第28話 動き出す悪意
ミューレリア・アルバのお茶会の相手は、ライナ・マクスウェルと副団長イリーナの二名だった。
オークション会場の最上階は、主催者専用のフロアになっている。
その一室。大切な来客用の応接間で、三人はお茶を飲みながら、当日の警備についての話し合いをしていた。
だが、ライナ達の表情はとても険しい。
特にイリーナの方は我慢がならないといった様子で、バンとテーブルを叩き立ち上がる。
「納得できません!」
「そう言われましても、困りましたわ。これはボルド様も賛成して下さっていることですし」
頬に手を添えて、ミューレリアはおっとりとした態度で、イリーナの怒りを受け流す。
「イリーナ。止めるんだ」
「ッ……わかりました」
ライナにそう諭され、渋々とイリーナは椅子に座り直す。
そしてライナは、真剣な表情で真っ直ぐとイリーナを見据える。
「もう一度、確認させてください。我ら第一騎士団を警備から外すとは、どういった意味でしょうか?」
「どういったって、言葉通りの意味ですわ。オークション当日、いえ、第一騎士団の皆様方には、この件に関しまして一切の手を引いていただきますの」
のんびりとした口調。
けれど、何処か有無を言わせない、迫力を持っていた。
ライナの視線が鋭くなる。
正面で穏やかに微笑む令嬢は、見た目の印象に騙されると、痛い目を見るかもしれない。
「しかし、依然、暗殺者ハウンドは捕まえられていません。それなのに、警備を解くのは自殺行為です。貴女にだっていつ殺害予告が届くか、わからないんですよ?」
ライナは必死で訴えかける。
ハウンドの当面の狙いは、予告を出しているラサラ・ハーウェイだろう。
しかし、ラサラカンパニー側は、こちらの申し出を一切却下し、話し合いの席すら設けてくれない。
ならばと、もう一方の最高責任者である、アルバ商会に話を付けに来たのだが、どうやらそれも門前払いを喰らいそうだ。
しかも、これは、一方的な閉め出し。
オークションの警護は、商業ギルドからの正式が要請。
そこからも外されるということは、第一騎士団は、完全に蚊帳の外になってしまう。
責任感の強いライナが、そんなことを許容出来る筈が無い。
「ハウンドは恐ろしい人物です。打てる手段は、全て打っておいた方が懸命です」
「う~ん、でもぉ。ライナ様方はもう、何度も取り逃がしているのですよね?」
「……はい」
痛いところを突かれ、二人は揃って顔を顰める。
「でしたら、残念ですけれど、このお話をお引き受けするわけには、いきませんわ。わたくしの友人は言っておりましたの。失敗を繰り返した上、尚も信用してくれと言う人間を、信用してはならないと……わたくし、何か間違っておりますかしら?」
「……返す言葉もありません」
悔しげに俯き、膝の上の乗せた拳をギュッと握りしめる。
応接間に気まずい沈黙が流れた。
だが、諦めきれないイリーナが、もう話を聞く気の無い態度で、お茶を飲むミューレリアに必死で訴えかける。
「王都の民には、騎士団に協力する義務があるはず! それを、放棄するおつもりですか!」
「勿論、そんなわけありませんわ」
にっこりと笑って、ミューレリアは顔を横に傾ける。
すると、ドアがノックされる音が聞こえる。
「あら、ちょうどよいところに……お入りになってください」
招かれて、ドアを開き現れた人物の姿に、二人は驚きの表情を浮かべた。
三十代くらいの、がっしりとした身体つきの騎士が、一礼して部屋へと入る。
「……アレハンドロ団長、なぜ、ここに?」
エンフィール王国第六騎士団団長アレハンドロ・フォレストは、皮肉交じりの笑みを口髭に浮かべ、ライナ達を一瞥した。
そのまま、彼はミューレリアの後ろに立つ。
「ご紹介します……と、言ってもご存知ですわよね? 彼、アレハンドロ団長が、我がアルバ商会及び、オークション会場の警備を担当させて頂きますわ」
そうして、ミューレリアは、淑女らしい微笑みを讃える。
「では、お二人共。お茶会はこれでおしまい。お帰りは、アチラになりますわ」
これ以上は、反論の余地も無い。
ライナは悔しさを押し殺しながら、黙って席を立ち上がった。
★☆★☆★☆
アルト達がラサラの元で働くようになって、三日の時が流れる。
懸念事項であった、暗殺者ハウンドの襲撃も、幸運なことにあれ以来無い。
オークションの日が一日一日と近づくごとに、増えていく業務に忙殺されているラサラにとっては、とても良いことだろう。
ボディガードであるアルトは、ハウンドからの襲撃が無い以上、やることは殆ど無い。
やることは、無いのだが……。
広い屋敷の家事を、たった二人で回すために、駆けずり回るロザリンとカトレア。
公私共に主を支えるレオンハルト。
そして、オークションの共同責任者という大任を背負う、ラサラ。
流石に忙しそうな彼女達を見て、ボーッと突っ立っているのは、居心地が悪かった。
なので珍しく、何かを手伝おうとこの三日、積極的に動いてみることにしたのだが。
まずは早朝。
「お仕事ですか? ……では、吾輩の代わりに、社長を起こしてきて頂けませんかな」
よしきたと、小走りにラサラの寝室に向かい、普通にベッドで眠る彼女を起こす。
世間ではロリコン扱いされていても、基本的にアルトは年上の女性が好み。
だから、目の前でラサラが涎を垂らし、ツルツルのお腹を丸出しにして寝ていても、気にせずベッドのシーツを引き剥がし、無理やり叩き起こした。
予想外のことがあるとすれば、想像以上に、ラサラの体重が軽かったこと。
勢いが良すぎて、ベッドから転がり落ち、ふぎゃとラサラは顔から床に叩きつけられた。
鼻の頭を真っ赤にして、目に涙を溜めたラサラは、鬼のような形相で怒鳴り散らす。
「貴方、本物の馬鹿ですかッ! いいえ、馬鹿ですね馬鹿に決まっています。動物だって餌を貰えば恩を感じるというのに、この駄犬ときたら息を吸うように人様に迷惑をかけますね! どうせボクの美しい寝姿を見て劣情を催したのでしょう、この変態! 駄犬! 変態駄犬!」
寝起きとは思えない剣幕で、アルトは寝室から叩きだされてしまった。
朝っぱらから元気なことだ。
次に、食事の準備を手伝おうと、カトレアのいる厨房に向かった。
「……アンタがあたしの手伝いって、雪でも振るんじゃないの? まぁ、いいわ。そこにあるジャガイモの皮を剥いといてよ。アンタらよく食べるから、量が多くて大変なの」
刃物の扱いは任せろと、ナイフを片手に、皮むき作業に入ったのだが。
モクモクと、ジャガイモの皮を剥き続けること小一時間。
様子を見に来たカトレアが、剥いた皮を抓み上げ、こう怒鳴る。
「ちょっとアンタ、あんま皮を厚く剥かないでよッ、勿体ないでしょ!」
目の前に、アルトが剥いたペラッペラの皮を突きつけてくる。
正直、アルトの技量でそれ以上は無理だ。
そう言うとカトレアは、ジャガイモとナイフをかっぱらい、スルスルと皮を剥いていく。
慣れた手つきで、まるで蒸かした芋のように、薄皮の如く綺麗にペロンと剥いてしまう。
向こう側が透けて見えるほど、薄く剥かれた皮を持って、カトレアはどや顔だ。
これは、大道芸として金を稼げるレベルだろう。
「いい? 食材というのは宝なの。一つ一つに感謝を込めて、調理や下ごしらえをしないから、アンタみたいに無駄な部分が出てくるのよ。そもそもジャガイモの皮だって、ちゃんと下処理をすれば……」
何だか妙なスイッチが入って、クドクドとお説教が始まったので、こっそりと厨房から逃げ出す。
後、その言い方だと、アルトが無駄な部分のように聞こえる。
ならば、せめて掃除でも手伝おうと、今度は書庫の整理をしている、ロザリンの元に行ったのだが。
「……う?」
何故か、掃除そっちのけで、本を平積みにして読み耽っていた。
ここは保護者らしく「サボってちゃ駄目じゃないか」と叱ってみるが、ロザリンは悪びれた様子も無く、誰のマネなのか指を左右に振って見せる。
「ラサラには、許可は貰ってる。『勤勉は、勤労に次ぐ美徳。学を身に着けることも、業務の一環としましょう』って、言ってた」
それは良いが、モノマネをするなら、もう少し、似せる努力をして欲しい物だ。
折角来たので、ロザリンに進められるまま、適当に本を取って読書と洒落込む。
結果、五分も立たずに眠りこけてしまい、通りかかったラサラに、再び激怒され、罵声を浴びせられてしまう。
戦術の指南書の類ならともかく、学術関係の専門書は敷居が高かった。
最後までアルトは、自分が何を呼んでいるのかすら、理解出来なかったし。
午前中かけて皆の手伝いをし、事情を聞いたラサラが昼食後に結論を下す。
「アルトさんは役立たずなので、ボディガード以外、何もしなくて結構です」
「――酷いッ!?」
別に一番最初以外は、大きなミスをしたわけでも無いのに、この扱い。
珍しく余計な気を回すと、碌な結果にならない証拠みないなモノだ。
昼食も終わり、アルトが役立たずという結果も出たところで、これから午後に向けて、新たにそれぞれが動いて行くわけなのだが。
食堂から応接間に移動して、ラサラはレオンハルトが用意した、食後のお茶を楽しむ。
正面の席には、何時もの三人が座る。
「さて、午後はどうするつもりだ? 今日は一日、屋敷の中で仕事すんのか?」
「いいえ、午後は外へと出ます」
ティーカップをテーブルに置くと、ラサラは嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「五日後には、オークションの開催があります。ので、最終の打ち合わせ行う為に、会場でミューレリア達に会わなくてはなりません……会いたくありませんが」
「……あのお嬢さん方ね」
事情を知らないロザリンとカトレアは、二人の反応に首を傾げた。
「出かけるってことは、あたしらは屋敷で留守番してればいいわけ?」
「いいえ。今回は、お二人にもご同行を願います」
意外が言葉に、二人は少し驚いた顔をする。
「当日はお二人も共に会場入りしてもらって、色々な雑務を手伝って貰う予定ですので、今回の打ち合わせには参加して、色々と覚えて頂きたいことがあるんです……アルトさんが思いのほか、使えないことも判明しましたので」
ジト目を向けられ、アルトは素知らぬ顔で、口笛を吹くマネだけをする。
そんなわけで久しぶりにアルト、ロザリン、カトレアの三人で、ラサラのお供をすることとなった。
★☆★☆★☆
目的地について馬車を下りる。
見上げると、晴れていたはずの空は、何時の間にか曇りへと変わっていた。
続けて降りたロザリンとカトレアの二人は、初めて見る、大きなオークション会場に、目を丸くして、驚きを全身で表す。
「でかい、大きい、ダイナミック」
「金かかってるわねぇ……あたしって、本当に元貴族なのかしら?」
両手を大きく広げ、会場の大きさを表現するロザリンに、自分の庶民すぎる感想に対して、自らの過去に疑問を持ち始めるカトレア。
とにかく、それくらい、目の前の会場にはインパクトがあるということだ。
対して、ラサラの顔色は悪く、機嫌もよろしくなさそう。
それにいち早く気がついたレオンハルトが、横歩きでアルトの側に近寄ると、肩をちょんちょんと叩き、ラサラの方を指差す。
意図に気がつき何で俺がと睨むが、レオンハルトは素知らぬ顔で口笛を吹くフリをする。
どうやら、先日、風呂の中で語った言葉を、まだ諦めていないようだ。
「……俺に気を使わせるなよ」
仕方なしに、不機嫌な表情で宇都を組むラサラの側に。
気配に気がつき、彼女はギロッと睨んできた。
「何ですか。トイレなら一人で行ってください」
「例えトイレだとしても、お前に付き添いは頼まねぇよ」
「そうですか。てっきり、そういった下種な趣味の持ち主だと決めつけていました」
「俺の今までの行動を見て、何でそんな結論に辿り着くのかが不思議だよ」
お決まりの会話を交わすと、少し気が晴れたのか、口元に笑みを見せた。
「そんなに、連中に会いたくないのか?」
「会いたくありません」
キッパリと言い切る。
ここ数日の付き合いでわかったことだが、別にラサラは口こそ悪いが、人嫌いというわけでは無いらしい。
勿論、彼女を毛嫌いする人間は大勢いるだろう。
だが、少数だが、レオンハルトを始めとして、ラサラをリスペクトする人物は確かに存在する。
そして意外にもラサラは、自分に好意を向けてくれる人間に対して、敬意を払った行動をとる場合が多い。
その観点から言えば、ミューレリアもそれに該当する筈なのだが。
多少、ピントはずれていたとしても、彼女がラサラに好意がるのは、間違いない。
それなのに、この嫌われようが、少しばかり不思議に思えた。
風呂場でレオンハルトが言っていたように、ミューレリアが変わってしまった、と言うことと、何か関係があるのだろうか。
いや、そもそも、アルトは考え違いをしているのかもしれない。
少し考え込んだ後、あえて、一番ありえない理由を口にしてみた。
「……もしかして、婚約者様に友達を盗られたから、拗ねてるのか?」
「――違いまひゅ!」
冗談めかした一言。
しかし、瞬時に反応した上に、ラサラは言葉を噛んでしまう。
図星かと、アルトが苦笑を浮かべると、ラサラは顔を真っ赤にして怒りを露わにする。
「うっ……ううっ!」
「なんだよ。随分と、可愛らしいところがあるじゃねぇか」
「物言いが不愉快ですッ。ですが、何よりも不愉快なのは、この程度のことで動じてしまう自分ッ……ボクの純情すぎる乙女心が恨めしいです」
心底悔しそうに、ラサラは地団駄を踏む。
その姿に呆れつつも、アルトは表情を引き締め、核心に斬り込んだ。
「そんなに変わったのか、ミューレリアは」
ラサラは直ぐには答えない。
顔を背け、何かを思い出すように、曇り空を見上げた。
「得る物、減る物があれば、人の中の価値観は変わり、物事の優先順位は変動します。そんなモノはですね、普通のことなんですよ」
自嘲するよう、ラサラは言った。
そして遠い目をしながら、淡々とした口調で語り出す。
「ボクの父親は、田舎ではそこそこ裕福な豪商です。もっとも、血の繋がりはありませんけどね」
語る言葉は、どこか他人事のように淡泊だった。
「母はその人の後妻で、ボクはその連れ子。長らく子宝に恵まれなかった両親は、ボクを跡取りにする為に、様々な分野の知識をボクに学ばせました。義父は基本、商売のことしか頭に無い人間でしたので、ボクが学べば学ぶほど、義父は喜んでくれて、そして義父が喜べば、母が喜んでくれました。幼いボクはそれが嬉しくて、もっと勉強を頑張る。小さい頃は、ずっとそれの繰り返しですよ」
表情は笑顔だが、雲を見つめる眼差しは、どこか寂しげだ。
「そんなある日、二人の間に子供が生まれました。男の子です」
口調は、変わらない。
「義父も母も大喜びでした。ボクも弟が出来たことは嬉しかった。けれど、漠然とああ、これでボクは終わったな。そんなことを思いました」
長男が生まれたのなら、当然、後継ぎは彼が担うことになるだろう。
ましてや、父親とラサラに、血の繋がりは無いのだから。
「別に驚きやしません。予想は出来たことですから……けれど、実際に目の前であからさまに手の平返しされると、傷つくモノですね。商売のことしかなかった義父が、常に弟を気に掛ける言葉を発する。金を浪費することしか取り柄のない母が、弟の為に手料理を振るう……ボクが何年頑張っても手に入らなかったモノが、弟は何の苦労も無く手に入れてしまった」
「そいつは、嫉妬ってヤツか?」
「違います」
振り向いて、ラサラはキッパリと否定した。
「ボクが欲しかったモノ……そんなモノに価値なんて存在しなかった」
自分に言い聞かせるような言葉。
「ミューレリアだってそうです。友達面をしていたって、結局は自分を大切にしてくれる婚約者を選んでしまう。そんなあやふやな感情で、ボクの理解者のようなフリをしないで貰いたいです」
極論過ぎるだろう。と、言いたいが、否定したところで、ラサラは意見を曲げないだろう。
「だから、ボクはお金しか信じません。自分の力でどうにかならないモノなんて、信用する気もありません」
「……俺もあんまり口にしたい台詞じゃないが、金で買えないモノってのも、あるんじゃないのか?」
「月並みですね……じゃあ、ボクが断言してあげますよ」
ラサラ・ハーウェイは、一切の迷いも無く、完璧な自信を持って言い放つ。
「お金で買えないモノなら、手に入れたって価値の無いモノなんですよ」
「そこまで言い切れるんなら、立派なモンさ」
そう言ってアルトは、肩を竦めた。
話し合いに、馴れ合いは禁物だ。
けれど、相互理解は重要。互いに何を考えているのか、理解していなければ、信頼関係は築けない。
その点だけを言えば、依頼主とボディガードは、そこそこ良好な関係を築き始めたのかもしれない。
調子を取り戻したラサラに、笑みを零していると、不意に視線を感じた。
見ると、ロザリンとカトレアが、何故かアルトをジト目で睨んでいた。
「……なんだよ?」
「なんでもないわよ~、この駄犬」
「だ、駄犬」
「……それは、ボクのマネのつもりですか?」
似せる気の全くないモノマネに、ラサラは額を押さえて嘆息した。
彼らの背後でこっそり、レオンハルトが口元を押さえ、爆笑を堪えていたのは、内緒の話だ。
三日ぶりに、ラサラ達はオークション会場へと足を踏み入れる。
中の内装はすっかり完了しており、作業員達も最終チェックに余念が無い。
色々あって期限は超えてしまったが、何とかギリギリ、オークションの開催には間に合いそうだ。
ラサラは歩きながら、周囲を見回す。
てっきり、前回のように、意気込んだミューレリアが出迎えに来るモノと思っていたが、その様子は全く無い。
ラサラは、拍子抜けしたような顔をする。
広く、美術館のようになっている館内は、初めて訪れたロザリンとカトレアには、物珍しく見えるのだろう。
そこかしこを、興味深げに見て回っていた。
それに対して二回目で、美術品に興味の無いアルトは、眠そうな目で欠伸を噛み殺している。
情緒の無い男ですねと、ラサラは呆れた。
すると、数人の身なりの良い女性達が、アルトに話かけて来た。
オークション関係者の、令嬢か何かだろう。
元々、交流の場として開催されたオークションなので、出会いの一環として、娘や息子達を同行させるパターンは珍しく無く、恐らくは彼女達もその類のはず。
顔立ちと身なりは良いので、何処かの貴族と勘違いされ、声をかけられたのだろう。
面倒臭そうな態度だが、顔は満更でも無さそうだ。
相手の令嬢が皆、巨乳だからだろうか。
何故か、イラッと胸の奥が沸き立つ。
「ご主人様のボディガードの癖に、生意気ですね」
とっちめてやろうかと踏み出した時、不意に身なりの良い男性が近づいてきた。
仕事関係かと、素早く社長モードに入る。
「ラサラカンパニーの、ラサラ・ハーウェイ社長ですね?」
「そうですけれど、何か?」
突然話しかけられ、訝しげな表情をしていると、男性は懐から一枚の紙切れを取り出し、それを差し出してきた。
眉根を潜めながらも、紙切れを受け取る。
すると、一礼した男はそそくさと、その場を後にしてしまった。
「……何なんですか、いったい」
ぶつくさ文句を言い、紙切れを開くと、中には差出人の名前と短い文章が記されていた。
目を通し、紙切れを畳み、ラサラは大きなため息を吐きだした。
「アルトさ……」
呼びかけようとするが、アルトはまだ令嬢達と談笑中だった。
ラサラは視線をスッと、細める。
レオンハルトも顔見知りの貴族や、商家に人間に話しかけられ、その対応に追われていた。
メイドコンビも、物珍しさに惹かれたのか、ふらふらと何処かに行って姿が見えない。
この広く、人の多い建物の中で、ポツンと、ラサラだけが取り残された気分だ。
「ふん。どいつもこいつも、ボクを蔑ろにして」
そう呟いて身を翻すと、アルト達に気づかれぬよう、その場を後にする。
不機嫌に唇を尖らせて、ラサラは一人、会場の中を走った。
建物を縦断して奥の扉を抜けると、庭園がある裏庭へと出る。
迷路のように植木が刈り込まれた庭を抜けると、真ん中に噴水が置かれた、広い空間へと足を踏み入れる。
白いテーブルに椅子が三脚。
周囲を植木の壁に取り囲まれ、時間と空間から隔絶されたようなこの場所は、別世界のような静けさに満ちていた。
グルリと見渡すと、その閉塞感からか、奇妙な息苦しさを感じた。
ラサラを呼び出した人物どころか、人の姿すら無く、キョロキョロと見回しながら、噴水の方へと歩く。
やれやれ、呼び出して置いて待たせるのかと、皮肉げな笑みを宿していると、不意に周囲の植木がガサガサと動く。
驚かせるつもりかと、半目で馬鹿にしたように、動く植木の方へ近づいた。
瞬間、数人の男達が飛び出して来る。
「――ッ!?」
悲鳴を上げる間も無く、口を塞がれ、両手両足を拘束されてしまった。
頭が混乱する、恐怖が思考を乱す。
身体の至るところを、見知らぬ男達の手で、痛いくらいに抑え込まれ、激しい嫌悪感から瞳に涙が浮かんだ。
拘束から抜け出そうと、激しく身体を暴れさせるが、男達の拘束はビクともしない。
絶望感がジワッと、影を落とす。
涙で歪む視界の先に、走り込んできた、見慣れた男性のシルエットが映り込む。
「――お嬢様ッ!?」
広場の光景を見て、レオンハルトが驚きの声を上げた。
たちまち表情に怒りの形相を浮かべ、レオンハルトは問答無用で、口元を押さえていた男の一人を殴り飛ばす。
口元が自由になり、新鮮な空気が肺を満たす。
「――レオンハルトッ!?」
「大丈夫ですかなお嬢様! 今、お助けしますぞ!」
何時も完璧に整えられている、髭や髪の毛が乱れている。
それくらい、必死になってラサラを探してくれていたのだろう。
相手の数は多いが、武器も持っていないし、レオンハルトの実力を持ってすれば、脅しをかける間もなく、倒してしまえる筈。
しかし、こみ上げた安堵の息は、彼の背後に現れた影の姿に、凍りつく。
「カカッ。残念。釣れたのは、執事の方か」
地の底から響くような、嫌な笑い声。
次の瞬間、レオンハルトの厚い胸板から、湾曲した刃が突き出していた。
真っ赤な鮮血が、緑色の庭園を染める。
時間が凍りつく。目の前の状況が、全く理解出来ない。
凍結する感覚の中、ラサラ・ハーウェイの声にならない絶叫が、曇天の空に響いた。




