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転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳(福島リカ)
二章

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第3話 渇望【後編】

※後書きにお知らせがあります。よければ併せてご覧ください。

広間には白布を掛けた卓が並び、香り高い茶器と菓子が整えられていた。

妃候補たちだけでなく、給仕に当たる女官や侍女が脇を彩り、柔らかなざわめきが絶えない。


「……昨夜は殿下のお渡りがあったそうよ」

「まあ、誰のもとへ? まさか――」

「しっ、声が大きい」


囁きが甘い香煙に混じり、広間の空気をそっとざわつかせる。

セレナは盃を受け取りながら、耳に入る噂を聞こえないふりで受け流した。

けれど掌はじっとりと汗ばんでいた。


(……やっぱり気になるよね、みんな)


奥の卓には、主だった妃候補たちが座している。

レイラは金の杯を軽やかに掲げ、アシェラは薄衣を揺らして談笑していた。


セレナはゆるりと歩を進め、控えめに声をかける。

「ご一緒してもよろしいでしょうか」


「まあ、もちろん」

レイラは艶然と微笑み、視線を流す。

「妃候補は皆、同じ卓で語り合うものですもの」


他の妃候補がさざめき、話題を継いだ。


「それにしても、やっと殿下もお目覚めになられたみたいね」

「愛する方を正妃に……なんて噂もありましたわ」


アシェラが扇を広げ、唇の端に弧を描く。

「そうね。正妃といえば“華やかさ”が何より大切。

 民も使節も、飾りを見ると安堵するものよ。愛なんて、その次」


レイラは杯を置き、低く笑んだ。

「ええ、“正妃は体裁”。

 愛などあれば足をすくわれるわ。大事なのは、殿下の隣に堂々と座れること……それだけ」


セレナは静かに盃を置き、視線を落とした。

(……やっぱり、そういう考えなのね)

それも当然。この時代、自由恋愛などありえない――けれど。


前世で得てしまった、胸の奥の温もりを忘れられなかった。

(私は……知ってしまったから)


扇を閉じ、ゆっくりと顔を上げる。


「皆様は……誰かに見初められたいとか、愛し合いたいとか……

 一度もお思いになったことはないのでしょうか?」


一瞬、静寂。

扇の骨が止まり、杯に添えられた指がぴたりと固まる。

しかし次の瞬間、笑いが弾けた。


「まあ、恋物語の姫君みたいですこと」

アシェラが肩を揺らし、扇の影で口元だけを笑わせる。

「愛し合う正妃だなんて……儀礼の演目なら拍手喝采でしょうけれど?」


レイラは金の杯を指先で回し、琥珀色の液面を揺らした。

「可愛らしいお考えですわね。でも幼いの。

 正妃は夢を追う座ではなく、殿下と国を支える“顔”。……務めは務めよ」


笑いと囁きが広間に戻り、さっきの緊張は泡のように消えていく。

セレナは杯の縁を見つめ、扇を膝の上でそっと握った。


「……私は、一度きりの人生ですので」

胸の奥から零れた声は、誰に向けるでもなく淡かった。

「……やっぱり、誰かに愛されたいです」


扇の骨がかすかに震えた。

レイラは鼻で笑い、アシェラは目尻だけを愉快そうに緩める。

誰も深くは取り合わない――広間には再び華やかな談笑が戻っていった。


けれどその一言だけは、セレナの胸の奥で静かに息をし続けていた。





茶会を辞したのち、香の薄い煙が漂う回廊を、セレナはリサを伴って歩いた。

格子窓からの光が石床に縞を落とし、遠くで水盤の音が微かに響く。


(……やっぱり、私の考えはこの時代では浮くのね)

セレナは胸元へ扇をそっと寄せ、短く息を吐いた。


隣のリサがちらと視線を寄越し、また前を向く。

気遣いが袖口から静かに伝わってくる。


その気配を受け、セレナはふと問いかけた。

「ねえ、リサ。……あなたはどう? 誰かと恋をしてみたいって、思ったことはないの?」


不意を突かれ、リサは足を止めた。頬に薄紅が差し、視線が揺れる。

「わ、私ですか……? わたしのような者には、身に余ることで……」

小さな声で言い、うつむく。


セレナは横顔を見て、ほんの少し微笑んだ。

(……もしかして、みんな口に出せないだけで、思うところはあるのかな)


歩みを再び合わせる。

回廊の香がやさしく流れ、胸の内には、かすかな寂しさと、淡い温もりが静かに並んでいた。





政務室に昼下がりの光が石壁を斜めに照らし、積まれた書簡と粘土板の影が濃く沈んでいた。

油皿の香がほのかに漂い、封泥の割れ目が机上で鈍い光を帯びる。


ラシードが入ってきて、静かに一礼した。

灰の瞳は笑っていないのに、口端だけがわずかに緩む。


「殿下。……本日の茶会、少々興味深いことがありまして」


アルシオンは筆を止め、顔を上げる。

「何だ」


ラシードは肩をすくめ、巻物を机に置いた。

「妃候補の皆が“正妃は華やかさ、体裁だ”と笑い合う中……ひとり、場違いな夢を口にした姫がおりまして」


わざと間を空け、目尻を細める。

「“私は一度きりの人生なので……誰かに愛されたい”――そう仰ったそうです」


沈黙が落ちた。油皿の火が小さくはぜ、影が石壁に揺らめく。


アルシオンの眉がわずかに動き、目の奥に影が差す。

「……誰が、そんなことを」


「ルナワの姫君、セレナ様です」


ラシードの声音は淡々としていた。

「妃候補の卓では笑い話にされましたが……殿下のお耳には、どう響くでしょう」


青い瞳が深く沈む。


机の下で、アルシオンの拳が無意識に固く結ばれた。

ラシードはそれを見逃さず、唇の端だけで薄く笑う。


「夢想か、愚直か……それとも、芽か」


言い置いて退室する足音だけが石床に残り、

政務室には重い静寂が落ちた。


油皿の炎がまた小さく脈打ち、封泥の影が揺れたまま、

殿下の胸のざわめきだけが静かに残った。





政務室にひとり残され、アルシオンは静かに息を吐いた。

油皿の炎が揺れるたび、楔形文字の刻まれた粘土板が棚で鈍く光り、

封泥の割れ目が石壁に細い影を落としている。

羊脂と松脂の匂いが、昼下がりの乾いた空気にかすかに混じっていた。


(……セレナが“愛されたい”などと)


胸の奥を、思いもよらぬ痛みがかすめる。

あの姫は務めを選ぶ女だと思っていた。

だが、その一言はかつて自分が抱いた理想と響き合っていた。


(俺と似た考えを……?)


無意識に奥歯を噛み締める。

さきほど押した印章の粘土が半ば乾き、指先にざらりと残っている。


そして、厄介な疑念が浮かんだ。


(誰の愛を望むと言うのだ。……俺では、ないだろう)


その考えが胸をひどくざわつかせる。

拳が机の下で固く結ばれた。


(後宮に深入りしたくない。

 妃候補と関われば、また余計な軋みが生まれる。

 だから距離を置いた――そのはずだ)


後宮の空気も、妃候補同士の探り合いも、もううんざりしている。

サフィア以外には関わらずに済む静けさを、自分は選んできた。


(……なのに、どうしてあの姫の言葉だけが胸に残る)


理屈では切り離したつもりの感情が、青い瞳の奥で静かに渦を巻いていた。



夜の回廊。石の浮彫に刻まれた獅子の横顔が、燭台の光で生き物のように瞬く。

石床は昼の熱を手放し、井戸の底のような冷たさを戻している。

近衛の兵に導かれ、サフィアは歩を進めた。


(……今夜はアルシオンが呼んでくれた)


胸の奥に熱が広がる。

昨夜は胸が裂けそうな思いで過ごした。

けれど今日は違う。呼ばれたという事実だけで、救われる。


(アルシオンは私を必要としている……そう信じていいのよね)


重い扉が開く。寝所の光が、獣紋の織物をやわらかく照らした。

壁には王家の紋章が銅釘で留められ、卓上には角杯と油皿が小さく炎を抱いている。


中に立っていたアルシオンの青い瞳が、彼女を映した。


「アルシオン…」


呼びかける声はわずかに震えていた。

アルシオンは一歩近づき、視線を落とす。


「来たか、サフィア」


その声音は穏やかで、淡々としている。

だがサフィアには、それだけで十分だった。


「アルシオン! 会いたかった…」


琥珀の瞳をまっすぐに向け、彼に抱きつく。

肩越しに、油皿の炎が床の紋様を揺らした。


アルシオンはその抱擁を受け止めながら、胸の奥に言葉にならぬ影を抱いた。


(…やっぱり、アルシオンにとっても私が一番よね)

サフィアは胸の奥でそう繰り返し、自分を安心させる。


夜気の静寂が二人を包み、油皿の炎は小さく、けれど確かに脈打っていた。

【カクヨム移行のお知らせ】

いつも読んでくださり、ありがとうございます。


まず最初にご報告です。

本作は今後、カクヨムでの先行更新を中心に進めていくことにしました。

更新の流れを整えやすく、作品管理もしやすいためです。


基本の更新日は《毎週金曜日20時》となります。

なろうでの投稿はこれまでよりゆっくりになりますが、

こちらにも順次反映していきますので、気長にお待ちいただければ幸いです。


また、移行にともないタイトルを「シウアルマ」へ変更いたします。


そして──

カクヨムへ移行しても読み続けてくださっている皆さまへの感謝を込めて、

本日20時に【一章7.5話】を公開します。


これからも無理のない範囲で応援していただけると嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。


▼カクヨム版

https://kakuyomu.jp/works/822139841021031406

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