番外編 1 電話越しの声
番外編、というより続編です。
お楽しみくださいヾ(@⌒ー⌒@)ノ
入社してから半年ほどが経ち、季節は秋になった。
今年の夏はとても暑く、残暑も厳しかったけど、会社も桐谷さんのおうちもクーラーが効いていたから、快適に過ごさせてもらった。
私は、まだ桐谷さんの家・・会社の上の階のお部屋に居候させてもらっている。
というのも、理由がある。
桐谷さんが長期の海外出張に行くことになり、私はこれを機に引っ越そうと思っていた。
なのに桐谷さんは、「誰も居ないと部屋が埃っぽくなるし、俺がいない間の簡単な掃除と換気をお願いしたい」と私に頼んで、すぐに行ってしまったのだ。
そういう訳で、私は恐れ多くも家主のいないお部屋で一人過ごすことになった。
桐谷さんが行ってしまった後。テーブルの上にメモを見つけた。
・きちんとご飯を食べること、睡眠をとること。
・空調は基本付けっぱなし。クーラーもったいないと言って切らないように。
・キッチンも風呂もテレビも、自由に使ってくれていい。
・夜、電話するから、鳴ったら自宅の電話に出て欲しい。
・仕事はくれぐれも無理しないこと!
桐谷さんの、ちょっと癖のある字で、そんなことが書かれていた。
こんなに気に掛けてもらって申し訳なく思うのに、嬉しくて頬が緩んだ。
そのメモは大事にとっておくことにした。
桐谷さんの名刺と一緒にしまっておこう。
自由に使っていいよと言われたけど、ピカピカのキッチンを使うのもお風呂に入るのも、一人だと気が引けた。
使った後は使用前よりもキレイに、を心掛けて毎日掃除した。
テレビはちょっと観てみたけど、一人で観ていても面白くない気がしてやめた。
やっぱりいつも通り、パソコンをしたり、資格の本で勉強したりして過ごした。
桐谷さんがいない間、桐谷さんのお父さん・・本当の桐谷社長が一時的に会社に復帰された。
そして、桐谷さんの帰国は当初二週間ほどの予定だったのに、一ケ月経っても二ケ月経ってもなかなか戻って来なかった。
その間、私は人事からの辞令で他の部署へ仮配属されることになった。
「新人は色々経験した方がいいんだ。特にうちみたいな中小企業ではな。
頑張って修行して来い」
と石橋さんに背中をバシンと叩かれて送られた。すごく気合が入った。
最初は総務で、色々な雑用をした。備品の整理や、発注。消耗品の補充。
書類整理。資料の保管してある倉庫の整頓もした。
意外と体力がいる仕事が多くて、家に帰って来たら倒れるように寝てしまうこともあった。
そしてひと月後には経理へ行った。
資格を取るため勉強した簿記などの知識が活かせる時もあったし、全く知らないことばかりで慌てふためくこともあった。
たくさんの人に話し掛けてもらって緊張で固まってしまうこともあったけど、それでもなんとか言葉を返した。
コミュニケーションは大事だと桐谷さんが言っていたから。
桐谷さんはメモの通り、本当に毎晩電話を掛けてきてくれた。
海の向こうの、遠くにいるはずの桐谷さんの声が聞こえるのはとても不思議だ。
桐谷さんは私が話しやすいように「今日は何を食べた?」とか「どんな仕事をしてる?」とか色々質問してくれたし、困っていることにはアドバイスをくれた。
私の下手くそなおしゃべりもたくさん聞いてくれたし、時間がある時には桐谷さんの向こうでの暮らしも色々話してくれた。
短い時には三分も話さずに切れる時もある。
「変わりないか? 今日は忙しくてゆっくり話せない。また明日な。おやすみ」って。
でも、忙しいのに、わざわざ掛けてきてくれることが嬉しいと思った。
*****
今夜もそわそわしながらリビングでパソコンを開いてて、電話が鳴ったらすぐに手に取った。
「お、早いな」と受話器の向こうで笑う声。
「はい。・・二回コール以内で取らなきゃ、ですから」
そう返すと、「研修の成果か」とますますおかしそうに笑う声が聞こえる。
「・・今日のランチにさ、拳二つ分ぐらいのでかいハンバーガーを食べたんだ。山盛りのポテト付きで。
夜になってもまだ腹が減らないよ。
汐崎だったら十人いても食べきれないかもしれないってくらいのデカさだったな」
「すごいですね」
「汐崎もちゃんとメシ食ってるか?」
「はい。今日はお昼ごはんに同期の皆さんと社員食堂へ行きました。
すごく、緊張したんですけど、皆さんいい人で・・」
今日の出来事なんかをしばらく話してから、おやすみの挨拶を交わして電話を切った。
電話の後、マグカップにミルクをついで、リビングのソファでちびちび飲んだ。
最近、こうやって桐谷さんの声を聞くと、心があったかくなるのを感じていた。
マグカップのネコの柄をそっと撫でる。
出張前、休日に桐谷さんが映画館に誘ってくれたことを思い出す。
初めてあんなに大きなスクリーンで映画を観た。
大迫力だった。
その後、雑貨屋さんや靴屋さんなんかをぶらぶら見て歩いて、アイスクリーム屋さんでパフェみたいなスペシャルなアイスをご馳走になった。
大きなアイスを食べながらのんびり桐谷さんと二人で歩いた。
いつもはメグミさん達みんなでいるから、二人きりの状況に、すごくドキドキした。
・・夢みたいな時間だった。
このカップはその日、雑貨屋さんで桐谷さんに買ってもらったもの。
とても可愛いネコが描かれていて、桐谷さんはカップを持ち上げ私と見比べて「汐崎に、ピッタリだ」って笑った。
その顔を思い出したら、胸がきゅうっと締まるような感じがした。
電話が切れたばかりなのに、もう、声が聞きたいと、思った。




