第四十五話 謁見、豪胆さと不遜さと
大極殿の大広間──。
千代田信勝と、その供の二人が静かに下座に座した。
場の空気が、張り詰めるようにぴんと緊張する。
千代田はわずかに顔を伏せ、身じろぎ一つしない。
(どうしても、見てしまう……)
貴子の姉・塔子として謁見に同席しているコモリ。
先ほどまで自分に注がれていた好奇の視線は、いまや千代田に注がれている。それも当然だ。千代田は、今やただの大名ではない。破竹の勢いで六つの大名家を滅ぼし、自軍六万の兵を都のすぐ東の山に配備している。そして、その状態で帝の謁見に臨む――その豪胆さ、不遜さに、誰もが好奇と警戒の眼差しを向けざるをえなかった。
忍びとして心を制する術に長けたコモリでさえ、信勝の存在が気になってしまう。
そこへ、広間の奥、静かに襖が引かれた。
(……帝……)
忍びの身である自分が帝を目にする機会など、本来一生ありえない。
コモリは盗み見るように襖の方へ目を向ける。
しかし、現れたのは帝ではなかった。
二人の侍女を従え、鮮烈な存在感を放つ一人の女性が姿を現した。
十二単を纏ったその姿は、艶やかな深紅の衣を幾重にも重ね、歩むたびに静かな波を打った。衣擦れの音がかすかに響き、馥郁たる香りが微かに漂う。裾に縫い込まれた金糸の鳳凰紋がきらめきを放つ。
美しく整った眉は凛とし、紅と眉墨をことさらに濃く施した化粧は、見る者を圧倒するような鋭さを与える。細く切れ上がった瞳には、毅然とした気品が宿り、周囲を睥睨するかのような堂々たる態度があった。
(あれが、徳子様……噂どおりの迫力)
帝の側室でありながら、徳子はその場の空気を自ら支配することに一切の躊躇を見せない。公家たちを堂々と見渡し、千代田信勝を一瞥したその視線には、冷徹ささえ感じさせた。
徳子がゆっくりと奥の上座に腰を下ろすと、続けて御簾の内に帝が静かに姿を現した。
(────!)
また、場の空気が一変した。
静寂は、さらに深く、重く広間を満たす。御簾に遮られて帝の姿は見えないが、そのただならぬ存在感が、厳粛さと圧力をもって感じられた。
(これが、帝……これほどの威圧感を放つ存在だとは……)
さっきまで千代田と徳子に集まっていた視線が、一斉に帝へと注がれた。
コモリは思い出す。千影神社で聞いた話を。
内裏の結界は、帝の霊力が外に漏れぬよう、そして誰かに持ち出されぬよう張られているという。帝の霊力を悪用されれば、この国は滅びる。そのときは大袈裟に聞こえた。今、その意味がはっきりと理解できた。
これまで、誰かの命令に従い動くことが忍びの矜持だと思っていたコモリは、初めて自分の無力さを痛感する。自分も結界を守る六家の一つ、猿渡家の一員である以上、もっと自ら主体的に、誇りをもって行動すべきであることを、痛烈に思ったのだ。
公家の中の大臣格の男が立ち上がり、厳かに謁見の開始を告げる。
千代田信勝が座したまま、一歩進み出て、口上を述べ始めた。
「恐れながら申し上げ奉ります。臣は千代田信勝と申します。本日は畏れ多くも帝の御前に参内し、謁見の栄誉を賜り誠に恐悦至極に存じ奉ります」
千代田の声は落ち着いていたが、その唇はわずかに震えていた。
「未だ戰乱収まらぬこの國の状況を憂い、臣は一身を賭して諸国の平定に努めて参りました。戦火に苦しむ民を救い、諸国を一つにまとめ、戦のない泰平の世を築くことこそが臣の切なる願いにございます」
公家たちの間に、微かなざわめきが広がった。
「つきましては、この都のある地域における代官職を賜りることをお許しいただきたく存じます。臣がこの国の中心であるこの地の守護を預かり、民の安寧と繁栄を実現させることをお誓いいたします」
ざわめきは、はっきりとした動揺へと変わった。
それは、現在の領主である京極家の統治権を、帝の勅許を得て自らに譲らせようという、実質的な支配権の要求だった。
末席に座していた京極宗高が立ち上がり、怒りに満ちた声を上げた。
「千代田、貴様……!!」
だが、その言葉を、大臣格の公家が鋭く制した。
「帝の御前ぞ、わきまえろ」
宗高は口を噤み、悔しさに顔を紅潮させながら、渋々と座った。
千代田は微動だにせず、静かに言葉を続ける。
「帝の御威光のもと、この國に真の平和が訪れますよう、臣は全霊をもって尽くして参る所存にございます。何卒、ご賢察賜りますよう、伏してお願い申し上げます」
口上が終わると、千代田は深く礼をして、元の席に戻った。
コモリは胸の内でひそかに息を吐いた。
(やはり、ただの挨拶ではなかった──)
「…………」
御簾の奥から、静かでありながらも重みを帯びた声が響いた。その瞬間、大広間はシンと静かになった。耳を澄ませなければ届かぬほど小さな声。
「──お主の申し出、しかと承知した。然るべき者と議を重ね、改めて答えを示すこととする」
(……これが、帝の声)
コモリの胸の鼓動が高鳴る。柔らかさの中に、決して揺らぐことのない威厳を感じた。
続けて、近侍が前に出て、千代田信勝に恭しく頭を下げた。
「帝の仰せでございます──千代田殿の申し出は承り、しかる後に改めてご返答を賜ることと相成ります」
場にいた者たちが、息を潜めるように静まり返る。すぐには何も決まらぬという帝の結論によって、公家たちの間にかすかな安堵が広がった。
しかし──、その沈黙を打ち破る声が響いた。
「妾は千代田殿の言葉に異論はない」
サッと立ち上がったのは、徳子様だった。
「都を護るのは、家柄や肩書ではない。力ある者こそが、安定をもたらすもの。それは昔から変わらぬ理ぞ」
深紅の衣が揺れ、重ねられた裾が金糸の輝きを散らす。その佇まいからは、場を圧倒せんとする容赦のない気迫が滲み出ていた。
「無力な者は去るしかない。それが、この都の常だ」
そう言い切ると、徳子様は座を戻した。再び大広間には黙だけが残った。
京極宗高は、言葉を失っていた。口を半ば開いたまま、何か言いかけるようでいて声が出ない。歯噛みをし、両拳を強く握り締める。
公家たちもまた、互いに視線を交わしつつも、誰一人として声を上げることができない。
千代田信勝は、徳子様の発言にも一切表情を崩さず、視線をただ前方に据えたままだった。静かに座るその姿勢には、逆に不気味なほど落ち着いていた。
コモリの視界の端に、貴子の姿が映った。彼女は平然とした面持ちを保ちつつも、わずかに唇を引き結んでいた。肩の張りが僅かに増し、細い指先が袖口を軽く押さえている。
(貴子様は……この場の流れを良しとは思っていない……)




