番外編 18 おばあちゃん
ある休みの日。
どこか行きたいところはあるか?と聞いてくれたので、施設に入っているおばあちゃんに会いに行きたいとお願いした。
桐谷さんは快くオッケーしてくれた。
もしかしてデートのつもりで聞いてくれたんだったら、お見舞いなんてつまらない提案をしてしまったかなと心配してしまったけど、レンタカーで走る田舎道はびっくりするくらい綺麗で爽やかだった。
山道では車を停められる絶景スポットが何箇所もあって、度々止まっては景色を眺めた。
高速で移動する途中で、道の駅という休憩所で食べたソフトクリームがものすっごく美味しくて、驚いた。
久しぶりに訪れた施設は全然変わっていなくて、受付では懐かしい職員の初恵さんが私の顔を見るなりガタンと椅子を倒して立ち上がり笑顔を見せてくれた。
「あらあら、ひっさしぶりじゃないの、鈴音ちゃん。綺麗になったわね!
元気だった? あら! 素敵な彼氏まで連れちゃって。キミ子さん、喜ぶわよ」
「ご無沙汰しています。あの、おばあちゃん、調子はどうでしょうか?」
「そうね、お年だから体が弱ってきているのはあるけど、とっても元気よ。
お父さんがいつもお話しに来てくれるからね、きっと。
さあ、こっちよ」
私はビックリして、前を歩いている初恵さんの袖を掴んだ。
「父が・・来てるんですか?」
「ええ。そうよ。お母さんはお兄さんの看病で大変だそうね。
お父さんは四年前からずっと、週に一度は来てくれてるわ。今日も、朝からいらしてるわよ」
「そう、なんですか」
あの父が。
私達家族には一切関心を向けない父が、毎週おばあちゃんのところに来てる・・。
私達親子がうまく行っていないことを理解している初恵さんは、個室の前まで来ると足を止めた。
すぐにドアをノックすることはない。
気遣うような顔で私に小声で囁く。
「せっかく来たんだから、顔を見せてあげて?
お父さんと話し辛いなら、お昼頃になったら食堂に行かれるからその時でもいいしね。
何かあったら声を掛けて。いつでも来るから」
「はい。ありがとうございます」
初恵さんはにっこり笑って、廊下を戻って行った。
ドアの前で、立ち尽くす。
不思議な感情に襲われた。
父は私や兄、母を捨て、自分の母親の元に帰っていたのか。
だったら、父親を求めていた私達子どもの気持ちは? 旦那に捨て置かれた母の気持ちは?
モヤモヤする。
おばあちゃんに会いたいと思って来たのに、父にまで会うことになるなんて。
上手く、話せるだろうか。
いや、父と上手く会話できたことなんて今まで一度もなかった。
「鈴音」
きゅっと手を握られてハッとする。
父のことで驚いて、桐谷さんの存在を忘れてた。失礼な態度だった。
「あ、す、すみません」
桐谷さんは綺麗な顔で目を細めてにっこり微笑み、私の手をぎゅっと握る。
「大丈夫だ。俺もいる。一緒に話そう」
「桐谷さん・・」
深呼吸を一度だけしてから、コンコンとノックをしてドアを開ける。
「おばあちゃん?」
「おや、鈴音かい? 久しぶりだねえ。おやおや、しばらく見ないうちに別嬪さんになって」
顔中をくしゃくしゃにして、おばあちゃんは私の手を喜んでくれる。
「どうかね? 元気にしとったか? 鈴音。ああ、よく来てくれたね。
うれしいよ。おや、鈴音、そちらは?」
「桐谷 隼一と言います。鈴音さんとお付き合いさせてもらっています。
どうぞよろしくお願いします。キミ子さん」
「おやおやまあ。男前を捕まえたもんだね、鈴音。
こちらこそよろしくねえ、桐谷さん」
桐谷さんが差し出した手を両手で握ると、おばあちゃんは嬉しそうにブンブン上下に振った。
おばあちゃんと握手をした後、桐谷さんは父の方に向き直り、お辞儀をした。
「初めまして。お会いできて嬉しいです。
ご挨拶に伺いたいと思っていましたので」
部屋の隅のパイプ椅子に座っていた父は、桐谷さんが近づくと慌てて立ち上がり、軽く頭を下げた。
「あ、ああ。・・どうも」
ぎこちなく言葉を返す父。
無表情の父だが、視線を彷徨わせ、焦っているのがよく分かる。
「鈴音さんのお義母さんやお義兄さんとも仲良くしていただいてます。
是非、今度皆さんでお食事を」
「あ、いや、僕は・・」
「そう言わずに、是非。お話したいこともたくさんありますし」
断ろうとする父に、桐谷さんはグイグイ押している。
「いや。僕は・・」
「お義父さん。ご両親揃ったところで正式なご挨拶をさせていただきたいんです。鈴音さんとは、きちんと認めてもらってお付き合いをさせていきたいと思っていますので」
「ああ、・・そういうことなら、・・同席しよう」
「ありがとうございます」
「えっと、・・ちょっと席を立たせてもらうよ。ゆっくりしていってくれ」
桐谷さんとの会話から逃げるように父はそそくさと席を立つ。
ドアから出て行く背中を、私はとっさに追いかけていた。
「お父さんっ!」
私の声に、父は足を止め、少しだけ振り返る。
「た、たのしみに、してるから。また、電話するね」
私の声は震えてる。自分の黒い靴を意味もなく見つめる。
「・・・ああ。待ってるよ、すず」
ハッと顔を上げた。
父は気まずそうに頭を掻き、それから・・口元を柔らかく綻ばせた。
ふいっと背中を向けて、父は廊下を去って行った。
何故だかわからないけど、胸がいっぱいで、目頭がきゅうっと熱くなった。
父は・・、もしかしたら父は、私と同じで不器用なだけの人なのかもしれない。
私と同じように、勝手に自分は邪魔な存在だと思い込んで、あの家から逃げ出しただけなのかもしれない。
私達のことを嫌っているのではないのかもしれない。
部屋に戻ると、おばあちゃんが楽しそうに声を出して笑って桐谷さんとおしゃべりしていた。
桐谷さんは私の顔を見ると満足そうに頷く。
父に歩み寄った私の頑張りを褒めてもらったようで、嬉しく思った。




