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小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第1部 天楼奈落

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第31話 疑惑と真実






 アルト達が辿り着いた先は、西街の外にある、今は使われていない古い廃屋だった。

 街に続く街道からは離れた位置にあり、側には最近、魔物が出没すると噂の森があることから、最近では人が近寄らない場所だ。

 ここは、一昔前までは農業地帯だった名残で、このような古い廃屋が点在している。

 人目の点かない場所に、ひっそりと佇む廃屋の屋根の上で、ウルス鳥が場所を示すように旋回している。

 茂みの影に身を隠して、シエロが手を翳すと、その腕に羽ばたきながら飛んできた、ウルス鳥が止まった。


「……あそこか」


 廃屋を確認して、すぐさま乗り込もうとするのを、シエロが肩を押さえて静止する。

 なんだよと振り向くと、シエロは首を左右に振った。


「人質がいるんだよ? それに、相手の人数もわからないんだ。闇雲に突入するのは、危険だよ。罠かもしれない」

「んじゃ、どうするか、知性派のシエロ君に聞こうじゃないか」


 軽い口調で問うと、シエロは顔を茂みの上に出し、注意深く周辺を観察する。

 周囲に、人影は無い。

 シエロは回りを警戒しながら、腕に乗ったウルス鳥を、再び上空へ飛ばした。

 ウルス鳥は低く廃屋の周辺をグルグルと回り、しだいにその輪を大きくしていく。

 そしてある程度、大きく上空で旋回を繰り返すと、徐々にその輪を縮めて行って、最後は廃屋の上を三回ほど旋回すると、シエロの腕に戻ってくる。

 特に何でも無い行動だが、これこそに意味がある。

 訓練を受けたウルス鳥は、人の気配を敏感に察知し、その位置で旋回して人が隠れている場所、潜んでいる場所を教えてくれる。

 今のように、廃屋の上だけを旋回したということは、周辺に見張りなどは存在しないということだ。

 ならばと、互いに頷き合い、音を立てぬよう茂みから這い出す。

 腰を落として、素早く廃屋の側へと寄る。

 廃屋は木製で壁に触れると、風化しているのか、ボロボロと表面が剥がれ落ちるが、作り自体は確りしているので、建物がいきなり崩れ落ちる、ということは無いだろう。

 窓があったらしき場所には、外側から板が打ちつけられており、中の様子は伺えない。

 耳を澄ませば、微かだが、中から男達が会話する声が聞こえた。


「アルト、中の気配、読める?」

「……廃屋の中には、五人ほどいるな。一人はラサラだ……あの蛇野郎は、いないみたいだ」


 壁に耳を当てて、中の物音と気配で人数を読む。

 四人は恐らく、ラサラを誘拐した男達だろう。

 ハウンド達がいないのなら、戦闘になっても問題無い。

 ラサラを人質に取られると、少しばかり不味いので、速攻で制圧する必要がある。


「入口は一つだけ、だな。どうする、窓の板を引っぺがすか?」

「それはちょっと難しいねぇ」


 壁や板自体は脆そうなので、壊して中に飛び込むことは可能だが、人質の安全を考えると、なるべくなら、突入の瞬間は気取られたく無い。

 困り顔をしながら、シエロは音を立てないよう、廃屋の周囲を見る。

 そこで、何かに気がついたシエロは、唐突に近くの木に飛び乗ると、軽業師のように天辺まで上り詰め、そこから廃屋の屋根を確認する。


「……これは」


 呟き、飛び降りると、音を殺して着地する。

 そしてアルトの横に戻ると、


「屋根の一部が破損して、そこから中へと侵入出来るみたいだ。利用させて貰おう」

「んじゃ、俺は正面から乗り込んで、連中の気を引き付けるか」

「わかった。フォローは任せて」


 頷き合うと、すぐさま行動を開始する。

 シエロは再び木をスルスルと上り、何時でも屋根の上の壊れた箇所から、廃屋の中に飛び込めるよう準備をする。

 アルトは廃屋の入り口に移動した。

 ドアと壁には僅かに隙間が空いていて、中の様子を伺う為、そっと覗き込む。


「――ッ!?」


 覗いた先の光景に、アルトの全身が熱を持つ。

 瞬間、迷うこと無くドアを蹴破り、廃屋の中へと突入した。

 気の上でシエロが驚いた表情をしたが、そんなモノは無視する。

 埃っぽい廃屋の空気。

 薄暗く、壁や天井から空いた隙間から伸びる外からの光源が、何も無く薄汚い廃屋の内部を照らしている。

 そのちょうど真ん中に、男達に囲まれるようにして、ラサラの姿があった。

 男達に両手、両足を掴まれて、動きを拘束されている。

彼女の着ているブラウスは、刃物で乱暴に引き裂かれたのか、無惨な形になって、白い肌が露出。スカートも大きく捲れ上がっていた。

 ラサラの顔は涙でぐちょぐちょで、嗚咽を漏らしている。

 殴られたのか、その頬は赤く腫れ、痛々しい。

 その光景に、アルトの視線が鋭利さを増す。

 突然の乱入者に、驚いた男達の視線が集まる。


「な、なんだテメェはッ!?」


 一人の男が叫び、慌てて腰のナイフを抜く。

 と、次の瞬間、抜いた筈のナイフは、無くなっていた。

 彼の、手首諸共。

 一瞬で踏み込んだアルトが、剣を抜き放つと同時に、ナイフを持った手を斬り落としたのだ。


「ぎ、ギャァァァァァッッッ!!! お、俺の手がぁぁぁぁ!!!!」

「うるせぇよ」


 無情に呟き、アルトは絶叫する男の胸を蹴り飛ばした。

 振り向きざま、背後で唖然としていた男の顔面を斬り、痛みに叫ぶ間も与えず、剣を持った手で顔面を思い切り殴りつける。

 殴られた男は、派手に地面を転がって行った。

 アルトはしゃがんで、最初の男が落としたナイフを拾い上げると、慌てて蹴り壊されたドアから逃げようとしている、男の太ももの後ろに投擲。

 ナイフは深々と突き刺さり、激痛でバランスを崩した男は転倒する。

 突き刺さったナイフの痛みに絶叫しながら、男はゴロゴロと埃塗れの床を転げ回った。

 振り向けば、ラサラの腕を取り押さえている男と視線が合う。

 射殺すような視線に、身を怯ませると、男は脂汗をかきながら、ガチガチと歯を鳴らす。


「ひ、ひぃっ!? し、してない! まだ、何もしてない、服を裂いただけで、指一本触れてないんだぁ!?」

「そういう問題じゃねぇんだよ」


 ドスの利いた声に、男は腰を抜かしたのか、座り込むとそのまま後ずさる。

 が、直ぐに背中が壁にぶつかり、追い込まれてしまった。

 此方を見上げる表情は青ざめ、浴びる殺気の所為で、命乞いの台詞すらも口に出来ない。

 アルトは無言のまま睨み付けると、剣の先端を男の喉元に狙いを定める。


「や、やめッ!?」


 掠れる声を無視して、迷わず刺突を繰り出した。


「――アルトッ!」


 天井から慌てたようなシエロの声が響く。

 繰り出す剣は止まらないし、止める気も無い。

 その時、一瞬だけ視線の隅に、拘束を解かれ胸元を押さえながら上半身を起こす、ラサラの姿が映り込んだ。


「――チッ」


 その瞬間、剣先が僅かに揺れた。

 刺突は止まらず、繰り出され、正面を打ち抜く。

 ギリギリで男から逸れた刃は、背にする壁に深々と突き刺さっていた。

 静寂の後、止まっていた息を吐きだすと、男は魂が抜けきったかのような表情で、情けなくその場で失禁した。

 天井から降りてきたシエロが、ふぅと安堵の息を吐きだす。


「危なかったぁ。よく途中で止められたね」

「……ま、依頼主に余計なトラウマを、植えつけたくはねぇからな」


 あの一瞬、アルトの中で迷いが生じた。

 ラサラの目の前で、人を殺してしまって構わないのかと。

 その迷いが剣先に現れ、結果的に男を殺さなかった。

 今更、不殺を気取るつもりは無いが、これはこれで、良かったのかもしれないと、無理より自分に納得させる。

 アルトが剣を納めるのを見ると、シエロがポンと肩を叩いた。


「後のことは僕に任せて、君は彼女を安全なところに連れてってあげて」

「……いいのか?」

「今の君は、騎士じゃなくて、彼女のボディガードでしょ。今は彼女のことを、一番に考えてあげなよ」


 爽やかな笑顔で、いいことを言う。

 視線をラサラに向ける。

 助かったことに安堵しながらも、まだ精神状態が落ち着かないのか、止まらない嗚咽を漏らして、喋ることもままならない様子だ。

 放っておくわけには、いかないだろう。


「すまん。後は任せた」

「うん。また、今夜にでも君のところに訪れるから、詳しいことはその時にでも」


 アルトは頷くと、ラサラの側に駆け寄ると、コートを脱いで彼女の肌を隠すように、かけてあげる。

 口を真一文字に結んで、嗚咽を押し込むと、コートに顔を押し付けて涙を強引に拭う。


「……ふ、ふん。遅いですよ」


 震える声で、何とかそれだけを搾り出した。

 アルトは苦笑しながら、ラサラの赤く腫れた頬を撫でる。

 不機嫌な表情をしながらも、ラサラはその手を払いのけようとはしなかった。


「そんな口が利けるなら、大丈夫だな」


 ジワリと浮かんだ涙を、ラサラは強引に押し止める。


「レオンハルトは、無事なんですか?」

「……心配ない。今頃、ちゃんとした治療を受けてるだろうさ……ほら」


 言いながら、ラサラに自分の背を向ける。

 ラサラは真っ赤になった眼を、数回パチクリさせた。

 少し迷って、文句を言おうかと口を開くが、結局何も言えず閉じると、不機嫌な表情でアルトの背中に身を預けた。

 ラサラを背負って立ち上がると、二人は早々に廃屋を後にした。

 男達だけが残った廃屋は、呻き声と、血と、小便と、埃の匂いが入り混じる。

 失禁した男は、暫く茫然としていたが、自分だけが何とか無傷で済んだことに、自然と笑みを浮かべてしまう。

 残ったのは優男一人。そんな舐めた油断も、あったのだろう。

 その瞬間、前髪を乱暴に掴まれ、後頭部を激しく壁に打ち付けられた。

 火花が散る衝撃に目を白黒さけながら、「何をしやがる!」そう怒鳴ろうとして開いた口に、短剣の鋭い刃が差し込まれた。

 前髪を掴み、細い視線を男に向けるシエロは、普段とは全く違う冷たい言葉を浴びせる。


「咥えろ」


 言われるがまま、男は震えながら、口の中に差し込まれた刃を咥える。


「何を安心しているか知らないけど、君にとっての地獄はここからだよ?」


 冷めた声色に、男の顔がサッと青ざめる。

 雰囲気が違いすぎる。差すような殺気は、アルトと同等、いや、この冷たさはそれ以上だろう。

 嫌がるように動かそうとする頭を、前髪を掴みグッと押さえつける。


「これから僕は君に質問する。正直に答えてくれれば、何も怖い思いはしなくて済むよ」

「し、知らない。俺は、何も知らないッ」

「ふぅん」


 グッと、咥えさせた短剣を、軽く奥に押し込む。


「――ッ!?!?」


 喉にひんやりと感じた刃の冷たさに、男の身体が強張った。

 男の耳元に、シエロは冷徹さを持って囁く。


「僕はね、怒っているんだ。だって君達は、アルトを怒らせてしまっただろう? 彼の怒りは、僕らの怒り……殺さなかったのは、君の持っている情報を聞き出す為ということを、理解しておいて欲しいな」


 涙目になって、ガチガチと歯を鳴らす男。

 それでも何も知らないと示すように、小刻みに首を左右に振った。

 シエロは短く嘆息する。


「強情を張るなら、別に構わないよ。君の身体に聞くまでさ……けど、僕の尋問方法は戦場仕込みだから、少しばかり荒っぽいよ?」


 そう言って、シエロは冷たく笑った。

 唐突に腰の、もう一本の短剣を抜くと、背後へと投げつける。

 すると、丸太を手に持ってシエロに殴りかかろうとした、太ももをナイフの投擲で刺された男の肩口に、今度は短剣が突き刺さる。

 一拍遅れて、男は絶叫しながら、床にもんどりうった。

 口に刃を咥えされられた男は、更に顔色を青くする。

 その様子を見て、シエロは普段通りの笑顔で、軽く肩を竦めた。




 ★☆★☆★☆




 ラサラを背負い、アルトは街道を進む。

 小柄な体型だけあって、ロザリン程では無いが、それでも大分軽い。

背中に当たる胸の感触も、軽い。


「…………」


 最初こそ、強がりを口にしていたが、今は萎れたように無言。

 何時もだったら、照れ隠しか何なのか知らないが、矢継ぎ早に罵詈雑言が飛んでくるだろう。

 それなのに、ラサラは廃屋を出てからずっと押し黙って、覇気が無い様子で、アルトの背中に顔を埋めていた。

 泣いているのだろうか。

 無理も無い。どんなに気丈に振る舞っていても、ラサラはまだうら若い女の子。

 あんな目に遭えば、誰だって普段通りとはいかないだろう。

 無責任に慰めるような言葉を口にしたくは無いが、流石に気まずくなってきたので、仕方なしにアルトは口を開いた。


「まぁ、何だ。人生ってのは、長いんだ。ここは一つ、野良犬に噛まれたと思ってだな」

「……野良犬が野良犬を庇うんですか?」

「……うっ」


 震える涙声が、ズシッと胸に突き刺さる。


「それにぃ、その言い方ですと、ボクが何かされたみたいじゃないですかぁ」

「いやぁ、ほら、何事も無かったんならいいじゃねぇかよ」

「おっぱい触られました」


 ポタポタと、後頭部に涙……いや、感触に粘着質があるから、鼻水だろう。が、落ちる。


「おま、馬鹿ッ! コートのポケットにハンカチが入ってっから、それで鼻かめ」

「ズズッ……うるしゃいですねぇ! あんな下賤な輩に、ボクの青い果実が触られたんですよッ! 少しはっ、心配っ、したらっ、どうなんですかっ!」


 ぽかぽかとラサラはアルトの肩を連続して叩く。

 痛くは無い。痛くは無いのだが、どうにもこうにも。やり辛い。


「あ~、もう! どうすりゃオメェは満足すんだよ。出来ることがありゃやってやっから、言ってみろ!」


 やけっぱちに叫ぶと、ラサラは叩く手を止め、ボソッと不機嫌そうに呟く。


「……触りなさい」

「…………」

「ボクのおっぱいを、触りなさい。聞こえなかったんですか? 難聴ですねぇ」

「聞こえてたっつーの馬鹿! 何を言い出すんだ馬鹿!」


 誘拐されて動転しているのか、とんでもないことを言い放つ。

 怒鳴りつけて、聞かなかったことにしようとするが、そうはさせないと、ラサラが襟首を掴んでグラグラと揺らしてくる。


「冗談や酔狂で言ってるわけじゃないです! ボクは、本気で触れと言っているんですよ!」

「余計性質が悪いわッ! んなに欲求不満なら、家帰って一人で部屋に引き籠ってろ!」

「人を変態痴女みたいに言わないで下さい! そうでは無く、あの下賤な輩が触ったという記録を、アルトさんに触って上書きしようというのです!」


 多分、誘拐された時に、頭をぶつけたのだろう。

 アルトは苦虫を噛み潰した顔で、そう結論付けた。


「別にアルトさんに触って貰いたいわけじゃありません。ですが、ボクは一刻も早く、この不名誉な記憶を上書きしたいんです。特別に許しますから、感謝に噎び泣きながら、胸を触りなさい」

「ええ~っ」

「なんで嫌そうな声を上げるんですかっ!」


 全く乗り気じゃない声に、ラサラは涙声でペチペチとアルトの後頭部を叩く。

 照れ隠しなどでは無く、アルトは本気で嬉しく無い。

 触りごたえの無い薄い胸を触って、何が楽しいというのか。

 納得いかない様子のラサラは、先ほどまでの意気消沈した姿は何処へやら、遺憾だとばかりに声を張り上げる。


「何なんですかその態度わッ! 大体、男の人は胸だったら、乳牛のおっぱいにだってむしゃぶりつくモノでは無いんですかっ!?」

「つかねぇよ、誰だお前にんなこと吹き込んだ奴はッ」


 誤解している人間も多いが、アルトは平べったい胸に興味など無い。

 もしろ、支えている手の上に乗っかっている、お尻の感触の方がまだ役得といえるだろう。

 口には出さないが。


「ボクのおっぱいに魅力が無いとでも言うつもりですかっ!」

「だから、女の子がおっぱいなんて単語を連呼するんじゃありません! お前のそれは胸部で十分だ」

「ななな、なんて失礼な駄犬なんですかっ……許せません、お仕置きします」

「あん? お仕置きって、一体何するつも……痛たたたたッ!?」


 叩いても非力なラサラは、思い切り首筋にガブリと噛み付いて来た。

 硬い歯と生温かい唇の感触が、痛くてこそばゆい。

 暫く噛み付いていると、満足したのか、口を離してホッと息を吐く。

 アルトからは見えないが、首筋にはくっきりと、ラサラの歯型がついていた。

 折角、助けに来たのにこの仕打ち。

 まだ、首筋に残る生温かい感触に、嘆息しながらも、手籠めにされかかったショックはそれほどでも無いようで、内心でホッと胸を撫で下ろした。

 ならば、少し踏み込んだ話をしても、大丈夫そうだ。


「なぁ、ラサラ」


 真剣な声色に気づいて、背中のラサラが、ハッと息を飲むのがわかる。


「……わかっています。勝手に、一人で行動したことを、怒っているのでしょう。ごめんなさい。ボクの認識が、甘かったです」


 自分の非を認めて、ラサラは不機嫌な口調ながら、あっさりと謝罪する。

 そう素直になられると、アルトも微妙にやり辛そうな顔になる。


「ま、何とか無事だったから、それは良しとするさ。俺も、連中の仕掛けに引っかかっちまったから、あんま人のことは怒れねぇからな」


 ラサラが姿を消す直前、アルトは見知らぬ女性達に囲まれ、話しかけられていた。

 恐らくアレは、ラサラから注意を逸らす為の、ハウンド達が仕掛けた罠だったのだろう。

 レオンハルト達も同じように、話しかけられたりして、さりげなくラサラから引き離されていた。

 人目が多いところなら安心と、油断していた。

 オークション関係者にまで、ハウンドの、いや、彼らを雇った人間の息がかかっていることは、想定しておいて然るべきだった。

 今回は運が良かっただけ。

 一歩間違えば、もしも、ラサラを辱める暇を与えずに、殺害のみを目的としていたら、今頃は最悪の結果になっていただろう。

 だからこそ、疑問が残る。

 何故、ハウンドの依頼主は、あれだけ用意周到な罠を仕掛けておきながら、ラサラをすぐに殺さなかったのだろうか。


「ラサラ。どうして一人で、外に出たんだ?」


 素朴な疑問。

 ラサラは短気ではあるが、短慮では無い。そして頭も良い。

 そんな彼女が、簡単な呼び出しに、単独で応じるわけが無い。

 問いかけると、ラサラはゴソゴソとスカートのポケットを探る。


「……これ」

「紙切れ、だな」


 くしゃくしゃに丸まった紙切れを受け取り、片手で広げ中身を確認する。

 書いている文章は単純。庭園の噴水前に来てくれと、書かれているだけだ。

 問題は、差出人の名前。


「ミューレリア……アルバ!? おいおい、マジかよ」

「マジです。筆跡も同じですから、間違いは無いでしょう。ボクが保証します」


 何処か、気落ちしたような声で、ラサラは頷いた。

 ミューレリア・アルバ。

 あの、天然お嬢様を絵に描いたような彼女が、全てを仕組んだとは、到底信じ難い。

 そうなると、アルトが思い浮かべるのは、一人の男の姿だ。


「ボルド・クロフォード。アイツが、裏で糸を引いている可能性は?」

「わかりません。ボク達が怪しいと、思っている以外の確証はありませんから……どちらに、せよっ……ミューレリアとは、ふわっ、話をする必ようがぁ、ありまひゅねぇ」


 唐突に、ラサラの口調が怪しくなる。


「お、おいどうした!?」


 もしや、助け出す前に毒の類でも飲まされていたのか?

 そう思い慌てて振り返ると、息が届く距離で盛大に、ラサラは欠伸をかました。

 むにゃむにゃと口を動かし、目は半分、落ちかけている。


「お前なぁ、驚かすなよ」

「ここ数日、忙しかった所為で、十分な睡眠時間が取れなかったんで……ふわっ」


 もう一度、ラサラは欠伸をする。

 睡眠不足だけでは無い。毎日の激務に加えて、今日の誘拐騒動だ。

 緊張の糸が切れて、疲れが一気に押し寄せて来ても、不思議では無いだろう。


「とりあえず、今は寝てろ。落ち着ける場所まで、運んでやるから」

「いえ、寝ません。眠る気など、ありません」

「意地を張るなよ、辛いんだろ?」


 後ろで、ラサラが首を左右に振るのがわかる。


「レオンハルトの無事を確認するまでは、気は、抜けません……それに、ミューレリアのことだって……」


 眠気が襲ってきたのか、声が時折、か細くなる。


「……あの筋肉執事は、無事だって言っただろ。安心しろ」

「本当、ですか?」

「ああ。アイツの筋肉を知ってんだろ? 剣で刺したくらいで、死ぬようなタマかよ」

「そう、ですよね……良かった」


 背中に額を押し付けて、ラサラは安堵の息を漏らす。

 安心したのか、繰り返す呼吸が、徐々に寝息にすり替わって行く。

 夢と現実の境目が無くなってきたのか、口にする言葉には、ただ純粋が気持ちだけが残る。


「……大丈夫、ですよね。ミューレリアは、大丈夫ですよ、ね」


 うわ言のように、繰り返し、ラサラは夢の中へと落ちて行く。

 吐息が寝息に変わり、意識の無意識の狭間で、ラサラは呟いた。

 何が大丈夫なのか。その意味は、アルトにはわからない。

 口では何だかんだ言っても、ミューレリアはラサラにとって、大切な友達だったのだろうか。

 そう仮定すると、突き付けられた真実は、何と残酷なモノだろう。

 ラサラが目を覚ました時、本当の闘いは、そこから始まるのかもしれない。

 背中に乗っかった彼女の僅かな重みを感じながら、アルトは漠然と思う。

 嵐はもう、すぐそこまで迫っていると。






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