第64話 シェナルークの降臨、そして「傲慢」と「怠惰」の激突#5
「何が起こっている.....?」
巨大なモニターで黒と緑の丸が激しく動く中、その言葉を発したのはギリウスだ。
実際、その言葉はこの場での総意であり、誰もが病みつきにになるようにモニターに食いつく。
そこで行われているあり得ざる超常的な戦いの事実を目にして。
「どうして奴が『怠惰』のアビス王と戦っているんだ?」
そう疑問を口に出すギリウスだが、それに答えを出せるものはこの場に居ない。
答えられる者など、突然として現れた「傲慢」のアビス王しかいないだろう。
いや、そんなことよりも――、
「皆......」
モニターを見ながら、祈る手をより一層強く握りしめ、オルぺナが呟く。
それは当然、部隊の皆の安否であり、それ以上に自分の大切な三人の安否である。
ただでさえ、「怠惰」のアビス王との戦闘で戦闘不能になるまで追い詰められたのだ。
その状態の最中で、「傲慢」のアビス王が現れ、その二人が戦闘を始めた。
十六年前は余波だけで数えきれないほどの人が死んだと聞く。
となれば、爆心地にいる彼らの身も当然危ないだろう。
死ぬ確率だけで言えば、「傲慢」のアビス王のせいで跳ね上がったとも言える。
こんな今にも胸が張り裂けそうな状況で、さらに不安を煽る現実に、オルぺナは怒りすら感じた。
「もう誰でもいい......この際、アビスでも」
十六年前、自分がまだ生まれて間もない頃に父親が死んだ。
「傲慢」のアビス王が現れた場所の近くで働いていたために、余波を受けたのが死因らしい。
結局、こうして自分が育った今でも父親の遺骨は見つかっておらず、知っているのは顔と名前のみ。
そんな父親を奪った怨敵に、友達の助けを願うなんておかしいにもほどがあるだろう。
しかし、自分にはそんなことにしか出来ないのだ。
(神なんかいるかもわからない存在に頼るぐらいなら、どれだけ限り少ない可能性でも良いから現実にいる敵にでも祈ってやる。
それで恨み言は帳消しにしてやるから! お願い、友達を助けて!)
無茶苦茶な祈りであることは理解している。
それでも願わずにいられなかったその願い、悪魔に魂を売るような願いは――現実となった。
アビス王との戦闘が始まってからというもの、一切青の丸が消えないのだ。
「まさか、奴が我々を守っているとでもいうのか?」
その非現実的な光景を目にしたように、ギリウスが目を丸くしてモニターを見つめた。
それはオルぺナも同じであり、モニターの動きだけで判断すれば、ほぼ一方的に「傲慢」が「怠惰」を責め続けているように見える。
「これ、助かるんですかね?」
「どうだろうね.......」
隣にいるユリハの声に対し、オルぺナは曖昧な言葉でしか返せなかった。
それしか返答できる言葉が思い浮かばなかったと言った方が正しいか。
ともかく、相変わらず緊張と不安で強張りながらも、変わらず存在する青の丸を見ては、オルぺナが胸の中に僅かな安堵を感じていると、
「ギリウス総督、旧都市から何かが向かって来ています。
これは......岩? いや、それにしては大きすぎる」
一人のオペレーターが本部や都市にある外部カメラから何かを見つけた様子で、ギリウスに声をかけた。
同時に、自分の席にある専用モニターを見つめては、小さく呟く。
そんなオペレーターの反応に、目を細めたギリウスが大型モニターに映像を出すように指示した。
瞬間、マップの代わりに映し出された巨大な球体に、オルぺナは瞠目する。
「......月?」
僅かに開いたオルぺナの口から漏れた言葉がそれだった。
色は茶色だが、まるで日中の青空に見える白い月が落ちてきたような、そんな光景。
そして、何より特筆すべきはその大きさだろうか。
まるで都市一つは圧し潰せそうなほど巨大で、そして――、
「だんだんと大きくなってる......」
その事実に、オルぺナの祈っていた両手からサーッと血の気が引いて行った。
先程まで友のために祈っていた震えが、自分に降りかかる死への恐怖の祈りに変わる。
まるで長時間両足を氷水に浸していたような、極度の寒気と怖気に身が強張っていく。
震えが、震えが止まらない。視線はモニターから逸らせず、歯がカチカチとなる。
だって、だって仕方ないじゃないか。
アレが大きくなっているということは、それは間違いなく――近づいてることを示してるのだから。
でも、どうしてあんなものがここへ? 攻撃の狙いが逸れたとか?
だとすれば、これから自分は戦いの余波で死ぬというの? 父親と同じように。
「総員に告ぐ!」
その瞬間、爆発したかのような衝撃が、恐怖に呑まれたオルぺナを殴った。
ビリッと痺れる大気に、体が一瞬にして後ろにいるギリウスに向く。
まるで母親に叱られて身がビシッと硬直してしまうように。
そんな気持ちはオルぺナに限らず、全オペレーターがギリウスに視線を向けると、
「君達がすべきことは怯えることではない。
前線で戦う仲間と同じく戦うだけだ。それを肝に銘じて行動せよ。
それでは命じる――オルセア君、ハルカ君、君達二人はすぐさま着弾地点と時間を計測を始めよ」
「「はい!」」
「ペトラ君、ラミア君、アムロ君、チャミス君、マルゼロ君。
君達五人は向かってくる場所に一番近い地区に至急避難勧告を促せ。
それから、コナム君、マルセル君、ヤムナン君――」
死が着実に近づく最中、ギリウスがオペレーターの名前を一人一人呼び、的確な指示を出す。
その指示に対し、オペレーター達は機械的に作業を開始し、与えられた仕事に着手し始めた。
そしてそれはオルぺナも同じであり、眼前にいくつものホログラムモニターを表示する。
そこに噛みつくような前のめりの姿勢でもって、手元を必死に動かし始めた。
それが自分の仕事、否、戦いなのであれば、現地で戦っている三人に恥じない自分でいるために、今の自分に出来ることを全力で尽くすだけだ。
だから、どうか――
「このまま無事に終わりますように!」
そうたくさんの祈りが籠った手を、今度はたくさんの人達を救うために、オルぺナは酷使していく。
****
頭上を通り過ぎ去る、地上を殲滅せんと現れし巨大な惑星。
もはや耳を塞いでも防げないやかましい音でもって、惑星が向かう先は新都市トリエスの方角だ。
そんな滅びが迫っている都市に対して、ノアの肉体制御権を奪ったシェナルークが眺める。
相変わらずポケットに両手を突っ込んだスタイルで不機嫌に眉根を寄せた。
「おい、このままじゃ滅びるぞ。守らなくていいのか?」
すぐ近くから聞こえてきた耳障りの悪い声に、シェナルークが表情をそのままに視線を向けた。
そこにいるのは、たった先程新都市に向かって惑星を投げたリュドルだ。
わざわざなけなしのプライドで煽りに来たらしい。
「どういう意味だ?」
「おいおい、すっとぼけるのかぁ?
どういうわけか知らないが、お前が人間を守ってるのは知ってるんだぜ?
オイラとの戦いの最中もずっと。今だってそうだろぉ?」
そう言ってリュドルが指をさす方向に視線を移せば、地上で寝転がる特魔隊の有象無象がいる。
寝ている彼らの地面は、リュドルの重力でも引っぺがされていない。
それもそのはず、彼らを覆うように小規模の結界が張られているのだから。
確かに、リュドルの言う通り、シェナルークは特魔隊を庇っていた。
しかし、それは決して人間に好意的であるというわけではない。
一言で言うなれば、「利用価値がある」からだ。
この肉体の一応の所持者でもあるノアの性格を考えれば、仲間がいることが重要。
言うなれば、「守る存在がいるからこそ強くなれる」というつまらない話だ。
精神だけでどうになかるなら、この世界は成功者ばかりなのだから。
とはいえ、この言葉も一概に否定できるものではない。
人間の言葉に「心身相関」とあり、例えば落ち込んでいても体を動かしているうちに気分が楽になっていくというのだ。
であれば、どれだけ肉体を酷使しようとも、精神次第では動くことが出来るとも言える。
実際、ノアがリュドルとの戦闘時、半分以上気力で食らいついていた面もあった。
もちろん、それはその心に答えられる肉体が備わっている前提の話であるが。
故に、アビス王を倒すという誇大妄想を抱えているのだから、都市にいる人間を救うぐらいの重責を担ってもらわなければ、ノアという存在は自分の見込み違いになってしまう。
(それは我に対する我の裏切り。それだけはさせぬ)
自分が期待するのものは、いつだって自分の頭にある理想の自分自身。
頭の中の自分が出来るのだから、現実の自分が出来なければ話にならない。
出来て当然、それが「傲慢」というものだろう。
(それに、今はまだあの都市が潰されるのは都合が悪い)
あの都市にある施設の長から話を聞いていない。
というより、情報収取の一環として自らの手で作ったのだから当然だ。
話を聞いてからならいざ知らず、そうでないなら面倒だが守らねばならない。
「あぁ、そうだな。貴様の言う通り、我は守っていた。
それは貴様にも問い質した通り、我が完全無欠の存在と証明するためだ。
そのための我の道具を、我以外に壊されるのは納得いかないな」
そこまで言うと、一つ大きくため息を吐く。
それから「仕方ない」と呟くと、視線をリュドルに向け、
「貴様の浅はかな策に乗ってやる。
しかし、これで我に一泡吹かせられたと思わないことだな」
「だったら、受け止めてみろよ。それだけ大口を叩くならな」
「実に愚弱な者らしい言葉だな。武を知る知恵巡りではない。
だからこそ、貴様のその淡く拙い希望を打ち砕くのが愉悦とも言えるが」
視線を新都市に向けると、さらにつま先の方角もしっかりと定めた。
ただし、相変わらず両手は使わない。これは強者としての許された驕りだ。
「では、見ておれ。強者が持つ余裕をな」
そう言って、シェナルークは地面を蹴り――消えた。
影すら残さないその踏み込みは、一瞬にしてその場に音を置き去りにする。
残された衝撃波が、割れて砕けた地面を吹き飛ばし、辺りに粉塵が充満した。
まるで時空に穴を開けるような速度で移動するシェナルークの視界は線だ。
中央の僅かな部分だけは立体的に映り、周辺視野で見る箇所は様々な色の線が伸びる。
正確には、目で追い切れない速度で景色が移ろいでいるだけの話であるが。
音速の域に到達するその移動速度は、通過しただけで衝撃波が伴う。
突き抜けた数秒後には膨大な空気の津波が周囲を襲い、耐え切れない建物が崩壊した。
もちろん、そんな些事をシェナルークが気にすることは無い。
踏み出した一歩であっという間に外壁の上を通過し、森の上を弧を描くように移動。
それから上空の惑星を完全に追い抜き、先に新都市に辿り着くと、その外壁の前で着陸する。
その衝撃で周囲一帯の地面が砕け散ったが、その程度気にすることではない。
そして後ろを振り向けば、視界を覆い尽す惑星が一キロメートルほど手前で落ちた。
地面との衝突により、世界がくしゃみをしたように大きな振動を起こる。
大地震よりも大地震、それこそ体が一瞬空中に浮くような衝撃が地面を走った。
きっと都市では今の一瞬であらゆるものが虚無の浮遊感を味わったことだろう。
それに伴う被害は一体どうなるのか。
「ま、それは我が知ることではないな」
地面に衝突してもなお、勢いが止まらない惑星が地面を滑る。
凶悪な質量が地面を抉り、両端に血飛沫ならぬ地飛沫を飛ばしながらシェナルークに肉薄。
このままいけば、間違いなく新都市を圧し潰すだろう。
それも一切止まることなく、完全に跡形も無く。
タイヤにひき殺されたアリのような末路を辿るのが、あの新都市だ。
「最低限、あそこを守れればいいか。それにその身で受けてやるのが条件だしな」
背後のとある方角をチラッと見て、それから改めて惑星に向き直す。
正面からどんどんと惑星が迫ってきて、その速度は車がトップスピードを出しても逃げ切れないだろう。
そんな勢いを、一切落とすことなく迫るというのだから、常人からすればその死の圧迫感に堪えられまい。
ましてや、受け止めるとなんて以ての外だろう。
しかし、シェナルークは違う。アビスであるからではない。
アビスであってもあんな質量を食らえば、一瞬にして核が砕けて終わりだ。
では、なぜシェナルークが耐えられるか――それは自分の死より大切な死を知っているからだ。
その苦しみに比べれば――、
「......なんだ今のは?」
今にも目の前に惑星が迫ろうという直前、脳裏にノイズが走る。
それは言葉とも記憶の映像とも判断つかない何かであった。
もっと言えば、先ほどの浮かんだ気持ちにも判然とつかない。
(気持ち悪い感覚だ)
まるで大切な何かを忘れているような、ぽっかりと抜けてるような感覚。
胸がザワついて仕方ないが、それは今考えるべきことではない。
あいにく時間だけは腐るほどあるのだから。
「我もそろそろ思考を切り替えるべきか。
さて、どの程度の威力か――味わってみるとしよう」
そう呟き、リュドルは右足をゆっくりと上げ、それを正面に突き出した。
ガガガガと地面を走る惑星が近づく度、シェナルークが浴びる振動が強くなる。
それはまるで目の前から迫る死に対して、心臓が激しく生を求めているように。
ま、そんな人間の心臓などないあるわけないが。
僅かに膝を曲げた足、その足の裏が惑星に接触する直前で膝を伸ばす。
瞬間、突っ張った一本の足が惑星の全てを受け止め、シェナルークに肉体に強烈な負荷がかかった。
まるで足の裏から全身が弾け飛ぶような衝撃が駆け抜け、そして止むことがない。
突っ立っていたシェナルークを轢き殺すように、惑星が我が物顔で移動を続ける。
それを受け止めるシェナルークの姿勢は変わらず。
ただし、地面と接触する軸足の左足だけ、猛烈な勢いで引きずられていた。
左足を足首まで地面に埋める形でブレーキをかけているが、まるで止まる気配はない。
そのまま引きずられること数秒、惑星はあっという間に新都市の外壁に辿り着いた。
そして、シェナルークと一つの物体となって、新都市に侵入していく。
「このままでは勢いを殺しきれないか――ふん」
背後をチラッと見て、視線の先にある巨大な施設との目測を見るシェナルーク。
それから視線を正面の惑星に向けると、接触する右足の裏から発勁にも似た衝撃を放つ。
それは瞬く間に惑星の全身を包み込み、まるで二段ほどギアが下がったように勢いが弱まった。
とはいえ、それでも惑星の大きさが及ぼす被害はあまりにも大きい。
侵入した経路から惑星の図体に圧し潰され、あらゆるものが原型なく圧壊していく。
それが次々と、まるで地中を泳ぐ巨大な魚に丸呑みされているかのように。
「いい加減止まってもらおうか」
新都市に侵入しても、しばらく引きずられたシェナルークが再び右足に力を込めた。
直後、動いていたはずのシェナルークがピタッと止まり、代わりに惑星が殺しきれなかった勢いで僅かに肉体、否、岩体を持ち上げ――着地する。
それに伴う振動で再び新都市にあるあらゆるものが浮遊感を味わうことになった。
しかし、それも命を失うことと比べれば、なってことない感覚だろう。
「さて、我も飽きてきた。であれば、キッチリと終わりを定めよう。
始まりと終わり......それが最も普遍的で、単純で、不可逆な美なのだから」
そう独り言ちると、惑星に触れさせていた右足のつま先を九十度回転させる。
それから、大きく振り絞るように膝を曲げると、
「お返しだ」
その動きは、ノアが使っていた特魔隊式格闘術の<溜穿>にも似ていた。
しかし、その威力は段違いであり、もはや何人も動かせないはずの惑星が動き出す――今度は逆向きに、生み出してくれた術者のもとへ帰るように真っ直ぐと。
その光景を見届けると、シェナルークは視界の端に映った自動販売機に移動。
不自然な穴の開いているそこに再び手を突っ込むと、そこからジュース缶を取り出す。
「昔に比べれば、食が美味くなった点は脆弱な人間の褒めるべき点だな」
当然ながら、アビスに食事など必要なければ、そもそも三大欲求もない。
故に、今の行為は単なる趣味みたいなものであり、享楽だ。
片手に持ったそれを、器用に人差し指のみでプルタブを曲げる。
カシュッと音を鳴らして開いたそれに口をつけながら、もう片方の手で自動販売機の辺の部分を掴んだ。
そのままジュース缶を一気に飲み干すと同時に、地面に固定された自動販売機を引っぺがすと、
「ここまで頑張ってくれた褒美だ。受け取れ」
空になった缶を握り潰し、捨てると同時に、左手に掴む自動販売機をぶん投げた。
その褒美が進む先は、当然リュドルがいる方向である。
加えて、ご丁寧に受け取りやすいように回転かけずに投げてやったのだ。
「.....我も行くか。ここに留まれば、少々面倒だしな」
そう言って、今一度チラッと背後の巨大な建物を見て、シェナルークは移動する。
その移動時に伴う結果は、新都市に投げ込まれた惑星を追いかけるのと同じ。
周辺一帯が粉砕してしまったが、新都市が助かった時点でおつりが来るぐらいだろう。
再び、視界のほとんどが色の主張が強いだけの線になり、正面に見える惑星に近づく。
それがだんだんと大きくなっていく時、それが突然バラバラに砕け散った。
また、シェナルークが飛んでくる破片を躱して近づけば、丁度褒美としてくれてやった自動販売機がバラバラに砕け散っている光景を目撃する。
そう、せっかく自分が善意でくれてやったにも関わらず、だ。
「随分と好意を無下に扱うものだな」
「お前の好意なんて反吐が出る」
「言うではないか。なら、その侮辱、貴様の命でもって贖うこととしよう」
読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)
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