17 (隼一) 長い髪
コーヒーを飲みながら、目の前の女のコを眺める。
黒い髪は癖っ毛なのか、肩よりも下でふわふわしている。
ベージュのワンピースはシンプルだけど、飾りっ気のなさが純粋な可愛らしさを引き立たせている。
いつもの彼女とはまるで別人。
スーツを脱いで髪をほどくだけで、こうも変わるものかと感心する。
ああ、でもこうしてると本当に女子高生・・いや、年齢的には女子大生か。
でも、今時の女子大生はもう化粧やらなんやらで一丁前に女してるもんなあ。
その点では完全に汐崎の方がコドモだよな。
こんなコが、スーツ着て、おっさんに混ざって仕事してんだもんな。
偉いもんだよ、ホント。
俺が大学生の頃なんて・・・。
四年後には嫌でもうちの会社に入るんだから、今のうちに遊ばないとって感じだったもんなあ。気の合う連中と集まってはバカ騒ぎして、飲んで、女誘って、遊んで・・。ろくでもない。
飛んで行った意識を呼び戻す。
汐崎はカップを両手で大事そうに抱えて口を付け、「わ・・」と声を漏らした。
「美味いか?」
「はい、あの、・・牛乳が甘いんです。とってもおいしい・・」
そう言ってカップの中を見つめながら大事そうにちびちびと飲んでいる。
かわいいな、おい。
残したパンとゆで卵を袋にいれてもらって大事そうに抱える汐崎。
金が無いなら貸してやろうかと言っていいものか、さすがにそれは失礼か。
悩むところだ。
大学生の頃は俺らも食事なんて適当に済ませてたし、周りの女子学生もお菓子で終わりとかサラダだけ、なんてのもいた。まだそういうお年頃なんだろうか。
「なあ、お前の鞄、何であんなに重いんだ? ノートパソコンなのに」
さり気なく、気になることを聞いてみた。
「あの、バッテリーを、・・会社で充電して、家で仕事する時に使用して良いと言われたので。それが重いんです」
・・・いくつ持ってるんだと問いたいが、重さで予想できたので聞くのはよそう。
「汐崎は会社でも十分な仕事量をこなしているんだ。家にまで持ち帰ってやる必要はないぞ」
「はい、すみません」
怒ったわけじゃないのだが、汐崎は少ししゅんとしてしまった。
近い距離なのですぐにアパートが見える。遠目でも分かるそのボロさ加減。
「あの、昨日も今日もご馳走になって、ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀すると、長い髪がふわりと揺れる。ついそれに手が伸びた。
なに?と首を傾げる姿はいっそう幼く見える。
「あの・・」
困惑した声でハッと我に返る。これじゃセクハラとパワハラだ。
「あー、すまん。髪が長いなと思って、つい」
どんな言い訳だ、と自分でも思う。
が、汐崎は何も感じていないようで表情は変わらない。ただ、困っているだけだ。
情操面は発達してなさそうだもんな。男を男と認識してない。
俺はただの社長か。
「桐谷社長?」
「・・社長はつけなくていい」
「はい、えっと。髪は、そろそろ切ろうかと思ってます。邪魔なので」
自分の髪を掴み、少し眉を寄せる汐崎。なんだか、このままハサミとかでじゃきーんと切ってしまいそうでコワイ。
「切るな」
「え?」
「あー、いや。お前には長い髪がよく似合っている。切らない方がいい」
「え?」
「・・・」
何を言ってるんだ、俺は。
こんな軽いナンパみたいな言葉を口にした自分に驚いて、頭を掻いて横を向いた。
妙に気恥ずかしい。こういう歯が浮くようなセリフをポンポン並べる奴らの気が知れない。
顔を戻すと、汐崎は目をパチパチと瞬いていた。平然としてる。
くそっ。恥ずかしがってるのは俺だけか。
部屋まで送ると頼りなげな小さな鍵でドアを開け、汐崎はまた頭を下げた。
丁寧に深く。
「ありがとうございました。・・桐谷さん」
「ああ。また月曜日にな」
「はい、失礼します」
くるりと背を向ける汐崎。
パタン、と、これまた頼りなげな薄いドアの向こうに汐崎は入って行った。
俺も、来た道を戻って行く。
・・あんな、セキュリティも何も無いボロアパートの、しかも一階に、あんな無防備なあんな可愛い女のコが住んでて良いのか?
大丈夫なのか?
隣には誰が住んでいる? 上には?
通りがけに窓から覗かれることはないのか?
泥棒や、暴漢に目を付けられたら・・、あんな小さな身体を力でねじ伏せるのなんて誰にだって出来そうだ。
引っ越した方がいい。もっと、安全なところに。
でも、だからって俺が、一社員の暮らしに口出ししていいのか?
軽い気持ちで人の私生活に踏み込んで行ってはいけない。特に俺は立場もある。
そう、頭ではわかっているのに、気分はモンモンとしていた。




