表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳(福島リカ)
一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/39

第9話 兆(後編)

宵の冷気を遮る分厚い扉の内側。

燭台に照らされた地図と文書の山を前に、アルシオンは礼服のまま机に凭れていた。

軍務と政務の報告が重なり、眉間には深い皺が刻まれている。


そこへ、音もなくナヴァリスが進み出た。

濃紺の衣を乱すことなく、深く一礼する。


「殿下――後宮に関して、一つご報告を」


青い瞳が上がる。

短い間を置いて、低く静かな声が返った。


「聞こう」


ナヴァリスの声音は、いつもの柔らかさを保ちながらも無駄がない。


「本日、姫君方の集いにて。ルナワ公国の姫君、セレナ様が

“座”と称する小さな集まりを提案されました。

舞を好む者、刺繍に秀でる者、薬草に明るい者……

それぞれの才に応じた役目を担わせる、という趣向にございます」


アルシオンの視線がわずかに動く。

葦筆の先が止まり、眉がかすかに寄った。


「反応は?」


「――概ね好意的に」

ナヴァリスは一呼吸置き、わずかに皮肉を滲ませる。

「従来、後宮は務めを持たず、ただ日を送る場となっておりましたが……

彼女の言葉により、妃候補方は互いに顔を見交わし、

侍女たちもまた、久方ぶりに期待の色を浮かべておりました」


燭火が揺れ、沈黙が落ちる。

アルシオンの青い瞳が文書から離れ、ほんのわずかに光を帯びた。


その変化を見逃さず、ナヴァリスは静かに目を細める。


「殿下。飾りと侮られがちな異国の姫が、

場を緩やかに動かす……小さき一歩に見えましょうが、

秩序の観点からは、見過ごせぬ動きにございます。

摘まねば、やがて枝葉を広げましょう」


机に肘をついたアルシオンは、静かに息を吐いた。

冷えた青が、わずかに揺れる。


「……お前の目には、あの娘はどう映る」


ナヴァリスの口元に、抑えた笑みが灯った。


「使える芽、と申せましょう。

国を揺るがすほどの器ではありませぬが、

後宮の荒れを鎮めるだけの力は、持ち得るやもしれませぬ。

ただ――」

一拍置き、

「処し方を誤れば、根を張りましょう」


重い沈黙。


アルシオンの胸裏に、二つの像が並ぶ。

剣を手に、隣に立つサフィア。

そして、真っ直ぐな瞳で言葉を紡いだセレナ。


「……報告、感謝する。――下がれ」


「御意」


一礼して退くナヴァリスの背は、

冷えた空気を割るように静かだった。

その瞳の奥には、計算を秘めた光がわずかにきらめいている。


――後宮は、飾りで終わらぬ姫を抱え込んだのだ、と。





ナヴァリスの言葉が落ちるたび、

思考は二人の女の像を行き来した。


太陽のように揺るがず、剣を手に並び立つサフィア。

彼女には迷いがない。

己を殿下に捧げると誓った瞳は、常に真っ直ぐだった。


そこに、安堵と、焦がれるような愛情を重ねてきた。

それだけで、十分なはずだった。


――過去の傷が、脳裏をよぎる。

愛を持たぬ妻の冷たい背中。

形だけの婚姻、偽りの微笑。


その反動で選んだサフィア。

彼女なら裏切らない。

彼女さえいれば、二度と過ちは繰り返さない。


……なのに。


異国の姫の声が、耳の奥に残る。

無理強いでも、虚飾でもない。

人を和ませ、動かす響き。


その瞳は、弱さを隠すものではなかった。

弱さを抱えたまま、立っていた。


(なぜ、あの娘の言葉が残る……)


苛立ちが胸を焦がす。

迷いなど、あるはずがない。

正妃はサフィア――それ以外に答えはない。


それでも理性の奥底で、

ほんのわずかに「面白い」と呟く声を、

どうしても振り払えなかった。


拳が机を叩き、蝋燭の炎が揺れる。


(惑うな。選ぶのは一人だけだ)


青い瞳はなお、静まらぬ波を追っていた。



夜更け、寝所の静けさ。


アルシオンは考え込むように黙し、

サフィアはそっと隣に膝を寄せた。


「……ねえ、また遠く見てる」


責めるのではない。

胸の奥から滲み出る、心配の声だった。


返ってきたのは、短い沈黙。

その間に、サフィアの心は静かに不安に沈んでいく。


(……知らない。全部は、わからない。

でも……私には、隠そうとしている。それが、苦しい)


ふと、後宮の影が胸をかすめる。

交わした言葉は僅か。

けれど、ただの飾りではない、静かな瞳。


問いかけたい。

けれど、声に出せば、自分の弱さが溢れてしまいそうで。


だから代わりに、

彼の手を両手で包み、そっと額に押し当てた。


「……わからなくてもいい。

全部聞けなくてもいい。

ただ……私のことは、忘れないで。

ずっと、ここにいるから」


瞳を上げたサフィアは、無理に笑った。

泣き出したいほど不安なのに、

それでも支えようとする笑顔だった。


(それでも……隣に立ちたい。

アルシオンの力になるために……)


アルシオンの腕が、彼女を抱き寄せる。

重く熱い抱擁。


胸の奥の影は、まだ消えない。

それでもサフィアは目を閉じ、

祈るように、その温もりを抱きしめ続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ここまで、一気に読みましたが、アルシオンはサフィアを正妃にしたいといっている割には、行動が見えていないので、口だけの男に思えています。 カリムも泣かせたくないと言いながら、泣かせる行動をとっているよう…
アルシオンとサフィアでもうお腹いっぱいだわ、勝手にどうぞ!なのでセレナに関わらないでほしい。まぁ、召し上げたのはそっちだから責任とって衣食住と安全は保証してよね!て気持ちで読んでいますw 王族としての…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ