第92話 アイ・シャル・リターン
皇家の墓と言っても、実際には墓地では無く遺跡のようなモノ。
三百年以上も前の、初代から十代目までの皇帝を埋葬した、エクシュリオール帝国の聖地であり、足を踏み入れることを許されるのは、皇族でも皇帝の直系。つまり、ツァーリの一族のみ。
アカシャ・ツァーリ・エクシュリオールも、ここに足を踏み入れるのは初めてだった。
もっとも、歴史と格式ある先祖の墓を、敬意を持って参れるような精神状態では無いが。
ラス共和国には珍しい、鬱蒼とした森が広がっている。
国土の大部分が荒野で、冬になれば雪に閉ざされる共和国では、あまり見ない光景の中に、ひっそりと皇家の墓は存在する。詳しくはわからないが、この森は天然自然の物では無く、魔術的な効果で作られているらしい。
追手に補足されないよう、慎重に馬車を進めること三日。
一行はようやく、皇家の墓がある森の入り口へとたどり着く。
馬車を降りやって来た一行は、森の木々に囲まれた道を進んでいた。
案内役のルン=シュオンを先頭に、ハイネス、アカシャ、そして最後尾にラヴィアンローズがダラダラと歩く。
フェイは念の為、追手を警戒して別行動。周囲の警戒に当たってもらっている。
何かあれば、直ぐに飛んで来るだろう。
「しっかし、人っ子一人いないわね。こういう場所なんだから、普通はもっと警備が厳重なんじゃないの?」
ジメッとした森の中を見回し、ハイネスは周囲を見回す。
木々の葉に陽光が遮られ、影になっているのもあるが、ハイネスの顔色は悪く、無意識なのか頻りに腹部を気にしている。
応急処置はしたのだが、拭えぬ違和感と痛みに悩まされていた。
しかし、それを顔に出すとただでさせ落ち込んでいるアカシャに、更に心労をかけてしまうので、怪我の具合については口にしていない。
「皇家の墓。と言っても、ただの文化財なだけだからね。大昔から立ち入りが制限されていたから、その存在は意外に知られていない。それに、財宝的なモノも存在しないから、共和国としては、維持費がかかるだけの金食い虫なのさ」
「なるほど。んで、経費節約ってことで、警備を置いてないわけね」
片目を瞑り、ハイネスは納得するように頷いた。
何とも侘しい話だが、打ち壊しなどをせず、ちゃんと綺麗に維持しているだけでも、儲けものだろう。
「って言うかさぁ。幾ら見張り連中がいないからって、あたしら、遺跡巡りをするほど暇じゃないんだけど」
歩きながら、ルン=シュオンの背中に問いかける。
「それともなに? ここで隠れてほとぼりが冷めるまで待てって?」
「当然、そんなことは言わないさ」
余裕を持った声で、そう返してきた。
読めないルン=シュオンの真意を探る為、少しばかり挑発するような口調で煽ってみたのだが、乗ってくる様子は無かった。見透かされているのか、あるいは、自分の手段に余程の自信があるのかもしれない。
軽く鼻から息を付く。
「そろそろ、具体的な方法を教えて貰っても構わないんじゃない?」
「ふふっ。そう、焦らないでくれたまえ」
笑みを零しつつ、はぐらかす。この三日、ずっとこの調子だ。
ルン=シュオンの態度に、腹部を摩りながら、ハイネスは苛立つように舌を鳴らした。
「こっちとら、慣れない逃亡生活で胃がキリキリしてんのよ。うら若き乙女の精神安定の為に、ちょっとくらい安心出来る材料が欲しいわけ」
「なるほど。理に適っている」
「でしょう?」
「だが、内緒だ。ルンは情報を与えた時、その瞬間のインパクトとカタルシスを何よりも重視する。胃の痛みも貯金だと思って、我慢してくれ」
ガクッと、ハイネスは肩を落とす。
ここまで徹底されると、もう怒る気にもなれない。
「金払ってるわけでも無いのに、サービス精神旺盛ねぇ。ありがたくないわ」
「人生はエンターテイメントだよ。何事も、ね」
「アンタが娯楽を楽しむタイプには見えないけど……どっちかと言えば」
振り向かず、ハイネスは親指で後ろを歩くラヴィアンローズを差した。
「そんな人生極楽蜻蛉な生き方歩んでるのは、あっちの方だと思うけれど?」
指を差され、ラヴィアンローズはぴょこんと反応するように背筋を伸ばす。
「あら。あらあらあら。わたくしに興味がおありかしらぁ!」
話を振られて嬉しいのか、ラヴィアンローズは無駄に良い声を張り上げる。
「無理は無いわぁ前髪ぱっつんの人。けれど、わたくしに憧れるのは、およしなさいな」
賑やかな声色に、話を振ったことをちょっぴり後悔するが、そんなことはお構いなしにラヴィアンローズは高らかに語り出した。
「ご指摘の通り、わたくしの人生はハッピー、スマイル、マーベラス! これはわたくしが天性の美貌と才能と、その他諸々と持ち合わせているからで、凡人に真似をすることは不可能なのだけれど、一つだけ貴女も美しく輝ける方法があるの」
「はぁ。そっすか」
面倒臭いテンションに、やる気なく生返事をする。
勿論、そんなことを気にするラヴィアンローズではない。
「ずばぁり、恋をすることよん♪」
一瞬、周囲の空気が凍りつく。
斜め上の答え……いや、それはラヴィアンローズが言ったからそう感じるだけで、答えとしては王道ストレートというか、少しばかり恥ずかしい台詞を耳にして、ハイネスはどうしたらいいか反応に窮してしまう。
前を歩くルン=シュオンは、声には出していないが、肩を震わせて笑っていた。
「……それって、本気?」
「あら? わたくしは基本的に、本気以外の言葉は口にしませんわ」
軽く振り向くと、至って真面目な顔でそう返された。
余計に反応に困ってしまう。
「かく言うわたくしも、一人の殿方に恋をしていますの」
「ほお」
「ちなみに、フェイもね」
何処か遠くの方で、何かが木から落下したような、葉擦れの音が聞こえた。
「何か落ちたわよ」
「ふふっ。恋に、落ちたのよ」
何となく上手くオチた気がするので、ここらでこの手を話題は切り上げたいのだが、ラヴィアンローズにはその気は無いようで、背後から熱視線をビンビン感じる。
「ち・な・み・に。前髪ぱっつんの人は、恋をしているのかしらぁ?」
「いや、あたしは……」
「嘘ね」
「まだ何も言ってませんけどぉ!?」
思わず振り返って突っ込む。
が、ラヴィアンローズは気にも留めず腕を伸ばすと、磨き上げた爪が輝く指先で、ハイネスの顎を擽るように撫でる。
「わたくしの審美眼は誤魔化せないの。貴女、恋に憧れる乙女の瞳をしているわ」
「……そいつは、大した審美眼ね」
冷めた視線で、パシッと顎を撫でる手を弾く。
そして再び歩き出しながら、ため息交じりに問う。
「んで? アンタの惚れた相手って、何処の死にかけの大金持ちよ」
「あらあら。わたくしを財産目当ての後妻のように言わないでくれるかしら。違いますわよ。わたくしのマイスィートダーリンは、とっても素敵な殿方ですわ」
「へぇ~、どんな奴よ?」
「無職で無気力で、幼女の稼ぎで毎日のご飯を頂いてる方よ」
「ロリコンのヒモ野郎じゃねぇか!?」
思わず乱暴な口調で突っ込んでしまう。
「アンタ、どんだけ駄メンズ好きなのよ」
「あらぁ。駄メンズをわたくし好みに染めるとかって、最高にテンションが高まるじゃない!」
想像していたら気分が高まって来たらしく、自分の身体を両手で抱き締めると、くねくねと全身を捩らせた。
ハイネスはため息交じりに、眉間を揉み込んだ。
「あたしには理解出来ないわね。そんな駄目男に惚れるなんてあり得ない。ええ、あり得ませんですとも」
半笑でハイネスは肩を竦めた。
その背中をラヴィアンローズは、視線を細めて意味深に見つめていた。
強引に話を打ち切ってほっと息を吐き、ハイネスは横に視線を送る。
視線の先にいたのは、先ほどから一切言葉を発さず、俯き加減に手を引かれて歩くアカシャの姿があった。
この三日、口数はめっきり少なくなっていた。
よく喋り、よく笑うのがアカシャの特徴。しかし、三日前の事件を皮切りに、人が変わったように表情と感情が薄い。今も手を引いているから歩いているが、手を離せば、歩みを止めてしまうほど、彼女は精神的に弱っていた。
「アカシャ。大丈夫?」
「……平気だ。気にするな」
俯いたまま、か細い声で返事をする。
問いかければ言葉を返してくれるが、それでも一言だけ。会話が続くことは無い。
無理もない状況とは言え、ハイネスは歯痒さを感じていた。
暫く無言で歩いていると、ようやく森が開けて広い場所へと出る。
「ここが、皇家の墓ね」
足を止め、目の前の光景を見てハイネスが呟く。
森の奥は大きなすり鉢状の盆地になっていて、正面の人工的に作られた階段を降りた先に、歴代の皇帝が眠る墓の遺跡がある。
盆地には草木が無く、褐色の土が剥き出しの、人の手によって開拓された場所だ。
その中に小さな神殿のような建物が幾つも立ち並び、側には同じ数だけ碑石が添えられていた。恐らく碑石には、遺跡に眠る皇帝の半生や偉業を讃える、詩や叙事詩が刻み込まれているのだろう。
それが何十人分も存在するのだから、盆地はちょっとした街のようにも見えた。
「こりゃ壮観ね……んで? ここまで来たけど、どうすんのよ」
「……ふむ」
顎に手を添えて、ルン=シュオンは遠くを見渡す。
そして一回頷くと、ハイネスの方を振り返った。
「目的の場所は、この最奥だな」
「この、最奥……?」
指差す先に視線を向けると、盆地の遠くに一番大きな台形の遺跡が見えた。
目視は出来るが、距離的にはちょっと離れている。
「まだ歩くのね」
そう言ってハイネスは、脇腹を気にしながら、面倒臭そうな湿った息を吐きだした。
★☆★☆★☆
墓地と呼ぶには、歴史と赴きを感じさせる皇家の墓。
既に体制が崩壊した帝国世代の遺物とはいえ、やはり同じ土地で同じ歴史を歩んできたという親近感からか、人の立ち入らない場所である筈なのに、遺跡の一つ一つまで綺麗に手入れが行き届いていた。
盆地という土地柄か、空気はヒンヤリとしていて肌寒い。
反面、盆地内に草木が存在しない為、酷く乾燥していて砂っぽく、息を吸っていると鼻の奥が痛くなってくる。
人気が無く風も吹き込まないので、耳が痛くなるほどの静寂の中、歩く足音だけが響く。
音が無い所為か、周辺の光景も相まって、まるでこの場所だけ歴史から隔絶され、時が止まったままのような錯覚に陥る。ただ、あまり寂しいといった雰囲気が無いのは、やはりこの場所は、人の魂が眠りにつく土地だからだろう。
三十分ほど歩き、ようやく目的地の場所に着いて、ルン=シュオンは足を止めた。
「やれやれ。やっと到着?」
ハイネスは疲れた口調で言って、目の前の遺跡を見上げた。
ここは皇家の墓の最奥。目の前には、台形をした遺跡が鎮座していた。
パッと見た雰囲気は、墓である他の遺跡とは違う。偉業を讃えた詩の刻まれる碑石も無いことから、この遺跡は墓とは関係無いのだろう。
「んで? ここから、どうしようっての?」
「では、皇女殿下。遺跡の前へと、行って頂けるかな?」
ルン=シュオンが振り向いて言うと、アカシャは不安げに表情を顰め、意見を求めるように手を繋ぐハイネスを見上げた。
「……ハイネス」
「大丈夫だって」
不安げなアカシャを勇気づけるよう、ハイネスは笑顔を送った。
少し迷った様子だが、アカシャは繋いだ手を離すと、おっかなビックリといった様子で、ルン=シュオンの方へと近づいて行く。
「皇女殿下。遺跡の正面に立って、石壁に刻まれた文様を触ってくれるかな」
「……うん」
頷き、言われた通りに遺跡の正面に立った。
目の前には、エクシュリオール皇家の紋章の原型となった、古い文様が刻まれている。
右手を伸ばし、そっとそれに指先を這わせた。
「――ッ!?」
瞬間、痺れるような軽い痛みが指先に走る。
アカシャが驚いて指を離すより先に、触れた筈の壁はスッと、音も無く霞みのように消失してしまった。
壁が無くなった先は階段になっていて、遺跡の地下へと続いている。
そして真っ暗だった階段は、まるで扉を開いた主であるアカシャを導くよう、魔力によって作られた光の球が出現し、地下奥深くまで照らし出す。
「これ、は」
「皇族の持つ特別な魔力に反応して、開く仕組みになっていたのさ」
振り向くと、ルン=シュオンが薄笑みを浮かべ、階段の先を顎で指し示す。
「この先に、諸君らの求める国外脱出の方法がある」
「……まさか、この地下道が国外まで続いてる。なぁんて、言わないわよね」
「勿論、違うさ」
近づいてきて階段を覗き込むハイネスに、ルン=シュオンは首を左右に振った。
「この先にあるモノ。それは、エクシュリオール皇族だけが使用可能の、空間転移術式だ」
「く、空間転移術し……痛ッ!?」
まさかの一言に、ハイネスは驚きのあまり大きく反応してしまい、その動作が腹部の傷に障り、鈍痛に表情を顰める。
心配げな表情をするアカシャに、平気だと笑顔を送ってから、視線を戻した。
「空間転移って、大魔術じゃない。上位精霊の協力も無しに、そんな魔術不可能よ」
「万人に扱える便利な魔術では無いさ。言っただろう? 皇族のみに使用可能だと」
言ってから、ルン=シュオンはグルリと遺跡を見回す。
「エクシュリオール皇族は、その血の起源に特別な精霊との契約があると、歴史書には記されている。この遺跡は血の契約を術式として置き換え、代々の皇帝の亡骸を魔術式の媒介と化することで、普通では不可能な強力な大魔術を可能としたのさ」
「つまり、皇家の墓そのものが、巨大な魔術式ってわけ?」
「その通り」
ルン=シュオンが頷くと、ハイネスは自然と視線を他の遺跡に向ける。
数百年も続いたエクシュリオール帝国の系譜。
その政治は決して、一言で善政と言えるモノでは無かったが、今は感謝したい気持ちで一杯だった。
手を合わせて、ハイネスは歴代の皇帝達に向って一礼する。
その様子を見ていたラヴィアンローズは、口元を手の平で押さえ、意地悪く笑った。
「で・も、転移した先が天国とは限らないわよねぇ。いえいえ、むしろ本物の天国に逝ってしまうかも」
「ちょっと。おっかないこと言わないでよ」
全く洒落にならないと、ハイネスは引き攣った顔をする。
アカシャも怖いのか、キュッと硬く唇を結んでいた。
「心配する必要は無い。転移した先も遺跡で、長らく放置されていたらしいけれど、ルンの予測が正しければ、ここ最近の内に調査され危険は排除されている筈だよ。転移して魔物の群れに囲まれる、何て事態にはならないさ」
その一言に安堵……しかけるが、引っかかることがある。
「調査ってことはさ、もうそこは国の管理下ってことでしょ? 大丈夫なの? ってか、転移先って何処よ」
「エンフィール王国。ルン達の故郷さ」
「……なるほど、ね」
ハイネスは、意味深に片目を瞑る。
色々と因縁のある国だ。こんな機会でも無ければ、足を踏み入れることは生涯無かっただろう。
「絶対の安全は保証出来ない。止めるのなら、ルンは構わないけれど?」
「……行くわ」
チラッとアカシャを見てから、力強く断言する。
このまま共和国に残っても、騎士局の連中に追いかけ回されて、ミシェル・アルフマン対策どころの話では無い。何より今は、精神的に疲労しているアカシャを、少しでも休ませてあげたかった。
遠く、共和国の地を睨み付けるハイネスを、ニヤケ顔でラヴィアンローズは歩み寄る。
そっと耳元に唇を寄せると、
「敵前逃亡のご気分は如何かしら?」
怒らせたいのか、からかうように頬を指先で突っついてくる。
ジト目を向けた後、ハイネスはフッと唇を綻ばせた。
「アイ・シャル・リターン。あたしは、絶対に帰ってくるわ。受けた屈辱を晴らす為にね」
「……ふふん。その生意気な態度、嫌いじゃないわ」
微笑して、ラヴィアンローズはクルリと背を向けた。
「フェイ! フェイた~ん!」
「――たんって言うなッ!?」
怒鳴り声と共に、何処に隠れていたのか、スッとフェイが姿を現し、不機嫌な表情で腕組みをする。
「ふん。ちょうどいい。何処で嗅ぎつけてきたか知らないが、騎士局と軍部の連中がこちらに向かっている」
「「――ッ!?」」
ハイネスとアカシャに緊張感が走る。
対して、ラヴィアンローズはニヤリと、楽しげに笑った。
「フェ~イたぁん。ちょっとばかり、退屈しのぎに行きません?」
「それは構わないが……珍しいな。お前があの男以外に、そんなに肩入れをするなんて」
「ふふ~ん。ただでさえ完璧なわたくしが、優しさまで身に着けてしまったら、世の女性達の美が翳ってしまうわぁ」
「……抜かしていろ」
呆れるように嘆息して、フェイは視線を二人に向けた。
「と、言うわけだ。私達は連中を掻き回したら、勝手に逃げる。お前達もさっさと行ってしまえ」
「……ありがとう」
頭を下げ、一言そういって、ハイネスはアカシャの手を取り、遺跡の地下へと降りて行った。
その背に、ルン=シュオンは声をかける。
「無事、王国に付いたら、王都を目指すといい。ルンの名前を出して、ギルドかたはねを訪ねれば、きっと諸君らの力になってくれる」
ハイネスは背を向けたまま、片手を上げて、地下へと消えて行った。
残った三人は背中を見送った後、顔を見合わせる。
「……どう思います?」
「ま、あの男は妙に女運が悪いからな。きっと巻き込まれるだろう」
「ですわよね~」
楽しげに笑うラヴィアンローズに、理解出来ないと言った風にフェイは横目を向けた。
「あの二人のどっちか、いや、両方とも奴に惚れるかもしれんぞ?」
「あらぁ、それは体験談かしらぁ?」
「――ば、馬鹿を言うなッ!?」
顔を赤らめて、フェイは怒鳴った。
しかし、意外なところから反論の言葉が飛ぶ。
「皇女閣下はともかく、ハイネスは一目惚れする。何て事態には陥らないだろうね」
「あらぁ? 随分な自信じゃない。情報屋だけじゃなく、恋占いまで出来るようになったのかしらぁ」
「まさか」
ルン=シュオンは、薄く笑った。
「ルンはただ、人より少しばかり、噂話を知っているだけさ」
「噂って、あの前髪ぱっつんの人の?」
答えず、ルン=シュオンは、何時も通り意味ありげに笑うだけだった。
彼女達が再び立ち上がる日が来るかどうか、それはたまたま、助けただけの三人には関係の無いこと。けれど、不思議と予感していた。もしも、彼女達が王都であの男と会うことがあれば、より強い決意を宿して、目的を果たしに戻ってくると。
アイ・シャル・リターン。
その言葉が真実となる日は、遠くない未来のことかもしれない。
★☆★☆★☆
ハイネス達が遺跡の地下へ消えて行ったのと同じ頃、一人の男がデスクの前に座して積み重なった書類に目とペンを走らせていた。
薄い色をした金髪を、ピッチリと左右に整えた、黒縁メガネの神経質そうな男性。
襟まできっちりと伸びた、皺ひとつない軍服は、清潔感に満ち溢れている。だが、軍人と呼ぶほど厳つさは無く、政治家と呼ぶほど愛想の良さも無い。むっつりと座り淡々と仕事に勤しむ姿は、生真面目な役人。という名称が、もっとも似合っていた。
年齢は四十代前半ほど。常に寄った眉間の皺が、彼の堅物な性格を表しているだろう。
彼の名はミシェル・アルフマン。
ラス共和国の次期大統領候補と目される、陸軍将校だ。
ここは首都の陸軍本部にある、アルフマン専用の執務室。今日は朝から午後現在まで、食事など一切の休憩を挟まず、ひたすらデスクワークに勤しんでいた。
背筋を伸ばし、お手本のような姿勢で書類にペンを走らせていると、ドアが数回ノックされる。
「どうぞ」
割と高めの声色で入室の許可を出すと、「失礼します」と言って、一人の青年軍人が一礼して室内に入って来た。
デニス・グロスハイムだ。
「デニス中尉。何の用だね?」
入室したデニスに一切視線を向けず、アルフマンはペンの音を立てながら問いかける。
律義にデニスはキビキビとした態度で、アルフマンに対し敬礼をする。
「ハッ。礼の件に進展がありましたので、ご報告に参りました」
「そうか。ご苦労デニス中尉……どうだ? 昇進して、中尉と呼ばれるのにも、慣れたかね」
「……呼ばれる度に、身が引き締まる思いです」
「結構」
ニコリともせず言って、ペンを置くとデスクの上に肘を置き、両手の平を組んだ。
「では、報告を聞こうか」
「はい」
敬礼を解いて、手に持っていた書類を手渡す。
「計画通り、シン・ハーン・エクシュリオールは死亡。咢愚連隊の本拠地は壊滅し、幹部連中の拘束にも成功しました……しかし、咢愚連隊のトップである二名は、未だ逃走を続け、その足取りは掴めておりません」
「いや、違うな」
間髪入れず、アルフマンが口を挟む。
「足取りは掴んだ筈。が、騎士局が情報を開示していないのだろう」
「……恐らくは。一応、軍の人間も同行させていますが、抜け目のない連中のこと。そうそう、情報を下してはこないでしょう」
デニスは悔しげに唇を歪める。
「ふむ……まぁ、いい。ベストとは言い難いが、一定水準の成果は得た」
「はい。流石はミシェル閣下。お見事な采配です。こうも容易く、あの忌々しい近衛騎士局のトップを潰すなんて……」
「中尉。君は一つ勘違いをしている」
ピシャリと発した冷たい言葉に、笑みが浮かびかけたデニスの表情が凍りつく。
メガネの下で光る、冷たい視線がデニスを射抜いた。
「我々と同じく国の未来を憂い、より良き世界を作ろうとした同胞が死んだのだ。これは、喜ぶべきことでは無い」
言葉だけなら、優しいとも思える。が、アルフマンが発する声には、一切の熱が宿らない冷たいモノだった。
感情が無い、どころの話では無い。
ただひたすらに、淡々とした口調でアルフマンは語る。
「例え我らが仕掛け、目的の為に已む得ない犠牲だとしても、我々は自らの手を汚したことを、礎となった者のことを忘れてはならない。どんな理由があろうと、人の命が失われると言うことは、深い悲しみを生み出すことなのだから」
「……はい」
言葉の意味を噛み締め、デニスは神妙な表情で頷いた。
「だが、過分に悲しんでもいけない。悲しみの感情は後悔を生み、後悔は判断を迷わせる」
一切、言葉のリズムを変えず、ただひたすらに平坦な言葉を紡ぐ。
「我らが目指すのは人を支配する優良種たる上位存在。その為には全ての喜びも悲しみも捨て、人としてのエゴから脱却せねばならない……その点で言えば、人を慈しみ、感情を制御しきれない局長とは、相容れない存在だったのかもしれぬが」
軽く目を閉じて、暫し口を閉ざした。
シン・ハーン・エクシュリオール暗殺と、咢愚連隊の壊滅は、全ての絵をこのミシェル・アルフマンが描いた。
咢愚連隊が魔術技研を襲った時に、彼の計画は始まっていたのだ。
いや、正確にいえば、今まで軍部が後手後手に回っていたのも、裏でアルフマンが手を回していたから。
早々に咢愚連隊のボスを、アカシャだと見抜いた彼は、その未熟さに漬け込む為にあえて、連戦連勝を重ねさせた。そして、技研襲撃事件の際には、彼女の想定より大きい騒動を起こしことで、歯車のズレからくる焦りを植え付ける。
同時に、政治、軍事の両面で発言を大きくすることで、シンの不信感も煽り、両者が結びつくチャンスを待った。
後は簡単なモノだ。
情に流された二人は、アルフマンの罠だと気づかず無防備な隙を晒し、シンは暗殺されアカシャは咢愚連隊を失った。
騎士局の隊長達も、アルフマンの思惑通りに動いてくれた。
本人達は不本意だろうが、シン亡き後、騎士局が軍部や議会の食い物にされないよう、独自性を保つ為には、どうしても大きな手柄が必要だった。それ故に乗せられていると理解していても、彼らはその通りの行動を取らざるを得なかったのだ。
「ですが、咢愚連隊討伐の功績で、今後も軍部や議会は近衛騎士局に手が出せないでしょう……連中も、こちらの関与を疑っていると思いますし、何れは我らに牙を剥く恐れも」
「問題無い。局長というまとめ役がいない以上、彼らが我々の想定を超えた行動をとることは無い。注意すべきは、未だ動かない四人目の動向だけ。それさえ注意しておけば、然したる問題は無い」
アルフマンは、閉じていた目を開いた。
その瞳には、特別な輝きなど、一切無かった。
「我々の目的は只一つ。世界の恒久的な平和だ」
簡素な言葉だが、嘘は無かった。
言霊の宿らない言葉故に、真っ直ぐに人の心に突き刺さる。
デニスは心酔しきった眼差しを向けると、敬意を込めて敬礼をした。
ミシェル・アルフマン。
その野望が花開く日は、もうすぐそこまで迫っている。




