第29話 謎の剣士は、突風と共に
「全く……あたしらのご主人様は、どこをほっつき歩いてんのかしら?」
メイド姿のカトレアは、そうボヤキながら、小奇麗な廊下を歩く。
気がつくと、ラサラの姿が無かった。
これから大切な会議があるのに、当の本人がいなければ、何にもならないので、こうして手分けして探しに出たのだが。
カトレアの担当は、会議の場が設けられた、最上階だ。
ここは、限られた人間しか、足を踏み入れることが許されないフロアで、下の階とは違い人の出入りが極端に少ない。
更に階段を昇れば、上は屋上庭園になっている。
基本的にこのフロアは、商業ギルドの主催者達専用。
オークションで最も高価な出品物の幾つかも、このフロアに保管してある。
人の出入りが皆無の場所なら、盗み出すのも余裕かもしれないと、悪い考えが頭を過るが、無い無いと手を振りそんな思考を追い出す。
とりあえず、会議室の様子を伺おうと、ドアをノックする。
反応は無い。
一応、室内を確認しておこうと、ドアノブに手をかけ、ドアを開いた。
瞬間、鼻を突く生臭い匂いに、表情を険しくする。
「これって……血の匂い!?」
勢いよくドアを開いた先の光景に、カトレアは我が目を疑った。
血の海に沈む、商人らしき中年男性達と、その使用人らしき人々。
恐らくラサラ、ミューレリアと同じく、オークションの開催に関わった、商業ギルドの面々だろう。
流石に直視出来ないので、人数は把握していない。
代わりに、部屋の中央に立つ人物を、真っ直ぐと見据えた。
「あらぁ、お客様? 不幸ねぇ、こんな場面に出くわしちゃうなんて」
雀蜂の刺繍が入った黒衣を纏う、妖艶な女性が、カトレアを見つけ微笑む。
カトレアは本当的に拳を固め、構えを取った。
「目撃者は消せって、命令されているの。申し訳ないけれど、刺殺させて頂くわ」
雀蜂の女は、指先まえ黒光りするレザーグローブの手を、怪しく動かす。
差すような殺気に、カトレアは一筋の汗を流した。
「……アンタ、何者?」
「ハウンド……雀蜂でも、結構よ。覚えたのなら、死になさい」
そう言って舌なめずりをすると、雀蜂は手刀の構えのまま跳躍する。
カトレアも素早く両足を広げ、それを迎え撃った。
★☆★☆★☆
赤黒い血が、緑色の芝生を染める。
フランベルジュの波打った独特の刃は、身体に複雑な傷跡を刻み、過分な出血を促す特製がある。
背後から、ハウンドによって胸を貫かれたレオンハルト。
急所こそ僅かに外れているが、フランベルジュによってつけられた傷からの、猛烈な激痛と出血により、苦悶の表情を浮かべながら、その場に倒れ込むよう膝を突いてしまう。
完全に倒れなかったのは、主を守ろうとする意地故だろう。
「――ッ!? ――ッ!?」
再び口元を押さえられたラサラは、半狂乱になってもがくが、大人四人がかりでの拘束ではビクともしない。
その光景に、レオンハルトは何とか、気力を振り絞る。
「お、お嬢様……い、今、お助けしますぞッ」
地面を這いずって、レオンハルトは拘束されている、ラサラの元に向かう。
が、それを静止するよう、後ろからハウンドが背中に右足を乗せる。
そのまま、体重を足に乗せると、レオンハルトの巨体が、虫が踏み潰されるよう、簡単に地面に突っ伏した。
レオンハルトを足蹴にして、ハウンドは含み笑いを漏らす。
「心配する必要は無いよ、執事君。君のお嬢様は、直ぐには殺さない。自分から殺してくれと頼み込むまで、たっぷりと生き地獄を味あわせろと、依頼主のご所望だ。ま、最後は殺すのだろうけどねぇ」
「グッ……貴様ッ」
力を込めるが、背中に乗せられたハウンドの足は頑として動かない。
逆に、傷口からみるみる、血液が失われる。
「あまり動くと、失血死するぞ? それだと、我が楽しめないでは無いか……ほら」
薄笑いと共に、ハウンドは無造作に剣の先端を、背中に浅く何度も突き立てる。
「――グッ、ガアッ!」
執事服はボロボロに刻まれ、滲んだ血液で真っ赤に染まる。
その残虐な光景に、共犯者である男達も顔面蒼白だ。
「――ッッッ!? ――ッッッ!?」
瞳から涙を溢れさせ、ラサラは泣き叫ぶように頭を振る。
しかし、押さえられた口からでは、レオンハルトの名を呼ぶことも許されない。
目の前では、ハウンドが楽しむように、レオンハルトの身体を剣で浅く切り刻む。
血が止めどなく流れ、それに比例するよう、身体の力が徐々に失われていくのがわかる。
誰か、助けてっ!
心の中での叫びは、誰にも届くことは無かった。
剣を振るう手を止めると、ハウンドはジロッと男達にその暗い視線を向ける。
「……何を見ているぅ? 捕まえたのなら、さっさと連れて行け」
「は、はい……おい、お前ら」
ハウンドの視線に冷や汗をかきながら、男の一人がそう言って目配せを送ると、拘束したラサラの身体を、取り出した縄で手首と足首を縛り上げる。
そして嫌がる口元に、無理やり猿轡を噛ませると、小柄な身体を持ち上げ、何処かへと運んでいく。
「お、お嬢さ……グッ!?」
「邪魔をするなよ」
攫われていくラサラに向かい、手を伸ばそうとするレオンハルトの身体を、ハウンドは背中に乗せた足に体重を込めて、地面へと押し潰す。
ジワッと更に血が滲み出て、レオンハルトは苦悶の表情のまま、動かなくなった。
もう、彼には起き上がる体力は残っていないだろう。
男達が植木をかきわけ、見えなくなるのを確認すると、ふぅと息を吐き出す。
「さぁて、お楽しみもこれくらいにしようか」
フランベルジュを振り、刀身についた血痕を払う。
逆手に持った剣を両手に持つと、その先端をレオンハルトの後頭部に向ける。
「これで最後だ。精々、良い声で哭いてくれよぉ」
「――ッ!?」
もう駄目だと、薄らぐ意識の中で、レオンハルトが覚悟を決めた瞬間。
植木から白い影が、勢いよく飛び出してくる。
「――テメェ、蛇野郎ッ!」
「クカッ、野良犬かあっ!」
既に剣を抜いていた白い影アルトは、そのままの勢いでハウンドに斬りかかる。
上段から振り落された一撃を、横に構えて受け止め、二人の視線が交差する。
怒りの形相をしているアルトに対して、ハウンドは楽しげに、歯を剥き出しにして笑った。
「クカカッ。妙に小奇麗な恰好をしているでは無いか。野良犬から、飼い犬にでもなったか?」
「黙れよ蛇野郎ッ! 随分と舐めたマネしてくれたじゃねぇ、かッ!」
刃を弾き、素早く十文字に剣を振るう。
切っ先を見切り、後ろへと飛んだハウンドは、剣を構え直し不敵に笑う。
その瞬間、ハウンドの肩口から弾けるように、血が噴き出した。
余裕ぶっていたハウンドの表情が驚きに崩れ、肩の傷を手で押さえた。
剣に着いた血を振るい落とし、アルトはふんと鼻を鳴らす。
「この程度で借りを返されたとか思うなよ。百倍返しだ」
「……面白い」
倒れたレオンハルトを庇うように立つと、ハウンドはニヤリと口元を歪め、肩の傷口を強く握りしめて出血を止めた。
遅れて、アルトが出て来た場所から、メイド姿のロザリンも飛び出してくる。
「――アル、ッ!?」
倒れているレオンハルトに目を止めると、ロザリンは驚きに目を見開いた。
「出血が酷い。急いで手当を」
「うん」
素早く駆け寄ると、ロザリンはまず傷口の確認をする。
側に膝をつくと、流れ出た血がスカートを汚す。
現時点でもかなり出血しているが、それでも傷口から、止めどなく流れる様子に、ロザリンは「……酷い」と呟き、エプロンのポケットから、もしもの時にと用意しておいた、様々な魔術の道具を取り出す。
一方、アルトは切っ先をハウンドに向け、互いに睨み合っている。
込み上げる怒りが眼光から滲み、射抜くような視線を向ける。
ハウンドはその隠す気の無い殺気が心地よいのか、ニヤニヤと笑みを絶やさない。
「ラサラを何処に連れて行った?」
「答えると思うかね? そんなつまらない質問をするより、さっさとかかってきたらどうだ。早くしないと、あのお嬢さんがどうなるか、考えなくてもわかるだろぉ?」
胸糞悪さから、アルトは舌打ちを鳴らす。
「んなら、望み通りさっさとぶっ殺してやるさ」
「クカッ。いいねぇ、その殺気」
脇構えの態勢を取ると、楽しそうに肩を震わせて笑った。
そして、ゆっくりとハウンドも剣を構えた、その時。
植木が揺れてハウンドの背後から、二つの黒い影が飛び出してきた。
ハウンドと同じ黒衣を着た、二人の男だ。
一人は蠍の刺繍が入った黒衣の、バトルフックを持ったスキンヘッドの男。
もう一人は、蜥蜴の刺繍に、二つのウォーピックを装備した、筋肉質の男だ。
この二人、不気味なくらいに無表情で、顔の特徴が薄く、まるで蝋で作られた人形のように見えた。
二人は、アルトの邪魔をするよう、ハウンドの前に立つ。
三対一の状況で、最初に口を開いたのは、意外にもハウンドだった。
「……ふむ。面白く、なってきたところだったんだけどねぇ」
「隊長。お戯れはそれくらいに。依頼主より、ラサラ・ハーウェイの件が最優先だと、念を押されている筈です」
窘めるような蠍の一言に、ハウンドはつまらなそうに鼻から息を抜き、手に持った剣を鞘に納めてしまう。
「興が削がれたねぇ。炎神の焔はどうなっている?」
「雀蜂が向かいました。今頃、残りのオークション関係者を始末して、宝物庫から獲物を奪取しているころでしょう」
「――なにッ!?」
ハウンド達の会話を聞き、アルトは隙を作らないよう注意しながら、チラッと視線をオークション会場の、最上階へと向ける。
あそこには、カトレアが様子を見に言っている筈。
雀蜂という人物がどの程度の手合いかはわからないが、ハウンドと同等の実力者ならば、かなり不味い状況かもしれない。
「……アル、カトレアが」
治癒用の秘薬と魔術で、レオンハルトの治療をするロザリンが、不安そうな声を漏らす。
だが、目の前の連中は、簡単に助けにはいかせてくれなそうだ。
「わかってる。ロザリン。お前は治療に専念しろ」
アルトは、剣の刃を後ろに、脇構えを取る。
「俺はこいつらを、速攻でぶった斬るッ!」
「我らを斬る、か。大きく出たモノだな若造」
蠍はバトルフックを頭上で回転させると、その直角に曲がったフックを付き付けた。
ウォーピックを両手で振り回し、蜥蜴も戦闘態勢を取る。
ただ、ハウンドだけはその場で後ろを向き、アルト達に背を見せた。
「逃げるのか?」
「悪いが、これも仕事でねぇ。機会があれば、また手合せを願おう。もっとも、ここを生き残れたとしても、依頼主はもういないだろうがね」
ニヤッと嘲笑を浮かべると、ハウンドは走り去っていく。
反射的に一歩、足を踏み出すが、そうはさせぬと二人が立ち塞がった。
暫しの睨み合い。
そして、同時に動いた。
「――セイッ!」
まずは蠍のバトルフックが、独特の円の動きで引っ掻くように、その鋭い先端でアルトを狙う。
槍と違って、突きや薙ぎ払いを警戒しなくて良い。
が、その形状故、迂闊に踏み込めば、フックに絡め取られてしまう。
身体を逸らしながら、フックに引っ掛けられないよう、外側へと逃げる。
間合いを見極め、伸び切ったところを、剣の柄頭でフックを下に叩き落とす。
「な、にッ!?」
更に足で先端を踏みつけると、フックの鋭い鉤の部分は深々と地面へと突き刺さった。
慌てて引き抜こうとしたところを、思い切り爪先で蹴り上げ、その勢いのままバトルフックは、大物を釣り上げた釣竿のように、大きく真上に振り上がってしまう。
「貰ったッ!」
と、斬撃を繰り出すが、割り込んできた蜥蜴にウォーピックにより防がれてしまう。
「今度は俺が行くぞ」
つるはしとハンマーを組み合わせた形状の、ウォーピックを、一本ずつ軽々と片手に持ち、それを左右からアルトに向かって叩きつけて来る。
「チッ、珍妙な武器ばっか使いやがって、曲芸集団かテメェらッ!」
左右にステップを踏み、轟音を響かせ飛ぶウォーピックを避けながら、アルトは毒づく。
相手は重量のある鈍器。正面からは受け止められない。
そう、相手は思っている筈。
「潰れろッ!」
思い切り、右手に持ったウォーピックを正面に突き出す。
無造作な攻撃だが、重量と勢いを考えれば、それだけで十分に必殺の一撃になりえる。
その重い一撃を、アルトは刃の峰に左腕を添え盾代わりにして、真正面から受け止めた。
激しく火花が散る。
鈍い振動と衝撃に、アルトの身体がズズッと後ろに下がるが、ただそれだけだった。
「ま、まさかッ!?」
「何だよ。随分と非力じゃねぇか」
ニヤリと笑いそう言うと、ウォーピックを横に弾き、返す刀で刃を打ち出す。
首筋を狙った一撃は、蜥蜴の背後から飛んできた、バトルフックの突出しにより弾かれてしまう。
透かさず、蜥蜴はアルトから距離を取った。
想像以上の動きに翻弄される蠍と蜥蜴の顔から、余裕の二文字は消えていた。
失敗したと、アルトは内心で舌打ちをする。
出来れば、余裕をかましている内に、勝負を決めたかった。
二人は視線で何かを伝え合うと、頷いて、アルトから一定の距離を取りつつ、左右に広がった。
今度は、二人同時にかかってくるらしい。
「アル、危ないッ」
二対一の状況をピンチと見たロザリンは、治療する手を止め、風縮弾を取り出そうと手を伸ばす。
しかし、
「ロザリン! 手を止めるな。お前はお前の役割に専念しろ」
ロザリンの行動を咎めると、厳しい言葉を飛ばす。
軽く様子を見た限り、レオンハルトは出血な酷いらしく、ロザリンも治療に難儀しているのはすぐにわかった。
今はレオンハルトの怪我を何とかするのが最優先。
一瞬、ロザリンは戸惑いを見せたが、一度頷くと、レオンハルトの治療に戻る。
何とか二人を相手しているモノの、状況はよろしくない。
ラサラは攫われ、レオンハルトは瀕死。
恐らくはカトレアも、似たような手合いを相手に、手こずっているだろう。
その焦りが、僅かにアルトのリズムを狂わせている。
このような切羽詰まった状況は、初めてでは無い。が、長らく戦場から離れ、平和な日常を満喫してきた所為か、その辺りの感覚がどうも、鈍ってしまったらしい。
昔ならば、油断して一人で向かって来る内に、二人まとめて始末出来た。
鈍っているどころの話じゃない。
危機感が足りなかったのは誰でも無い、自分の方じゃないかと、アルトは自嘲した。
「ま、無いモノねだりをしても、仕方ねぇか」
昔の感覚など、そう簡単に取り戻せない。
今、アルトがやらねばならないことは、この二人を最速で斬り伏せることだ。
「――ッ!?」
アルトから発せられる気配の質が変わったことに、気がついた蠍は動揺したような表情を見せる。
「……蜥蜴」
蠍が視線を向けると、意思疎通を交わすように、二人は頷いた。
動く。
素早く視線を二人に散らしながら、何時でも斬り込める態勢を取っていると、蠍と蜥蜴は同時に駆け出した。
蠍は真っ直ぐこちらに向かって来る。
蜥蜴の狙いは、ロザリン達だ。
狙いに気がつき、アルトの視線が怒りで、ギッと細まる。
「テメェら、アイツを人質に取るつもりか?」
「貴様を倒すのは骨が折れそうだ。弱者を狙うは、戦の定石。よもや、卑怯などとは抜かすまいな」
「……勘違いしてんじゃねぇよ」
動きを牽制するように、バトルフックが独特の攻めを見せる。
経験に無い動き故に、パターンが読み切れず、振り切ってロザリンの方へ向かえない。
鋭い鉤のフックが、アルトの剣と噛み合い、刃を絡め取る。
「戦場だろうが喧嘩だろうが、卑怯なマネは卑怯なマネなんだよッ!」
「確かに、それは真理だ」
力押しするように、互いの武器を引き合うが、力が拮抗しているのかビクともしない。
先ほどのようなトリッキーな捌き方は、二度も通用しないだろう。
一方で、蜥蜴がロザリンと倒れているレオンハルトに迫っている。
ロザリンの細腕では、レオンハルトの巨体を担ぎ上げることはできない。
かといって、置いて逃げるわけにもいかず、ロザリンは厳しい表情で彼を守るよう、蜥蜴の方を向いて座りながら両手を広げた。
手には風縮弾を持っているが、恐らくは足止めにもならない。
「――ふん!」
風縮弾を投擲。
だが、圧縮した空気の弾丸は、ウォーピックのハンマー部分でアッサリ叩き潰される。
「ふん。小賢しい」
走りながら、もう一方のウォーピックを振り上げた。
不味い。
アルトの背筋に、寒いモノが走ると、無情にもウォーピックが振り落された。
「――ッ!」
空気を引き裂きながら、触れれば骨など容易く砕いてしまう一撃が、襲い掛かる。
ロザリンの表情に恐れは無い。
ただ、真っ直ぐと落とされるウォーピックを睨むと、彼女の右手は何時の間にか、スカートの内側へと延びていた。
「――ロザリン!」
バトルフックを捌きながら、アルトが名を呼ぶ。
その一言に、ロザリンの赤い瞳に力が籠ると、スカートの内側から右手を引き抜く。
ロザリンの右手には、小さな鎖で装飾された、手袋が装備されていた。
それを翳した瞬間、紫電が迸る。
「――なんと!?」
「かみなり」
平坦に、けれど力強く言うと、迸る紫電が一気に弾け、ウォーピックを振り下ろす蜥蜴に絡みつく。
「グッ、ガァァァ!?」
予想もしていなかった雷による攻撃に、蜥蜴は仰け反って絶叫する。
装飾により術式を編み込んで、魔力を媒介に簡易的に雷を生み出す。
これも、風縮弾と同じで殺傷能力は無い。
しかし、電撃だけあって、そう簡単に防ぐことは出来ない上、格上の相手でも十分に足止めとして利用出来る。
放電はすぐに治まり、蜥蜴の全身から白い煙が立ち上る。
流石に膝は付かなかったものの、蜥蜴はウォーピックを振り上げた態勢で、ヨロヨロと後ろに下がった。
「クッ、小癪なマネを」
「なら、もう一撃」
再び構えた瞬間、手袋の術式を構成している鎖が、ピィンと音を立てて弾け飛んでしまった。
ロザリンの表情に、焦りの色が浮かぶ。
「し、出力に耐えられなかった?」
「おいおい、マジか」
凌いだと思った矢先に、再びピンチに陥る。
「ふん。手品のタネは尽きたか? では、今度こそいくぞ」
頭を振り、蜥蜴がロザリンへと迫る。
アルトは舌打ちを鳴らす。
繰り出される牽制に徹した、緩いが動きを制限するバトルフックを、形勢を有利と見た蠍の油断を見抜き、不用意に繰り出された攻撃を刃で一際強く払い、素早く間合いの中に踏み込む。
蠍は驚きながらも、致命傷は避けようと身を捩っている。
それも見抜いたアルトは、すぐさま刺突を繰り出そうとした刃の軌道を、下へと変えて、軸足となっている右の太ももを貫いた。
「――グッ!?」
苦悶の声と共に、肉を裂く感触が手に伝わってきた。
そのまま柄を軽く捻り、刃を突き刺した太ももから引き抜く。
それにより、太ももの筋肉を大きく抉られた足は、踏ん張りが利かず、蠍は前方に手を付いて倒れ込んだ。
トドメを刺している暇は無い。
素早くロザリンの助けに入ろうとするが、タイミング的に間に合わない。
今度こそ駄目か。
嫌な思考が頭を過った瞬間。
何者かの影が突風を纏い、今まさにロザリンの頭上にウォーピックを叩き込もうとしていた、蜥蜴の身体を後方へ大きく吹き飛ばしてしまった。
そして響く、涼しげな声色。
「この程度の手合いに苦戦するなんて、情けないわね」
突風はつむじ風となって、周囲の植木な草花を凪ぐと、声の主を中心として落ち葉や花びらを巻き上げる。
やがて、風は静かに庭園を吹き抜けて行く。
残ったのは、風を纏って現れて、一人の女性だ。
アルトとロザリンは、何処で見覚えのある女性の登場に、唖然とした顔をする。
貴婦人のような赤いドレスに、大きな鳥の羽根飾りのビーバー帽を被った、眼鏡の淑女は、その装いにはあまりにも不釣り合いな、刃の厚い両手剣を片手で軽々と持ち、涼しげな視線をアルト達に向けていた。
その声、その口調、なによりその顔。
見間違う筈が無い。
「お前、シリウ……」
「通りすがりの地方貴族の三女、シーさんよ」
流れるような口調で、キッパリと言い切る。
あの姿、特に眼鏡は、変装しているつもりなのだろうか。
向けられる視線には、無言の圧力が乗せられていて、質問の一つも出来そうに無い。
なのでここは、見知らぬシーさんで通すしかなさそうだ。
アルトとロザリンは、同意するように頷き合う。
佇むシーさんの隣りに来ると、視線を正面の男達に向けながら礼を述べる。
「悪いな、助かった」
「通りすがりよ。気にすることは無いわ」
「助けて貰ったついでと言っちゃなんだが、少しばかり立て込んでいてね。ちょっくら、この場を頼めるか。一人が誘拐されて、一人が会場の方で難儀してんだ」
「わかったわ。通りすがったのも何かの縁なので、私は会場の方を何とかしましょう。アルトは攫われた子を追いなさい」
「……お前、ずっとその建前で進めるのか?」
呆れていると、蠍と蜥蜴がザッと足音を鳴らす。
蠍は抉られた右足を引きずってはいるが、痛みに耐えられる程度は場馴れしているようで、もう平然とした表情をしていた。
「一人増えたところで、もう勝ったつもりか?」
「俺の方はまだまだ元気だぜ? あんな雷や突風、ダメージの内のも入らん」
そう言って、蜥蜴はニヤリと笑った。
彼らを一瞥して、シーさんは深々と息を吐いた。
「自分の現状すら把握出来ないなんて、三流以下ね」
「……なに?」
不遜な物言いに、蜥蜴の表情に怒りが宿る。
その怒りをぶつけるよう、両手のウォーピックを強く握った瞬間、高い金属音を響かせて、ウォーピックは根本から折れて、地面へズシンと音を立てて落ちる。
その断面図は、綺麗に切断されていた。
あの突風を纏い蜥蜴を吹き飛ばした時、シーさんは彼の得物を破壊していたのだ。
「――ッ!?」
予想外の出来事に、蜥蜴は絶句して言葉も無い。
斬ろうと思えば、シーさんは十分、蜥蜴を斬り殺せた筈。
「……な、なぜだ?」
問いに、シーさんは悠然とした態度で答える。
「警告よ。時間も無いことだし、今退くなら見逃すわ」
シーさんの言葉に、蜥蜴は険しい顔をして、蠍の方を見る。
やや、間を置いて蠍が答える。
「……わかった。ここは退こう」
「蠍!?」
「時間は十分稼いだ。どちらにしても、奴らの行動は間に合わない」
そう言うと、蜥蜴は納得したのか口を堅く結ぶ。
無言のまま、アルト達に背を向けると、植木の中へと消えて行く。
とりあえず、当面の障害は取り除かれた、が、息をつく暇は無い。
「ロザリン、レオンハルトの様子は?」
「ん。血は、止まった。傷も、大体、塞がっている。けど、出血が酷いから、後はレオンハルトの、体力しだい」
「そうか」
視線を向けると、体力を消耗しすぎたのか、レオンハルトが目を瞑り、意識を失っていた。
ロザリンの治癒魔術は優秀だが、高齢のレオンハルトには体力の問題がある。
今は彼がラサラを守るため鍛えてきた、その身体を信じるしか無いだろう。
「異変に気づいた第一騎士団が、こちらに向かっているわ。医療班も同行しているから、到着ししだい、彼らに任せた方がいいわね」
「……第一……アイツらか」
僅かに顔を顰め、アルトは背を向ける。
「俺はラサラを攫った奴らを追う。後のことは任せた」
同じように、シーさんもアルトに背を向けて、会場の方を向くと、ワザとらしく嘆息する。
「やれやれ。通りすがっただけなのに、大変なことを押し付けられたモノだわ」
「頼りにしてるぜ?」
「……ほんと、やれやれね」
苦笑しあい、二人は同時に駆け出す。
一人残ったロザリンは、視線を交互に向けた後、アルトの背中に向かって叫ぶ。
「――アルッ! 気を、付けて」
言葉を受けて、アルトは走りながら親指を上に立てると、ラサラが連れ去られた方へと消えて行く。
シーさんもまた、速度を上げ、あっという間にいなくなってしまった。
一人残ったロザリンは、レオンハルトの看病をしつつ、胸元の、服の下にしまってあるペンダントに手を添え、亡き母にアルト達の無事を祈っていた。




