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ひたむきさの裏側

 あれから三日経って。


「大丈夫ですか?」

「だい、じょぶ、です!」


 真面目というか、負けず嫌いというか。そう答えるディディちゃんの額には球粒の汗が浮かぶ。私は流石に彼女にはきつかったかと反省した。


「半分持ちましょう」

「い、いいです!!!」


 キッと睨まれ、私は手を引っ込めた。彼女の腕には大きな袋が二つ。人手がある今こそまとめ買いのチャンスと思った私はここぞと必要な物を揃えた。


 私は補修用の資材やペンキを持ち、彼女には食材を任せた。瓶詰の食材や重たいカボチャの詰まった袋が細い腕に相当な負担をかけているらしい。段々悪いことをしている気分になってきた。


「はあ、はあ…」


 足取りも不安になってきた。見守りの域を超えたと判断した私は、力のあまり入らなくなった少女の手から、袋を片方奪い取る。


 「あっ」と責めるような声が漏れた。ディディちゃんは悔しそうに私を見た。


「そちらの袋、落とさないようにお願いしますね」


 卵が入っていますから、と付け加えると無言の頷きが返される。私はよいしょ、と増えた荷物を持ち直すと、森の入り口を潜り抜けた。



「ああよかったです。お買い物が午前中にすんでしまいました」


 二人で良かった助かったと強調しながら買って来た荷物を仕舞う。荷物を奪ってからディディちゃんの元気がない。励まさなくてはと思った次第だ。


「よし、では次は昼食の用意をしますね。あ、ディディちゃんは休んでいてください」


 片付け終わった私は時計を見てエプロンをかけた。もう取り掛からなくてはならない時間だ。


「いえ…!私も…」


 見るからに疲弊しているにも拘わらず、ディディちゃんは立ち上がった。重たい足取りでキッチンに入ってくる。


(わあーいいのにー!見ているのも勉強なのにー!)


 頑張りを評価したいのは山々積み積みなのだが、無茶は推奨できない。しかし私の躊躇いもどこ吹く風、ディディちゃんは険しい顔で包丁を構えた。





「次はお洗濯をしますが…」

「や、やります」

「私はお掃除をしてきますので…」

「私も…」

「お風呂の支度をしようかと…」

「…はい」

「お夕飯の準備を……」

「…」


 ディディちゃんが来て五日。次第に彼女の顔から表情が消えて行った。それを見てしまっては流石に言えなかった。空いた時間に草をむしり、畑をいじりに行きたいと。何故なら彼女は私に付いてきてしまうから。私が休憩していないと、休んでくれないから。


 明らかにきつそうなのに、彼女は決して私の甘言に乗ってくれない。見上げた根性だった。

 

 いくら本人の希望と言っても、今日こそいよいよ疲労困憊の彼女に夕食の配膳を任せるのは非常に心配だった。私は心の中で「頑張れ!頑張れ!」と応援し、そして彼女は覚束ない足取り、震える二の腕でもって何とかやり遂げてくれた。


「どうぞ…先生」


(褒めてあげて!頑張ったって!言ってあげて!)


 彼女の頑張りを隣で見ている内に、ひな鳥を育てている気分になってしまった。私はキッチンの影から先生に念を送った。


「…」


(な、何も言わない…)


 鬼だ。ついそう思ってしまうほど、先生は無反応、というかいつも通りだった。


 とぼとぼと戻ってくるディディちゃん。その顔を見て、私は何と声をかけたらいいのか分からなかった。


(ま、真っ白だ…!)


 体力気力共に使い果たしたのだろう。燃え尽きたような生気の無さ。十五歳がしていい顔ではなかった。




「お、おいしいい…」

「どうぞ!たんと召し上がって!」


 信じられない程いつも通りに食事を終えた先生がお風呂に行っている間に、私たちは夕食を摂っていた。


 ディディちゃんはパクパクとたくさん食べた。昨日まで気合でもたせていた、張り詰めた空気がプスンと抜けたようだった。


「ごちそうさまでした…!美味しかった…あれ、それ、何してるんですか」


 私がプレートに向かって両手を合わせていると、ディディちゃんが不思議そうに尋ねてきた。


 「これは、先生がいつも」と説明をすると、ディディちゃんの眉が下がる。泣きそうな表情に私はギクッとした。


「ど、どうしました!」


 焦って前のめりになると、少女は顔をくしゃりとさせた後、机に突っ伏した。


「…何でもないです…」




 まだ戻ってこない先生の、お風呂上り用の飲み物をテーブルに用意し、私はディディちゃんを街に送るために家を出た。


 夜空からの光が心許ない森の中、ランタンをかざして歩く。疲れている彼女の足取りは重い。大丈夫かと心配になる。けれどそれ以上に、ずっとしょんぼりしているのがもっと気になった。


 初日の元気さが失われてしまったようで、私は酷く悪いことをした気になっていた。体験という割には精一杯頑張ってくれる彼女。そのやる気を削いででももっと緩くやってもらうべきだったのだろうか。


 何にせよ、ここは声をかけなくては。


「ディディちゃんが来てくれて、いつもより念入りにお掃除が出来たり、お料理の手間が省けたりして、とっても助かっていますよ」

「…」

「頑張り屋さんで、真面目で。あなたのような同僚がいたら、とても頼もしいと思います」

「…でも、先生は…何にも言ってくれません…」


 本当は、いちいち褒めてくれることを雇用主に期待するのはよした方がいい。叶わないことの方が圧倒的に多い。責めはするが、褒めはしない人の方がざらと聞く。


(でも、何だか彼女はそういう意味じゃないような気がする。「先生」から、言葉が欲しいのかも)


「ディディちゃんは先生と前からお知り合いなんですよね?お花を貰ったりと聞きましたし」

「……」

 

 しばし一定のリズムで足音だけが続き、そして止まった。


「ディディちゃん?」


 私は彼女の歩みが途切れたことを察し、ランタンを持つ手を後ろにかざして振り返った。俯く彼女が暗闇に照らされる。


 どうしたのかと聞こうと口を開きかけたのと同時に、唐突にディディちゃんは私に駆け寄ってきた。細い腕が私の自由な方の腕にしがみつく。


「ど、どうしました?」


 今度こそ尋ねると、ディディちゃんはそのまま私の腕に自身のを絡ませたまま歩き始めた。本当にどうしたのだろう。


「…初めて会ったのは、多分五歳くらいの時。お爺ちゃんに付いてあのお家に行ったの。難しい話をしていたから、つまんなくなってお庭で遊んでた。たくさんお花が植えられていて、綺麗だなって。私、つい咲いていたお花を一本摘んじゃったの」


 ディディちゃんは私に頭を寄せ、昔語りを始めた。砕けた言葉を使うと、彼女が年相応の少女に見える。


「お爺ちゃんにすごく怒られた。先生が育てていたお花だったから」

「…先生は怒りましたか?」


 少女はブンブンと首を横に振る。


(だろうね。怒らなさそう)


「先生、他にもたくさんお花を摘んで、束にして私にくれた。持っていきなさいって」


(せ、先生えええ)


 その光景が脳内に浮かび上がる。先生と、幼い少女。何だか微笑ましく、そして尊い。


「押し花のしおりをくれたのもその時。これは枯れないからって」

「成程…」


 私が相槌を打つと、ディディちゃんは更にぎゅっと私の腕を抱いた。何だか甘えられているようで、下の妹を思い出した。あの子とは2つしか離れてはいなかったけれど。


「…私、それから先生のことがずっと好きだったの」

「ほう…?」


 唐突かつ聞き捨てならない告白に、つい含みのある返事をしてしまった。それはつまりどういうことだろうか。たかだか十年前の話であれば、先生はその時もあんな感じであったはず。ディディちゃんの「好き」は一体。


「…一応お伺いしますが、その「好き」とは…」

「初恋って意味」

「……」


(いや…)


 まさか過ぎて、脳が付いて行かない。ええっと、それはつまり…恋愛的にお好きだったということでいいのだろうか。初恋と言うからには、恋なのだろう。


 何も言えない私の困惑を察したのか、ディディちゃんは「あはは」と笑いを零した。取り繕った影のない、純真な声だった。


「学校に入ってからは滅多にこっちに帰って来られなかったけど、ずっと先生のことを思い出してた。将来結婚したいなって」

「け、けっこん」

「でもこの歳の差でしょう?だからね、傍に居られればいいってことにして。私…中等部を出たら家政婦になりたいって言ったけど、どこでも良い訳じゃなかったの。先生のとこで働きたかったの。たまに人を雇ってるって話は聞いていたし」


 何だか聞いていたら切なくなってきてしまった。彼女が明るく話す程、それが淡くて美しく、幼い夢であると告白しているように聞こえる。


「…ディディちゃん」

「お父さんもお母さんも、私の気持ちは知らないの。私が変な気を起こして、反抗してるって思ってる」


 親御さんの気持ちが何となく分かる。学校に行かせてやれる余裕があるのに、娘がそのレールを歩こうとしない。自ら進んで苦労しようとしているなんて、心配に決まっている。


「でね、私としては、そういうつもりだったのに、久しぶりに戻ってきたらルシルさんが居て、物凄くショックだったし、妬ましかった」


 ディディちゃんの目が私に向く。あどけなさの残る顔で、その目だけは強い意思を湛えているようにはっきりとしていた。


お読みいただきありがとうございます!

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