第五十二話 疾走する妖狐、淡い光
白銀の妖狐・カナギは日野介と宵乃を背に乗せ、北へと疾走した。四つ脚が地を叩くたびに、乾いた土が弾け、たなびく尻尾が風を巻き上げる。
「牛車を追うのか?奴らはおそらく北門から都を出るぞ」
風に声を奪われぬよう、日野介が叫んだ。カナギの背で、宵乃はまだ意識を失ったままだ。
「……いや、まずは千影神社に戻る」
カナギは巨大な頭部をわずかに振りながら、唸るように答えた。
「牛車を見逃すのか?」
「今の俺たちじゃ……あの結界は崩せん。今は宵乃の回復が先だ。態勢を立て直すしかない」
白銀の毛並みが波打つほどに、カナギは荒々しい息を吐き出す。
「確かに照雅も、道継にやられた可能性が高い」
日野介は唇を噛んだ。その手に抱かれた宵乃はまだ意識が戻らぬまま、青白い顔で静かに眠っている。
「……犬飼も死んだ。コモリとも連絡が途絶えたままだ」
カナギは風を切る耳をわずかに伏せ、低く唸るように応じた。
「”黒衣のもの”たちは犠牲を出しながらも、目的は果たしたはずだ。都の結界と内裏の結界を破理、6そして内裏の中から……誰かを攫ったのだ」
だが言葉は続かなかった。
次の瞬間──カナギの巨大な耳がぴくりと揺れた。
「うわっ、なんだあれは!」
「化け物だ!妖怪だ!」
道沿いから人々の悲鳴が上がった。突然現れた巨大な妖狐の姿に、都の民は騒然となった。銀色に輝く毛並み、赤く光る双眸、鋭く伸びた牙。人の背丈の何倍もあるその姿に、群衆は恐怖に包まれていく。
「……隠れられんのか?」
日野介が苦笑混じりに問う。
「こんな図体で、どうやって隠れるってんだ……もうバレてるさ」
カナギが鼻を鳴らした。四肢がしなるたびに、馬車数台分の大きさの身体が跳ねるように進む。
「都の守護兵も駆けつけてくるだろう」
「正義を貫こうってのに、俺たちが追われる身かよ。ふん、都の人間を食い尽くせば静かになるが──それじゃ宵乃との約束を違える」
都人の叫び声が背後に遠ざかっていく。カナギは群衆の視線を避けるように、内裏の北西角を東へと回り込んだ。そして、内裏の塀に沿って東へ――白銀の巨体が風のように突き進んでいく。
そのとき──
「……ん……」
カナギの背で意識を失っていた宵乃が、わずかに眉を動かし、目を開いた。
「宵乃、今は無理するな。まだ休んでいろ」
日野介が支える腕に力を込めて声をかけた。
「ううん……誰かが……呼んでるの」
弱々しいが、はっきりした声だった。カナギの耳がぴくりと立つ。
「誰が呼んでるんだ?」
「わからない……知らない人。でも、すぐ近くにいる」
宵乃は苦しげに目を細めながらも、必死に前方を見据えた。
「カナギ……ここ、今どこ?」
「内裏の北……もう牛車は見えんぞ」
「内裏の中に入れる?」
宵乃の突然の問いに、カナギの大きな尾がわずかに揺れた。
「内裏の結界を、この姿で超えるのは無理だろ」
「それに見張りの兵もいる。下手に動けば殺されるぞ」
日野介が警戒の声を上げる。
「でも……内裏の内側から呼ばれてるの。何かが……急いでるの」
宵乃の声には、奇妙な確信が滲んでいた。
「……千影神社に戻るべきだとは思うが……」
カナギが唸るように迷う。
「いいえ──ダメ。相手は待ってくれない」
宵乃ははっきりと言った。その声に、カナギは一度唸り声を漏らすと、大きな頭を軽く振った。
「わかった……信じるぞ」
「跳んで塀を越えるのか?」
「違うの……すり抜けるの。あそこ……!」
宵乃が細い指を伸ばす。そこには塀の一部が、ぼんやりと淡い光に包まれていた。
「すり抜ける?……ったく、夢みたいな理屈だな」
カナギは鼻を鳴らすと、低く唸った。
「だが──信じるぞ。掴まれ!」
右に急旋回し、カナギは四肢を沈めるように地を蹴り出した。塀へと真っ直ぐに進む。
「ぶつかるぞ!」
日野介の叫びと同時に、カナギは塀へと突っ込んだ。
だが──衝撃はなかった。
柔らかな光が三人を包み込むように受け入れ、そのまま静かに塀をすり抜けていった。
内裏の中へと──。




