですな、王弟殿下! なかなか面白い話があるらしいと聞いて、とんできましたぞ!」
突然、東部貴族の代表者たちが訪問してきた。
どうやら、北部砦の第三軍に所属する一族の誰かから何か聞きつけたらしい。
本心ではどれほど面倒に思っていても、その内心を隠して笑顔で迎えるのが王族系軍団長の役割だ。フィルオードはその職務に忠実に、友好的に椅子をすすめながら微笑んだ。
「あなた方のいう『面白い話』というのは、先日の隣国の威嚇行動のことかな?」
「まさか! そんな日常沙汰ではありませんよ。とある軍団長閣下に想い人がいるとか、その想いゆえに暴走したとか、そういう類い稀な話ですよ!」
それを聞いた途端、銀髪の軍団長は密かに舌打ちをした。
心の中で「余計な話をしたのは誰だ」と腹立たしく思ったけれど、周囲は「あんたのせいだろ」と笑うだけで誰も同調してくれない。
仕方がないから、しつこく質問をしてくる東部貴族の重鎮たちに、笑顔を保ったまま対応を続ける。
いつものように笑顔で受け流せたと思ったのに、なぜかフィル以外の周囲全てが盛り上がっていて、気が付くと狩猟に同行することになっていた。
狩猟自体は悪くない。
だが、狩猟でもてなす相手ということは、それで終わる相手ではない。当然のように夜は酒宴となる。二日連続であろうと、そんなことを気にするような人間はこの地にはいないのだ。
フィルとしても体力には自信はある。しかしさすがに疲れが出ているのか、すでに酔いが回りそうになっている。
それを察したのか、妙に目を輝かせた女性たちが「好きな人がいるって本当ですか?!」と寄って来る。
女性たちを笑顔で誤魔化しながらさり気なく追い払っても、今度は「今なら勝率を上げられる!」と目を輝かせた騎士たちが、木剣を手に絡んでくる。
隙を見て騎士たちが絡んでくるのは、王国軍の騎士にはよくあることだ。
血の気も多い騎士の中では、夜の次は朝が来るくらいに当たり前のこと。フィルも騎士として過ごしたことがあるから、普段なら楽しくそれに乗る。
途中から面倒になって「全員で来い!」と豪語するのも、日常の一つでしかない。
その結果として、全てを返り討ちにして勝ち名乗りを上げるのも、人海戦術で動きを止められて頭にかわいいリボンをつけられるのも、北部砦ではささやかな余興だ。
だが……今夜は全てが面倒に思う。
王宮で過ごすより気楽とはいえ、やはりこの地でも安易に気を緩めることはできないと腐ったついでに、ラグーレンでの日々を思い出してしまったのだ。
あの地では、心のままにハメを外せていた。気楽に酔い潰れることができたし、美味い豆料理も腹一杯食べることができた。
北部では栽培すら少ない豆だから、豆料理は王都に戻った時の楽しみで、塩味のシチューも王都に帰還した時の楽しみだ。
そして、王宮のどんな料理人が作るものより、友人の妹が作る料理が美味いと感じる。
伝統そのままの味が好みと言うだけではない。
お代わりを皿に盛ってくれる時の笑顔とか、酔い潰れた時に呆れ顔で毛布をかけてくれる優しさとか、手荒れを気にせず楽しそうに畑に出る姿とか……そういうものを思い出すと心が温かくなる。
ただ、思い出せば思い出すほど、彼女に会えない現実がつらい。
今の自分は「世界一不幸な男」だと嘆いてしまうほどに。
あの誇り高い令嬢が、彼女の魅力を微塵も理解していない馬鹿な男に嫁ぐことが決まっていた頃は、なぜ王の子として生まれてしまったのかと思い悩んだ。
行き場のない苛立ちを、何度ナイフ投げで紛らしたことか。
だが、そんな悩みは今はない。
彼女の指には、約束の指輪が輝いていて、フィルオードの名を知った後も変わらず笑いかけてくれる。以前と変わらない笑顔で「フィルさん」と呼んでくれる。
このまま彼女が指輪をはめ続けてくれて、婚約が継続すれば……兄王との約束の二年は、やがて過ぎていくはずだ。
その最初の段階として、次の王都帰還時には正式に婚約を発表することになるだろう。
それが終われば、誰にはばかることなく、あの令嬢と出歩くことができるようになる。彼女は王都に慣れていない。いろいろなところを一緒に散策するのは、きっととても楽しいはずだ。
ふわりと微笑んだフィルオードは、ふと気付いたように首を傾げた。
「あれ? もしかして、僕は今も最高に幸せなのかな?」
フィルオードはあくまで真剣だ。
だが周囲からは、重苦しいため息が漏れていた。
「……何を寝ぼけたこと言ってるんですか。さっきから、ずっとニヤニヤしてるじゃないですか!」
「僕は笑っていたかな? 出発前のルシアちゃんは、とてもかわいかったけど」
「あー?! この王子様は何をのろけているのかなぁ?!」
酒を手に周りに集まりつつあった騎士たちが、げんなりした顔をする。
その横で、フィルはまた虚空を見上げてため息をつく。それから、優雅な手つきでテーブルに刺さっていたナイフを抜き取り、壁に向けて投げた。
「おおっ! グダグダのくせに、ナイフは外さないのはさすが軍団長です!」
「あのくらい、我らもできるぞ!」
「え、伯父上、いい年なんだから無理しないでくださいよ!」
周囲から歓声が上がる。東部貴族の代表が、同じようにナイフを投げて騎士たちと競い始めた。
しかしそんな喧騒も、フィルにはほとんど聞こえていない。
今、頭の中にあるのは、黒髪に緑色の目をした背の高い令嬢の笑顔だ。
明るくて、表情豊かで、ちょっと距離を詰めるとびっくりした顔をしながらはにかんで、それがまた最高にかわいいのだ。
その上、彼女が作ってくれる塩味のシチューと素朴な豆料理は本当に絶品だ。これは絶対に異論は許さない。決闘をしてでも否定させるつもりはなかった。
「……豆料理も美味しかったな。また食べたいなぁ……」
ほぅっとため息をついて、低くつぶやく。
物憂げにラグーレンの日々を思い出しながら、軽く体を逸らして振り返った。
そこには、今まさに酔ったふりをして絡もうとしていた騎士がいて、その手をサラリとよけながら軽くねじり上げた。
「いててて! 降参! 降参です!」
すぐに野太い悲鳴が上がったので、手は外してやった。
しかしその隙を狙って、別の騎士がニヤニヤしながらフィルの酒杯に麦酒を注ぎ足そうとしている。もちろんフィルは見逃さず、その男の顎をつかんで、水差しを奪い取った。
「くそっ! いつもより酔っているから、いけると思ったのに!」
「残念だったな。その麦酒は自分で飲みたまえ」
フィルはとても美しい笑顔を抑え込んだ男に向ける。一瞬青ざめたその騎士は、「了解です!」と言って自ら水差しから直接飲み始めた。
それをどう勘違いしたのか、負けず嫌いな東部貴族たちまで水差しから直接麦酒を飲もうとして立ち上がった。
「誇り高き東部の戦士たちに乾杯!」
「ダメですよ! それを続けると、うちの料理長が激怒しますから!」
慌てた顔で必死で止めようとしている騎士もいるが、その横では笑いながら囃し立てている。
料理長が激怒したのは、ここの騎士たちが馬鹿騒ぎをやりすぎたせいなので、理性がどれだけ残っているかの違いでしかない。
これも、この砦では日常的な光景だった。




