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第四十六話 謁見の終わり、紫の刀の男ふたたび

 側室・徳子の発言の後、しんと静まり返った大極殿の大広間──。


 その静けさは、コモリにとっても息苦しいほどだった。しかし、その中、コモリの隣に座していた貴子が、すっと立ち上がった。


 貴子が立ち上がるだけで、場の視線が一斉に集中する。所作の隅々にまで滲む気品と落ち着きが、この場において最年少であるはずの彼女の存在感を際立たせた。


 そして、貴子の口から、落ち着いた声が静かに響く。


「帝の仰せは、すなわち──議を重ね、改めて答えを示されるということ……」


 その穏やかな語り口に、広間に満ちていた緊張が少しずつ解けていく。


「すぐに決める必要はございません。この場では、帝のお言葉を最も重んじるべきかと存じます。皆の衆、いかがでございましょう?」


 ゆるやかな声だが、はっきりとした響き。誰もが頷き、深く頭を垂れた。


「そして、千代田殿の武の力がいかに強大であるか、ここにお集まりの皆様にはご周知のことでございましょう。その力に脅威を感じておられる方もおいでかと……」


 一瞬、公家たちの間に息を呑む気配が走る。


「ですが──」


 貴子は言葉を切って、周りを見渡した。


 「千代田殿がこの場にお越しくださったのは、力をもって押し切るためではなく、話し合いで事を収めたいという意思の現れではございませんか」


 貴子の瞳はまっすぐに千代田を見据え、それから柔らかく場を見渡した。


「真の平和を望むと、千代田殿は先ほどおっしゃられました。都の民、そして子供たちを、戦火に巻き込もうなどとは露にもお考えにならぬはず……。もし、仮にここで兵を動かされるようなことがあれば、民の安寧と繁栄を約束されたお言葉が、すべて虚しくなってしまいます」


 その言葉に、大広間には再びざわめきが広がる。貴子の声は、一語ごとに力強さを増していった。


「一旦この場を収め、千代田殿にはお引き取りいただき、後日改めて、話し合いの場を設けるのが良いかと存じます。皆様にはこれからの議にて最良の答えを導いてくださることとわらわは信じております。もちろん京極殿にもお力添えをいただきたく存じます」


 その貴子の言葉に、公家衆から感嘆の声が漏れた。京極宗高は額を床につくほどの深いお辞儀をした。


 貴子は再び千代田に向き直った。


「いかがでしょう、千代田信勝殿」


 その声は静かでありながら、大広間全体に澄み渡った。


 千代田信勝はゆっくりと頭を垂れた。


 コモリは、思わず息を呑んだ。貴子が広間の雰囲気を一変させ、皆を説得したのだ。

 

 コモリはそっと徳子の横顔を盗み見た。紅の唇がわずかに歪み、目尻がきりりと吊り上がっている。その表情には、真っ向から否定されたことへの屈辱と怒りの色が滲んでいた。言葉を発しようと口を開きかけるが、何も言わずに閉じた。言い返すことはできない。今この場では、貴子の立場が徳子よりも上位にあるからだ。


 そのとき、御簾みすの奥から、帝の静かな声が響いた。


「……皆々、ご苦労であった」


 帝はゆっくりと立ち上がり、襖の向こうへと消えた。謁見は、そこで終わりを迎えた。


 続いて、大臣格の公家から、謁見の終了が告げられた。公家たちは順に退出の動きを見せた。千代田信勝も無言で席を立ち、供の二人を従えて背を向けた。


 コモリも貴子に続いて立ち上がった。



 退出の礼を終え、二人は揃って大極殿を後にした。長い廊下を歩き、半屋外の回廊に出た。緊張から解放されたはずなのに、貴子の表情はどこか沈んでいた。


「貴子様……あの……徳子様のことでしょうか?」


 コモリは気遣うように小声で問いかけた。


「……違う」


 貴子はそっと首を横に振った。


「謁見の最中さなか、内裏の結界が……大きく乱れた。何者かが、また結界を歪めようとしている」


 コモリは言葉を失った。


「一度、部屋に戻ります」


 貴子は歩みを速めた。しかし、貴子の部屋がある棟に続く廊下に差しかかったとき、前を歩いていた侍女二人が突然、驚愕の声を上げた。


「──あ……!」


 その声が上がった刹那、侍女たちの首元から血が噴き出し、廊下に崩れ落ちた。


 立ちはだかったのは、紫の刀を持つ頬に傷がある男。コモリの背筋に冷たいものが走る。直感でわかった。──昨夜、茂吉と共にいた男。術をもって捉えた存在だ。


 だが、今はそれを追及している余裕はない。振り返ると、黒装束に身を包んだ三人の男が音もなく廊下に現れた。


「貴子様!」


 コモリは即座に貴子を庇うように前に出た。背筋に冷たい汗が伝う。だが、恐怖に足をすくませる暇などない。


(こやつらの狙いは……!?)


 黒装束の男たちは無言のまま、じりじりと間合いを詰める。紫の刀を持つ男の目が怪しく光った。


(もしや、貴子様をさらおうとしている……!?)


 胸の鼓動が早鐘のように鳴り響く。コモリは素早く懐に手を伸ばし、爆竹を取り出して、術を使い指先で火をつけた。


 パンッ、パンパンパンッ!!


 爆発音が響き渡り、火花が散った。


(これで、助けが来る……その間、私が持ちこたえる!)


 決意を固め、コモリは指を絡め、印を結んだ。



 ……猿渡家の秘術……!



影縛かげしばりの術──」


 コモリの掌から無数の黒い糸が放たれた。黒い糸は空間を覆い、闇の網のように視界を封じた。そして、無数の黒い糸は紫の刀の男の影に突き刺さった。


(影を封じて、本体の動きを止める!)



 だが、紫の刀の男は口元をゆがめ、薄く笑った。紫の刀の男は糸をものともせず、間合いを詰めると、鋭い膝蹴りが、コモリの鳩尾を抉るように突き上げた。


(……何……?)


 さらに、頭に重い衝撃。

 足元がぐらりと揺らぎ、膝の力が抜けた。


 最後に見えたのは、貴子様の目に涙を浮かべた顔。


(……申し訳ございません……貴子様……)


 コモリの意識は、そのまま暗闇へと沈んでいった。


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