(44)騎士隊の任務
予想通り、手を捻り上げたのはアルベス兄様でした。
そのまま手首を握り潰すのではないかと思うほど、恐ろしい目つきになっていました。
「おい。ルシアを愛人にしたくないから婚礼まで手は出すな、と言ったよな?」
「このくらい、手を出したうちに入らないだろう?」
「……ほう? だったら、他の若い連中がルシアに同じように触ってもいいんだな?」
途端に、フィルさんの笑顔が消え、自由な方の手を上に挙げながら私から一歩離れました。
「悪かった。またしばらく使えない同僚と顔を合わせるだけの生活が始まると思うと、つい暴走した」
「わかったなら、それでいい。……いや、よくないな。あれはお前の迎えだろう?」
手を離したアルベス兄様は、ふと道の方を見ました。
つられて目を向けると、道の向こうからもうもうと土煙が上がっていました。
それからすぐに騎馬の一団が見え、私たちを認めると先頭の騎士が後続に手で合図を出しました。
整然と並んでいた騎馬が、ざっと動きます。
その動きを見て、アルベス兄様が私の手をぐいと引っ張りました。
「ルシア。こちらへ。あいつら本気だぞ」
「本気って?」
「あー、つまり、……実戦並みの行動に出るということだ」
お兄様の手に引っ張られ、私は家へと寄りました。
我が家に滞在中の騎士さんたちも、さりげなく離れていました。
一人残されたフィルさんは、ため息をつきながら髪をかきあげ、それからゆったりと腕組みをしました。
その間にも騎馬はあっという間に接近して、二手に分かれたかと思うとフィルさんの周囲をぐるぐると回りました。
馬による包囲網です。
揃いのマントをなびかせている騎士たちは、槍を手にしていました。
やがて馬たちが足を緩め、止まりました。
「閣下。我らとご同行を願います」
一人の騎士が、馬の輪から離れてフィルさんの前に進み出ました。
おそらく先頭を走っていた騎士でしょう。
丁寧な、でも否と言わせない、そういう凄みのある声でした。
フィルさんはその騎士を静かににらみ、周囲の馬の壁を見やり、それから腕組みを解きました。
「いい動きだな」
「お褒めいただき光栄です。我らは陛下より、閣下を必ず今日中に出発させよとの勅命を受けています。どうか、速やかにおいでください」
騎士隊長はにこりともせずに、淡々と言葉を並べます。
それを聞いて、アルベス兄様は呆れたように苦笑していました。
……苦笑ですむんでしょうか。
フィルさんも大概ですが、騎士隊にわざわざ勅命を下す陛下も……いや、気にしたら負けかもしれません。
フィルさんは私を振り返り、もう一度深いため息をついたようです。
でも素直にそのまま、連れてこられた馬に跨りました。
今度こそ北部へ向けて出発する……かと思ったら、くるりと馬の向きを変えて私の前に来ました。
「ルシアちゃん」
凛々しい騎士の制服を着ているのに、フィルさんの顔はなんだか泣きそうな子供のようです。
なんだかおかしくて、思わず笑ってしまいました。
フィルさんはぐっと手綱を握りしめ、それからふらりとまた馬を動かしました。
「ルシアちゃん……やっぱり一緒に行こう。君と一緒なら、どんなクソな場所でも天国に……!」
「おい、フィルオード殿下! いい加減にしろ!」
あ、騎士隊長が丁寧な言葉を捨てました。
しかも、軍人なのに敬称が閣下ではなくなっています。あの「殿下」は絶対に嫌味ですね。
騎士隊長は鬼のような形相で横からフィルさんの馬の手綱を掴み、無理矢理引っ張ります。馬は素直にそちらに従い、フィルさんは悲痛な顔で振り返りました。
「ルシアちゃん! またすぐに戻ってくるから、他の男に目を向けないでくれっ!」
「ああ、もう、頼むから黙れよ! 俺たちの仕事を増やすなっ! おい、閣下を捕らえろ!」
とても王弟殿下に対する言葉ではありません。
でも騎士たちは無表情でフィルさんの馬を両側から挟み込み、さらに槍の柄を使ってフィルさんを馬に押さえつけました。
妙に殺気立った一団はそのまま道を進み、ラグーレンの家から離れていきました。
フィルさんの姿は周りを囲んだ騎士たちのマントで隠れていましたが、騎士たちそのものもやがて見えなくなりました。
「……あの、フィルさんは大丈夫なの?」
おそるおそるお兄様を見上げます。
しばらく黙って見送っていたアルベス兄様は、はぁっと長いため息をついて首を振りました。
「お前こそ、あんな奴で本当にいいのか?」
「それは……」
少し口籠もりました。
でも悩んだわけではありません。私は小さく笑いました。
「私が知っているフィルさんは、ずっとあんな感じよ?」
「……まあ、そうだったな」
アルベス兄様は苦笑を浮かべましたが、気を悪くしているわけではないようです。
私の頭にぽんと手を置き、くしゃりとなでてから家の中へと入っていきます。また帳簿付けの続きをするのでしょう。
そういえば私も、鍋磨きの途中でした。
台所に戻った私は改めてタワシを握り、ふとフィルさんを思い出してまた笑ってしまいました。




