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転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳(福島リカ)
一章

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第8話 矜持(中編)

三人は、後宮監の執務室の前に立った。

扉を叩くと、低く落ち着いた声が返る。

「入りなさい」


書き物机の奥に、ナヴァリス・エフェンディがいた。

端整な顔に浅い笑みを湛えた瞳が、

ゆっくりとこちらを向く。


「姫様……お忙しい身で、

わざわざ私のところへとは」


「後宮監。お忙しいところ申し訳ありません。

ですが――緊急事態です」


セレナは一歩踏み出し、隣の侍女を軽く促した。

袖が上がり、紫色の痣が油灯の下に浮かび上がる。


「こちらの侍女が、正妃候補サーヒ様から

暴行を受けたと証言しました。

直ちに保護し、サーヒ様への処置をお求めします」


ナヴァリスは短く息を吐き、

一拍置いてから机上の文書を軽く叩いた。


「姫様……後宮の秩序は繊細です。

事実確認のない裁断は、

最終的に“姫様ご自身の責”となりましょう」


セレナは切り込むように視線を投げた。

「かまいません。

侍女を守ることも、正妃候補の務めですから」


一瞬、彼の瞳から笑みが消えた。

室内の空気が、わずかに沈む。


「……承知しました。まずは事情を聞きましょう。

姫様もご同席を」


小さな鐘が鳴り、宦官や書記官が入ってくる。


「この侍女を医務室へ。治療の後、

別棟の客間にて保護せよ」


侍女は振り返りながら連れられていく。

リサが小さく頷き、そっとその背に寄り添った。


セレナは、その姿が扉の向こうに消えるまで見送った。


「女官長にも処置をお願いします」

セレナは静かに言葉を継いだ。

「侍女が怪我を訴えても、

女官長はそれを黙殺しました。

女官長としての責を果たしていません」


セレナはじっとナヴァリスを見つめる。

逃げ道を与えない目だった。


ナヴァリスは、ふっと短く息を吐いた。

机上の文書に視線を落とし、

指先で端を揃える。


「……ご安心を。

処すべきものを、曖昧に終わらせるつもりはありません」


ナヴァリスは続けた。


「ただし――“順”があります。

今すぐの処遇は、いたしません」


セレナの眉が、わずかに動く。


「順、ですか……?」


「ええ。

証言を固め、医務の記録を押さえ、

誰の判断で、誰の黙認のもとに起きたことなのかを洗います。

女官長ひとりの独断なのか、

それとも“上”の意向があったのか――」


淡々とした口調だが、

その内容はすでに後宮の内側を越えていた。


「責を曖昧にしたまま処せば、

これは不始末では済まず――派閥争いになります。

その火は、姫様にも及ぶ」


セレナは思わず息を呑んだ。

胸の奥に、冷たいものが落ちる。


(……そんなところまで、波及する可能性があるの?)


「――すべてが揃ったうえで、

女官長には相応の処置を」


セレナの胸に、ひとつの名が浮かぶ。


「……サーヒ様は?」


ナヴァリスの視線が、わずかに細まった。


「名を出すには、刃が足りません。

証言ひとつで正妃候補を切れば、

後宮そのものが揺れます」


一拍置き、声を落とした。


「糸を引く者は、いずれ必ず、

自分の身を守るために糸を手放します」


視線を上げ、静かに言い切る。


「ですから――

まずは女官長からです。

その先は、私の役目になります」


静かに、しかし断定的な声音だった。


(理屈はわかる……

でも、今この瞬間にも、

誰かが傷つけられているかもしれないのに……)


胸に残る焦りを押さえ、

セレナは一度黙し、やがて静かに問いを投げる。


「後宮には、勤務中の怪我や病に対する

明確な救済の定めはあるのですか?」


「……規定はございますが、

必ずしも徹底されてはおりません」


セレナは小さく頷き、視線を上げた。


「では、徹底してください。

後宮に仕える者が、

怪我を恐れず働けるように」


(これなら……見過ごされることはなくなるはず)


ナヴァリスは、わずかに目を伏せた。


「……承知しました」


その短い返答を聞いて、

セレナは胸の奥で、そっと息を吐いた。


「……姫様」


指を組んだまま、視線を外さずに続ける。


「あなたは、ご自身の立場や安全よりも、

侍女を選ばれるのですね」


その声音には、咎めも賞賛もなかった。

ただ、確かめるような重みだけがある。


セレナは、はっとして顔を上げた。


「……なぜ、そこまでなさるのです?」


切れ長の瞳が、わずかに細められる。


「姫様。

そこまで身を削ってまで、なさる必要がございますか?」


問いは静かだったが、

逃げ場を残さないものだった。


セレナは一瞬、目を瞬いた。


「それは……」


言葉が、途切れる。


胸の奥で、遠い記憶がふと揺れた。


――悪魔祓いをしていた頃の私。


悪魔を通して、人の悪を知った。

悪魔祓いで、人の意地汚さを見た。


私は、人を憎み、軽蔑した。

その感情を、否定しようともしなかった。


それでも神父たちは、

何も言わず、ただ信念に従って人を守り続けた。


誰に感謝されなくとも。

報われなくとも。


ただ――

「守るべきものがある」

それだけを理由に。


セレナの視線が、ふと遠くなる。


(……そうだ)


私も、あの人たちに恥じない生き方をしたい。

いつしか、そう願うようになっていた。


セレナはゆっくりとナヴァリスを見据え、

苦笑を浮かべて答えた。


「自分に……幻滅したくないから、ですかね」


声は静かだったが、揺らがない。


「見て見ぬふりをする自分を、

見たくないだけです」


胸の奥で、言葉が確かになる。


(鏡に映る自分を――嫌いになりたくない)


ナヴァリスは、しばし何も言わなかった。


やがて、ほんのわずかに口角を緩める。


「……なるほど」


その一言には、

評価でも同意でもなく、

理解だけがあった。


「姫様。

それは、正妃である前に――

ひとりの“人”としての答えですな」


机に置いた指先が、静かにほどかれる。


「……覚えておきましょう。

その覚悟を」

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

ブクマや感想を頂けると、とても励みになります_(._.)_


Twitter始めました!

裏話とか載せる予定ですのでよければ覗いてください

→@serena_narou

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― 新着の感想 ―
ルールはあるけど従いませーん!とか すでに秩序崩壊してるじゃん プライドと見栄ばっかり一丁前で中身が腐ってる
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