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小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第1部 天楼奈落

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第39話 闘争の終焉






 月明かりに照らされ、二振りの刃が銀色に煌めく。

 蛇の巧みに操るフランベルジュの波打つ刃が、その名の如く、蛇のように奇妙な軌道を描き襲い掛かってくる。

 それをアルトが、右手に持った片手剣で全て弾き返す。

 直前で軌道を変える変則的な剣術を相手に、視線を向けず、音と先読みだけで対処する。

 鉄壁の防御、と言うより、恐ろしいほどの技巧と形容した方が良いだろう。

 蛇とて並みの剣士では無い。

 隙間を狙い、己が剣技を駆使して、様々な角度から斬撃を繰り出すが、刃がアルトの向ける片手剣より内側に届くことは無かった。

 鳴り響く剣戟はリズミカル。

 神業同士の立ち合いは、計算され尽くした芝居の殺陣に似ている。

 切れ間なく続く斬り合いに、蛇は楽しげに笑う。


「素晴らし。これぞ、我の求めし闘争の権化! 引き裂いた血肉の数だけ研磨され続けた我が剣技が、今、喜びに咽び泣いているぞ!」

「……さよか」


 対して、アルトは不機嫌な表情で、剣戟と言葉を受け流す。

 大きく上段から振り落された一撃を、アルトは剣を横にして受け止める。

 刃が噛み合い、蛇と視線が交差した。

 蛇は状況を楽しむように、ニヤリと牙のような歯を見せて笑う。


「クカカカカッ、野良犬。貴様も楽しみたまえ。闘争だ、殺し合いだ。我らが戦場で、得てきたモノが全て、今この瞬間に凝縮されているのだぞ。よもやとは思うが、戦後の腑抜けた生活で、その牙が抜け落ちたとは言わぬよな?」


 ググッと、顔を近づけてくる。


「だとすればそれは哀れなことだ。所詮我らは人殺し。戦いの中でしか生きられぬ定めよ。そのことを否定し、現実から目を逸らしても、自らに染みついた血の匂いは決して落ちはせん。お前は人を守る側では無く、殺す側だ……貴様と我は同じ穴の貉なのだから」


 諭すように、囁きかける。

 蛇は気に入らないのだろう。

 戦場で血の求めていた頃の、滾りを忘れられないこの男は、同じ戦場に立ちながら、血を忘れ、闘争を忘れたような振る舞いをするアルトを、同種の存在とわかる故に、認められないのだろう。


「…………」


 アルトは無表情で何も返さず、ただ押し付けられる剣と言葉を、受け止めていた。

 何のリアクションも無い態度に、蛇は大きく首を傾げる。


「クカカッ。どうした野良犬。否定する言葉も持たぬか?」

「いや、ただな……」


 噛み合う刃を弾くと、蛇の腹部目掛け前蹴りを放つ。


「ぐぅっ!?」


 強引に距離を取り、構え直そうとした剣をもう一度弾くと、鼻先に刃を付き付けた。

 そのまま身体を左に回転させ、踏み込みながら横薙ぎの一撃。

 今度は蛇が刃を受け止める形になる。


「むぅッ」

「真剣勝負の最中に、随分と口が軽いじゃねぇか」


 冷めた視線を浴びせ、柄を両手で持つと、押し出すようにして蛇を弾き飛ばした。

 蛇は舌打ちを鳴らし、ワザと後方へ長く跳躍する。

 追撃はせず、視線を向けたまま、アルトは片手剣を肩に担いだ。


「俺に言わせりゃ、テメェの考えなんか温いんだよ」

「……なにぃ?」


 視線を険しくする蛇。

 構わず、アルトは続けた。


「何だかんだ勝負事に屁理屈重ねやがって、面倒くせぇんだよテメェ。殺しを楽しんでますなんて口に出してる輩なんぞ、大抵が二流以下の俗物だ。テメェが殺しを止められねぇのは、テメェの性根が腐ってるからだ。都合よく戦争に押し付けてんじゃねぇ」

「……貴様。我が闘争を愚弄するかッ」


 蛇の声色に、始めで怒気が宿る。

 激昂するような口調では無いが、発せられる気配には確かな激しさがあった。

 けれど、アルトの挑発は止まらない。


「甘えるなって言ってんだよ。終わったことに拘って、何時までも愚図愚図と駄々こねてるだけの駄目人間が、偉そうな口叩いてんじゃねぇぞ」

「――黙れぇいッ!」

「黙らないね。テメェはテメェの欲求を、都合のいい現実にすり替えているだけだ」


 肩から片手剣を離して、切っ先を向けながら、はっきりと断言する。


「テメェの求める闘争は、妄想でしかねぇんだよ蛇野郎」

「――黙れ野良犬がぁぁぁァァァ!!!」


 今度こそ完璧にキレた蛇は、先ほどまでのトリッキーな立ち回りとは打って変わって、真正面から剣を振り上げ襲い掛かってくる。

 自棄になったのかと思えるが、その実、最短距離で駆ける速度が尋常では無かった。

 アルトが最初に見せた、目にも止まらぬ速度と、ほぼ同じ速度で迫る。

 この光景を見ているラサラやミューレリアには、一連の行動が瞬きをする間に、起きた出来事のように思えるだろう。

 恐るべきは蛇の脚力。

 流石に、ハウンドの名を語ることだけはある。

 実践に勝る経験は無し。

 幾多の戦場を駆け抜けてきた蛇にとって、闘争こそが生きた証であり、磨き上げた剣技こそが生きる術である。事実、本気を出した蛇が、負ける筈は無いだろう。

 相手が、アルトでは無ければ。

 冷めた視線で一歩踏み出すアルトの刃が、月明かりの残光を残して舞う。

 幾筋の銀色が蛇の周囲を走り、二人の姿が交差。

 その瞬間、フランベルジュの刀身は粉々に砕け散り、蛇の全身から鮮血が噴き出した。


「……な、に!?」


 信じられないという表情で、蛇は自身の血を浴びて数歩前に歩き、力尽きるようにして膝を突く。

 アルトは刃に付着した血を振り落とし、また肩に担いで振り返る。


「そもそも、テメェは俺の闘争を満たすほど、強くもねぇんだよ」

「ば、馬鹿、な……この、我が、こうも容易く……何故だ。何故、そんな急激に、力を増した?」


 立ち上がろうとするが、出血が酷い所為で力が入らず、ズルズルと座り込む。


「二回も立ち合った相手の動きなんざ、見切れてて当たり前だ。一応感謝しておくぜ。アンタのおかげで、久しぶりに実戦の感覚ってのが、戻って来たんだからな」


 アルトは戦場から離れて久しい。

 基礎的な体力は衰えていないが、何の訓練もしていない以上、実戦の感覚というモノはどんどん鈍くなっていく。

 けれど、この一ヶ月の間は、何度かヤバイ連中とやり合ったおかげもあり、昔の勘が戻って来た。

 そして戦場の匂いを色濃く残す蛇と、数回立ち合ったことで、皮肉にもかなり昔に近い感覚を取り戻す結果になった。

 蛇の良い方を真似るなら、蛇の闘争が、アルトの闘争を呼び起こした、のだろう。


 勝負あり。

 しかし、蛇は含み笑いを漏らすと、痛みを堪えながら、フラフラとする足取りで立ち上がった。

 動く度に、傷口から血が吹き出る。

 見た目だけ派手な怪我などでは無く、かなり深く刃は斬り込んでいる筈。本来なら、立ち上がることも難しいだろう。


「……無理するななんて言わねぇよ。来るなら次でぶち殺す」

「否。我が闘争は、まだ満たされていないぞ」


 そう言って帽子を脱ぎ去ると、露わになった頭部を見て、アルトは驚きに目を見開く。

 頭部の左側、頭頂部とこめかみの、丁度真ん中が不自然に禿げ上がり、大小合わせて三つほどの、青い宝石に似た物が埋め込まれていた。


「あれは……魔石? そうか。ロザリンが感じ取ってた魔力っつーのは、アレのことか」

「クカッ、流石は魔女。我らに埋め込まれし魔力の因子を読み取るとは。だが、その真価までは見切れなかった様子だなぁ」

「ふん。大方、身体能力の向上だろ? なぁにが『研磨され続けた我が剣技』だ。単なるドーピングの類じゃねぇか」


 馬鹿にしたような口調を送るが、蛇はニヤリと頬を釣り上げる。

 出血の所為か、顔色は更に悪くなっていた。


「我が同胞もまた、同じ物を身体に宿している。しかし、それは一つだけ。そして我もまた、これの力を一つ分しか利用していない。それも、三つの中でもっとも小さい石だ」


 コンコンと蛇が指先で、頭部に埋め込まれた宝石を叩く。


「我の言葉の意味、わかるかなぁ?」

「わかるよ。要するに、反則技を使おうってんだろ。いいぜ、かかって来いよ。闘争だ何だ言われるより、勝つ為に手段を択ばないっつー方が、やり易くていい」

「クカッ。では、お言葉に甘えよう……ぬっ!」


 両目を瞑って力を込めるよう筋肉を強張らせると、全身から更に血が噴き出した。

 大量の出血にふら付きながらも、何とか倒れないよう地面に立つ。

 すると、頭部の宝石が輝きを増し、止めどなく溢れる血が次第に治まり、完全に止まったかと思うと、パックリと裂かれた傷も見る間に塞がっていく。

 傷が治り切ると蛇が両目をパチっと、勢いよく開いた。

 瞳の白目部分が、青く発光していた。

 瞬間、筋肉が肥大化する。

 メキメキと家鳴りのような音を立て、蛇の骨格が不自然に曲がると、見る間に大きくなる筋肉に合わせて、骨が軋み体格を変化させる。

 全身に血管が浮き出て、筋肉が突起物のように隆起する。


「ゴホ、ゴアァァァ、ガックゥゥゥゥゥゥ。シュゥゥゥ」


 苦しげな、獣じみた呻り声と共に、蛇は口から唾液を撒き散らす。

 人の肉体が根本から変化する、異様な光景。

 それを目の当たりにして、ラサラは驚きの声も上げられず、ペタンと腰が抜けるように座り込んだ。

 やがて、変化が終わると、蛇らしきモノは、荒い息遣いで此方に視線を向けた。


「クカッ、マタセタナァ、ノライヌ」


 高音と低音が入り混じる奇妙な声。

 蛇の姿は、完全に異形の者と化していた。

 身の丈は二メートルを軽く超えていて、引き裂かれた服の下から露わになる隆々とした筋肉は、岩石のようにゴツゴツとしていて、肌の色も黒ずんでいる。瞳には黒目が無く、ただ青く発光するのみで、僅かに残った蛇の面影が、より不気味さを助長していた。

 人から逸脱した姿に堕ちた蛇を、アルトは冷めた目で見下ろす。


「そうかい。人間、止めちまったかい」

「クカッ。ナントデモイエ……アレヲ」


 蛇の言葉に反応して、ミューレリアが動く。

 すると、何処からか白い布に包まれた長物を取り出すと、それを蛇に向かって投げて寄越した。

 見覚えのあるソレに、アルトは舌打ちを鳴らす。

 ゴツイ手の平で器用に布を外した下から現れたのは、真っ白い剣だった。

 竜翔白姫だ。


「あのドサクサで、かっぱらってきやがったのか。手癖の悪いお嬢様だなオイ」


 ジロッと視線を向けると、ミューレリアは悪びれもせず微笑み返してきた。

 蛇は竜翔白姫を手に取ると、感触を確かめるように、何度か素振りをする。

 剛腕から振るわれる一撃が、風を裂き破裂音を撒き散らす。


「スバラシイ。サスガハ、デンセツノリュウショウビャッキ」

「……何が流石なんだか」


 呟いていると、蛇はアルトの方を向き直った。

 笑みを浮かべながら、剣を構える、体格が歪になった所為で、構えが不格好だ。


「イクゾ、ノライヌ」

「来いよデカ物。叩っ斬ってやるよ!」


 剣を構える両者。

 再び、刃が正面からぶつかりあった。




 ★☆★☆★☆




 頬に何かが当たる感触がする。


「ん……みゅ……」


 しかし、深い眠りに落ちるカトレアには届かず、奇妙な寝息だけが口から零れる。

 再び、ペチペチと何かが頬を叩く。

 ヒンヤリとした感触が、火照った肌には気持ち良く、深く落ちた眠りから呼び覚ますには、力不足であった。

 意識の遠く彼方で、誰かが嘆息するような音が聞こえた。

 次の瞬間、左右の頬に続けて激痛が走る。


「――痛ッ!?」


 痛みと驚きで跳ね起きたカトレアの正面には、ジト目を向けるシーさんの姿があった。

 後ろには、苦笑しているシエロの姿もある。

 寝ぼけ眼をパチクリさせながら、カトレアはヒリヒリと痛む頬を撫でる。


「あにすんのよぉ」

「敵地で呑気に眠りこけてる、貴女が悪いのよ。頬が痛い程度で済んだのだから、感謝なさい」


 両の頬を摩り「はいはい、ありがとうございました」と、おざなりに礼を言う。

 本人はそれで満足したらしく、うんと一度頷き、それではと真剣な表情で両腕を組む。


「状況を、聞かせて貰えるかしら?」

「状況って何よ。見りゃわかんでしょ」

「……言い方を変えるわ。アレをやったのは、貴女なのかしら?」


 言いながら、親指で室内の一角を刺す。

 何のことだと訝しげな表情をして、指先を視線で追って見ると、そこにあった光景に我が目を疑った。


「――なッ!? なんなのよアレ!?」


 カトレアは絶句する。

 視線の先にあったモノ。

 それは、縛られたまま、喉を裂かれて絶命している、雀蜂の姿だ。


「あ、あたしじゃないわよ!?」


 慌てて否定するカトレアを、落ち着かせるように手を差し出し、シエロが頷いた。


「それは、僕達もわかってますよ。犯人の目星もついています」

「……どういう意味よ?」


 カトレアは不審そうな顔で問いかける。

 よく見れば、二人の恰好はボロボロ。服のあちこちが、鋭利な刃物で裂かれたようになっている。


「アンタ達、ドラゴンとでも戦ってきたの?」


 シエロはともかく、シーさんの実力は良く知っている。

 そんな彼女が手傷を負っているなど、少し信じられなかった。


「少しばかり、手練れとやりあっただけよ。恐らく、偽ハウンドを殺し回っているのも、奴でしょうね」

「……何者なの?」


 二人が手を焼くほどの相手とあって、カトレアも表情が硬くなる。


「暗闇に紛れていて、最後まで顔はわかりませんでした。わかっているのは、強いということだけ」


 相手は闇に隠れて、牽制のみを仕掛けてきた。

 こちらから打って出ようとすれば、飛び出してきて、一撃だけ当てると再び闇の中に紛れてしまう。

 気配を立つ技が完璧で、シエロですら対応しきれなかった。

 それ以外は殺気を向けているだけで、自ら仕掛けてくる様子は無い。

 故に二人も相手の狙いが読めず、長い間膠着状態が続いていた。


「そうで無ければ、いくら気配を断つ技に優れていても、私達が遅れを取る筈がありません」


 不機嫌そうに、シーさんはそう言い切った。

 暫くすると、殺気も消え、何処かに姿を消してしまったようなので、二人はアルト達と合流する為に移動していた。

 その途中、血の匂いを感じて部屋に入ってみると、目の前の光景が広がっていた。そういうわけだ。


「なるほどね……って、アンタ達、ロザリンとは会わなかったの?」


 二人は顔を見合わせる。


「いえ。あまり、周囲に顔を覚えられるのは不味いので、人目を忍んで行動していたから、もしかしたら、すれ違ってしまったのかもしれません」

「すれ違うって、あの娘と別れたの、結構前の筈よ?」


 気絶していた間もあるので、正確な時間はわからないが、それでも上から下まで降りて、シーさんの元に行くには十分すぎる時間があるだろう。


「そうね。それに、向こうが気がつかなくても、私達が気づく筈よ。あの娘はちょっと特殊だから……後、気がかりなのは、会場内が思ったより落ち着いていること」


 オークションがメチャメチにされた割には、会場の人間は騒ぎ立てること無く、皆落ち着き払っていた。

 責任者であるミューレリアがその責務を放棄している現状で、少しばかり様子が妙だ。

 シエロは状況を思い返すと、顎の下に指を置いた。


「確かに。一部、騒いでいる人達も見たけど、対応していたのはスタッフでは無く、騎士団の人達だったね」

「動いているのは第六騎士団。つまり、会場内はアレハンドロの指揮下にあるということね……いえ、正確には彼の飼い主である、ボルド・クロフォードの」


 名前を出すと、嫌な予感が全員に過る。

 このタイミングでロザリンの行方が知れないというのは、少々不味い状況かもしれない。

 カトレアが不安そうな表情で、痛みを堪え立ち上がろうとすると、不意にドォーン! と強烈な縦揺れが、建物全体を襲う。


「な、何事よ!」

「振動は上の方からね」

「上って、まさか、アルトが戦っているのかい?」


 三人は同時に上を見上げる。

 この巨大な建物を揺らすほど、激しい戦闘が屋上で行われている。

 普通だったら不安になるところだが、相手が三人の良く知るアルトだけに、胸を蝕む不安感は逆に吹き飛んでしまった。

 シーさんは、フッと笑みを零した後、真剣な表情で二人を見回す。


「上のこと、ラサラのことは、アルトに任せましょう。彼女を護衛は、彼の仕事なのだから。私達は、ロザリンとの合流を優先しましょう……異論は?」

「勿論、無いよ」

「アンタに命令されるのは、癪だけどね」


 壁に寄りかかりながら、カトレアは立ち上がる。

 視線を向けるが、逆に睨み返されてしまう。

 多分、無理をするなと言っても、聞く耳は持たないだろう。

 ならば、自分の安全は、自分で何とかしてもらうしかない。

 そう無言で示し合せ、三人は行動を開始する。




 ★☆★☆★☆




 ラサラは我が目を疑っていた。

 目の前で繰り広げられている激しい戦闘。

 異形の者と化した蛇と、並の人間と同等の体格しか持たないアルトの戦いは、時間が立つにつれ、その激しさを増していく。

 踏み込む加速と、蛇の重量に耐えきれず床は割れ、空を切った斬撃が、植木や生垣を斬り裂く。

 綺麗に整えられていた屋上庭園は、たかだか数分の間に、これでもかというほどに荒れ果てていた。

 さながら、大型の魔獣が暴れ狂うように、激しく標的に襲い掛かっていた。


 しかし、目を見張るのはアルトの動き。

 規格外のパワー、スピード、技術を持つ蛇に対して、一歩も引くことなく相対していた。

 何度もアルトが戦う場面を目にしてきたので、ラサラは彼が強いことは知っている。

 だが、目の前の異形は、個人が戦うという範疇には収まらないだろう。

 それでも勇敢に立ち向かい、互角以上に戦うその姿は、まるで幼い頃に見た英雄譚の勇者にダブって見えた。

 勇者や英雄にしては、随分と俗っぽい人物ではあるが。


「……頑張って、アルトさん」


 胸の置いた手をギュッと握り、戦いに見入っていたラサラは、ポツリと呟いた。

 思えば、そんな言葉を口にしたのは、生まれて初めてかもしれない。




 白刃が凶悪な音を響かせて、顔の真横を通り抜ける。

 剛腕から繰り出される斬撃の一撃一撃が、必殺の威力を持っていて、それを一々受けたり回避したりしなければならないアルトにとっては、心臓に悪いことこの上ない。

 見た目だけの印象で言えば、正気を失い化物と化しているように見える。

 しかし、立ち合ってみると、どうも正常な思考回路や感情は残っているようで、攻め方こそ体格を利用した、パワー戦法に切り替わっているが、攻撃の組み立て自体は理路整然としていて、剣術のお手本のような戦い方だ。

 それでいて全ての身体能力が向上しているのだから、普通だとちょっと手におえない。


「クカァ、ドウシタァ。ボウセンイッポウダゾ?」


 リーチの長い横薙ぎを放ってくる。

 パワーがあるので、無理に間合いに踏み込んで受け止めると、力負けして吹き飛ばされてしまう。

 ならば。

 右手に持った剣を左腕に添えて、盾にする。

 白刃を受ける瞬間、角度を調整し刃の上を滑らせると、タイミングを計り上へとソレを弾いて、上半身を沈め潜るようにして横薙ぎを躱す。

 ここがチャンスと踏み込もうとするが、返しが早く、アルトは舌打ちを鳴らし、後ろに飛んで反対側から飛んできた刃を回避した。

 地面を滑りながら、アルトは剣を肩に担ぐ。


「クソッ。力や速度にゃ対応出来るが、あのリーチの差は少し面倒だな」


 竜翔白姫は細身な分、普通の剣よりリーチが長く頑丈だ。

 普通の剣だったら、アルト達お得意の武器破壊で何とでもなるのだが、シロガネイシで作られている、竜翔白姫を砕くのは不可能だ。

 仮に可能だとしても、壊せばシリウス達から何を言われるか、わかったモンじゃない。

 だが、攻め手が無いわけじゃない。

 過去二度の戦いと、今回の立ち合いで、蛇のリズムと動きは見切った。

 身体能力は向上していても、染みついた戦いのリズムは変わらない。

 馬鹿で無ければ、蛇の方もアルトの攻め方を学習しているだろうから、先ほどのように簡単には勝てないだろう。


 お互い、手札は晒した。

 蛇も身体が、根本から変化してしまうような術式を扱っているのだ。

 長々と戦っている余裕は無い筈。

 次のぶつかり合いが、最後となるだろう。

 それは蛇もわかっているらしく、ずっと浮かべていた薄ら笑いを消した。

 アルトは何時も通り、脇構えの態勢を取る。

 蛇もここでようやく、正面に剣を構えた。

 遠い間合いで、睨み合う二人の視線が交差する。


「………ッ」


 重苦しい緊張感が宿る。

 腕と剣の長さがある分、迂闊に踏み込めばリーチ差で潰されてしまう。

 両者、頭の中で互いの斬撃を予測し合う。

 剣術は理詰めだ。

 相手より一歩先を読むか、相手の想像を凌駕した者が最後に勝ち残ることが出来る。

 それを行うのは、本能か経験かの違いだ。

 蛇は左足を半歩前に出し、切っ先を僅かに上げる。

 どうやら、向こうから攻める気は無いらしい。

 ならばと、アルトが重心を前に傾けた。

 次の瞬間、地面を蹴り一気に加速する。

 最初に勝負を決めた時のよう、瞬く間に間合いを狭める。しかし、今度は蛇にも視認出来ているようで、上げていた切っ先をアルトに合わせた。

 正面から突っ込むアルトを、突きで迎撃する。

 白刃の切っ先が、鋭く迫る。


「――ッ!」


 ただでさえ長いリーチが、更に長く感じられる。

 速度が思ったより緩い。

 避けるのは容易いが、この緩さは避けた方向に軌道を変更させる為の釣り餌と、アルトは読む。


「――ならっ!」


 剣を振るい、正面から飛ぶ突きを打ち落とそうする。

 刃が交差した瞬間、蛇はにたっと笑う。

 蛇は剣を握る手の手首を小刻みに捻り、刃を操るように回転させると、アルトの剣を絡め取り上へと弾き飛ばした。

 突きを打ち落とす判断をすると、蛇には読まれていたようだ。

 クルクルと回転しながら、アルトの片手剣は宙を舞う。


「――コレデ、オワリダ」


 踏み込みつつ剣を振り上げ、武器を失い無防備を晒すアルトの、脳天に目掛けて白刃を打ち下ろした。

 剣を引いてから落とすまでの速度が速く、間合いも、タイミングも完璧。とても人の反射速度で回避出来るタイミングでは無い。

 完全に、アルトは打ち手を読み負けた。

 振り落される刃を見上げ、一瞬だけ、アルトは不敵に笑った。

 刃が落とされ、砂埃を舞い上げて、地響きが屋上庭園を揺らす。

 ワンテンポ遅れ、すぐ側に弾かれた片手剣が突き刺さった。


「――アルトさん!?」


 ラサラの悲鳴に似た声が響く。

 両腕に確かな手ごたえを感じ、笑みを浮かべる蛇。しかし、その表情は舞い上がる砂埃が張れた瞬間、驚愕に崩れた。


「――ナンダ、ト!?」

「……よう、蛇野郎」


 地面に背中を向けて寝そべり、上げた足の靴底で刃を受け止めるアルトが、驚く蛇に向けてそう笑いかけた。

 振り落された衝撃を受け止めた為、背中合わせになっている地面は、石畳が割れて粉々になっている。


「――よっと」


 受け止めた刃を蹴り飛ばすと、その勢いで立ち上がり、真横に突き刺さる片手剣を左手で抜き取る。


「――ッ!?」

「遅いッ!」


 慌てて防御態勢を取ろうとするが、それより早く横に振り抜かれた剣が、剣を持った蛇の右腕を、肘関節ごと切断する。

 丸太のような腕が、ゴトッと音を立てて地面に落ち、赤黒い鮮血が傷口から噴き出した。


「もういっちょ!」


 返す刀で、剣を右に持ち代え、今度は蛇の左腕を肩口からぶった斬った。

 噴水のような鮮血を両腕から撒き散らし、蛇は信じられないモノを見るように両目を見開いて、獣のような声で絶叫した。


「ナ、ナゼダ!? ナゼ、アノヨウナコドモジミタヤリカタデ、リュウショウビャッキノイチゲキヲ、フセイダノダ!?」


 天下の名剣が、普通よりちょっと硬いだけの、靴底すら斬り裂けなかったことに、蛇は納得がいかない様子だ。

 そのことに、アルトはフンと鼻を鳴らした。


「テメェら、竜姫の名前に騙され過ぎなんだよ。そいつは、確かにシロガネイシを使っちゃいるが、丈夫なだけのなまくらだ。紙切れ一枚斬れやしねぇよ」

「ソ、ソンナ、バカナッ!」


 事実を突きつけられ、蛇はヨロヨロと覚束ない足取りで後退する。

 竜翔白姫の刃は最初から潰れており、剣としては役に立たない。

 ただ、強度は他に並ぶものが無いほど頑丈なので、力のある者が振り回せば、屋上庭園の一つくらい潰せるだろうが、靴底のような弾力があって、硬い物を斬るほどでは無かっただろう。

 そんななまくらな剣が、名剣扱いされるのは、一重に竜姫の個人的な強さ故だ。


 読み合いはアルトが負けだ。だが、そこから一瞬にして状況を立て直し、蛇の組み立てを凌駕する。考えて出来ることでは無いが、本能だけでこなせる技術でも無い。

 思考と本能。その融合こそが、アルトの強さの根底を支えている。

 後ろに下がり続ける蛇は、屋上の端まで来て足を止める。

 落下防止の囲いはあるが、巨躯の蛇にはさほど意味を成さないだろう。

 追い詰めるように、アルトが前に立ち、剣を構える。


「……終わりだ、蛇野郎」

「ソウカ、オワルカ……ダガ」


 顔を上げ、満足そうな表情を見せる。


「ワガ、トウソウハ、ミタサレタ。ワルクワナイ、キブンダ」

「……さよか」


 短く言って、アルトは蛇に向け、刃を振り下ろした。

 白銀の一撃が、蛇を真一文字に斬り裂く。

 鮮血が吹きだし白目を向いた蛇は絶命すると、そのまま後ろ向きに倒れ込み、囲いを乗り越えて落下して行った。

 暫く間を置いて、遠くの方から重い物が落ちる音が響く。


「あばよ蛇野郎。満足してねぇで、地獄に堕ちたら反省しときな」


 刃に付着した血を払い落とし、アルトは剣を納めた。

 そして、視線を唖然としているミューレリアに向けた。

 促すよう、ラサラに目線を送ると、彼女は頷いて、ミューレリアの側に近寄った。

 近づかれ、ミューレリアはビクッと、肩を震わせる。


「……さぁ、ミューレリア。下らない茶番も、これで幕引きです。いい加減、観念して下さい」

「い、いやですわ」


 震える声で、ミューレリアは首を左右に振った。

 聞きわけの無い態度に、ラサラは嘆息する。


「聞きなさい、ミューレリア」

「いや、嫌よッ!」

「――聞けッ!」


 空気が震えるほどの怒声に、ミューレリアは息を飲んで黙り込む。

 向けられる視線には涙が浮かび、ラサラは真っ直ぐとそれを見つめ返す。


「罪を償いなさいミューレリア。貴女はボクを憎んでいるのかもしれない。けれど、それとこれとは話は別です。全てを話なさい……貴女には、その義務がある筈です」

「ラサ、ラ……わた、わたくしに、この期に及んで、まだ、わたくしを上から見下ろすのですかラサラぁ!」


 ラサラの言葉はミューレリアの心に届かないのか、身勝手なことを叫んで、彼女は涙を零す。

 一瞬だけ、ラサラは強く奥歯を噛み締めるが、微動だにせず真剣な表情で見返す。


「ミューレリア」


 尚も名を呼び、踏み出して近寄ろうとする。

 キッとミューレリアの視線が鋭くなると、ラサラに駆け寄った。

 手の平には、小さいが銀色に鈍く光る何かを持っている。


「――止めろ!」


 アルトが叫び割り込もうとするが、間に合わない。

 次の瞬間、呆気の取られるラサラとミューレリアの身体が重なる。

 短い沈黙の後、赤い雫が、地面へと落ちる。

 ミューレリアの背中には、深々と矢が刺さっていた。

 カランと、乾いた音を立てて、小さなナイフが地面に落ちる。徒然、刃には何の汚れもついていなかった。


「……ミュー、レリ、ア?」


 何が起こったかわからないラサラは、彼女に抱き着かれたまま、背中に回していた自分の手を確認し、大きく目を見開いた。


「……血? ……ッッッ!? ミューレリア!?」


 慌てて抱きかかえようとするが、ミューレリアの身体は脱力するように膝を崩し、支えきれずに二人はズルズルとその場に座り込む。


「――誰だッ!」


 剣を抜き怒声を響かせながら視線を向けると、後方に黒衣を着た男の姿があった。

 黒衣に蜘蛛の刺繍が入った男は、ボウガンを投げ捨て、無表情に視線を二人から外す。


「偽ハウンド!? クソッ、まだ隠れていやがったのかッ!」


 怒りに任せて斬り込むが、蜘蛛はそれをヒラリと躱すと、地面に転がる炎神の焔を拾い上げ、一目散に屋上の隅へと駆け出した。


「狙いはそれかッ……逃がすかよッ!」


 一瞬、視線がラサラ達との間をさ迷い、アルトの追いかける足が鈍る。

 その僅かな隙の間に、蜘蛛は見る間に距離を空けて行く。

 不味いと思ったその瞬間、逃げ出そうとした蜘蛛に、真横から投擲された数本のナイフが突き刺さった。

 こめかみ、肩、脇腹。

 正確に急所を打ち抜かれた蜘蛛は、即死したのか、走りながら地面へと倒れ込み、ピクリとも動かなくなった。

 手の平から零れた炎神の焔は、地面を転がって行く。


「――な、にッ!?」


 突然の出来事に、アルトは驚きながらも、視線をナイフが投擲されて来た方へと向ける。

 纏わりつくような嫌な殺気を滲ませ、闇の中から姿を現す黒い影がある。

 黒衣に白い仮面を被った、異様に鋭い殺気を纏った人物。

 偽ハウンド達とは比べ物にならない殺気を浴びで、アルトも思わず数歩、後ろに下がってしまう。


「……テメェ、何者だ?」


 剣を構え、問いかける。

 仮面の人物は、くぐもった声で短く答えた。


「……ハウンド」


 その名に、アルトは戦慄を覚えた。

 本物か偽物かはわからない。

 確かなことは、声は男性のモノで、この男は、シリウスやシエロ。騎士団長達と同等の強さを宿しているということだ。






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