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小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第1部 天楼奈落

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第30話 没落貴族よ、雀蜂を穿て






 西街の綺麗に舗装された道を、アルトは全速力で疾走していた。

 折角、整えた髪の毛も乱れてしまうほど、必死の形相で、人通りの多い道をすり抜けて行く。

 視線は絶え間なく動き、攫われたラサラの姿を探す。

 小柄なラサラとはいえ、人間一人を誘拐するのは容易いことでは無い。

 ましてやここは、人通りの多い王都の真ん中。

 怪しまれないで逃げるなど、ほぼ不可能だろう。

 しかし、ラサラが連れ去られたという方向に向かい、通りがかりや店先の人間に、怪しい人物達は見なかったかと問うが、誰一人として、目撃者は存在しなかった。

 どう考えても、これは不自然だ。

 幾ら人混みに紛れようとしても、女の子一人を担いで走っている男達が、怪しく無いわけが無いし、見逃すなんてあり得ない。

 それを可能にする方法は、すぐに見当がついた。


「……馬車か」


 馬車に押し込まれれば、外からは中の様子が伺えないだろう。

 それにここは西街。高級な箱馬車が走っていても、珍しくも何とも無い。


「だとしたら、随分と距離を空けられちまったか……クソッ、どうする?」


 一刻を争う状況。

 虱潰しなど、効率の悪い方法を取っている場合では無いが、現状では地道に聞き込みをして、怪しい馬車を割り出すしか無い。

 アルトは足を止め、その場で両目を瞑り、下を向く。


「落ち着け……冷静になれ」


 何度も呟き、胸の焦燥感を強引に押し殺す。

 慣れた様子で、冷静さを取り戻すと、それに伴い思考がクリアになる。

 とにかく、今は動けるだけ動いてみよう。

 足を踏み出そうとした瞬間、路地裏から跳ねるような足取りで、何者かが真横に降り立った。

 反射的に手が腰の剣に伸びるが、現れた人物の姿に、軽く目を見開く。

 見覚えのある白い服で、特徴的な糸目が、アルトを見上げていた。


「――シエロか!?」

「アルト。状況は聞いているよ。僕が誘導するから、付いて来て」


 挨拶も無しにそれだけ言って、シエロは走り出した。

 唐突な行動だが、そこは慣れた物。アルトも再び駆け出し、シエロの隣りに並んだ。


「お前、何で?」

「ただの通りすがり。そういうことにしておいてよ。でないと、ちょっと問題があるんだよね。この件に関しては、僕らの管轄外だから」


 なるほど。と、アルトは頷く。

 確かに騎士団の団長が自ら、しかも片方は三傑の一人だ。

 そんな人物が、単独で介入するなど、それだけでも世間には様々な憶測が飛び交うだろう。

 ましてや、縦横の序列がきっちりとした、騎士の世界。

 無暗やたらにちょっかいをかければ、査問会議にかけられ、吊し上げを喰らうかもしれない。

 シリウス。もとい、シーさんの変装は、その辺りを考慮してのことだろう。

 正体を隠せているかは、疑問だが。


「んなことより、ラサラが連れ去られた場所、わかんのか?」

「そんなことって、酷いなぁ。素っ気ない態度だけど、君が生きてるって知ってから、随分とアルトのことを気にしていたんだよ?」

「だから、それどころじゃねぇだろ」


 苛立ち交じりに睨むが、シエロの恍けたような糸目は変わらない。


「アルトって、昔から彼女には冷たいよね」

「……ふぅ」


 話を聞かないシエロに、走りながらため息を吐く。

 呆れているのでは無く、シエロが何故、ワザとらしく話を遠回りしているのかが、理解出来たからだ。


「別に冷たかねぇだろ。普通だ、普通。逆に距離感が急激に縮まった方が、ビックリするだろ?」

「はは、確かにね」


 切迫した状況だと言うのに、二人は暢気な会話で笑い合った。

 これが、シエロの狙いだろう。

 落ち着いたつもりでいたが、シエロには今のアルトに冷静さが欠けていると、見抜かれてしまった。

 だからこそ、こういった他愛の無い話で、精神をニュートラルに戻す作業を行ったのだ。

 昔、戦場でよくやった方法。

 流石は現在も、騎士として第一線にいる男だけあって、その辺りの心構えは完璧らしい。

 これは、自分も負けてられないと、自然に心が引き締まる。


「んで、ラサラは?」

「今、追い駆けている」

「お前の部下か?」

「まさか。今日の僕は、通りすがりだって、言ったろ……彼さ」


 シエロは正面の空、遥か彼方を指差した。

 眉間に皺を寄せ、目を凝らして指先の方向を見てみると、小さく白い鳥が上空を羽ばたいているのが見えた。


「おい、あれって……」

「これも、戦場ではよく使った手だよね」


 自慢げに、シエロはウインクした。

 あの鳥は、ウルス鳥と呼ばれている。

 非常に頭が良い鳥で、上手く調教すれば、上空からの敵部隊の索敵や偵察、別部隊との手紙のやり取りも可能となる。

 北方の国境沿い。紛争の絶えない山脈地方で、地元の警備隊が戦闘を有利に進める為に編み出した、かなり古い方法だ。

 この王都では、シエロくらいしか、扱える者はいないだろう。


「あのウルス鳥が、ラサラを攫った馬車を追っているのか?」

「うん。大分、距離はあるみたいだけど、アルト、大丈夫?」

「はぁ? 何がだよ」


 意味がわからず問うと、シエロは言い辛そうに口ごもる。


「いや、状況が状況だから、僕は全力で追い駆けるともりなんだけど……つまり、ついてこれる?」


 ビキッと、額に青筋が浮き上がる。

 挑発、ではなく、本当に心配しているような口調だ。

 だからこそ、余計に腹が立つ。


「ああん? ふざけんなテメェ! 短距離ならともかく、体力勝負の長距離で俺が負けるわけねぇだろがッ!」

「そりゃ、昔はそうだったけど、ブランクがあるからさ。一応、僕は現役の騎士で、君は一般人なわけだし」

「ああ、ああ。つまり喧嘩売ってんだなこの野郎。上等じゃねぇか。こっちとら、無駄に暇を持てましてるわけじゃねぇぞ!」


 はぁと生返事をした後、シエロの糸目がキラッと輝く。


「じゃ、勝負する?」

「やらいでか……行くぞ!」


 視線を交わしあい、正面に顔を向けると、二人は同時に加速した。

 人間の脚力とは思えない、常識外れの速度で、狭い路地裏を二人並んで滑走する。

 路地裏から広い通りに飛び出ても、その勢いは収まらず、すれ違い巻き起こる突風に青されながら、通行人達は皆、何事かと驚きの表情で瞬く間に向こう側へと消えて行く、その後姿を見送った。

 目指すは、遠くウルス鳥が飛びまわる、西街の外れまで。

 緊張感の無い会話を交わしながらも、二人の表情は、何処までも真剣だった。




 ★☆★☆★☆




 連続して繰り出される打撃を、何とか捌ききったカトレアは、額から汗を流しながら、荒く肩で息をする。

 引き裂かれた服の袖から覗く腕には、痛々しい痣が数か所も出来ていた。

 悠然とした態度で、正面に立つ雀蜂は、ポキポキと指先を器用に曲げ、骨を鳴らす。

 カトレアは、鈍く痛む腕を摩り、苦悶の表情を浮かべた。


「ッッッ痛いわねぇ……アンタ、そのグローブの下に、何仕込んでんのよッ」

「ふふっ。メイド風情が、中々にやるじゃない。けれど、私の敵じゃないわ」


 そう言って、雀蜂は跳躍。

 空中で一回転しながら、手刀を振り上げて襲い掛かってくる。

 数度ぶつかり合った経験から、鈍りでも仕込んであるかのように、重く硬い一撃を正面からガードするのは得策では無い。

 瞬時にそう判断したカトレアは、構えた左腕で、突き出された手刀を外側に捌く。


「――シッ!」


 地面に着地した雀蜂が、左手の手刀でカトレアの顔面を狙う。

 それを右手でブロック。

 鈍い痛みが走るが、勢いが乗る前に止めたので、我慢できないほどでは無い。

 受け止めた腕を捻り手首を捕まえ、外側に足を踏み出して、手首を手前に引っ張り、雀蜂の身体を懐にまで引き込む。

 引っ張られて前に出る勢いを利用し、左の掌底を顎に叩き込もうとするが、寸前で差し出して手で受け止められてしまう。

 自分の肩越しに、雀蜂はニヤリと笑う。


「こっのッ!」


 負けてなるモノかと、下半身に込めて重心を安定させる。

 逃がさないよう手首を握る手に力を込め、右肩を相手に突き出した無理な態勢も構わず、連続で左の拳を、雀蜂の顔面目掛けて飛ばす。

 しかし、それらは全て、涼しい顔をした雀蜂に軽々と捌かれてしまう。


「――セイッ!」


 渾身を込めた一撃も、雀蜂は容易く手の平で受け止めた。

 手の平を打った時に、硬い鉄板を殴ったような痺れる衝撃に、カトレアは顔を顰める。

 受け止めた拳を、ギュッと握った。


「なるほど……趣味や護身術の類では無い。本物の、相手を倒す武術ね。凄いじゃない、誰に教わったのかしら?」

「……大酒飲みの、化物仙人からよ」

「あら、それは素敵ね」


 握った拳を弾くと、バックステップで距離を取りながら、ハイキックを打ち出す。

 それをカトレアは、両腕でガードする。

 下がりながらなのに、腰の入った蹴りは見た目以上の重く、ズシッと身体に衝撃が響く。


「ほら、もう一度よ」


 一度足を離して、再び同じモーションでハイキックを放つ。

 受けに回っていたら押し切られる。

 素早く判断を下したカトレアは、迎え撃つようにスカートを靡かせ、同じようにハイキックで雀蜂の蹴りを迎え撃った。

 交差する両者の足技。


「貴女の蹴り、軽いわね」

「――なにぃ!?」


 ニヤッと笑った後、雀蜂は気合を入れて足を振り抜く。

 強引に足を押され、バランスを崩すカトレア。

 このまま、黙ってやられるわけにはいかないと、わざと倒れて床に両手を付きながら、身体を回転させて足払いを放つ。

 が、遠心力を乗せて蹴った筈の雀蜂の軸足は、まるで地面に根でも張っているかのよう、ビクともしなかった。

 逆に、蹴った足が痺れ、ダメージを負ってしまう。


「こっのぉ……アンタ、どんな身体をしてんのよッ」


 毒づきながら、後ろにバク中を繰り返し、雀蜂と距離を取る。

 余裕のつもりなのか、追撃すれば出来た筈なのに雀蜂はそれをせず、薄笑みを浮かべたまま、カトレアが態勢を整えるまで待っていた。

 立ち上がったカトレアは、親指で鼻の下を撫でる。


「……気に喰わないわね。その余裕」

「捕食者の特権よ。強者は弱者を、ゆっくりといたぶるモノなの……ジワリジワリと、虫を蝋燭の火で、炙り殺すようにね」


 雀蜂は、サディスティックに嗤った。

 ゾクリと、背中に寒いモノが走る。

 こっちは既に息切れをしているのに、雀蜂は呼吸の一つも乱していない。

 実力差は明白だ。


「不味いわね。これはちょっと、勝てそうもないわ」


 弱気な発言をしながらも、その口元には笑みが浮かんでいる。

 自分より強い相手と戦うのは、ワクワクする。なとど、頭の中まで筋肉が詰まっているような、発言をするつもりは無いが、これでもカトレアは武術を嗜む身。恐怖もあるが、それ以上に、全力で武を振るえることに、喜びを感じてしまう。

 本当に、自分が元貴族なのか、疑いたくなると、カトレアは苦笑した。

 焦りや、絶望感は無い。

 格上の相手、勝ち目が薄いからこそ、冷静さを保っていなくてはいけない。

 悔しいかな、以前に、冷静さを欠いて敗北したからこそ、今の状況に追い込まれて尚、自棄にならずに済んでいる。

 大きく息を吸い、吐き出す。

 心を落ち着かせ、拳を構えながら、雀蜂を見据えた。

 その様子を見て、雀蜂のニヤケ顔が消える。


「随分と落ち着いているのね。まさか、助けが来るとでも思っているのかしら? 残念だけれど、ここに人が訪れることは無いわ。手は打ってあるもの」

「……その割には、あたしは簡単に入れたけど? アンタの打った手ってのは、ちょっとばかりザルなんじゃない?」

「う、うるさいわねぇ!? 私の所為じゃないわよッ!」


 痛いところを突かれたのか、雀蜂が焦り顔で怒鳴る。


「ふん。どうやって気づいたかは知らないけれど、貴女一人では私は止められないわ。邪魔な連中は始末した……後は、アレを手に入れるだけよ」


 アレ、という単語に疑問を覚えるが、それを表情には出さない。

 どうやら、何かを勘違いしているらしい雀蜂に、カトレアはあえて乗っかってみることにした。


「随分とご執心ね。そんなにアレが必要なの?」


 ワザと知ったかぶりをする。

 すると、雀蜂は疑う様子を全く見せず、無知なフリをするカトレアを嘲笑った。


「これだから物の価値を理解出来ない人間は、困るわぁ。炎神の焔が、どれだけ重要なのか。まぁ、こんな山の手でのうのうと暮らしている貴女達には、綺麗な置物程度の認識しかないのだろうけど」

「……えんじんのほむら?」


 えんじん、炎神。

 炎神と言えば、水神リューリカと対を成す、火山地方を守護する神のことだ。

 それに関連する宝物となれば、金銭的は勿論、魔術的に見ても、素晴らし価値を秘めている。

 だが、そんな物を、何に使うつもりなのだろうか?

 カトレアはもう少し、雀蜂を突っついてみることにした。


「炎神の焔を使って、どんな悪さをしようってのよ?」

「さぁ、教えるわけ無いでしょ」


 当然の返しだ。

 しかし、カトレアは意地悪そうに笑う。


「はぁん。知らないんだ」

「……そんな挑発に、乗るわけ無いでしょう」

「知らないなら知らないって、言えばいいのに」

「…………ッッッ!」


 雀蜂は物凄い形相で、歯をギリギリ鳴らし、こちらを睨んできた。

 この様子を見る限り、本当に知らないのだろう。

 彼女達ハウンドには、オークション関係者の殺害以外に、炎神の焔を手に入れるという目的がある。

 情報としては十分とは言えないが、今はこれで満足しておこう。

 カトレアはチラッと、既に事切れている死体を見る。

 支払った代償は、決して小さく無いが。


「お喋りはおしまいよ」


 雀蜂の声色に、冷徹さが宿る。

 発する殺気も打って変わって、ビンビンと肌を刺す。

 予想以上に短気な性格らしく、今の挑発が虎の尾を踏む結果となったようだ。


「さぁて、どうするかな」


 雀蜂の動きを警戒しながら、入口の位置を確認する。

 ドアは右手の方にあるが、決して近い位置では無い。

 正面には雀蜂。彼女の動きは自分より早いが、ギリギリ部屋の外に、飛び出せないことも無い。

 駄目だ。

 すぐに思考を打ち消す。


「廊下に出て、下に降りても追っかけてくるかもしれない。そしたら、他の人達も巻き込んじゃうわ」


 まだ、目的の物が手に入っていない様子なので、もしかしたら、逃げた場合、炎神の焔を手に入れることを優先するかもしれない。

 しかし、目の前の雀蜂は、どうやら感情に左右される人物のようだ。

 逃げても、追いかけて来て、カトレアを殺すことを優先する可能性が高い。

 以前のハウンドも、真っ昼間に襲撃をかけ、逃げる時も白昼堂々、街の中を突っ切って行った。

 彼らは、あまり人目を気にはしないのだろう。

 ならば、結論は一つだけ。


「何としても、ここで決着をつけなくちゃ駄目かぁ……ああ、もう! こんな物騒な役回りは、アルトの担当じゃない!」


 八つ当たりしながら、意を決してカトレアは構える。

 暫し、睨み合う両者。

 雀蜂は両腕をブラリと下に垂らし、棒立ちだ。

 瞬間、雀蜂の姿が、霞むように揺れた。


「――ッ!?」


 一瞬にして目の前に迫る。

 この間合いは不味いと、距離を取る為に牽制に突きを放つが、あっさりと避けられ手首を掴まれる。

 同時に右太ももに、数回ローキックを打たれ、ダメージから僅かに膝が落ちた。

 雀蜂の狙いは、高さを丁度よく合わせることだ。

 素早くカトレアの右側に回り込むと、手首を右手に持ち直し、離した左手を肩へと添えて、そのまま体重をかけて床に押し倒そうとする。


「――やばっ、折られるッ!?」


 この状態で倒されたら、一巻の終わりだ。

 思考では無く本能的判断で、カトレアはその場でバク宙をする。

 まだ、腕が完全に拘束される前だったので、捻られかけた腕は回転により元の位置に。更に、手首のロックも甘くなり、引き抜くことに成功する。


「――チッ」


 耳元で舌打ちがなる。

 引き抜いた腕は戻さす、右後ろにいる雀蜂に向かって、裏拳を打つ。

 撓るような一撃が、雀蜂の鼻先をヒットする。


「グッ!?」


 威力は低いが、素早いそれは、雀蜂を怯ませるには十分効果的だ。


「――貰った!」


 右腕を顔の横に添え、ガードを固めながら、右足を軸に身体を横に回転させる。

 大きな軌道を描いて、左フックが雀蜂に狙いを澄ます。

 その際、カトレアの視線は雀蜂の顔面を捉えた。


「ふん、見え見えよッ」


 先読みして守りを固め、雀蜂はカウンターを狙う。

 カトレアは、唇に笑みを覗かせる。

 それを見て、雀蜂はしまったと焦りの表情を浮かべるが、もう遅い。

 楕円を描く左フックは低い軌道のまま、がら空きになっている雀蜂の右脇腹に突き刺さった。


「――ッ!?」


 予想外の衝撃に、雀蜂は声も出せず悶絶。

 ここが好機。

 カトレアは上体を低くして、雀蜂の懐に潜り込んだ。

 超接近戦。

 身長が高く、手足の長い雀蜂には、この距離は不利だろう。

 何とか距離を取りたい雀蜂が、闇雲に拳を放つが、距離が近すぎる所為か威力が乗らず、簡単に捌かれてしまう。

 そして、今度は反対側から放たれた、フルスイングの右フックが、左脇腹を穿つ。


「――ッ!?」


 雀蜂の身体が、くの字に折れた。

 だが、流石と言うべきか、雀蜂は足を踏ん張り倒れない。

 だったら、倒れるまで何度でも繰り返す。

 もう一度、左フックを放つ態勢を取った瞬間、凍てつくような殺気がカトレアを襲う。


「――これはッ!?」

「――シッ!」


 本能が警笛を鳴らし、自分に有利な状況をかなぐり捨てて、カトレアは弾かれたように後ろへと飛び引いた。

 刹那、目の前に閃光が幾筋も走る。

 後ろに引いたカトレア。

 メイド服の胸元が、バックリとバツの字に斬り裂かれ、下着が露わになっていた。

 反射的に胸元を隠しながら、カトレアは雀蜂を睨む。


「……あっぶないわねぇ」


 服を斬り裂いた正体。それは、雀蜂の腕から指先までを包む、レザーグローブを貫いて伸びる、両肘から突き出した銀色の長い針だ。

 雀蜂は、屈辱に顔を歪めている。


「まさか、貴女のような雑魚に、蜂の針を使う羽目になるとわね……運が良かったわねぇ、服だけで済んで。僅かでも肌を裂いていたら、貴女の綺麗は肌が、壊死していたところよ」

「ってことは、その針、毒針ってことね。ますます、危ないじゃない」


 想像して、鳥肌を立てながら、カトレアは吐き捨てる。

 さて、今度こそ不味い状況だ。

 今までは相手の油断を逆手に取って、その隙を上手く突いて立ち回って来たが、奥の手らしき物を出してきた以上、雀蜂にもう油断は無いだろう。

 そうなると、実力で劣るカトレアには不利。

 絶体絶命だ。


「参った。こりゃ、本気で参ったわ」


 呟きながら、数歩、後ろに下がる。

 それを逃がすまいと、雀蜂は同じ歩数だけ、距離を前に進めた。


「さて、色々と楽しませて貰ったけど、そろそろ終わりにしてあげるわ。私の毒針は、刺されると苦しんで死ぬのだけれど、我慢して頂戴。弱い、貴女が悪いんだから」

「……もう勝った気でいるの? ハッ、甘いわね」


 強がって見ても、状況は好転しない。

 雀蜂もそれが理解出来ているらしく、笑みを浮かべながらも、油断無くカトレアをゆっくりと追い詰めて行く。

 逃げ場は無い。

 いっそ、窓から飛び降りてみるかと、考えてみる。

 馬鹿な考えだ。あんなところ、人間が出入りする場所では無い。

 どうする、どうする?

 思考が空転する。

 一か八か、玉砕覚悟で戦うしか方法は無いか。

 半ば自棄になったその瞬間、窓ガラスが激しい音を立てて、粉々に砕かれた。


「「――ッ!?」」


 驚いた二人は、同時の視線を向けた。

 堂々と、窓を叩き割って侵入して来た女性はビーバー帽を被り、手に持った両手剣を肩に担ぎながら、何事もなかったかのように、位置がズレた眼鏡を直していた。

 眼鏡をかけているが、その容姿にカトレアは見覚えがあった。


「あっ……シ、シシ、シリウ……」

「通りすがりの地方貴族の三女、シーさんよ」


 名前を思い出して、言い終わる前に、シーさんが被っているビーバー帽の位置を直しながら、そう言い切る。

 突然の出来事に、カトレアの理解が追いつかない。

 そして、混乱しているのは、ここにももう一人。


「あ、貴女、何者よッ!? 何でわざわざ、窓を割って入って来たのッ!」

「愚問ね。この方が、近いからに決まっているでしょう」


 確かに直線距離に換算すれば近いだろうが、ここは地上から十階建ての高さがある。

 飛び降りるならまだ可能だが、昇ってくるなんて、一体どうやって?

 疑問が顔に出ていたのだろう。シーさんは、シレッとした顔で一言。


「別に難しいことじゃないわ。ただ、垂直に壁を走っただけよ」

「……蜥蜴か、アンタわ」

「乙女に向かって、失礼ね。それに、蜥蜴は今さっき、退治したばかりよ」

「――何ですって!?」


 雀蜂が驚きの声を上げる。


「……アンタ、何しにここに来たのよ」

「どこぞの貧乏野良犬騎士に頼まれたの。害虫駆除を手伝ってくれと」


 そう言って、シーさんは手に持った両手剣の先端を、雀蜂に向けた。

 彼女から発せられる圧力に押され、雀蜂はくぐもった声を漏らして怯む。

 だが、雀蜂は強気な態度を崩さない。


「ふ、ふん。どんな手を使ったかは知らないけれど、この私が蜥蜴と同じようにいくとは、思わないことね」

「それは結構。そんな種の割れた隠し芸が、私に通用すると思っているならね」


 雀蜂は、自分の肘から伸びる毒針を見て、悔しそうに唇を噛み締める。

 挑発されてカトレアにあしらわれる部分もあったが、雀蜂はこれでも実力のある暗殺者。目の前の立つシーさんが、強いということは十分に理解出来ていた。

 それに状況だけ見れば、二対一。

 雀蜂は舌打ちを鳴らす。


「……時間も随分と過ぎてしまったわね」


 呟いて、雀蜂はカトレアの方を見た。


「運が良かったわねぇ。残念だけど、私はこの辺りでお暇させて頂くわ。命拾いしたことに、感謝なさい」

「なによ。形勢が不利だからって、尻尾巻いて逃げる気?」

「ち、違うわよッ! 目的は半分達したわ。これ以上、貴女達に構っている暇は無いの。それじゃ、失礼させて頂くわ」


 そう言って、雀蜂は乱暴にドアを開き、廊下へと出て行く。


「ちょっと、待ちなさいよ!」


 追い駆けてカトレアも廊下に出るが、そこにはもう誰の姿も無かった。

 更に追い駆けようとするカトレアを、シーさんが呼び止めた。


「無駄よ。迷うことなく逃げたということは、あらかじめ逃走ルートを確保しているんのでしょう。追いかけても、捕まえることは出来ないわ」

「そう。ま、仕方が無いか」


 カトレアは呟いて、安堵の息と共に、その場に座り込んだ。

 危ないところだった。

 正直、シーさんが介入してこなければ、高確率で雀蜂に殺されていた。

 勝てるチャンスは何度かあったのに、決めきれなかったのは、自分が未熟だったから。

 こんな時に役立てるよう、忙しい合間を縫って、今まで鍛えてきたのに。

 壁を背に、ズルズルと滑りながら、カトレアは湿った息をまた吐き出す。

 すると、その横にシーさんが立った。

 カトレアは、ジロッとした目で、シーさんを見上げた。


「……嫌味の一つでも、言いに来たわけ?」

「そんな無駄なことはしないわ……貴女なら、一人で立てるでしょう?」


 眼鏡の奥の瞳が、わかり辛く笑みを見せる。

 暫し見つめ合い、カトレアはフッと笑顔を零すと、足を振り上げて勢いをつけ跳ね起きる。

 肩を揉みながら、首をコキコキと鳴らした。


「さて、状況は?」

「悪いわね。でも、どこかのロリコン貧乏野良犬騎士が、何とかしてくれるでしょう」

「そうね。今は、こっちで出来ることを、しておきましょう」


 苦笑しながら、カトレアは部屋の中に視線を移す。

 血の匂いが立ち込める、多くの死体が倒れた室内。

 生前に顔も合わせたことの無い、どこの誰かもわからぬ中年男性達。

 彼らが善人なのか、それとも悪人なのか、カトレアに知る術は無い。

 だが、カトレアは思う。

 例え何者だったとしても、こんな死に方をするべき人間では、無かっただろうと。

 カトレアはそう思い、ただ、死者の冥福を祈って、暫しの黙祷を捧げた。




 ★☆★☆★☆




 一連の騒動を、離れた場所にある建物の屋根で、見据える黒い影の姿があった。

 ハウンド達の着ているそれに酷似した、黒衣を身に着けた白い仮面の人物。しかし、ハウンド達とは違い、生き物の刺繍は入っていなかった。

 髪の毛は黒く、平均的な男子の身長で細身の体格は、顔を隠している分、性別や年齢の判断がつかない。わかっているのは、この階段も梯子も無い高い建物の上へ、簡単に昇ってしまえる技術があることだけ。

 仮面の人物は、ただ黙って、オークション会場を見つめていた。

 正面の広場に、鎧を着た人々が集まっている。

 恐らくは、騎士団が騒ぎを聞きつけて集まって来たのだろう。


「騎士団が介入したか……今回は、ここまでのようだな」


 仮面の奥からくぐもった、男性の声が聞こえる。

 低く、感情の押さえた声色故に、判断はし辛いのだが、若者と呼んで差支えの無い年齢の男性だろう。

 仮面の男は興味を失ったかのように、身を翻し、建物の反対側に歩いて行く。


「……茶番だ」


 無感情に呟き、無造作に、建物の反対側から飛び降りた。

 その瞬間、一際強い風が吹き抜ける。

 ただそれだけで、人が落ちる物音も何も、聞こえてはこなかった。

 まるで、先ほどの光景が幻であったかのように。

 仮面の男は本当に、あの場に存在したのか否か。答えられる人間は、存在しない。






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