(39)王宮の夜
案内されたのは、とても美しい部屋でした。
調度品の一つ一つが細やかな細工が施された高級品で、でも主張しすぎることのない穏やかな色彩を保っていました。
きっと新しいものではないのでしょう。
でも、その時間を感じさせる古さが落ち着きをもたらしていました。
食事は断りましたが、くつろげる部屋着と室内靴は貸してもらいました。
ドレスを脱ぎ、化粧を落とし、誰もいない部屋でぼんやりと座っている間に、すっかり夜が更けていたようです。でも、中庭の向こうからまだ音楽が聞こえていて、舞踏会は夜通しで続いているようでした。
私を我に返したのは、静かなノックの音でした。
「……ルシア。起きているか?」
扉の向こうから聞こえたのは、アルベス兄様の声でした。
私はしばらくぼんやりしていましたが、もう一度ノックの音が聞こえたので立ち上がりました。
扉を開けると、ふわりと良い香りがしました。
廊下に立っていたのはやはりお兄様で、手には飲み物の載ったお盆を持っていました。
アルベス兄様は私を見てほっとした顔をしましたが、すぐに笑顔を浮かべました。
「飲み物と軽食を用意してもらった。入っていいか?」
「……どうぞ」
私が大きく扉を開けると、お兄様はお盆を持って部屋に入りました。
扉を閉めている間に、小さなテーブルにお盆を置いて、椅子をちょうどいい位置に動かしています。
私がそばに行くと、お兄様は椅子を示してくれました。
「まずは飲みなさい。それから……少し話をしよう」
私はうなずいて、湯気を立てているコップを手にしました。
良い香りのそれは、薬草茶のようです。
そっと一口飲むと、いつの間にか冷え切っていた体がふわりと温まりました。それに気付いていないだけで喉が渇いていたようです。さらにもう一口飲むと、強張っていた体が少しほぐれていくようでした。
お兄様は部屋を見回し、隅にあったスツールを持ってきました。
体の大きなお兄様には小さすぎる気がしましたが、見かけより頑丈な作りのようで、お兄様が体重をかけても軋むことはありませんでした。
「……お兄様、ありがとう。これ、とても美味しいわ」
「そうか。それはよかった」
アルベス兄様はそう言って微笑みました。
でも、その目はどこか迷っているような光があります。だから、私から口を開くことにしました。
「さっきはごめんなさい。……私、思っていたより動揺してしまったみたい」
「それは構わない。当たり前の反応だ」
お兄様の顔から微笑みが消えました。
「あいつのこと、黙っていて悪かった。あいつが普通の対応を望んでいたから、その望みを優先してしまった」
「それは仕方がないわ。だってフィルさんは……フィルオード殿下は、我が家ではとても寛いでいたから」
「俺の前ではフィルでいい」
アルベス兄様はそう言って、ふと天井をぼんやりと見上げました。
「あいつは、昔からピリピリしていたんだ。兄が王太子で、体が頑丈で武術に秀でたあいつが弟で。一部ではあいつを担ぎ上げようとする動きもあったから、どうやったら兄の地位を脅かさずにすむかといつも考えていた」
お兄様は何か思い出したように、わずかに苦笑いを浮かべました。
「頭の弱い馬鹿王子のふりをしようとしたこともあったが、悪ノリした俺たちと一緒に軍団長に殴られて、さすがにやめた。兄君が即位した頃は……その、いわゆる放蕩王子をやっていたこともあった、かな」
言葉の歯切れが悪くなり、微妙に言葉を濁しました。
ちらりと私の表情を窺ってきた様子から察するに、あまり褒められたことではないようです。
ふと、ゴルマン様の結婚式の後のことを思い出しました。
フィルさんを激怒させたオーフェルス伯爵の発言は、その頃のフィルさんを想定していたのかもしれません。
心の中の呆れが顔に出たのでしょうか。
アルベス兄様は困ったように咳払いをしました。
「あー、一応言っておくと、あいつは全然楽しそうじゃなかったからな? それに第三軍に異動してからは、心を入れ替えたということで生真面目な軍人に徹しているらしいし。今の顔が、一番あいつには合っているんじゃないかな」
「……私が知っている人とは、別人みたいね」
思わずつぶやくと、アルベス兄様は真顔になりました。
天井を見ながら少し考え、それから頷きました。
「まあ、作った姿だから別人だな。いつも気を張っていて、いつか壊れるんじゃないかと心配だった。それでラグーレン領に連れてきたんだが……あいつ、すっかり気に入ってしまったんだよな。それからはお前が知っている通りだ」




