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転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳(福島リカ)
二章

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第2話 夜伽【前編】

「セレナ様、王妃様がお呼びです」


侍女の声に、セレナは筆を止め、胸の奥がひやりと冷えた。


(王妃様が直々に?……何の御用かしら)


入宮の儀で拝謁して以来の召しの声。歩むほど鼓動は速く、足取りは重くなる。


(……もしかして、国へ帰れと言われるんじゃ……)


外様の姫、殿下の寝所にも呼ばれたことがない。

正妃候補として、目に見える形で選ばれていないのは事実――そう思うと、背筋が冷たくなった。


(うう……務めを果たせていない、と判断されても仕方がない……)


やがて王妃の間。

香煙の奥に、玉座に凭れたザリーナ王妃がいた。   


(……相変わらずお美しい方。美魔女とはまさにこの人のことね) 


艷やかなさを帯びた。


(この母あってこその殿下、ね……似てはいないけれど。殿下の青い瞳は大王様由来なのね)


セレナが深く一礼し、顔を上げた瞬間、澄んだ声が場を支配する。


「――今宵は殿下の御寝所へお渡りなさい」


端正な声音が空気を震わせた。


「……えっ」


声にならぬ息が喉に零れる。胸の底に沈む意味はただ一つ。


(……夜伽の命令……)





夕暮れの訓練場では、砂が風に舞っていた。

カリムが水袋を肩にかけ、片手で剣をくるりと回す。


「……おいサフィア。最近お前、殿下に甘えてばかりじゃないか?」


幼馴染の軽口に、サフィアは眉をひそめる。


「な、何を言う」


「以前は“殿下を支える剣”だってばかり言ってたろ。

 なのにこの頃は……女の顔をしすぎてるんじゃないのか?」


からかいに胸が熱くなる。

だがサフィアは琥珀の瞳を真っ直ぐ向けた。


「……私は変わらない。殿下を守る剣、それが務めだ。

 殿下の名誉を汚す者があれば、誰であれ斬る」


カリムは肩をすくめ、口端を吊り上げる。


「ならいい。……幼馴染として言ってみただけさ」


風が二人の間を抜けた。

小さなざわめきは残ったまま、サフィアは己に刻み直す。


(私は殿下の剣。……どんなときも、それは変わらない)


そのとき、柱の陰から侍女たちの囁きが漏れた。


「……見た? ルナワの姫様の支度部屋に、特別な香炉が運ばれていたわ」


「ええ。それに殿下の御寝所では寝具の入れ替えまで。

 あんな支度、滅多にないでしょう」


囁きは風に流れた。

だが、サフィアの胸には冷たいものが落ちた。


(香……寝具……そんな支度、まさか)


拳に爪が食い込み、呼吸が乱れかける。

カリムが怪訝そうに眉をひそめた。


「どうした、サフィア」


「……なんでもない。ただの準備の話だ」


無理に整えた声の奥で、胸がきゅっと縮む。

カリムは視線を細め、低く呟いた。


「……ただの準備にしては、大げさだな」


(違う。噂や影に惑わされてどうする……私は、アルシオンを信じる)


サフィアはまっすぐな誓いを、

掌に残る痛みとともに、深く刻み込んだ。





政務室では、夜半の灯が卓上を照らし、粘土板と葦紙の影が長く伸びていた。

封泥を割った欠片が小皿に残り、油皿の火がぱちりと弾ける。


ラシードは脇卓に葦筆を置き、口角だけをわずかに上げた。


「……殿下。どうしてセレナ様をお呼びに?」


薄い皮肉の奥に、探る色が滲む。

アルシオンは短く息を吐き、窓外の闇へ視線を逸らした。


「……理由は単純だ。帳簿に向かっていた。

 政務を語るなら、通じる相手のほうがいい」


声音は淡々としていたが、膝の上で結ばれた拳は固い。

ラシードは肩をすくめ、卓上の葦紙の端を指で、こつりと弾いた。


「なるほど。異国の姫が泥をかぶってくださるおかげで、

 殿下は“政務を語れる相手”を得た――そういうことで」


灰の眼が半ば伏せられ、思案が静かに沈む。


(ようやく、あの姫君から目を逸らせなくなりましたな。

 最初から“芽”には見えておりましたが……さて、殿下は)


油皿の火が、また小さく弾けた。

沈黙はそのまま、石壁の奥へ沈んでいった。





夜気が帷の隙から忍び込み、薄く張られた絹を冷やしていた。

侍女たちは声を潜め、香炉を整え、衣と飾りを手早く準備していく。

御料庫から選りすぐりの品が運ばれるたび、部屋の空気は静かに熱を帯びていった。


磨き上げられた青銅鏡に映る自分を見つめながら、セレナの胸で疑問が泡立つ。


(どうして……私なの?)


正妃候補は他にもいる。

しかも自分は属国ルナワの姫――この国では“外様”。

序列は最も後ろのはずなのに、王妃様の直命のあと、封泥付きの呼び札まで届いた。

行き先は“殿下の寝所”。支度は急ぎ――そう、簡潔に記されて。


(後宮の務めを担っていたことを、お知りになったから……私を?

 ――つまり、認められた……の?)


胸の奥を、冷たいざわめきが撫でる。


(……殿下は、どうお思いになるのかしら)


夜伽は王太子の義務。

だが彼の心は別の人にある。


(あんなにサフィア一途なのに。夜伽だなんて……)


それは――彼にとっても、決して楽なことではないはずだ。


「姫様、少し首を……そう、こちらへ」


リサが震える指で青銅の櫛を操る。

落ち着かぬ瞳が、必死に行き場を探していた。


(……リサの方が怯えているじゃない。私が、しっかりしなくちゃ)


背後では、立ち会い役として控える年長の女官たちが視線を交わし、

囁きが香煙に紛れて落ちる。


「……殿下の寝所まで、支度が運ばれるのは久しいわね」

「ええ。王妃様の直命とあらば……」


言葉はすぐに煙に飲まれたが、刃のように耳に刺さる。

香が満ち、セレナはそっと瞼を伏せた。


たとえ正妃になれなくとも――

夜伽とは、女が王家と国の手に差し出される儀。


その一歩で、立場も未来も揺らぐ。


(そうよ……私はルナワの姫。ここで退くわけにはいかない)


油皿の火がわずかに揺れ、香煙が髪の先を撫でた。

控えの侍女が合図の小鈴を一度だけ鳴らす。


――支度、整いました。


夜の気配が、しんと部屋を満たしていく。


(……なんだかんだ言って、私、姫様らしく振る舞っているじゃない)


かすかに失笑し、その裏に寂しさを抱えたまま、息を整えた。





王太子の寝所の卓上には、政務の書簡と粘土板が積まれていた。

アルシオンはそれらに目も通さず脇へ押しやり、両肘で額を覆う。


(……呼んだのは俺だ。王妃の命を“借りた”だけ。あの娘を駒として使うために)


胸の内で繰り返す。外交の圧力は現実で、正妃の空席は情熱で覆せない。政務を語れる相手が要る――理屈はそれで足りるはずだった。


だが理屈だけなら、もっと穏やかでいられる。拳が机縁を音もなく叩いた。


(駒に過ぎぬなら、なぜ胸がざわつく)


秋の宴で堂々とサフィアを隣に据えた。信じ、選んだ理想の姿。サフィアは剣を取り、名誉を守る――それ以上は求めないつもりだった。


(それなのに……帳簿に埋もれる姫の姿が、どうして離れない)


剣ではなく、数字と秩序で後宮を支えようとする眼差し。

サフィアとは異なる形で、確かに責務の方角を向いていた。

“駒”と切り捨てようとするほど、その像が胸に刺さる。


藍の目が灯を掬い、睫の影が揺れる。


……いつの間にか、心が二つに割れていたのか――


近衛が音もなく膝をついた。


「殿下。すべて整っております」


アルシオンは短く頷く。抑えるつもりの声が、低く漏れた。


「……来るか、あの娘が」


呟きは闇に溶け、誰にも届かない。

セレナ「お読みくださりありがとうございます(^^)

感想をいただけたら、とても嬉しいです!」

◆お知らせ

今後の新作予告や更新情報は、Twitter(X)でお知らせしています。

→ @serena_narou

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― 新着の感想 ―
ありがとうございます。いよいよです。これからどうなるか気になります。セレナ、平常心だっせ!あやつをギャフンとやっちゃえー とおばさんはコブシを握りしめ、おにぎり食べるわね笑笑 なんか、どきどきします。…
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