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43 お兄ちゃん

「ほら、上がって、上がって」

いそいそとリビングのドアを開けた母に続いて、中に入る。


懐かしい。母と私とで選んだ、当時お気に入りだったカントリー調の家具やカーテンや小物。一つ一つ全部に、懐かしい思い出が詰まってる。

何も変わってない。


母はにこにこしながらリビングダイニングとつながっている奥のキッチンに立った。冷蔵庫からカチャカチャとお茶を出している。

「懐かしい? すずが選んだ物ばかりだものね。

私も気に入ってるから、この部屋はそのままよ。・・あら、和寿が帰ってきたみたいね」


ガチャっと遠くで玄関の音。

「すず、帰って来たの?」という記憶より少し低い声。

トン、トンと音が近づいて、ドアがバンと勢い良く開いた。


「すず!」


松葉杖とは思えない素早い動きで、兄にがばっと抱きしめられた。

カランと松葉杖が床に転がる。



「すず、バカっ、お前、なんで音信不通になってんだよ! 心配させやがって!」

「お、お兄ちゃん、ごめんね。・・・足、大丈夫?」

「大丈夫だよ! もう立ち直ってる。何年経ってると思ってんだよ、バカ」

コツリとおでこにデコピンされる。

兄の目は潤んでて、私はボロボロ涙が出た。


「だって、だって、わたしのせいで・・」

「お前は悪くない。ごめん、ごめんな、すず」

「ううん・・」

久しぶりの兄は、もう子どもじゃなくて大人の男の人になってた。私をぎゅうっと抱きしめる腕も記憶よりもずっと太くてたくましい。




「ほらほら、二人とも。座りましょ」

母にポンと肩を叩かれる。

「桐谷さんも座ってくださいな。すず、色々今のお話聞かせてちょうだい」

「ん? 誰だよ、こいつ」

今気づいたのか、桐谷さんを見て怪訝な顔をする兄。

私は慌てて桐谷さんの前に出た。


「お、お兄ちゃん! 桐谷さんに失礼なこと言っちゃダメだよ。こちらは桐谷さん。私の会社の、社長さんで・・」

「しゃ、しゃちょう!? なんで、社長サマが家にいるんだよ」

「桐谷さん、社長さんなの? お若いのにすごいわね!」

兄は驚いてすっとんだ声を上げ、母はきゃあと黄色い声を出した。


「桐谷隼一です。鈴音さんとは一緒に仕事をしています。

今日はお邪魔だと思いましたが、鈴音さんを一人で行かせるのが心配で付き添わせてもらいました」

桐谷さんがソファからすっと立ち上がり、二人に向かって軽くお辞儀をする。


「あの・・ね、桐谷さんが電話した方がいいって言ってくれて・・、それで今日ここに来れたの」

「なんでっ・・もっと早く帰って来なかったんだよ、すず!」

「ごめん。私・・・」


何て言えばいいんだろう。

言葉が・・何も浮かんでこない。


まだ、怒ってるだろうって勝手に決めつけて、怖くて帰れなかったって言うの?

嫌われただろうって思って、電話もできなかったって?


こんなに心配してくれてたのに、私は、信じられなかった。

二人とももう怒ってなんかいなかったのに。こんなに、待っててくれてたのに。

最低だ、私・・。


黙り込んでしまった私の頭をポンと叩き、桐谷さんが代わりに口を開いた。



「鈴音さんは貴方達が大好きだからこそ、連絡を取れなかったんです。

お兄さん・・貴方に怪我をさせたことで自分を酷く責め、家族への慰謝料が貯まるまでは帰れない、と言っていました。

鈴音さんは年頃の娘のように遊ぶこともせず、寝る間も惜しんで働きどおしています」

「き、桐谷さんッ! それは・・」

顔を上げた私の前に、すっと制止の腕が出される。

そんなことまで、話すつもりないのに。どうして?


「私は上司として、過労で倒れそうなほど無茶な働き方をする彼女をほっとく訳にはいきません。

鈴音さんの気持ちは、三年前にこの家を出て行ってから、止まっています。

どうか、彼女ためにも、今の貴方達のお気持ちを彼女に伝えてあげてください」



さあ、と促した桐谷さんの手に従うように、兄が私の目を見つめる。


「オレ、・・・あの時、すずを怒鳴ってしまったこと、ずっと後悔してる。

自分のことでいっぱいいっぱいで余裕が無くて。

ホント、かっこ悪いんだけど、すずに八つ当たりした。

すずが悪いことなんて一つもないのに。ごめんな、すず」


兄はソファの前のローテーブルに手をついて、頭を下げる。驚いた。

「お、おにいちゃん・・! あ、頭上げてよ」


「私もよ。すず、ごめんね。もっとあんたのこと見てあげなきゃいけなかったのに、和寿に構いっきりで。あんたがどんな思いでいたか・・・。ごめんね」

母が私の手を取り、目をつむる。母は泣いていた。



「すずのこと、毎日考えてたわ。今なにしてるんだろうって。

元気でいるのかしらって。

電話もないし、・・卒業後、どうなったのかもわからなくて。

高校に呼び出してもらったり、問い合わせたりしてでも、すずと連絡を取るべきだったのに、私は母親だから、そうするべきだったのに。

・・・でも、家を出てったあなたが、私達をどう思ってるのか、聞くのが怖くて、出来なかった。本当に・・ごめんなさい」


「お、かあさん」


わたしと、いっしょだ。おんなじ気持ちだったんだ。


ぶんぶん頭を振って、お母さんに抱きついた。

「ううん、ううん、わたし・・も」

「すず・・っ」

ぎゅうっと抱きしめてくれるお母さんはあったかくて柔らかくて、すごくいい匂いがした。


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