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小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第2部 反逆の乙女たち

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第95話 クロスロード






 ギルドかたはねの客間。ベッドの上に腰かけ、上半身裸になったハイネスが、僅かに頬を赤く染めながら、目の前の少女に腹部の傷口を晒していた。

 地面に膝を落として少女……ロザリンは、難しい表情で傷口を睨んだ。

 薬草などの薬を塗り、ある程度の診察を終えたのを見計らい、背後に控える車椅子の老婆、頭取は心配げな色を表情に浮かべ問いかける。


「ロザリン。どうかしら?」


 問いかけに、ロザリンは答えない。いや、判断に迷っているのだ。

 腹部の傷口には、痛々しい縫合の後が残っている。まるで、怪我をしてすぐに、縫ったような傷痕だ、話を聞けば傷を受けたのも縫合をしたのも、数日以上前のことらしいが、一向に傷が癒えている様子が見られない。

 これは明らかにおかしい。ロザリンは親指を咥え、考え込む。


「ふむ」


 とりあえずは、傷口を癒してみようと、腹部に右手を軽く添える。

 瞳を閉じ精神を集中する。魔力を高めながら口の中で詠唱を紡ぐと、手の平と腹部の間に、光で構成された魔術式が展開、身体に染み込むよう消えて行く。


「――ふっ!?」


 術式が割り込む違和感に、ハイネスはくすぐったそうな顔をした。

 ジクジクと痛む鈍痛が一瞬だけ和らぐが、すぐに消え、痛みが戻ってくる。

 問わずとも痛みに顰める顔を見て、ロザリンは失敗を悟り、軽く息を付く。


「この傷、どうやって、つけられたの?」

「どうやってって、ナイフで刺されたのよ。それだけ」


 ナイフ……と、ロザリンは呟き、また考え込む。

 口をへの字に曲げて首を傾げる少女を見て、ハイネスは本当に大丈夫なのかと半目で下唇を突き出した。

 王都に辿り着いてから、もう二日になる。

 ルン=シュオンの助言に従い、ギルドかたはねを訪れたハイネス達を、車椅子に座った老婆、頭取は意外なほどにすんなりと迎え入れてくれた。胡散臭い人間だとは思ったが、随分とあの眼帯少女は、信頼が厚かったのだろう。


 頭取には、ある程度の事情を説明してある。

 当然、アカシャがツァーリの皇族で、咢愚連隊のトップであることは伏せたが、自分達が共和国と対立していて、その戦いに敗れ、ルン=シュオンの導きの元、エンフィール王国まで逃げ延びて来たことを説明した。


 本当だったら適当にはぐらかしたかったところだが、この頭取の名乗る老婆は、人の良さそうな表情をして、中々にしたたか。最初は他愛も無い雑談をしていた筈なのに、気が付けば舌先で丸め込まれ、殆どの素性を話していた。


 重要な部分まで突っ込んで聞いてこなかったのは、頭取なりの優しさなのだろう。

 そんなこんなで、一時このギルドかたはねに居候することになり、魔術による効果が疑いにある傷口を見て貰う為、魔女だという少女を紹介して貰ったのだ。


 当初、ロザリンは傷口をジッと見つめたり、指先で軽く突いたりと、何だか頼りなかったのだが、傷を調べるごとに表情は真剣になり、魔女らしく様々な薬品が床に並べられていた。

 先ほどの癒しの魔術も、成功ことしなかったが、本物だった。

 安心してされるがまま身を任せ、ハイネスは視線を頭取の方へと向ける。


「そう言えば、アカシャとテイタニアは?」

「お嬢ちゃんなら、考え事があるからと言って、外に出ているわ。テイタニアの方は、まだ起きてこないわね」

「……ん? テイタニア、戻って来てる、の?」


 名前に反応して、ロザリンが顔を上げる。


「ええ。一緒に、二日前……って、アンタ知り合いなの?」

「うん。前に、ちょこっと」

「はぁ。世の中、狭いモンねぇ」


 思わぬ偶然に、ハイネスは感心してしまう。

 あのテイタニアという訛りの強い女は、露出の多い見た目に反して、随分と義理堅いというか面倒見の良い性格。ハイネス達が色々と大変な目にあったと知ると、自ら名乗り出て世話を焼いてくれた。

 自分の用事も後回しにして、ハイネス達に付き合ってくれるのは、申し訳ないと思うのも半分、正直、不慣れな土地柄もあるし、傷の痛みを我慢するのも限界に来ていたハイネスには、とてもありがたい申し出だった。


「じゃあ。テイタニアは、アンタに会いに王都へ来たってことね」


 そりゃちょうどいいと、ハイネスは笑いかけるが、何故かロザリンは渋い顔をして唇を尖らせた。


「それ、多分、違う」

「へっ? ……ああ、そうなんだ」


 妙に機嫌の悪い態度に、理由がさっぱりわからず、ハイネスは目をぱちくりさせた。

 実はテイタニアと、あまり仲が良く無いのだろうか? と、ハイネスは首を傾げる。

 ロザリンは短く息を付いて、おもむろに立ち上がった。


「大体、わかった」

「本当に?」


 半信半疑といった顔を向けると、ロザリンは力強く頷いた。


「結論から言うと、身体の、体内術式に、呪術系の魔術式が、浸食している。その影響で、傷口が何時までも、塞がらないんだと、思う」

「……それって、結構ヤバイ?」

「ん~。命に係わるような、強力な、術式じゃない。けど、あまり長時間放置して、浸食が進むと、身体に障害が、残る。多分、高確率で」

「それって、どの程度の障害かしら」


「傷の位置考えて、歩けなくなるのは、覚悟した方が、いいかも」

 その言葉に、ハイネスはゴクリと唾を飲み込んで、口元を押させた。

 口内に苦いモノが広がる。

 長く戦場に身を置いていた者として、死ぬのは嫌だが、覚悟が出来ていないわけでは無い。けれど、守るべき者、果たすべき役目を残して、無様に命だけ長らえ戦線を離脱することは、一人の騎士としてショックが大きかった。

 例えそれが、ただの可能性だったとしても。


 数回、深呼吸をして小刻みに鼓動を鳴らす心臓を落ち着かせる。

 取り乱すのも、悲嘆に暮れるのもまだ早い。頭の中で繰り返し、何とか体面上の冷静を保った。


「……それ、何とかなる?」

「難しい。魔術式自体は、高度なモノでは無い、けど、古すぎる。多分、神代の時代の、アーティファクト。魔術としての、格式が高いから、並の魔術じゃ、効果が打ち消せない」

「あっの黒騎士……なんつーモンを人のドテッ腹にブッ刺してくれたのよ」


 脳裏に、黒騎士ヨシュアの、憎々しい姿が浮かんだ。


「刺したナイフ、そのものが、アレば、解呪自体は、簡単なんだけど……」


 視線で問いかけてくるが、ハイネスが首を左右に振ると、ロザリンは残念そうに顔を下へと向けた。

 結果論だとしても、抜いてすぐ捨ててしまったのが悔やまれる。

 ハイネスはベッドの上に胡坐をかき、難しい顔をして呻り声を上げる。


「どーすっかなぁ……やっぱ、共和国に戻って黒騎士を締め上げるのが、手っ取り早いんだろうけど。流石のあたしでも、万全の態勢でないと勝ち目が薄いのよねぇ」


 一人でブツブツと呟いている。

 上半身丸出しの姿は、同性同士でも目のやり場に困ると、頭取と顔を合わせて苦笑した。

 腕を組み替える度に、悩ましく揺れ、形を変えるハイネスの胸に、ロザリンは羨ましげな視線を、動きに合わせて上下させていると、廊下の方から誰かが走る音が近づき、部屋のドアがノックも無く開かれた。


「――おはようさん! ハイネス、元気になったんかぁ!」


 陽気な挨拶と共に、姿を現したのはテイタニアだ。

 寝起きらしく、まだ髪の毛に寝癖が残っていた。

 そして視線がロザリンの姿を捕えると、大仰に驚いてみてた。


「おおう!? ロザリンやないか!? ひっさりぶりやなぁ……いやいや。時間見繕って、会いに行こ思うとったんけど、偶然やないか、元気してたか」

「元気」


 そう言って、ロザリンはブイサインを向けた。


「ほんで、兄ちゃ……」

「ゴホン。テイタニア」


 まだまだ軽快な口調で喋り出そうとするのを、咳払いが制止する。

 途端、室内に氷のような緊張感が宿った。

 ここは怪我人の部屋なのと、不作法な振る舞いに、頭取は車椅子を操って向きを変え、テイタニアに厳しい表情を向ける。

 その鋭い眼光に、テイタニアはビクッと身体を震わせた。


「……廊下は静かに、入室時にはノックを忘れずに、ね?」

「は、はひっ!? さーせんした!?」


 静かだが、迫力満点の言葉に、テイタニアは直立不動の態勢から、直角に頭を下げた。

 何とも情けない姿に、唖然としていたハイネスはプッと吹き出し、痛む傷に涙を浮かべながら笑う。

 釣られてロザリンも、顔を背けて肩を震わせ笑っていた。

 情けない姿を晒したテイタニアは、ほんのり頬を赤く染め、恥ずかしさを押し殺す為に不機嫌な表情をする。


「失敬やなぁ、心配して損したわ」

「ぷくくっ……ごめんごめん。それにしても、わざわざ起き抜けに様子見してくれるなんて、アンタも随分と律義よね」

「まぁな」


 テイタニアは得意げな顔をする。


「うちは義理堅い性分やねん。頼まれた以上、キッチリと面倒見んとな……それに、あの娘。ずっと気落ちしているようで、心配やねん」


 表情が僅かに翳る。

 彼女とは、勿論アカシャのことだ。

 王都に到着して、やっと落ち着ける場所についたからだろう。余計に色々と考えすぎてしまったようで、怪我に関する責任も感じているからか、ハイネスとなるべく顔を合わせないよう、避けるように部屋に籠りっぱなしだった。

 頭取が気を利かせて、部屋に籠っているよりはと、王都を見て回ってはどうだと進めてくれたので、日中は何処かをぶらついているらしい。

 憂い顔のハイネスに気を遣うよう、頭取が優しい言葉をかける。


「ハイネス。気持ちはわかるけれど、今は自分のことだけを考えなさい。身体的な意味で言えば、貴女の方が酷い状況なのだから……あの娘を守る為に、あまり寝てないのでしょう?」


 頭取の言葉に、ハイネスは驚き、苦笑いを浮かべた。


「……気づいてたの?」

「メイクで上手く隠しているけど、目の下の隈、酷いことになってるわよ」


 指摘され、自然と手が目の下に伸びる。

 シンの別邸から逃げ出して、今日までの数日間、まともに睡眠を取ったのは、遺跡で倒れた時くらいだ。それ以外は全て寝たふりで、気配を感じればすぐに行動に移せるよう、極浅い眠りを保っていた。

 ルン=シュオンを始めとする、今まで出会った人間を信頼していなかったわけでは無い。


 だが、ハイネスにはアカシャを守る義務がある。

 咢愚連隊のリーダーであり、共和国の生み出した闇の影で、涙を流す者達の希望。例え復讐から始まった戦いでも、アカシャの行動に希望を見出した人間は少なく無い。

 何よりも、彼女はハイネスにとって唯一無二、年の離れた大切な親友だから。


「……よく、わからないけど」


 それまで黙って聞いていたロザリンが、不意に口を挟む。


「私だったら、ショックだと、思う。自分の大切な人に、自分の所為で、苦労をかけてるって、知ったら」

「……そうね」


 俯き、呟いた後、ハイネスは窓の外を見た。


「そうかもね」


 窓の外には、王都独特の風景である、大きな水路が見られた。

 街の水路とは思えないほど、澄み切った清浄な水は、太陽の光に照らされてキラキラと黄金色に輝いていた。

 駄目駄目だなと、ハイネスは心の中で自分を叱責する。

 胸の奥をチクチクと突き刺す痛みは、腹部の傷口なかより数倍痛かった。




 ★☆★☆★☆




 ゴロツキ達を追い帰し、昼食を食べ終えたアルトは、何故か困惑気味の表情で、カウンター席に座っていた。

 原因は、両サイドに陣取ってべったりと両腕に抱き着く、ミリカとフランの所為だ。

 左腕に薄い胸、右腕に飽満な胸が、これでもかといった具合に押し付けられる。

 男としてみれば天国のような状況で、アルトとしても嬉しく無いわけでは無いが、カトレアとシリウスの誘いを逃げてきた手前、こんなところで性欲に流されていたら、後でバレた時にどんな理不尽な目に遭うか、わかったモンじゃない。


「あの。俺、そろそろ帰りたいんだけど」

「んっふふ~。アルトさんったら、気が早いんだからぁ。もう我慢出来ないのぉ?」

「今日は、三人で朝までコース」

「――阿呆かッ!?」


 そう言って、アルトは強引に二人を振り払った。

 ミリカとフランに不満げな視線を向けられるが、アルトは逃げるようにカウンターから立ち上がる。


「お前ら、これから仕事もあるんだろ? 馬鹿なこと言ってねぇで、とっとと飯食っちまえよ」

「あらぁ。次のお相手ならぁ、目の前にいるじゃなぁい」

「はぁ?」


 訝しげな顔をすると、ミリカがアルトの顔を指差す。


「さっき、俺が先約って言った」

「……ああ。って、アレは方便だろうが! 何でテメェらが本気にしてんだ!」

「それでもぉ、さっきのアルトさん恰好よかったわぁ。思わず本気で惚れちゃいそうになるくらい……いいえ。本気になっちゃったかも」


 指先を唇に添えて、フランは色っぽい流し目を送る。


「私も、ドキドキしてる」


 ミリカも無表情な顔で熱っぽい視線を向け、心臓の部分を両手で押さえている。

 流石は本職の娼婦。男のツボを心得た仕草に、アルトもクラッと来てしまう。

 が、慌てて首を左右に振り乱して、煩悩を追い払った。


「冗談は止めとけ。娼婦が客に本気になったって、碌な目に遭わないぜ」

「あらぁ。私達、アルトさんをお客だなんて思ってないわよ」


 同意するよう、ミリカも頷く。

 しかし、アルトは真剣な眼差して二人を指差した。


「だったら余計に止めとけ。誰かを特別扱いする娼婦に、顧客はつかないぜ。割り切れない相手が出来ちまったら、辛くなるのがお前らの商売だろ?」

「……それは」


 アルトの言葉に、二人は表情を曇らせ、言葉に詰まる。

 言い過ぎのような気もするが、これが娼婦という職業につかざるを得なかった人間の現実だ。それが理解出来ているから、二人は反論しない。いや、出来ないのだろう。

 同意を求めるように、カウンターの向こうにいるマリーを見るが、彼女は悪戯っぽく笑った。


「じゃあ、アンタが身請けしてやったら? アルトさんだったら、特別に安く見積もってあげるよ。旦那にゃ、アタシから話しておくから」


 途端に、二人の期待が籠った視線が向けられた。

 余計な一言に顔を顰めつつ、アルトは言葉を選ぶように視線を周囲み巡らせるが、特に何も思いつかず誤魔化すよう頬を指先で掻く。


「俺ん家、食費のかかるのを一匹飼ってるから……と、そういうわけで」


 クルッと背を向けて、アルトはスイングドアを跳ね空け、外へと飛び出した。

 逃げるように去る背中に、娼婦達の声が飛ぶ。


「――もう、アルトさぁん!」

「ずるい」


 二人の非難めいた声色に、アルトは軽く手を振って、逃げて行ってしまった。

 その姿を見て、マリーはやれやれと肩を竦める。


「毎度あり。また、近いうちにいらっしゃいね!」


 表に出て行ったアルトに聞こえるよう、マリーはそう声を張り上げた。

 相変わらず、面倒臭がりの癖に厄介事にばかり首を突っ込む男だと、心配しつつも変わらぬ漢気に安堵を覚える。

 あの男だったら、自慢の娼婦達を任せてもいい。マリーは、本気でそう思っていた。

 不満を漏らす二人を宥める彼女が、何時の間にか消えていた、もう一人の少女のことに気づくのは、この少し後のことだった。




 ★☆★☆★☆




 天国街を抜けて、大河沿いの大通りへと出る。

 太陽の日差しはまだまだ夏の名残を感じさせるが、この暑さが治まれば一気に季節は秋めいてくるだろう。大河のすぐ側なら、清潔な水面に冷やされた風が心地よく感じられ、腹ごなしの散歩も気持ちよく足が進む。


 このまま日暮れまで辺りをぶらついてから、ほとぼりが冷めるまで何処かで一杯やろう。

 久しぶりに、新しい店を開拓するのも悪く無いと思いながら、アルトはダラダラとした足取りを地面に刻む。


「……ん?」


 ふと、聞こえる自分の足音に、違和感を覚える。

 背後を歩く人物と、歩調が重なっていたのだ。

 何となく座りが悪いので、僅かに歩く速度を緩めるが、まるで示し合わせるように、後ろの人物も歩くリズムを変えた。

 歩調を速めても、同じように速めてくる。

 一度二度ならともかく、こう何度もだと偶然とは思えない。後ろを歩く人物は故意にアルトと、歩くリズムを合わせているのだ。


 先ほどの、元天楼の連中だろうか?

 警戒心を強めながらも、気取られないよう、何事も無かったかのよう歩き続ける。

 不意に何の前触れも無く、ピタッと足を止めると、後ろの人物も制止する。

 暫し道の真ん中で立ち止まってから、アルトはゆっくりと右足を踏み……出さず、左足を支点にクルリと半回転。真後ろにいる人物を睨み付けた。


「……おい、コラ」

「――おわっ!?」


 急に振り向かれたことに対応しきれず、真後ろにいた少女は、踏み出した足を引込めようとして、たたらを踏んでいた。

 何とか転ばずに済んで安堵の息を漏らす少女は、マリーの店で出会った田舎娘だった。

 視線に気づいた田舎娘は、バツが悪そうな笑みで、アルトを見上げた。


「たはは。見つかってしまった」

「なぁに、人の後をつけてるんだよ」

「す、済まない……声を掛けようと思ったのだが、何て言ったらいいかわからなくなってしまって」


 申し訳なさそうに、田舎娘は身を縮めた。

 どうやら、何か悪意があって後をつけてきたわけでは無いらしい。

 紛らわしいと、アルトは頭を掻く。


「俺に何か用事か? 名前も知らない田舎娘が」


 素性もわからない田舎娘に、アルトは訝しげな表情を向ける。

 すると、彼女は背筋を正し、右手を胸元に添えると、見た目に反して凛々しい視線と態度を取る。


「失礼した。私はアカシャ……ラス共和国の人間だ」

「ラス共和国の、ね」


 その国の名に、僅かだがアルトの眉が反応を示す。

 僅かに変わった雰囲気を敏感に察したらしく、アカシャと名乗った少女は、見上げる表情に僅かな影を落とした。


「……やはり、王国民にとっては、歓迎し難いのだろうか」

「いや。今のは俺が悪かった」


 前髪を掻き上げながら、珍しくアルトは素直に謝罪する。

 確かにアルトは、ラス共和国。正確には前身であるエクシュリオール帝国と、浅からぬ因縁がある。けれど、それはもう終わったことだし、ラス共和国自体にも、そして目の前の少女にも、何の関係も無いことだ。

 謝られたアカシャは驚きの表情を見せ、すぐにホッと安堵の息を吐いた。


「良かった。知り合って早々に、嫌われてしまったかと思った」

「さよか。そりゃ、よかったな」

「ああ!」


 適当にあしらったつもりが、アカシャは満面の笑みで返してきた。

 何ともやりにくい。


「んじゃ、そういうことで」


 手を上げて、身を翻すと、再び歩き始める。

 数歩進んだところで、また背後から歩調を合わせるように、アカシャがついてくるのがわかった。

 足を止め、振り返る。

 今度はタイミングを読んでいたようで、確りと制止したアカシャと視線が交差すると、はにかむようにして笑う。

 反面、アルトの眉間の皺は深くなる。


「おい……なぁんで、着いて来るんだよ」

「いけないか?」


 アカシャは首を傾げる。


「いけないね」


 素っ気なく言って、三度身を翻して歩き出す。

 今度は歩調を合わせようとはせず、小走りにアルトの横に並ぶと、不思議そうな表情で見上げてきた。


「何故だ? 私が君の後を着いて行くことで、君にどんな不都合があるというんだ」

「いい年こいた大人と、子供が一緒にいるってだけで、不名誉な呼ばれ方をする場合があるんだよ」

「ただ、一緒にいるだけでか?」

「そうなの。世の中ってのは、理不尽の塊で出来てるんだ。わかったら、回れ右してお家に帰りなさい」


 適当に言い包めようと思って発した言葉に、アカシャは表情を暗くして俯く。

 しまった。と、アルトは顔を顰めた。

 家に帰りたく無い事情があるのをすっかり忘れて、自ら面倒なモノを踏んづけてしまったらしい。


「……君は、強いな」

「そりゃ、ま。お前みたいなチビに比べりゃな」

「茶化さないでくれ」


 アカシャは苦笑するが、すぐに表情を曇らせた。


「いや、比べるまでもなく、私は弱い。何が弱いかって、その弱さについ最近まで気が付かず、ふんぞり返っていたことだ……全く、自分で自分が情けないよ」

「それで家にも帰らずフラフラとか? それこそ、ガキの行動なんじゃねぇの?」

「ははっ。手厳しいんだな、君は」


 力無く笑うと、アカシャはアルトの顔を眩しげな表情で見上げた。


「やっぱり君は、私のよく知っている人間に似ているよ」

「ほう。俺に似てるんなら、そりゃさぞかしナイスガイなんだろうな」

「いや、その人物は女性だ」

「……ああ、そう」


 それは喜ぶべきか怒るべきか、反応に困ってしまうが、視線を細めるアカシャの表情を見る限り、冗談やからかいで言っているのでは無いのだろう。


「私より年上でな。明るくて、強くて、頼りになって。とても尊敬している」


 慈しむように、アカシャの頬に笑みが浮かぶ。


「年は離れているが、私は彼女を親友だと思っている……けれど、私は彼女に為に、何をしてきただろうか? 頼ってばかりで、何も出来ていない……いや、それは、彼女に対してだけのことでは無いな……私は、私はとても無力なんだ」


 親友のことを話している時は、とても嬉しそうな表情をしていたのに、ドンドンと顔に陰りが差していく。見上げていた視線も下がっていき、言葉も震えていた。

 その姿を、アルトは横目で眺める。

 軽く息をつき、両手をコートのポケットに突っ込んだ。


「懺悔がしたいんなら教会に行きな。きっと、アンタのお望み通り、厳しくも優しいお言葉を賜れるだろうぜ」

「私は、別に……」

「アンタが俺を誰と重ねようが構わない。だが、辛いとか悲しいとかって言葉を吐露すべきなのは、出会ったばかりの名前も知らない男じゃないだろ」


 厳しい言葉にアカシャは顔を背け、寒さを堪えるかのよう、両手で自分を抱き締めた。


「……すまない。何を甘えているんだろうな、私は。あの店で、君が見せた強さがあまりに眩しかったから、それに縋ってしまっていたようだ……本当に、済まない」


 消え去りそうな言葉に、後悔が滲み出る。

 出会ったばかりとはいえ、悩みを抱える年下の少女にぶつけるには、あまりにも無慈悲な言葉だったかもしれない。アルトにはアカシャが、何に挫折し、何に悩んでいるのか知る術は無い。けれど、言葉の端々に滲み出る心根の強さ、芯の部分は、まだ折れて無いように感じられた。

 だから、アルトは慰めの言葉はかけない。

 何を背負っているかは知らないが、安易な優しさは不幸な結果しか招かない。立ち上がれないのなら、このまま折れてしまうのが、アカシャの為なのだろう。

 そんな考えがあったとしても、アルトに問い質せば、きっと「面倒臭い」の一言で終わりだ。


 二人は気まずい雰囲気のまま、大河沿いの道を歩く。

 流れる水のせせらぎに交じり、唐突に腹の鳴る音が響いた。

 音の主であるアカシャは、頬を赤く染めて俯く。


「……そういや、お前、飯食わずに追っかけてきたんだな」

「……すまない」


 恥ずかしさのあまり、アカシャの声は今にも消え去りそうだ。

 アルトは苦笑して、縮こまる頭をポンと撫でた。


「しゃあねぇな。天国街に戻ると、またアイツらに絡まれるし、俺の行きつけでよけりゃ案内してやるよ」


 予断は許さないが、昼時はとっくに過ぎているので、かざはな亭の喧嘩も治まっているだろう。

 カトレア辺りに説教を喰らう可能性もあるけれど、面倒見の良い彼女のこと。アカシャのことを話せば、文句を言いつつも甲斐甲斐しく面倒を見てくれる筈。あわよくば、そのまま押し付けてしまえば、アルトとしては面倒が無くて万々歳だ。


 そんな下心があるとはつゆ知らず、アカシャは申し訳なさそうな表情をするも「ありがとう」と、頬を赤く染めて小さく礼を述べた。

 そうと決まれば能天気通りに戻ろうと、アルトが踏み出した瞬間、アカシャは「あっ」と声を上げ、コートの袖を掴んだ。


「あの、名前を、まだ聞いていない……よかったら、教えてくれないだろうか」

「名前って、マリー達が散々、俺のこと呼んでただろうが」

「それでも、君の口から聞きたいんだ……駄目だろうか?」


 懇願するような視線を向けられ、アルトは掴まれた袖をそっと離して、その腕で頭を掻いた。


「アルトだよ。何だか知らんが、最近は野良犬騎士だなんて呼ばれてる」

「そうか、アルトか……アルト、アルト」


 嬉しそうに、アカシャは何度も噛み締めるよう、アルトの名を呟く。


「おいおい。勘弁してくれ」


 何だか急に居心地が悪くなり、アルトは顔を顰めて歩く速度を速めた。

 その背中を、アカシャが小走りに追いかける。

 並んで歩く二人の背丈は、この界隈では見慣れた高低差だ。

 けれど、横を歩く何時もの違う少女の姿に、すれ違う人々は皆、訝しげな視線を向けた。

 能天気通りも近くなり、店先などに立つ顔見知りの人間達は、またアルトが違う女の子を引っ掛けて連れ回していると、不名誉な噂を囁いていた。






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