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転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳(福島リカ)
一章

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第8話 矜持(後編)

扉が静かに閉じられた。


その音が完全に消えるのを待ってから、

ナヴァリスは机上の書物に視線を落とし、

ごく低く息を吐いた。


(証言ひとつで正妃候補を切る――

それがどれほど愚かなことか)


一人の侍女を守る代わりに、

後宮全体を敵に回す。

それは正義ではない。ただの無謀だ。


名を出せば、派閥が騒き、元老院が動く。

その先で、殿下の名が削られる。


姫様は、まだそこに立つべきではない。


切るべきは“刃”ではない。

刃を握る手だ。


――だが。


姫様は、感情だけで踏み込んだわけではない。

守ると言いながら、制度に手を伸ばした。


怪我をした者を個別に救うのではなく、

「怪我を恐れず働ける仕組み」を作れ、と来た。


これは、刃を振るう者のやり方ではない。

刃そのものを鈍らせる――

いや、不要にするやり方だ。


派閥も名も、正義も掲げず、

ただ「当然あるべき形」を差し出す。


……厄介なことに、

あれは“反論しづらい”。


声高に誰かを責めれば敵が増える。

だが制度を整えれば、

敵は文句を言いにくくなる。


姫様はまだ気づいていないだろうが――

あの一言で、後宮の力関係は

静かに動き始めている。


早すぎる。

だが、愚かではない。


むしろ……危ういほど、正しい。





夜更けの執務室に、灯りがひとつ残っていた。


卓上に広げられた軍議の書簡に目を落としたまま、

アルシオンは低く息を吐く。


「……遅いな」


独り言のような呟きに応えるように、

扉の外から控えめな足音が響いた。


「失礼いたします、殿下」


「入れ」


扉を押し開けて姿を現したのは、ラシードだった。

外套を脱ぎながら一礼し、静かに室内へと進む。


「後宮の件か」


アルシオンは顔を上げずに言った。


「はい。ルナワの姫君が動かれました」


その一言で、アルシオンの指が止まる。


「……何をした」


ラシードは一瞬だけ言葉を選び、

それから淡々と告げた。


「侍女への暴行を巡り、

後宮監へ直訴なさいました。

正妃候補の名も――出ています」


アルシオンの眉が、わずかに動く。


「セレナが、そこまで踏み込んだか」


「ええ。感情に任せて、ではありません」


ラシードは歩み寄り、卓の端に手を置いた。


「個人を罰せよとは言わず、

『怪我を恐れず働ける仕組みを整えろ』と

要求なさいました」


ラシードは、ほんのわずか言葉を切った。


「制度を、です」


アルシオンはようやく顔を上げた。

碧の瞳が、鋭く光る。


「……面倒なことを始めたな」


だが、その口調には、

苛立ちよりも別の色が滲んでいた。


「はい。実に」


ラシードは小さく肩をすくめる。


「派閥を正面から切らず、

しかし放置もせず、

逃げ道のない形で動かれました」


「それで?」


「後宮は、静かに揺れています。

声を上げる者はいませんが――

皆、様子を見ています」


アルシオンは椅子に深く腰を下ろし、

腕を組んだ。


「……セレナは、

自分が何をしているか分かっていると思うか」


ラシードは即答しなかった。


「半分は。

残り半分は――

ご自身でも、まだ測りかねておられるでしょう」


「危ういな」


「はい。

ですが――」


ラシードは視線を真っすぐに上げる。


「愚かではありません」


短い沈黙が落ちる。


やがて、アルシオンは低く答えた。


「……そうか」





執務室に残された静けさの中。


書簡を手に取っても、視界は定まらなかった。

ラシードの報告は、胸に刺さったままだ。


(セレナは……

あの後宮で、異質な存在感を放った)


弱き者を守り、秩序を問いただす。

普通なら誰も踏み込まぬ領域に、

迷いなく足を入れている。


軽率なのか。

それとも確固たる意志によるものか―。


ただ、その一挙一動が、

空洞と化していた後宮に

確かなざわめきを呼び戻していた。


アルシオンは眉をひそめる。

だが胸の奥で疼くのは、別の想いだった。


(……俺が隣に望むのは、サフィアだ)


たとえ後宮が荒れ果てようとも、

彼女が傍にいれば、それでよかった。


血と汗を共にし、

戦場で背を預け合ってきた。

彼女にだけは、決して嘘をつけない。


その確信があるからこそ、

王妃の政略を突っぱねてきたのだ。


――なのに。


ふと脳裏に浮かぶのは、

退かぬ眼差しを見せた

セレナの横顔。


その光景が、

しつこく、何度も思い返される。


(なぜ俺は……

あの時の彼女を忘れられない……?)


サフィアは誠実で、

己のために身を投げ出す。


それ以上を望む理由など、

本来どこにもないはずだった。


それでも。


理性の奥に、

セレナの影が消えずに残る。


振り払おうとしても、

なお、離れなかった。





灯火の影が、長机の上で揺れている。


硯を片付けたばかりのナヴァリスの前に、

ラシードが静かに入ってきた。


宰相は机の前に立ち、くす、と笑む。

「驚きますな。あの年若い娘が、

あれほどの胆力を見せるとは」


「胆力、というより愚直さです。

秩序より情を優先すれば、後宮の均衡を乱す」


「“見捨てられたと思わせる秩序”に、

誰が心から従います?」


ナヴァリスは淡々と答えた。

「……形式としては、見捨ててはいない。

保護し、処分もした。

ただ――

派閥を壊すわけにはいかない」


宰相は顎髭を撫でながら、声を低める。

「皮肉なものですな。

処分の重さより、“誰が守ったか”が広まる。

侍女たちの心に残るのは、姫様の姿です」


沈黙が落ちた。


ナヴァリスの瞳が、かすかに揺れる。

「評判は、武器にも足枷にもなる」


「無論。しかし一歩踏み出した火は、もう消せません。

殿下も……“無視できぬもの”とは、ご認識でしょう」 


「……あなたは、彼女を推すと?」


「推す? 私は流れを読むだけです。

沈む舟は、放っておいても沈む」


ナヴァリスは吐息を落とした。

「あなたは本当に厄介だ」


「お褒めにあずかり光栄です」


宰相は立ち上がり、去り際に囁く。


「忘れぬことですな。

姫様は愚直に見えて……

己が納得できぬ選択は、なさらぬお方だ。

ああいう者こそ、

予想外の場で均衡を破る」


灯火が揺れる。


残されたナヴァリスは眉間に手を当て、

沈静を旨とする胸奥に、

消えぬざわめきを覚えていた。





夕刻、軍営の訓練場の片隅。

日が傾き、土と汗の匂いが濃くなる頃。


木槍を磨いていた手を止め、気配に振り向けば――

そこに立っていたのは、青い瞳の人だった。


「……殿下」


思わず背筋が伸びる。

だが彼は、張りつめた空気を振り払うように、ふっと口元をゆるめた。


「お前に会いたかった」


唐突な一言だけで、胸が跳ね上がる。

(ずるい……そういうこと言うの)


「私も……ですけど」


耳まで赤くなりながら視線を逸らす。

それでも手首を取られ、あっさりと距離を詰められた。


「槍より俺を見ろ」


「な、なんですかそれ!」


思わず噴き出す。

笑い声が混じると、肩の力も抜けていく。


アルシオンは、そんな彼女の頬に手を添えた。

真剣な眼差しに、先ほどの軽さはない。


「……覚悟は、揺らいでいないか」


静かな問い。

だがサフィアは、もう迷わなかった。


「はい。学ぶことも、身につけることも、まだまだたくさんあります。

でも……私は、殿下の隣に立ちたい」


言いながら、自分でも驚くほど素直だった。


「武官としてじゃなく――

一人の女として。ずっと」


青い瞳がわずかに潤み、

次の瞬間、彼は強く抱き寄せていた。


「……ありがとう。俺には、お前だけだ」


息苦しいほどの抱擁なのに、不思議と心地いい。

頬が彼の胸板に押しつけられ、声がくぐもる。


「ちょ、苦しいです……」


「我慢しろ」


「バカ殿下!」


堪えきれず、二人して笑う。

さっきまでの重さなんて、どこかへ吹き飛んでしまったみたいに。


「殿下、槍と私、どっちが大事です?」


わざと拗ねて聞いてみる。

彼は一瞬、本気で考え込んでから、にやりと答えた。


「……お前が槍を振るう姿が一番大事だな」


「なっ……!」


真っ赤になって、拳で軽く彼の胸を叩く。

その仕草さえ愛おしそうに受け止められて、さらに顔が熱くなる。


(……ずるい人。本当に)


夕暮れの光が二人を包み、

声にならない幸福が、胸いっぱいに満ちていた。

セレナ「お読みくださりありがとうございます(^^)

感想をいただけたら、とても嬉しいです!」

◆お知らせ

今後の新作予告や更新情報は、Twitter(X)でお知らせしています。

→ @serena_narou

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