海の底へと
人魚。それは前世においてもメジャーな人外の一つであり、世界のあちこちでそういった伝承は残されている。
日本においては捕らえられた漁師に命乞いし、逃がしてくれるお礼といって災害を予知したという話などが伝わっている。赤いロウソクについては多くの日本人にそのエゴと切なさを感じさせたであろう。食べると不老不死になる八百比丘尼などの伝承もあり、なんとなく願望や儚さを司るようにも思われる。
西洋でよく共通しているのは華麗な歌声を持ち、それに魅せられた船乗りは不幸なことになるという。
実際はジュゴンを見間違えたのだろうという説が一般的であるが、その、人魚が、どうしてここにいるというのか。
「申し遅れました。私、人魚族が一人、リエと申します。レイル・グレイ様でよろしいですか?」
俺たちがぽかんと呆気にとられていると、彼女は慌てることもなく再度尋ねなおした。
どれほど見ても、腰の部分から下は綺麗に鱗と一体化している。作り物でも幻影でもない。なにより空間把握で彼女と彼女の周囲を見てもなにも問題がない。
「いや、あってるけど……君とは初対面のはずだけど、どこで名前を知ったの?」
「あなた方は有名ですよ。でもまあ……私たちがあなた達の名前を聞いたのはウェンディーネ様からですね」
「俺はそのウェンディーネを知らないんだけどな」
「ウェンディーネ様はウタどのからお聞きしたとおっしゃいましたが……」
なるほど、ウタか。
あいつ、元気にしてるかな。
サバンに行く前に一度顔は見せたけど、その時は何も言ってなかった。
「で、人魚の貴女が私たちに何の御用?」
カグヤもロウも既に武器に手をかけている。警戒態勢はばっちりだな。殺気を感じなくとも害になるということは多々ある。警戒するに越したことはない。
ただ、彼女は何も企んではいないと思う。いや、別に綺麗な人魚の女性だからじゃなくってな、それも少しは関係あるけど。
だいたい俺たちをどうにかしようというのに、歌声しか武器になる可能性のあるものがない人魚一人ではどうしようもないだろう。最悪見つかった瞬間捕らえられて売られる。
なのにここには彼女一人しかいない。それをカグヤもロウも俺もわかっていてなおこの警戒をするのは仕方のないことなのかもしれない。
「なんの用もなしに警戒心の強い種族が姿を現すわけがないもんな」
そういうロウは人魚がいるということについてはあまり驚かないようだ。もしかして家の倉庫とかで人魚の肉を見たことがあるとかじゃないだろうな。
「あなた達に頼みたいことがございます」
「ん? 頼みごと? じゃあ話ぐらいは聞くよ」
俺も薄情ではない。
いや、薄情云々ではなく、ここで話を聞くことで、彼女が敵意があるにしろないにしろ俺の利益になると見越してのことだ。
「実は……」
とりあえず彼女たちの国のことから教えてもらった。
◇
彼女たちが住むのは海底の国、アクエリウム。
そこに住むのは何も人魚族だけではない。魚人族、水人族に留まらず、知能は高いが脆弱な魚系の魔物に、海に関する精霊などもそこにいるらしい。
様々な種族が海の中で調和し生きる、数少ない多種族国家と言えるだろう。
で、俺の情報が漏れたのはウタからその上司的存在のウェンディーネ、そしてウェンディーネから海の精霊に漏れたらしい。うん、精霊というのはどいつもこいつも口が軽くて噂好きだということがわかった。
別に怒ってないぜ?
ウタは何故か俺を猛プッシュしたらしく、一部の精霊の間で俺たちは有名になっているのだとか。
「妖精を目の前にして助けるだけ助けて何もしなかった間抜けな方だともお聞きしています」
なんだろうか、このそこはかとなく漂う悪意は。俺たちに助けてほしいとかじゃないのだろうか。
「そもそもお前らの国ってついていけんのか?」
ロウの指摘もごもっともである。
少なくとも俺たちはえら呼吸はできないし、びっくり潜水服を持ってるわけでもない。
深海に行く手段が全くないわけではないが、そこで暮らす手段を持ち合わせてもいないのだ。
「ご安心ください。水人族はえら呼吸ができません。それでも水上に上がって息継ぎすることなく過ごせるだけの空間がありますので」
「へぇ、そりゃあすごい」
「どうなってるんだろうね」
海の底の国、か。是非とも行ってみたい。というか行くことになるんだろう、この展開だと。
「そうですね。行くことになります。具体的に頼みたいこともそこでお話しましょうか」
「心を読むな」
「顔に書いてあっただけですよ」
「私も興味あるわ。アクエリウム」
カグヤも同じ思いらしい。
まあ俺たちは基本知識欲の高い方だしな。一般的には危険な場所でもホイホイとついていってしまうのだ。本当にヤバイと思ったら退却も最速だけどな。
「では、あなた方は空を飛べますか?」
「普通はとべねえからな? ……飛べるけど。人間に『空を飛べる?』って聞くもんじゃないからな?」
「なんだか飛べそうだったので」
「お前が俺らを人間扱いしていないことはよくわかった」
「レイルくん、どの方法で飛ぶの?」
「そりゃあ、まあ、ね?」
良い機会なので寝込んでいた時に思いついたことを試してみようと思うのだ。
飛ぶというのとはちょっと違うが。
「では私の上をついてきてもらえますね」
リエさんはそう言うと、バシャンと海に飛び込んで泳いでいった。
◇
どこまでも広がる大海原を、美しい姿の人魚が泳いでいく。
飛沫が跳ねるたびに、その隙間に太陽の光が差し込み鱗に反射してキラキラと光る。
滑らかな下半身を凝視しながらついていくという、どこか背徳感のあるシチュエーションに鼻の下を伸ばすような余裕はない。
リエさんはとにかく速かった。
さすが人魚。海で魔物に出会っても生き残れるのはその泳ぎの速さもあるのだろう。どうしても争う場合は歌でも歌うのだろうか。
「…………何してるの、これ?」
俺たちはドラ○エ8の奇術師のように海の上空2mほどを走っていた。
走るといってもジョギング程度のものだが、とにかく異常であるのは俺たちが走っているのが空中だという事実である。
言葉通り、何もない……というと厳密には空気があるのだが、その虚空を踏みしめて走っているのだ。
「なあ、これどうなってるんだよ」
ロウもわからないらしい。
アイラはこの中で一番体力がないため、聞いても仕方ないことでなおかつ後でも聞けることに労力は割けないのだろう。口に出して尋ねることこそないものの、先ほどから足元をビクビクしながら見ている。
「これはなー」
やや面倒くさい説明なのだが、仲間に隠し事をすることほど亀裂を生むものもあるまい、とこれを生み出す原理を説明してやった。
これは空間術の応用である。
以前から気になっていたことなのだが、空間転移がどうして成功しているのかということについてだ。
この世界に絶対なる座標があるからといって、そこに向かって転移すれば俺は確実に見当違いの場所へと飛び出す。
何故か? もちろん、この惑星が自転と公転を並行しているからである。
自転は4万kmを1日24時間かけて回る。時速にして約1670km、秒速にすると約460mである。
つまりは自転を考えるだけでも1秒あたり数百mは誤差が出るということだ。
国単位で跳ぶならば別に構わないのだが、戦いの中で転移を連発するには怖すぎる。
公転はもっと酷い。秒速にして約30kmとさえ言われる。
とりあえず訓練でなんとかなっていたから疑問も挟まず使っていたのだが、ふと考える時間ができたときに余計なことを考えてしまったのだ。
で、わかったことは、どうやら空間転移には2種類の座標があって、絶対座標と相対座標というものだ。(命名自分)
絶対座標は宇宙空間でもない限り一般人にはまず考える必要さえない座標のことだ。
で、相対座標こそが俺が空間術の時に使っている座標だ。
自分から見てどれだけの位置にあるか。
それだけを重視した座標である。
俺が今しているのは、俺が発動した時に俺を起点として足元の空気の座標を固定するという術だ。
空気とはいえ、座標を固定されてしまえば誰にも動かすことはできない。
できるとすれば同じ空間術を使える奴だけだ。
固定した空気を足場代わりに海の上空を走っているわけだ。
「へえ……気持ち悪いこと考えるのね」
心外な。便利なら別にいいんだよ。
リエさんが少し先で待ってくれている。
追いつかねば、と理由のない使命感をもってとっととそこまで駆け寄った。
「つきましたよ」
とリエさんに声をかけられて立ち止まる。
「では、行きましょうか」
彼女がそう言うと、海に大きな穴があいた。
直径10mほどの大穴は俺たちが全員入っても余裕がある。
彼女はおそらく水魔法を使ったのだろう。
だがこの規模はヤバイ。今ここで彼女と戦えば負けそうだ。
「何をしているんですか、行きますよ」
彼女はそう言うと穴の側面から顔を出しながらその底の見えない穴の奥へと降りていった。
底の見えない穴とは不安感を煽りますよね。そこへ降りていくのはなんとも勇気のいりそうなことです。




