18 マイケルからのお誘い
デスクの上のカレンダーはもう二枚めくった。
毎日単調な生活だけど、仕事は一つも同じものはない。同じ人との会議でも話す内容は違うし、デスクワークもそうだ。
パチパチ、パチパチ・・
私のタイピングはなかなか上達しない。何故だろう・・。
山本さんが分かりやすく教えてくれるので、仕事はだいぶ覚えたと思う。
毎日毎日、教えてもらったことのメモを家で復習するのは変わらないけど。
来週あたりマイケルとの取引にもメドが付きそうだ。話はかなり順調にまとまっている。
今日も午後からはマイケルとの会議がある。
会議での資料は、桐谷さんがあっという間に作ってしまう。
前、横で見せてもらったけど、本当にすごい。
手の動きがよく分からないくらい早いタイピングで、しかもミスなし。
バババーっと打って、自分でざっと読んで、ビーっとプリントアウトして、ハイと渡された時には呆然としてしまった。
早く私もああなりたい。
会議は十人ほどで通訳を交えて英語で行われる。私は隅っこに座ってて議事録をとっている。
話し合いがまとまると、他の人は退席して、マイケルと桐谷社長と私と三人で雑談をする。
いつものようにマイケルは、趣味の話だったり、アメリカにある自宅の庭でウサギが来た話、交換留学生を預かっていた時のハプニングなど、次から次へと面白い話を聞かせてくれる。
それに、経済の話、アメリカでのライバル社の情報や、親しくしている他の社長のこと、マイケルの会社の秘密の話なんかも、よく話してくれる。
あんまり極秘情報を明かしてくれるので、『マイク、そんなことまで話しちゃ駄目よ』とこちらが心配したほどだ。
陽気で自由人な彼はそんな時でも明るく笑う。
『ハハハ、スズネがキュートだから、色々喋りたくなっちゃうんだよ。ねえ、スズネ、ボクの秘書になってヨ。一緒にアメリカに行かないかい? 』
そしてこんな風に、いつも私を誘ってくる。
マイクのリップサービスにも慣れてきたから、いつものようにノーと軽く返す。
ところが今日は身を乗り出して、手を握ってきた。
『ホンキだよ。ジョークじゃない。スズネ。
アメリカは良いところだケド、故郷も恋しいんダ。
キミのフランス語を聞いてると懐かしくて、ホッとするんだヨ』
『え、ちょ・・』
驚いて固まってしまった私からマイケルを引き離すように、桐谷さんが間に入ってくれた。
「どうした、マイケル。汐崎から離れろ。・・汐崎、なんて言われた?」
「あ、あの。い、一緒に・・アメリカに行かないかって・・」
「な・・!」
桐谷さんは書類をひっくり返すと、裏に英語を書き殴った。
それをグイッと突き付けられたマイケルは、やれやれ、と外人特有のオーバーリアクションで肩をすくめ、私を見た。
『キミの上司は、キミがずいぶん大事なようだネ。もうキミに会えるのも終わりだから、ゼヒ連れて帰りたかったんだけどネ』
『マイク、そういう話は止めて』
『フフ。可愛くて才能有るキミを欲しくなるのは当然ダロ?』
「おいっ! マイケル! 汐崎は俺の部下だぞ! 引き抜きなんてさせるか!」
桐谷さんはマイケルの言っていることは分からないはずなのに、会話してる。
『鈴音はもう三、四年経ったら、素晴らしい女性になるだろうネ。
しばらくは私も忙しいし、その頃またキミを口説きにやって来るコトにするヨ』
「さっさと書類にハンコ押して帰れ!」
バンっと書類をデスクに叩きつける桐谷さん。
マイケルはコミカルに「OK!OK!」と笑い、書類に署名をした。
桐谷さんが声を荒げるとか、珍しい。
『それじゃあ、バイバーイ、スズネ。シュンイチ、ガンバりなよ』
マイケルは桐谷さんと握手を交わした後、、私の手を取り・・ちゅっと頬にキスした。
そしてぎゅーっとハグ。
キスとハグをするのは欧米人には普通の挨拶だから別に驚かないけど、久しぶりだなあって思った。
・・高校の時、私に色々なことを教えてくれたあの子も、今はフランスの何処かで元気にやってるんだろうか。
なんて物思いに耽っていると、「おい、戻るぞ」と呼ばれる。少し苛立った声。マイケルにからかわれたのが余程アタマにきたのかな。
私は慌てて桐谷さんの後を追い掛けた。




