第10話 装飾(中編①)
宴が終わり、杯の余韻とざわめきを背に、回廊を進む。
燭台の影が石壁に揺れ、靴音だけが冷たく響いた。
(……あの場で迷いはなかった。サフィアこそ、俺が選ぶべき女だ)
妃席に座る彼女の姿が、青い瞳に焼きつく。
――なのに。
回廊の冷えた石床に、異国の姫の眼差しが、まだ残っていた。
拳に力が籠もる。
歩調がわずかに速まる。
惑うな。
選ぶのは一人――それだけだ。
回廊の奥に、人影を認める。
思考を断ち切った、その先に――
立っていたのは、セレナだった。
◆
「……殿下」
静けさに溶けるような声だった。
柔らかく、しかし芯を失っていない。
アルシオンの瞳が、わずかに揺れる。
「……セレナか」
驚きを抑えたつもりの声音には、かすかな緊張が滲んでいた。
燭の火に透ける影の中、彼女は扇を胸に抱き、凛と立っている。
アルシオンは無意識に背筋を正し、声を落とした。
「宴の席では……居心地が悪かったであろう」
燭火に照らされたセレナの瞳はまっすぐで、声は震えない。
「殿下が誰を寵愛されても……それは殿下のお心次第。
誰も、不満は申し上げません」
セレナは、扇を握り直した。
指先に力が籠もるのに、声だけは不思議なほど落ち着いていた。
「ですが……殿下にとって、私たちは何なのでしょうか。
感情を持たぬ飾り物として、並べられているだけなのですか?」
その言葉は、静寂に石を投げ込むように、回廊に落ちた。
アルシオンの表情が揺れる。
眉根がわずかに寄り、視線がセレナを射抜いた。
短く息を吸い、低く応える。
「……飾りなどと思ったことはない。
だが、己の心に従うのもまた偽れぬ。――あれは、俺の答えだ」
迷いなき声だった。
その奥に、何かを切り捨てた硬さがあった。
セレナは扇を胸に抱いたまま、静かに瞼を伏せる。
(……もう二度と、期待などしないと決めていたのに)
胸の奥が、ひやりと冷えていく。
信じたかった自分が、何よりも痛かった。
小さく息を吐き、うつむいた声で紡ぐ。
「……果たして、あの場で示す必要があったのでしょうか」
その問いには、責めよりも、
自分自身に向けられた痛みが滲んでいた。
アルシオンは一瞬、沈黙する。
やがて、低く言葉を絞り出した。
「……あの場で示さねば、彼女は……守れぬと思ったのだ」
それだけで、十分だった。
(……やっぱり、そう……)
セレナの瞼が、わずかに震える。
(この人の目には――
私たちは、映ってはいないのね……)
胸の奥に、冷たい痛みが、静かに突き刺さった。
けれど、それ以上は言わなかった。
顔を上げ、最後の言葉を置く。
「……ですが、どうかお忘れなきよう。
僅かではあっても……殿下の幸せを、心から祈っていた者が、
この後宮にはいたのです。
それだけは……どうか、ご理解くださいませ」
深く一礼し、身を翻す。
衣擦れの音が、小さく石床を掠めた。
アルシオンは思わず一歩、踏み出しかける。
だが足は縫いとめられたように動かず、
ただ、遠ざかる背を見送るしかなかった。
足音が消えるたび、胸に重いものが積み重なる。
燭台の炎が揺れ、二人の影を切り離すように壁に滲んだ。
◆
セレナの影が、回廊の先へと消えていく。
(……祈っていた者、か)
アルシオンは拳を握り、
胸の奥に残った痛みを、強引に押し込めた。
(……俺はもう迷わない)
青の瞳を前に向ける。
(愛した者を隣に置く。それ以外に道はない)
そう言い聞かせるように、歩き出す。
心に刺さった違和感を、決して振り返らぬと誓うように。
セレナ「お読みくださりありがとうございます!
殿下……恋に溺れすぎでしょ( ´Д`)=3」
◆お知らせ
今後の新作予告や更新情報は、Twitter(X)でお知らせしています。
→ @serena_narou
ぜひフォローしてチェックしていただけたら嬉しいです。




