第四十八話　真昼の戦いが始まる

　四人は西へ向かい、内裏の外を塀沿いに走っていた。昼間の陽光が道を照らす中、乾いた土を蹴る足音だけが響く。信蓮寺を飛び出してから、もう半刻近くも走り続けている。

　宵乃は苦しげに口を開く。胸が苦しく締めつけられる。それでも、脚を止めるわけにはいかなかった。。やがて、視線の先に内裏の南西角が見えてきた。

（あそこを右に曲がれば──）

　だが、その角を曲がった途端、空気が変わった。通りが不自然なまでに静まり返っている。誰の姿も見えない。そして塀と道を挟んだところにある店々も閉店しているかのようだ。

　足を止め、宵乃は身を屈めて息を整えた。

「誰もいない……」

　宵乃は困惑する。犬飼が指を伸ばし、前方を示した。

「……いや、見ろ」

　呉服屋の店先で、一人の町人が着物姿のままうつ伏せに倒れている。さらに、金物屋や蕎麦屋の軒先でも、同じように倒れた人影が見えた。人々はまるで糸の切れた人形のように、地面に横たわっている。

　日野介が倒れた町人に駆け寄り、膝をついて脈を取った。カナギが日野介の肩から飛び降り、倒れた男の顔に鼻先を近づけた。

「息はある……」

「何かの術で眠らされてるな」

　とカナギが言う。

　宵乃の胸がざわついた。

（誰が、何のために……？）

　視線を巡らせた。塀の上にいるはずの見張りの兵士たちも、どこにもいない。不穏な気配が肌を刺す。

「おいっ！」

　犬飼の声が鋭く響いた。彼が指さした先──塀の下の木陰に、黒い牛車が停められていた。黒布で覆われた荷台、二頭の黒牛が首を垂れている。

（あれは……何かを運んでいる……？）

　鈴が震え続けていた。宵乃はそれを無意識に握りしめる。

「上だ！」

　カナギが塀の上を見上げ、鋭い声をあげた。

　音もなく、塀の上に黒装束の忍びたちが次々と姿を現した。鎖鎌や手裏剣を構える者、長槍を手にした者。その数は十を優に超える。風が吹き抜け、忍びたちの装束がかすかに揺れる。

　その中央──濃い闇のような影。茂吉だ。塀の上から宵乃を見下ろし、冷たい笑みを浮かべた。

「ここで終わりにするぞ、宵乃」

　低く、底知れぬ声。まるで心を凍らせるような響きがあった。その声には、暗く淀んだ感情が滲んでいた。

　犬飼は、冷ややかな視線を塀の上の茂吉に向けた。肩を軽く揺らし、気楽な笑みを浮かべながらも、その目は鋭い光を放つ。

「忍びたちは、俺が引き受ける。日野介、お前は宵乃を守れ」

　犬飼の声は低く、しかし揺るぎない信念がこもっていた。

「……了解だ」

　日野介が刀の柄を握り、宵乃の前に立つ。

　塀の上の茂吉がサッと手を掲げると、塀の上の黒装束の忍びたちが、次々と襲いかかってきた。

「面白いな……」

　

　犬飼はそう呟くと、胸の前で印を結んだ。襲いかかってきた忍びたちの前に、地中から赤の炎の柱が次々と立ち上がった。忍びたちは、ざっと後ろに飛んで炎を避けた。

「おい、お前たち、その炎は幻だ」

　塀の上から、茂吉の声が響く。

「馬鹿言え。俺を並の術者と同じにするな」

　犬飼がさらに太い指を絡めて複雑な印を結ぶ。

　火柱は狼のように姿を変えて、忍びたちに襲いかかった。逃げ遅れた者が炎に焼かれ、黒焦げになって、地面に崩れ落ちた。

「覚えておけ、小僧。幻焔の術──俺が使えば、幻でも焼ける」

「ジジイが！」

　茂吉が叫び、ひらりと塀の上から舞い降りた。着地と同時に、足元で炎が渦巻いた。だが、茂吉は構わず、刀を抜き、犬飼に突進する。

　刃が犬飼に迫る。しかし──犬飼が懐から小刀を抜き、茂吉の刀を受け止めた。

　──キィンッ！

　甲高い金属音が鳴り響き、二人の力がぶつかり合った。犬飼の掌から青白い気流が溢れ、茂吉の刃を押し返した。

「……甘いな、茂吉」

　犬飼が冷たく呟くと、茂吉の刀が力負けし、微かに軋んだ。

「ちっ……！」

　茂吉は後退し、間合いを取った。

　そのとき──。

　宵乃は気づく。牛車の真上の塀に黒い影が動いている。

　塀を黒装束の男が数人、中から乗り越えて出てこようとしている。そして牛車の傍らに、黒い烏帽子と黒法衣をまとった男が二人。そして、もう一人──先ほどの白い仮面の男！黒装束の男たちは何かを運んでいるように見えた。

（誰か捕えられている！）

　宵乃の心が警鐘を鳴らした。

「カナギ、あの馬車を行かせちゃだめ！」

　カナギは頷く。そして、小さく唸り声をあげ、尻尾をふわりと揺らした。

　カナギの小さな体が光をまとい、みるみるうちにその姿を膨らませた。青い瞳が凛と光り、白銀の毛並みが風を纏い、鋭い牙と爪をもつ巨大な妖狐が、その場に降り立った。

　「宵乃、日野介、乗れ！」

　カナギが低く声をかける。日野介と宵乃はためらいなくその背に飛び乗り、しっかりと背中の毛を掴んだ。