第10話 装飾(前編)
後宮に「座」が置かれてから、数日が経った。
最初は皆、半信半疑だった。
「どうせ形だけで終わる」
「すぐに元に戻る」
そんな空気が、後宮には確かに漂っていた。
けれど――始まってみれば、意外なほど早く受け入れられていった。
レイラ様は当然のように財政座を選び、
後宮内の支出と物資の管理を担う役に就いた。
印章を捺す所作だけは誰よりも堂々としており、
その姿に異を唱える者はいなかった。
アシェラ様は娯楽座を率い、
宴や舞、楽を取り仕切る立場となった。
女官を従え、場を整え、
自ら喝采を浴びる仕掛けを考えることに余念がない。
後宮の華は、確かに彼女の座に集まっていた。
アナヒータ様は政務座を静かにまとめ、
文書の整理や伝達を担いながら、
書記女官たちから自然と頼られる存在になっていた。
目立たず、だが確実に、
後宮の流れを整えているのが分かる。
女官たちは帳簿や配属の調整という役目を得て、
以前よりも存在感を増していった。
侍女たちも分担が明確になったことで、
むしろ動きやすくなったようだ。
広間や廊下を行き交う空気が、
少しずつ引き締まっていくのを感じる。
その中で、リサが胸に手を当て、
弾むように囁いた。
「セレナ様! 草木座に入れていただけることになったんです。
香草を調合して、侍女の疲れを和らげられたらって……
思うと、胸が熱くなって……!」
頬を紅潮させた瞳は、
以前よりもずっと強く輝いていた。
私は「教育座」と呼ばれる、
ごく小さな一団を持つことになった。
新しく配属された侍女たちに読み書きや礼儀を教え、
ときに悩みを聞き、
ときに自分自身も学び直す。
少しずつ、笑顔を見せてくれる侍女が増えていく。
――やっと後宮で、
自分の居場所を見つけられた気がした。
そんな活気が満ち始めた頃、
私たちは突きつけられる。
存在意義を。
あの二人によって。
◆
王宮の大広間は、戦勝と秋の収穫を祝う饗宴の真っ只中だった。
兵の士気を高め、諸侯に王威を示すため、年ごとに催される宴である。
無数の燭台に炎が揺れ、漆喰の壁や彩色された梁を照らし出す。
葡萄酒の甘い匂いと、焼いた肉の脂の香りが渦を巻き、杯が打ち鳴らされるたび、金具の鈴のような音が散った。
女官長の声が、硬質に広間を貫く。
「妃席は欠。客人は左翼列へ」
ざわめきが走る。
それは驚きではなく、どこか慣れきった諦念の色を帯びていた。
私は言われるまま鎧を脱ぎ、端の席へと向かう。
剣を外し、肩を落とした自分は、ただの一人の女――
それで十分だったはずだ。少なくとも、今までは。
壇上で立ち上がる殿下の姿を見た瞬間、胸の奥が灼けるように熱を帯びた。
短く放たれた声が、広間のざわめきを断ち切る。
「――サフィア。前へ」
名を呼ばれた刹那、心臓が跳ねた。
数百の視線が一斉に突き刺さり、杯の転がる音や、紅を引いた唇の強ばりが耳に届く。
――疑ったことなど、ない。
ただ、この場で、ここまで示されるとは。
けれど。
青い瞳がただ真っ直ぐに私を射抜いた瞬間、他のすべては霞んだ。
壇上までの歩みは遠いはずなのに、殿下のもとへ吸い寄せられる。
鎖飾りが微かに鳴る音だけが、胸の高鳴りと重なって鮮明に響いた。
「先日の働き、確かに見た。――今宵に限り、ここに座れ」
差し示されたのは、空いたままの妃席。
老臣の眉が吊り上がり、女たちの扇が一斉に震える。
ざわめきが波となって押し寄せる――はずなのに。
だが、私には何も届かない。
視界にあるのは、殿下の青い瞳だけだった。
(……殿下が呼んでくださった。なら、ここが私の席)
胸の奥が一気に熱を帯びる。
妃席――王の隣、正妃にしか許されぬ場所。
それを、迷いなく、私に。
嫉妬の視線も、ざわめきも、すべて遠くで溶けていく。
殿下の視線だけが、私のすべてだった。
(見ていてください。私は、殿下の隣で、最後まで並び立ちます)
抑えきれず、笑みがこぼれる。
広間がどう揺れようと、この瞬間は二人の世界だ。
迷いなどなく、私は妃席へと歩み、青き瞳の隣に腰を下ろした。
◆
大広間の空気が、遅れて波打つ。
杯が倒れ、扇が滑り落ち、囁きが鎖のように絡み合った。
その中心で、サフィアは恍惚の笑みを浮かべ、妃席に在った。
鎧を脱いだ肩先に蝋燭の光が降り、ただ「選ばれた者」としてそこに存在する。
アルシオンの青い瞳もまた、一点の迷いなく彼女だけを映している。
――その光景を、真正面から見せつけられる。
(殿下……いったい、何をお考えなの?)
セレナは扇を握りしめ、胸の奥で思う。
(せっかく……後宮が、少しずつ息を取り戻してきたのに。どうして、こんな……)
向けられる視線はすべて壇上へ注がれ、
セレナはその只中で、身動きもできず座っていた。
レイラは頬を引きつらせて杯を握り、
アシェラは紅を引いた口元の笑みを凍りつかせたまま。
アナヒータはひと呼吸、静かに瞼を伏せた。
侍女や女官たちは顔を伏せ、
誰もが次の一手を測りかねていた。
(……正妃について、ずっと考えてきた。私なりに)
そう思いながら、再び二人へと視線を向けた。
青い瞳と、恍惚の笑みで寄り添う姿。
その距離の近さが、胸を刺す。
言葉にならないざわめきだけが、
広間に、静かに広がっていった。
セレナ「お読みくださりありがとうございます(^^)
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