第26話 ラサラ的労働哲学
鏡に映るのは、見慣れない自分の姿。
真っ白いジャケットに、真っ白いズボン。
更に上にはホワイトレザーの、ロングコートを羽織っている。
全身、靴まで白尽くしだ。
ラサラの屋敷で一夜を明かした翌日。
護衛用にとレオンハルトが用意した服装を着て、鏡の前に立ったアルトは、色々とポーズを決めながら、ふぅむと呻り声を漏らす。
「着慣れねぇ色合いだからなぁ……似合ってんのかどうなのか、さっぱりわからねぇぞ」
普段、オシャレなどとは縁遠い、同じ服を着たきりの生活を送っているから、いざこのような高い洋服を着させられても、違和感ばかりが先だってしっくりこない。
服に着られている、とでも言うべきだろう。
しかし、着替えを持ってきたレオンハルトは、背後から鏡を覗き込むと満足げに頷く。
「よく、お似合いですなアルト様……惚れ惚れするほどに」
恍惚の視線を感じて、アルトはぶるっと背中を震わせた。
「王都でも有名な、高級ブランドの洋服一式でございます。本来なら、オーダーメイドで仕立てるところですが、何分、時間がありませんでしたので」
「贅沢だねぇ。俺ぁ、着られればどんなボロ服でも構いはしねぇんだけど」
「これもお仕事です」
笑顔だが、真面目な口調で言う。
「護衛としてラサラ様に付き従う以上、お客様や取引相手の方々と、顔を合わす機会も多いでしょう。その時にあまりみすぼらしい姿でおられると、少々、都合が悪いのですよ」
「なるほどね。ま、話はわかったさ」
襟元を正して振り向くと、レオンハルトが何かを持った手を、ズイッと差し出してきた。
大きな手の平に乗せられていたのは、整髪料だ。
自分のボサボサの髪の毛を指差すと、レオンハルトは満面の笑顔で頷き、整髪料の蓋を外し、両手にたっぷりとクリーム状のそれを乗せた。
「おいこら。それって、そんなにたっぷり付けるモンじゃねぇだろッ!?」
「動かないで下さいアルト様。今っ、吾輩が自らっ、たっっっぷりと、このクリィィィムをぉぉぉ」
「なんで興奮気味なんだよこの野郎ッ!」
巻き舌の口調に怯えるよう、アルトは数歩後ろに下がるが、背中に鏡がぶつかり逃げ道は無い。
鼻息荒く、整髪料の油分でテカる手の平を、アルトの頭に近づける。
ただ、髪の毛をセットするだけなのに、この恐怖感は一体何なんだろうか?
ロザリン、カトレアの二人に用意されたメイド服は、ロング丈のクラシカルなタイプだった。
レース付きのカチューシャ。いわゆる、ホワイトブリムも装着して、本格的だ。
元々、似たようなウェイトレス姿を着こなしていただけあって、カトレアのメイド服姿は、金髪ツインテールによく似合う。
一方のロザリンも、クラシカルな衣装が、片目を隠した黒髪にマッチし、よりミステリアスな雰囲気を演出していた。
並んで立てばそれだけで、場が華やぐというモノ。
そして、その二人に負けないくらい、普段とギャップのある恰好をしている人物が。
準備万端に姿を現したアルトを見て、二人は揃って「おおっ!?」と感嘆の声を漏らす。
普段は伸ばしっぱなしで、ボサボサの灰色髪を、整髪料でキチンと整えてから、前髪を上げて顔をハッキリ出している。
同じ剣を腰にぶら下げているのに、今日の姿だと本物の騎士に見える。
元は悪くないので、普段の貧乏臭さが抜けると、まるで別人のようだ。
見上げる二人に、ふふんと鼻を鳴らして、アルトはパチッと片目を瞑る。
「んだよ? あまりの格好よさに、声も出ないってか?」
「……あ~、一瞬、イケてるかもって思ったけど、こう、何て言うのかしらね。アンタの顔の良さが前面に出ると、何か引くわね」
「悪くは、無い。けど、ちょっと、違うかな」
「お前ら、俺を何だと思ってやがるんだよ」
酷評されてしまった。
自分でも違和感があるのだが、人に指摘されると、それはそれでムカつく。
ここは、ラサラ邸の応接間。
昨日、到着して最初に通して貰った場所と、同じ部屋だ。
とりあえず、今日のスケジュールを伝えるから、ここに集まってくれとレオンハルトに言われているが、当の依頼主様はまだ来ていないようだ。
レオンハルトは、着替えて部屋を出た後、ラサラを起こしに行くと言って別れた。
恐らくスケジュールは、ラサラの口から直接、聞かされるのだろう。
それまで三人は、昨日と同じソファーに座って、待つことにした。
両脇にメイドをはべらせて座る、今の恰好のアルトは、ただの遊び人にしか見えない。
「しっかし、何処もかしこも豪華だなぁこの家。一体、総額で幾らになるんだ?」
「あたしらには、今後一生、縁の無い額ってのは確かね」
「いやいや、わからねぇぞ」
アルトが人差し指を左右に振る。
「俺も、何か、こう、ぶわぁってなって、大金持ちになるかもしれないじゃねぇか」
「説明が雑すぎる。せめて、例え話くらいしなさいよ」
「えっと、ほら。俺が何処かのお姫様に惚れられて、逆玉に乗るとか」
「…………」
てっきり、笑いが起こって、「んなわけあるかッ!」とツッコミが来ると思っていたのに、カトレアは目を細め、ジッとこちらを睨むだけだった。
「あれ、滑ったか……寒かったからって、んなに睨むこと無いじゃんかよ」
冗談が通じないと、首を振るが、カトレアは呆れ気味に言う。
「……アンタが言うと、本当になりそうで怖いのよ」
「んな、馬鹿なぁ」
アルトは半笑いで否定するが、ロザリンは真剣な顔で数回、頷いていた。
もし本当だとしたら、それは女難の類からくる、災厄だろう。
馬鹿話をしている内に、ノックと共にドアが開き、執事のレオンハルトを引き連れて、ラサラが応接間に姿を現した。
ボウタイ付きのブラウス姿で、昨日よりシックな装いだ。
昨夜のことが尾を引いているのか、不機嫌な表情でアルト達を一瞥すると、正面のソファーに腰を下した。
一拍置くと、気持ちを落ち着かせるよう息を吸い込み、正面に座る三人を見回した。
「おはようございます。お待たせしましたね」
「おはようさん。別に、今来たところだ」
「ご主人様が来る時間より、もっと早めに来ていないなんて、少しばかり躾がなってないんじゃありませんか? 初日からそんな体たらくでは、先々が思いやられてしまいます。少しは命の危機に不安がる、乙女の傷心を労わって貰えませんか?」
「日常会話としての流れだろうがっ」
「当然、わかって言っているんですよ」
一晩置いたおかげか、昨夜とは打って変わって、朝から絶好調の毒舌を披露する。
それで満足したのか、不機嫌さをスウッと消して、微笑を浮かべた。
ラサラは足を組み、膝の上の両の手の置いて、話し始める。
「さて、アルトさんは護衛、他の方々はメイドとして働いて貰います。メイドの方々は、レオンハルトの方が詳しい予定表を組んでいますので、それに従って行動してください」
目配せを送ると、レオンハルトは数枚の紙を、目の前のテーブルに置いて差し出した。
紙にはビッシリと、本日の業務が書かれている。
たった二人でこの屋敷の仕事を、回さなければならないだけあって、仕事の量は膨大。
パッと見た限り、休む暇もあまりなさそうだ。
流石のカトレアも、うへぇと表情を歪めた。
その様子に、レオンハルトが笑いながらフォローを入れる。
「心配なさらずとも、あくまで予定というだけ。最低限の範囲をこなして頂ければ、無理に全ての仕事を片付けろなどと言いませぬよ」
「なんだぁ……よかった」
カトレアは、ホッと一安心する。
「それで、俺ぁどうすればいいんだ?」
「アルトさんは護衛なんですから、当然、ボクと一日中、行動を共にしてください」
「一日中、ねぇ」
精神衛生上、中々に過酷な職場だなと、心の中で呟く。
「本日は一日、外回りをする予定ですので、アルトさんにはレオンハルトと一緒に、同行して頂きます」
「……はいはい。精々、大人しくしているよ」
何か嫌味が付け足される前に、先手を打ってみる。
しかし、ラサラはいいえと首を左右に振った。
「別に無理してお行儀よくする必要はありませんよ。アルトさんのような人間が、他人に迷惑をかけるなんて織り込み済みですから」
「お前が俺の、何を知っていると」
「それに、所詮はボクより格下の人間ばかり。怒らせようが失礼を働こうが、ボクの知ったこっちゃありませんよ……ただ」
笑みを消して、真剣な表情でアルトを見据える。
「お仕事の邪魔だけは、しないでください」
「……了解」
初めて聞く真面目な声色に、内心で少し驚く。
どうやら、性格的に問題は多くても、仕事に関しては真剣らしい。
「朝食のご用意は出来ていますので、済みましたら、本日の業務に取り掛かって下さい」
レオンハルトの言葉に、三人は同時に頷く。
今朝はレオンハルトが食事の準備をしたようだが、昼、いや、ラサラ達は外回りに出かけているので、夕食からはカトレア達が腕を振るうのだろう。
人生の中で、飯の心配が無いということは、何よりも幸せなことだ。
大袈裟なことを考えつつ、アルト達は食事が用意された、食堂へと足を運んだ。
★☆★☆★☆
ラサラカンパニーの本業は、投資と融資である。
優秀だがお金を持たない商家や個人に、融資することによって、彼らの事業を後押しし発展させる。
そこで得られた利益から元金の回収、及び利息の徴収を行っている。
場合によってはその商家そのモノを買い取り、人材の派遣、業務内容の見直しなどのテコ入れを加え、自らの傘下へと置くこともある。
それらのことの繰り返しで、ラサラカンパニーは、今のような大きな会社になったのだ。
朝食を終えてアルバイトメイド二人に見送られ、外回りに出たラサラ、レオンハルト、そしてアルトの三人は、高級馬車に乗り込み、王都の街を行く。
本日も実に気持ちの良い快晴だ。
普段だったらまだ、朝の時間帯は、人通りが少ないのだけれど、太陽祭が近いことが影響してか、通常より道行く人の数が多かった。
最初に訪れたのは、西街にある工事現場だ。
太陽祭に合わせて、橋や道路、古びた美術館はイベントホールなどの補修工事が、王都の各地で行われている。
今日はその一つ。拡張工事を行っている、美術館に訪れた。
この工事現場で指揮を執るのが、ラサラカンパニーの傘下に入っている業者らしい。
馬車を下りると、朝から元気よく、作業員達が忙しく立ち回っていた。
工事現場独特の騒音は、眠気の残る身体に響く。
「……ふむ」
ラサラはグルリと現場を見回し、僅かだが眉間に皺を寄せる。
「どうした。お出迎えが無かったことが、不満か?」
「抜き打ちですから問題はありません。まぁ、この程度の行動、前もって察してお出迎えするくらいの驚きは欲しいのですが、凡人にそれを望むのは酷でしょう。ボクのような慈愛に満ちた人間が、その無能さを責めるわけが無いじゃないですか」
「お前は良く、朝からそんなに舌が滑らかに動くな」
朝から聞かされる毒舌は、騒音以上にキツイものがある。
ニヤッと笑ってから、ラサラは真剣な眼差しを現場に向けた。
「ただ、作業員の動きが散漫だと、少し感じたんですよ」
「……そうか?」
視線を追ってアルトも現場を見渡すが、別に皆、流れるように動いていると思う。
もっとも、アルトは工事現場など注視して見たことが無いので、特に違和感を持たないのかもしれないが。
「恐らく、現場をまとめている人間が、不在か席を外しているのでしょう。それも長時間。で、なければあんなに、あからさまに作業能率が落ち込むなんてありえません」
「ふぅん。そんなモンかぁ?」
言われてみれば、無駄な動きが多いかもしれない。気のせいかもしれないが。
工事現場に不釣り合いな、アルト達の姿に、作業員達も気がついて、遠巻きに訝しげな視線を集める。
ここは西街。
場所柄だけに、相手が上流階級の人間かもという配慮から、ありがちに怒鳴り散らして、一方的に追い出すという行動には出なかったが、変わりに身体の大きい現場作業員の一人が、注意を促す為か、のっしのっしとこちらに向けて歩いて来た。
「申し訳ない。ここは、関係者以外は立ち入り禁止……」
「ちょうどいいですね。今すぐに現場監督をここに呼んできて下さい」
「……はぁ?」
話を途中で遮っての、一方的な言葉に、男はムッとした表情をする。
なるべく穏便に済ませたい故か、言葉を選ぶように暫し立ち尽くす男に、ラサラは細めた視線でギロッと見上げた。
「言われた行動も迅速に取れないんですか? 貴方のすべき行動は、ボクを追い払う言葉の算段では無く、ボクに言われた通りのことを、なるべく短時間で遂行することです。わかったなら駆け足で、現場監督の元に行って、こう伝えなさい」
だんだんと、怒りで顔を真っ赤にしていく作業員。
だが、次の一言にその色は青へと反転する。
「ラサラカンパニーの社長、ラサラ・ハーウェイがいらっしゃいましたと」
次の瞬間、その作業員は脱兎の如く駆け出した。
恐るべし、ラサラ・ハーウェイ。
その後、大急ぎでやってきた現場監督と、二、三言葉をかわし、最後に「帰りにまた寄るかもしれません」と、そう言って手短に済ませ、再び馬車に乗り込んでいった。
それを、昼までに違う現場で、何度も繰り返す。
行く先々で、大の大人が自分より年下の女の子相手に、ペコペコと頭を下げていた。
情けないとは思わない。自分達のトップに立つ人間なのだから、それが普通だろう。
ちょうど昼時になり、昼食を取る為、馬車はあるお店の前に止まった。
ここも、ラサラカンパニーの傘下の一つ。
南街のレストラン街にある、焼肉屋だ。
従来の術式を利用したコンロでは無く、炭火を使った網焼きは、スタミナを欲する職人街の人間には大受けで、連日大賑わいを見せている。
当然、時間帯もあり、入口には長蛇の列が出来ていた。
一時間近く列に並び、三人はようやく香ばしい香りと、煙が立ち込める店内に案内され、テーブル席へと通された。
並んでいる途中、ラサラの存在に気がつき、店長らしき男が、VIP待遇で先に店内へ通そうとしたが、ラサラは断り、逆に店長がとった行動を咎めた。
「お客様は店のルールに則って、長い列を待っているんですよ。事前にボクが予約しているのならともかく、こんな横入りのようなマネをしたら、人格者であるボクの美しい心が傷ついてしまうじゃないですか。そんな余計な気回しをさせる為に、貴方を店長にしたんじゃありませんよ」
と、厳しい言葉を浴びせかけ、追い返した。
よかれと思った行動なのに、店長としては哀れだろう。
だが、外から待っている客からすれば、横入りを許容すれば、自分達がないがしろにされていると、思うかもしれないし、引いては店の評判に傷がついたかもしれない。
その辺りの心理を読んでの行動なら、やり手という評判も頷ける。
ともあれ、腹も減ったので、まずは食事を楽しもう。
メニューを手に取り、アルトは手を上げて店員を呼ぶ。
「牛タンにカルビにロース。骨付きカルビとトントロとハラミと鶏腿と鶏皮を、全部二人前ずつ」
「ハツ、レバー、ミノ、ハチノス、ギアラ。全部、塩で。あ、あと、海鮮の盛り合わせもお願いします」
「野菜の盛り合わせと、サラダを人数分。皆さま、ライスは如何なさいますか?」
「食う食う」
「そうね、頂きましょうか」
「では、ライスを三人前」
「かしこまりました」
エンフィール王国ではあまり、米を食べる習慣は無いが、レオンハルトが言うには、焼肉と共に食べる白いライスは、絶品らしいので、それに倣うことにした。
メニューをメモし、店員の男が行こうとするのを、アルトが呼び止める。
「あ、あとビール……」
「仕事中ですよ」
「……ジンジャーエールで」
「人数分、お願いします」
がっくりとする言葉に、ラサラが付け加えた。
流石に店が混雑しているだけあって、注文したメニューが来るのは遅い。
そこかしこから、煙と香りが立ち込めているので、余計に待ち時間が長く感じられる。
空腹で、ラサラの機嫌が悪くなり始めた頃、ようやく複数の大皿を持った男性店員が、「お待たせしました!」と、テーブルの上に次々と大皿を乗せた。
鮮やかな色味の肉達に、アルトはゴクッと喉を鳴らす。
その様子を見て、ラサラが自慢げに口角を上げた。
「問屋から卸される肉は、厳しく選別していますから、店で出されるお肉は新鮮で美味しいモノばかりです。その分、値段に反映されていますが」
確かに、メニューに書かれている金額は、少しばかり目が眩むモノがあった。
けれど、この混雑を見れば、対価を払って食べる価値が存分にあるのだろう。
そんな会話をしている内に、レオンハルトがドンドンと肉を焼く。
油が跳ねる音と、香ばしい匂いが煙と共に立ち込める。
「この、待ってる時間が、何とも言えないよな」
「珍しく意見が合いますね。ちなみに、ボクはレアが好きなので、お先に頂きますよ」
「俺は良く焼いた肉が好きなんだ。少し焦げたくらいが香ばしくて、美味いんだ」
二人それぞれの好みを披露し、まずはラサラが肉に箸を伸ばす。
「カァァァァァァッッッツ!」
「「――ッ!?」」
咎めるようなレオンハルトの大声に、二人は驚いて椅子から跳ね上がった。
レオンハルトはギロッと、びっくりして静止する二人を見据えた。
「食には、もっとも美味しく頂ける瞬間がございます。その一瞬を見逃すことは何よりも不幸にして愚劣! ……故に、僭越ながら我輩自ら、この焼肉の美味たる部分を、社長とアルト様にご披露しましょう」
そう言って、トングを手に取ると、タイミングを計りながら、肉をひっくり返していく。
あまりの迫力に、ラサラですら、反論の言葉が紡げず、コクコクと頷いていた。
溢れる肉汁が網の下に落ち、じゅわっと真っ赤な炭の音を鳴らすと、より香ばしい匂いが鼻孔を擽った。
口の中に唾液が、自然と溜まる。
焼き加減を見極めると、レオンハルトは次々と肉を二人の小皿に乗せ、また新しい肉を網の上に広げ、焼き始めた。
「では、吾輩がじゃんじゃん焼きますので、お二人はたぁんと食べて下さい、焼肉は闘争ですぞ! 努々、油断なきよう」
有無を言わせぬレオンハルトには、人が変わったような迫力がある。
自由に好き勝手焼けない不満はあるが、一口肉を食べると、空腹もあってかそんな不満など一瞬にして四散した。
「ふぐふぐ……うめぇな、こりゃ。ライスとの相性が最高だなぁオイ」
「本当ですね。この噛み締めれば溢れる甘い油は、肉の質が良くなけれな味わえません」
甘辛いタレに、さっぱりとしたレモン風味の塩味が食欲を増進させ、大盛りに盛られたライスが見る間に減っていく。
箸休めのサラダも、シャキシャキと新鮮で、何とも良い塩梅だ。
二人は無言で食事を喰らい続ける。
一見、レオンハルトは食べてないように見えるが、さりげなく自分用の肉を確保していたので、心配ないだろう。
「つーか、お前ら、いつも昼間からこんなガッツリ食べてんのかよ」
「今日はたまたまです。以前から抜き打ちの視察をする予定でしたので、昼食はそのついでのつもりです」
「そろそろ夏も近いですからな。太陽祭やオークションの準備もありますので、ここはガッツリ食べて、体力を付けねばと考えまして」
焼肉を焼く手を止めず、レオンハルトは言う。
「それに、吾輩とアルト様は昨日、結構な量の血を流しましたので、その補給の一環と、社長が今朝方、仰っておりましたので」
「ほぉ~。随分とお優しいじゃねぇか。礼を言っとくぜ」
てっきり照れて誤魔化すかと思いきや、ラサラは右手にお箸、左手にご飯茶碗を持ちながら胸を張る。
「足りませんね。もっとボクの優しさと慈悲深さを讃えて下さい」
「……頬に米粒がついてっぞ」
指摘すると、表情を変えずに素早くご飯粒を取ってパクリ。
何事も無かったかのように、食事を続ける。
肉もサラダもジンジャーエールも美味い。
最近になって、美味い物を食べていると、不意に思うことがある。
「……あの二人にも、食わせてやりてぇなぁ」
自然と、そんな言葉が口を付く。
以前だったら、思いもしなかったことだ。
だがここ最近、随分とアルトの回りも騒がしくなってきた。
特に、小さい身体で良く食べる、ロザリンがこの場にいれば、目を輝かせて、肉を焼くのが間に合わないほど、気持ちのいい食べっぷりを披露してくれるだろう。
そんな呟きが届き、ラサラがポツリと言う。
「メイド達の食事は、屋敷の食材を自由に使ってよいと、言ってあります……多分、ここで食べた合計の金額より、倍の値段はする食材が並んでますよ、向こうには」
「……前言撤回だな。俺にも食わせろ」
ジト目で言って、アルトは勢いよく、肉とライスをかっ込んだ。
★☆★☆★☆
腹いっぱい焼肉を堪能して、暫しの食休みの時間を取ると、再び馬車に乗って次の目的地に移動する。
移動中、ラサラはしきりに、クンクンと自分の匂いを気にしている。
食休み中に、香水で消臭し、念入りに歯磨きまでした。
それでも、やはり女性には臭いが気になるらしく、ずっとこの調子だ。
ドアの縁に膝を引っ掛け、頬杖を付きながらアルトは言う。
「そんなに気になるんなら、午後の予定を明日に回したらどうだ? どうせ、また抜き打ち視察なんだろ?」
「残念ながら、午後の予定は別の、外せない用があるんです。それに、抜き打ち視察だとしても、後にずらしたりはしませんよ」
「なんで?」
「抜き打ちは抜き打ちだから、意味があるんです。普段と変わらない業務、普段と変わらない姿、普段と変わらない店構えを見る為に、わざわざ抜き打ちにしているんです」
香水を取り出すと、また、自分の洋服に振りかける。
「人の口というのは、意外に早いですからね。一日開けば、いえ、午前から午後に変わるだけで、ボクが抜き打ちで視察しているということが、噂になって傘下の者達を駆け巡ります。それでは意味がありません」
「別にいいじゃねぇか。社長様が気難しいのはわかってんだから、向こうだって最高の状態でおもてなししてくれるだろうぜ」
冗談交じりに言うと、ラサラは盛大なため息を吐く。
まるでわかってないと、心底呆れ果てた視線で、首を左右に振った。
「アルトさんの頭がここまで残念だとは、ボクはとても残念です……いいですか?」
ラサラは、グッと前に出る。
「ボクは確かに社長です。偉いです。可愛いです。が、しかし。商売人が品物を提供し、金銭を頂くのはボクでは無く、お客様なんです。何事にも一番に気を使うべき相手は、ボクでは無く、お客様なんです」
「……ほう」
アルトは思わず、目を見開いて感心した。
我儘で、自信家で、すこぶる口が悪い人物。
が、その本質。商売人としての矜持は、真っ当で筋が通っていた。
「なるほどな。お客様は神様ですってヤツか」
「いいえ、違います」
首を振ると、自信満々の態度で、自らの胸に手を添える。
「神は、ボクです」
「はぁ?」
「そして従業員はボクの手足。そしてお客様は、お金の成る木です」
瞳の輝きが増すごとに、アルトの困惑は深くなる。
「商売人はあらゆる手を尽くし、お客様を喜ばせ、満足させる。その木の枝に実ったお金と言う名の果実を、根こそぎ収穫する。いわばボクは食物連鎖の頂点に立つ存在。それを神と呼ばずして、何と呼びましょうか。従業員達はボクに奉仕する必要はありません、お客様に奉仕なさい。全ては、この神であるボクが、たんんんんんんまりと、お金を儲ける為に!」
ググッと、力強く拳を握った。
言葉だけ聞けば、完全にヤバイ思想を持った人間だろう。
やっぱり、ラサラはどこまで行っても、ラサラだった。
何やら熱くなっているラサラを、無言で指差して視線をレオンハルトに向けると、彼は困り顔で一回だけ、アルトに向かい詫びるように頭を下げた。
馬車を下りたアルトは、大きく伸びをして、凝り固まった関節を解す。
流石に一日、馬車の乗り降りが続くと、身体の節々が痛くなってくる。
「なんですか、爺臭いですね。ボクが恥ずかしいですから、もっとシャキッとしていてください。爺はレオンハルト一人で十分ですから」
「社長。我輩は爺では無く、ダンディ、でございます」
髭を整えながら、胸筋をピクピク動かした。
アルトとラサラは無視するように、目的地である目の前の建物を見上げた。
広い石畳の広場。その先には、真っ白に塗られた外壁の建物がある。
古代の神殿を模して造られた建造物は、小奇麗な分、清潔感はあるけれど、少しばかり胡散臭い。
美術的建造物が多い西街の中でも、これだけ大きな建物はそう無いだろう。
十階建ての高い建物は、離れた場所から見上げても存在感があった。
「ここは、オークションを執り行う会場です。今はまだ、内装の途中ですが、当日はカジノも行われ、そうとうに賑やかなイベントとなるでしょう」
「まだ途中って、開催まで一週間切ってんだぜ?」
「貴方の頭は空っぽですか? 立て続けに起きている殺人事件の所為で、最高責任者がコロコロ変わっていますから、その度に作業が滞っているのです」
二人で並んで会話を始め、後ろに立つレオンハルトは寂しさを表すよう、整えた髭の先端がくたぁと萎れる。
「その口振りから察するに、今の責任者はお前なのか?」
「頭を使うことは覚えたようですが、想像力がお猿さん並ですね。半分、正解です」
半分当たっているのに、酷い言われようだった。
「残念ながら、商業ギルド的ではボクはまだまだ若輩者。如何に優秀なボクでも、時間による積み重ねは、どうにもなりません。本来なら、ボク一人で十分な案件なのですが、ギルドのお偉い方の主張も無視できないので、血を吐くような思いで飲み降し、ある方との共同開催という運びになりました」
説明している最中、面白いくらいに表情が変わる。余程、屈辱的なことなのだろう。
つまりは、ぽっと出の若手に美味しいところを持って行かれないよう、商業ギルドの古参が横槍を入れてきた。そういうことだろう。
「つまり、アンタの他に、オークションを取り仕切る人間がいるのか?」
「ええ。向こうはボクが大好きのようですが、ボクは彼女が大嫌いです」
ツーンと、子供のような仕草で不機嫌を表す。
いつも余裕ぶった態度を見せているから、この姿が逆に新鮮かもしれない。
と、そこに遠くから、ラサラの名前を大きな声で呼ぶ声が聞こえる。
視線をそっちに向けると、建物の入り口でドレス姿のお嬢様が、こちらに向けて大きく手を振っていた。
途端に、ラサラが思い切り顔を顰める。
掛け声と共に、手を振り続けるお嬢様に、アルトは横目で嫌そうな顔をしているラサラを見た。
「……答えてやらないのか?」
「あんな変な人、ボクは知りません」
余裕の笑みを返そうとしても、口の端がピクピクと動いている。
やがて、返答を貰えないことに業を煮やしたのか、お嬢様はゆったりとしたスカートを両手で掴み上げると、露わになった足でリズミカルに入口階段を駆け下りる。
結構、高いヒールを履いているので、転げ落ちないか少し心配だ。
「ああ、何とか下り切ったな」
「そうですね」
無事、下まで辿り着いたお嬢様は、ホッと息を吐いて、続いてこちらに向けて走り出した。
やはり、ヒールが高いので、随分と走り辛そうだ。
「あ、脱いだ」
「……ヒールが折れなかっただけ、良かったんじゃないですか?」
脱いだヒールを手で持ち、ヨタヨタと走り続けること数分後、ようやくお嬢様はアルト達の目の前までやってきた。
見た目通りのお嬢様らしく、体力は皆無なのか、たったあれだけの距離で、息も絶え絶え。
足を止めても、その場でぜぇぜぇと息を整えるのに必死で、全然、話に入れない。
ラサラは、呆れ顔で嘆息する。
「あまり日に当たらない生活をしているのですから、無茶しない方が懸命ですよ。ミューレリアさん」
「まぁ、酷いわラサラ。ラサラが意地悪して、手を振ってくれないから、わたくしはこうして頑張って、走って来たのでは無いですか」
ようやく息が整った、ミューレリアという名のお嬢様は、そう言って拗ねるような上目遣いで睨んだ。
ラサラは皮肉交じりに笑う。
「失礼。最近は書類仕事が多くなりましたので、視力が低下してしまい、気がつかなかったんですよ」
流れるような嘘に、アルトは思わずジト目になる。
が、ミューレリアは驚いたような表情で、ポンと手の平を叩いた。
「まぁ、大変ですわ! ええっと、このような時は確か、ブルーベリーを食すのがよろしいでしたわよね。市場から取り寄せて、お送りしますわ……何キロくらい食べれば、視力って戻るのかしら?」
顎に指を添えて、首を捻る。
この娘もそうとう、頭のネジが飛んでしまっているらしい。
ラサラは面倒臭そうに、咳払いを一つ。
すると、それまで黙っていたレオンハルトが、すっと耳元に顔を近づける。
「……おい。顔が近いぞ。臭うから、あんま近づくな」
「ご心配なく。香水による匂い消しは、万全ですので」
「その香水が臭いんだよッ。何で甘い薔薇の香りさせてんだ、それ女用だろッ」
「そんなことより、アルト様」
背筋がゾクッとするウィスパーボイスが、耳朶を打つ。
「目の前少しお茶目なお嬢様はミューレリア・アルバ様。今回のオークションで、社長と共同で責任者を務めます、アルバ商会の代表でございます」
この天然丸出しのお嬢様がと、アルトは、声は発さず視線だけを細めた。
レオンハルトは説明を続ける。
「そして今、ミューレリア様を追い駆けてきた貴族の御仁が、婚約者であられるボルド・クロフォード様です」
「――ッ!?」
反射的に怒鳴りかけた言葉を、必死で呑み込み、慌てて顔を向ける。
ミューレリアの後ろから、肩で息をしながら追いかけてきた、金髪の優男が困り顔で彼女の横に立つ。
年齢はアルトと同じくらいか。品の良さそうな、いかにも貴族といった雰囲気。
反面、物腰の柔らかさと屈託の無い笑顔は、貴族と構える相手の壁を、容易に取り払ってしまえるような、無邪気さが垣間見えた。
「急に走り出すから、何事かと思ったじゃないか。淑女が裸足で外を走り回るなんて、いけないことだよ、ミューレリア」
「あら、申し訳ありませんボルド様。ラサラを見かけたモノで、つい」
婚約者らしく、仲睦まじい会話だ。
だが、アルトの警戒心は、暗殺者ハウンドと対峙した時と同じよう高まる。
ボルド。確か、フェイが忠告した名前と同じ。
偶然だと言われれば、反論は出来ない。
が、このタイミングの良さ。偶然と割り切るのは、少しばかり不用心だろう。
そして、クロフォードという家名。
あの通り魔野郎。ランディウスと同じ家名。
エンフィール王国の貴族で、全くの血縁無しに家名が同じなのはあり得ない。
ただの偶然か、それとも仕組まれた必然か。
「……? どうしたんですか。いきなり、黙り込んで?」
訝しげに顔を覗き込むラサラに、短く「何でも無い」とだけ言った。
不審そうな表情はしたが、それ以上は聞かなかった。
昨日の今日でこのキナ臭さ。
どうやら、この一件。オークション絡みだけでは、終わらない予感がしてきた。




