年ごろの女の子
次の日。張り切った顔でディディちゃんはやって来た。先生の朝ご飯が7時からなので早めに来てもらえるといいかなとは言ったが、寝起きの私が慌てる程早かった。やる気が違う。
「まずは、畑に水を遣ります」
「裏の畑ですよね!任せてください!」
バイタリティに溢れた彼女は意気揚々と水を運ぶ。細い腕が折れてしまうのではないかとハラハラした。
作物や花に一通り水を撒くと、収穫できそうなものはないかと見て回る。
「これは食べられそう!」
「ああ、それは」
「もう少し熟れるまで待って」と言おうとしたが、時すでに遅かった。8割ほど色づいたパプリカがもう彼女の手の中にある。
「まだでした!?」
ディディちゃんは私の反応を見て、しょんぼりしてしまった。そんな姿を見てしまっては、せっかくのやる気を空回りさせたとこちらの方が罪悪感を抱いてしまう。私は彼女を請け負ったという責任感から、励まさなくてはという使命感に襲われる。
「大丈夫です。少し早かったかもしれませんが。朝ご飯に使いましょう」
「朝ご飯…」
ディディちゃんは、ポツリと呟いた。
「先生、美味しいって言ってくれるかな…」
彼女にしか聞こえない声は、風に攫われ私の耳に届くことはなかった。
「まずは先生が召し上がりますから、間に合うよう用意します」
キッチンに二人で立つと、いつもと違う妙な感じがする。どうしよう、彼女には何をしてもらおうか。
「私達、一緒には食べないんですか」
ディディちゃんはさっきの私の言葉にキョトンとしていた。今度は私がキョトンとする番だった。
(成程。そういう発想)
「家政婦が家の人と食卓を囲むことは、よっぽどの事がなければありません」
「え…そうなんですか…」
目に見えてガッカリする彼女。いくら使用人と家主の仲が良くても、こういうことは割り切っている家が多い。勝手の分かっていない彼女には冷たく感じたかもしれないが、家政婦かメイドとしてやっていくならそのつもりでいなくては。
「家族ではありませんので」
「……」
ディディちゃんは深刻な顔でしばらく黙り、やがて何とか納得したのか、口を尖らせたまま頷いた。
ショリショリと二人でジャガイモの皮を剥く。依然として空気は重たい。
「そ、そういえば今は学校はお休みなんですか?」
息苦しさに耐えかね、私は当たり障りない話題を振った。
「…はい。学期前のお休みが二週間もらえるんです」
「普段は寮にいらっしゃるのでしたっけ」
「はい」
集中しているのか、気分を害したままなのかは分からないが、反応が冷たい。ツンと澄ましているようにも見えた。
(何がいけなかったんだろう)
「これ、やっちゃいますね」
当たり前だが、作業スピードは私の方がはるかに速く、自分の分が終わったときにはまだディディちゃんは二つ目に取り掛かったところだった。時間と効率と負担軽減のために彼女の残りのジャガイモに手を伸ばしたのだが。
「私の分は自分でやります!」
割と食い気味に怒られた。
(ごめん)
そりゃそうだ。勉強のために来ているんだ。自分でやりたかろう。私は彼女の進み具合を見ながら、別のことを片付けることにした。
無事ジャガイモの皮が剥き終わると、茹でてマッシュする。バターやミルクを混ぜて滑らかにしていく様を隣でディディちゃんが凝視している。
「熱いうちにやらないとバターが溶けてくれません」
「そうなんですね」
「…やりますか?」
あまりにジッと見ているのでやりたいのかと思い尋ねてみると、案の定彼女は「はい!」と答えた。
「う、固い!」
「まだ重いですよね。ミルクを足します」
「ルシルさんは簡単に混ぜていたのに…!」
「慣れていますから」
ディディちゃんはそれでも私にヘラを返そうとはせず、顔を赤くしてマッシュポテトを混ぜた。さっきから見ている限り、ひたむきで真面目な子である。
そうこうして、仕上げのポーチドエッグを作り終わったときには、ギリギリ7時。私はドキドキしていた胸を撫で下ろした。
(間に合わないかと思った…)
慣れない人に教えながら、頼みながらの作業は時間配分が難しい。何度も途中で仕事を奪おうと思ってしまった自分を戒める。
(見積もりが甘かったのよ)
「あ、先生!おはようございます!」
私が心の中で息切れしていると、ディディちゃんの明るい声が響く。顔を上げれば先生が階段を下りてきたところだった。
先生は時計と私たちを見比べ、何ともない様子でいつもの席に着いた。
(今、仕事が滞らなかったかどうかの確認をしたよね…)
「ルシルさん!私ごはん運びます!」
隣では意気軒昂たるディディちゃんがビシッと挙手をしている。そのやる気に任せることにした。
スープのボウルと、おかずやサラダの載ったプレートをトレイに載せ、「気を付けてね」と渡す。ディディちゃんは嬉しそうだった。
重さでグラグラしつつ、テーブルに運ぶ彼女の背中をハラハラしながら見守る。
「はい先生!どうぞ!私もお手伝いしました!」
「……そうか」
元気な彼女の言葉に先生は素っ気ない。いや、あんなもんだけど。もうちょっとこう愛想というものを見せてあげてもバチは当たらないのでは。さっきとは違う意味でハラハラしてきた。
「これはマッシュポテトで、先生のお好きな黒コショウを…」
(ちょちょっと待って!!!)
料理を置いても先生の傍を離れない彼女。それどころか料理の説明まで始めてしまった。大変だ。それがどれほど危険な行為か、伝えるのを忘れた。私は動悸激しく先生をチラリと見た。
「………」
先生もこちらを見ていた。射殺されるかと思う程、冷たい視線だった。体の色んなところから大量の変な汗が噴き出る。まずい、回収だ。
「でぃ、ディディちゃん!飲み物の用意をお願いしたいです~」
努めて明るい声を出した。まだ先生からの抗議の視線がきつい。ディディちゃんは先生のその様子に気が付くことなく、少しだけ残念そうに「はーい」と返事をしながら戻ってきた。よかった。
私はキッチンの陰に彼女を呼ぶと、身を屈めてコソコソと話しかける。
「ごめんね、言っていなかったけれど、先生、ごはんのときはそうっとしておいて欲しい人だから…!」
雇用がかかっている私は必死だが、ディディちゃんは「ふーん?」とあまり響いていない様子。ちゃんと分かっているかどうか不安になった。
「先生、美味しかったですか?」
(あああああ!)
案の定。その十数分後、「ごはんの時以外もそうっとしておいて欲しい人」だと言うべきだったと私は激しく後悔した。
何とか二人の間に入り、先生を無事二階へ送り出すと、ディディちゃんは不満そうな顔をしていた。
「美味しかったかどうか気になるじゃないですか」
「お皿が綺麗になっていれば十分なんですよ」
「でも、それじゃあ…全然先生とお話ができない」
(…?)
私は彼女の言葉に首を傾げる。言っている意味が本気で分からなかった。確かに話し相手になることも仕事のひとつ、という現場もあるけれど。それは相手から求められたときだ。私たちは基本的に家事が仕事なのだから、そちらに専念していればいいのだ。
(先生はどう見ても話相手を望んではいないし…)
「あの、それってどういう」
「何でもないです!」
パッと明るい笑顔を咲かせた彼女。あからさまな変わり身に私は戸惑いを覚えた。
(いや、全然何でもなくなさそうだけど…)
けれど、彼女が誤魔化したということは、説明しないという判断をしたということ。昨日今日出会った私に彼女の心の内を語ってもらえる程の信頼があるとも思わない。今は彼女に合わせるしかなかった。
「…私達も、朝ご飯にしましょうか」
ディディちゃんは私の提案に「はい!」と元気に返事をする。その笑顔の下に何を思うのか、私はまだ知らない。
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