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暗い暗い闇の中――。
その中を無数の粒子が気ままに飛び交い、世界を夜空のように幻想的に照らしていた。
わたしはそんな夜空の星々に囲まれながら、宙を漂っていた。
今までに感じたことの無い感覚。近いもので言えば、湯舟で身体を浮かせた時のような浮遊感だろうか。何も存在しない空間だというのに、確かに感じる浮力にわたしは驚くこともなく、周囲に煌めく星々――光の粒子を見上げた。
ふと、自分の手を持ち上げて見てみると、そこには崩王病によって無残にも萎み、痩せ細った醜い手ではなく、健康だったころの艶のある肌があった。
まだ数日しか経っていないというのに、あまりの懐かしさと羨望が入り混じり、わたしの目尻から涙が零れていく。
涙は下に落ちることなく浮いていき、幾つかの水滴となって夜空へと吸い込まれていった。
(ここは……どこ?)
涙の行方を追いかけるようにして、わたしは健康だったころの感覚で両手両足を動かす。
まるで空を泳いでいるような気持ちになる。
不思議な感覚を胸に――しかし、そこに恐怖はなく、どこか自然と受け入れている自分がいることに驚く。
未知であり既知。そんな矛盾した表現が似合う状況だけど、わたしは自分の感覚を信じて、そのままアテもなく泳ぐことにした。
わたしのことを応援してくれているのか、様々な大きさや色をした光たちが近づいてきては、肩や頬にピンと当たって離れていく。
なんとなくその様子が可愛らしい気がして、わたしは思わず微笑んだ。微笑む――そんな簡単な感情表現すらも許されない、崩王病に侵されたわたしの身体。感情を生む皮膚の動きすらも、あの硬質化した肌では苦行なのだ。
それが今は――許される。
たとえ夢でもいい。今は、今だけは……ありのままの自分で居たい。その想いを胸に、衣服を纏わない姿のまま、わたしは無我夢中で泳ぐ。
無限の果てを目的も無く突き進むのは、言いようのない不安に駆られそうなものだけど、今のわたしにはその行為が何よりの解放感に思え、全身の力を抜いて現実では味わえない浮遊感を楽しむ。
(気持ちいい……痛みも辛さも無い、自由な世界。あぁ……今なら分かるわ。色々な柵があった中でも、普通に暮らすという行為がどれほど恵まれ、幸せだったものなのかを……)
伯爵家での暮らしは、精神的には決して楽しかったとは言えない。
それでも自由に動かせる手足があった。
食事を「美味しい」と味わえる楽しみがあった。
限られた将来に希望を見出す夢があった。
苦悩ばかり満ち溢れた生活の中で、幸福の欠片を見つけるだけの時間があった。――たとえ、その欠片がどんなに小さなものでも――――楽しい夢を見たとか、家庭教師の課題で満点を取ったとか、窓の外に可愛い小鳥が遊びに来てくれたとか――――そんな程度のものでもいい。そんな日常に潜む小さな幸せを探すだけの「自由」があったのだ。
その尊さを、失って初めて如実に感じることができた。
(わたしは我儘だったのかな……ううん、そもそも……自分自身で何かを成し得ようとする――強い気持ちが無かったんだわ)
その気持ちが、それだけが――崩王病に罹ったがゆえに手にした「強さ」のような気がした。
森に茂る草木を食べてでも、湖の水を泥ごと啜っても、それでも生き抜きたい、と。
生きて、生きて、生きて…………その先にあるかどうかも分からない未来を掴みたい、と願った。
(……もし、たとえお婆ちゃんに見間違われるような姿のままでも……生き残れる道があるんだとしたら。わたし、誰かの役に立てるような人間になりたいわ。ただ自然に普通に生きることがどんなに素敵なことなのか……それを支えてあげられるような人間に――なりたい)
不意に。
遠くに一際大きい光が見えた。
なんだろう、とその方角へ舵を切り、わたしはゆっくりと天を泳いでいく。
(なにかしら……この子たちが集まっているように見えるけど……)
この子――わたしの周囲を遊ぶように飛び交う光たちが、あの場所に大量に収束しているように見えた。
距離を詰めれば詰めるほど、その眩さに圧倒される。
わたしなんて簡単に飲み込めるほどの巨大な七色の光の球。その球を表面から少しずつ剥いでいくように、小さな光球が周囲を忙しく飛び交っていた。
(これって……)
泳ぐ足を止め、間近まで迫った七色の光にそっと指を触れる。
(分かる……)
リィィィィン、と鈴虫の声のように小さな光たちがわたしの身体の中へと入っては出ていくを繰り返す。
(これは……そうよ、わたし……ドレスに縫い付けられていた飴を食べちゃって……それで、それで――気を失っちゃったんだ)
混ざり合った七色。その色一つ一つを細かく分解し、また一つの光が夜空へ舞っていく。
(この光は――あの飴? いえ……飴じゃなくて――毒。……ううん、それも正解じゃない。これは――――薬? 大量の薬を混ぜ合わせたような……薬とは呼べない塊のようなもの。たぶん……普通の人が食べたら毒にしかならない、薬の詰め合わせ?)
薬は毒にもなる――という言葉を家庭教師から耳にした覚えがある。
だからこそ、薬とは正しい量、正しい種類、正しい薬効、正しい服薬時間、正しい診断の元で摂取しなくてはならないのだと。過分に摂る薬は、毒になることもあるのだと。
この七色の塊はまさにそれ。
無差別に多くの薬を混ぜ合わせて出来た――非常に強力な毒だ。
(なんで……分からない、分からないわ。どうしてそんなものが……わたしのドレスに?)
疑問に頭を悩ませる間にも、休まず光の粒子は仕事を続ける。
わたしが手を差し向けると、誘われるがままに指先に優しく停まる粒子たち。何かを考えるかのように留まっては、わたしの中へと溶け込むように消える粒子もあれば、飛び立っていく粒子もいる。
そんな行為を繰り返していると――やがて実感が登ってくる。
この子たちは、選別し、修復しているのだと。
(まさか…………これが<体内精製>?)
七色の光球が徐々に小さくなっていく。そして比例するように、夜空を形成する光の粒子たちが数を増し、わたしの元に近づいてくる様子が手に取るようにして分かった。
(わっ、ちょ――)
一気に夜から昼に移り変わったかのような眩さに、わたしは慌てて手を振り払った。しかし粒子たちはわたしの手を掻い潜って、身体中の至るところへと侵入を試みてくる。
――熱い。
爪の先から体の芯まで、小さな太陽が生まれたかのような熱を感じる。
わたしは思わず心臓を両手で抑えて、宙に丸くなった。
――聞こえる。
何が必要で、何が不足しているのか。声にならない声で語り掛けてくる存在がいる。
その声はどこか優しく――大丈夫だよ、と元気づけてくれているようにも感じた。
熱は全身の古い角質を焼き払い、その深淵に潜んでいた冷たくどす黒い「何か」を暴こうとする。熱に剥がされた外殻の中にいた「何か」の姿を認知した粒子たちは、一層その動きを激しくし、わたしの心臓へと集まってくる。
恐る恐る視線を下に向け、ちょうど胸の谷間のあたりを見下ろすと――そこには見慣れぬ黒い球体が顔を覗かせていた。
死を連想させる――全てを凍らす氷のような、無上なる澱み。
太陽の熱と、死の寒気が衝突を繰り返す。
(あっ――…………)
気付けば七色の光球は全て分解され、無数の色を奏でる光の粒子が世界を覆っていた。
光は世界を照らし、熱は冷然たる闇を払う。
そんな感覚が胸に押し寄せたと同時に――わたしの意識は光に溶け込むようにして途絶えていった。




