スーパーラッキー
進学する大学が決まり、僕は春から遊園地でアルバイトを始めた。
遊園地といっても大都会の、お客さんが年に百万人も来るような大きくて有名なところではない。
僕の住む片田舎の町にふさわしい、ささやかな遊園地だ。でも、このあたりの子なら一度や二度は家族で遊びに来る、幼稚園の遠足なんかで来たりもする、そんなところだ。
入場するのはタダ、中央に芝生のお弁当広場があり、各アトラクションで遊ぶ場合はお金を払ってチケットを買う。
僕が生まれるずっと前からある遊園地だから、そういう昔ながらのシステムのままらしい。
僕の仕事は、ガラスの曇ったような塗装の黄ばんだような、なんとも古めかしいゲーム機が半分くらいあるゲームコーナーのそうじと、機械のメンテナンスだ。
古いゲーム機が多いので、わりとしょっちゅうお金がつまったり機械が動かなくなったりというトラブルが起こる。
最初の一週間は、ベテランの社員さんについてひと通りの作業を教わった。
しかし次の週からは、ひとりで仕事してね、と、工具、マニュアル、各ゲーム機の裏ぶたを開けるかぎの束なんかを渡されてしまった。どうしても手におえないと思ったら園事務所へ助けを呼びに来てくれたらいいから、と。
心細かったが、任された限りはがんばろう。
やってみると案外やれてしまうもので、初めての給料が出るころには僕はすっかり『ゲームコーナーのおにいさん』になっていた。
もともと機械いじりは好きなので、ゲーム機の裏側をいじれるのは楽しい。いいアルバイトだ、僕にあっている。
そんな頃に僕は初めて、その人と会った。
あまりいい印象はない。
ぼさぼさの髪に無精ひげ、くたびれたスウェットの上下にかかとの減ったスニーカー。
見るからにむさくるしい、五十がらみのおじさんだ。
明るくうららかな初夏の日差しを浴びているのに、彼だけは日陰の中にいるようだった。僕はふと、朝礼で何度か聞かされた不審者のことを思い出した。用具入れからほうきとちりとりを取り出し、掃除している風をよそおって彼を監視することにした。
その人は思いつめたような顔をして、まっすぐ僕の担当するゲームコーナーへやって来た。そしてわき目もふらずカプセルトイのコーナーへ向かう。最近は大人や外国人のファンも多い、『ガチャガチャ』とも呼ばれているあれだ。
彼は、並んでいるカプセルトイの機械の中で一番端にポツンとある、古いものの前に立った。濁ったような色合いのプラスチックの胴に、日にさらされてうすくなった赤い字で大きく『スーパーラッキー』と書かれている。
前世紀の遺物と言いたくなるようなセンスの機械だ、当然人気はないし、そもそも現役で使えるのか怪しいとさえ僕は思っていた。
ズボンの右ポケットへ手をつっこむと、その人は無造作に大量の百円玉を取り出した。片手いっぱいは確実にある。その量の多さにまず驚き、ますます怪しいと僕は思った。
いやにギラギラした目で彼は、百円玉のかたまりを左手に持ちかえてにらみつけるように『スーパーラッキー』を見つめた。おもむろに硬貨を一枚右手の親指と人差し指でつまみ上げ、機械のハンドル部分にあるスリットにはさんでガチャガチャと回した。カラカラと乾いた音がして、半透明のプラスチックのカプセルが転がり出てきた。
「くそ。ノーマルラッキーか」
カプセルを取り上げて確認すると、いまいましそうにそうつぶやき、興味を失ったのか足元に捨てた。
そして彼は再びお金をセットし、ハンドルを回した。確認。落胆。捨てる。確認。落胆。捨てる。
えんえんくり返していたが、どうやらお金が無くなったらしい。がっくりと肩を落とし、とぼとぼと彼は去った。
彼が立っていた場所には、中身が入ったままの赤や青や緑の半透明のカプセルが、いくつもいくつも転がっていた。
その奇妙なお客さんはそれから何度も来た。
ひんぱんに、とまでは言えないけれど、僕の知る限り二ヶ月に三回くらいは来ている。大人一人で来るお客さんとしたらよく来ている方だろう。
いつもいつも片手いっぱいの百円玉を手に『スーパーラッキー』の前に立ち、親の仇と向き合うような顔でガチャガチャとハンドルを回す。出てきたカプセルを確認し、がっかりして足もとに捨てる。毎回。
おそらく彼は『スーパーラッキー』のレアなおもちゃをねらっていて、それ以外には興味がないから捨てている、とでもいうところだろう。
病的なコレクターと呼ばれる人の中には、自分の興味があるもの以外には一切気を回さない人がいるという話を聞いたことがある。ひょっとすると彼は、そういうタイプのコレクターなのかもしれない。
しかし、仮にそうだったとしても気持ちが悪い。まるで命でもかけているような真剣さでガチャガチャやっている彼には、病的なコレクターという言葉だけでは説明しきれない雰囲気がただよっていた。
木枯らしの吹く季節になった。
僕がここでアルバイトを始めてもう半年以上になる。
例の奇妙なお客さんは今日も来ている。
お金を入れる。ハンドルを回す。カプセルを確認。がっかりして捨てる。
えんえんに続くくり返し。
いいかげん僕はイライラしてきた。
彼が無造作に捨てているカプセルは、彼が帰ると僕が拾って片付ける。燃えないゴミ用のゴミ袋にカプセルを入れながら、僕はいつも嫌な気持ちになった。
『スーパーラッキー』のおもちゃはカプセル越しに見ても、いかにも安っぽい動物のフィギュアだった。
クマとかライオンとかオオカミとか、あるいはペンギンとかイルカなんかが、いいかげんな成型と彩色で作られている。
最近なら、もっときれいでもっと本物っぽいフィギュアの入ったカプセルトイがいくらでもある。『スーパーラッキー』は一回遊ぶ値段が他のカプセルトイの半分だったけど、それでもこんなフィギュアしか入っていないのなら、もう百円出して他のカプセルトイを買う。少なくとも僕ならそうする。
だけど、だからといってカプセルを開けもしないで足もとに捨てるなんて、あまりにもひどい。
もったいないし、何よりおもちゃが可哀相だ。
カプセル越しにチラっと見ただけだが、ていねいに作られているとは言えないものの、動物たちの顔はみな愛嬌があってかわいい。小学校へ上がる前の小さい子なら、集めて動物園ごっこをしたりして十分遊べるおもちゃだ。
遊ぶどころか、カプセルから出されることもなくゴミになる『スーパーラッキー』のフィギュアたちが、僕は哀れだった。
もちろんこのことは、彼が初めて来たその日に園長へ報告した。
でも僕から話を聞いた園長はあいまいな顔をしてうすく笑い、『スーパーラッキー』と『スーパーラッキー』を買いに来るお客さんには関わるなと言ったのだ。
訳はくわしく言えないが、『スーパーラッキー』にまつわることには出来るだけ関わらない方がいい、とも。
そのお客さんがカプセルごとおもちゃを捨てていくのなら、君はただ拾って処分してくれればそれでいいから、と。
何だそれは、とか、そんな馬鹿なことがあるか、とか思ったが、僕はただのアルバイト学生だ。わかりましたと答えるしかない。
彼の動きが止まった。がっくりと肩を落とす。お金が無くなったらしい。
足元のカプセルを蹴飛ばすようにして、彼はきびすを返す。
「あの」
思い切って僕は声をかけた。ギクッと身体をゆらし、彼はふりむいた。こぼれ落ちそうなほど大きく目を見張っている。
「驚かせてすみません」
彼が、おびえているのかと思うほど驚いた顔をしていたので、僕はまず謝った。
「いつも当園をご利用下さってありがとうございます」
接客マニュアルにあった言葉を思い出しながら、一礼して愛想笑いをうかべる。
「お買い上げになられたカプセルトイ、ご不要なのかもしれませんけど、その場に捨てるのはご遠慮いただけませんか?他のお客様のご迷惑になりますので、出来れば、お持ち帰りいただくかそちらにある燃えないゴミのゴミ箱へ入れていただくか、していただきたいのですが」
彼は表情のない目でまじまじと、ゴミ箱を右手で示す僕を見つめた。スウェットの上下にうす汚れたスタジアムジャンパーをだらしなくひっかけた彼は、寒いのか、鼻の先がかじかんだように赤くなり、鼻水で少しぬれていた。そのぬれた鼻を見ているうちに僕は、急に恐ろしくなってきた。この人は僕が思っていた以上に常識が通じないのかもしれない、と、稲妻がひらめくように思ったのだ。
彼の目にふと光がともった。うたた寝から覚めたような表情だ。
「ああ……確かに。そうですよね、申し訳ありません」
彼は自分の足元を見まわし、きまり悪そうに笑った。
「これじゃあ迷惑ですよね。すみません、『スーパーラッキー』を出すことしか考えていませんでした」
すぐ片付けます、と彼は、あわててしゃがみ込んでカプセルを拾い始めた。僕も手伝う。二人でゴミ箱へ二往復ほどするとカプセルは床からなくなった。
「ご迷惑をおかけしました。もう来ません」
こちらがたじろぐほどきっぱりと彼は言い、深く頭を下げた。僕はあわてた。
「いえ、これからもぜひお越し下さい。ただ、カプセルをそのまま放置されるのは困りますので、今回声をかけさせていただいただけで……」
いえ、と彼は言い、あきらめたような感じで苦笑いした。
「声をかけられたらチャレンジは終わりなんですよ。やっぱりおれにはもう、『スーパーラッキー』は回ってこないんだ……」
最後はつぶやくようにそう言うと、彼はきびすを返す。
「あの」
自分でもよくわからないうちに僕は、彼を呼び止めていた。眉を寄せ、うっとうしそうにふり返った彼に少したじろいたが、僕は尋ねる。
「一体『スーパーラッキー』って何なんですか?」
ふっ、と、嫌な感じに彼は笑った。
「都市伝説ですよ、おれが子供のころから言われている話でね。ここにある『スーパーラッキー』ってガチャガチャから、『龍』『鳳凰』『麒麟』のどれかを手に入れられた者は、金も地位も思いのままの人生が送れるって。まあ、思いのままの人生が送れる期間は人それぞれらしいですけど。おれはガキのころ『麒麟』のフィギュアを出しましてね。もちろん、サバンナにいる首の長いキリンじゃなくて中国の聖獣の方です。最初はこのへんてこりんな獣が何なのか、全然わかりませんでしたけどね」
彼はもう一度、嫌な笑い方をした。
「そのお陰か、おれは最近まで人もうらやむかなりいい人生を過ごしてましてね。ま、今は御覧のような有様ですけど」
彼は大きなため息をつき、僕をじろじろと見た。ねばるような目だ。
「試したらどうです、おにいさんも。少なくとも『龍』と『鳳凰』は残っているんじゃないでしょうか、出たって話も聞きませんし。そのうちすってんてんになるかもしれませんけど、思いのままの人生ってのはなかなかいいもんですよ」
じゃあ、とうす笑いぶくみに言うと軽く頭を下げ、足早に彼は去っていった。
季節はゆっくり移ろい、僕がアルバイトを始めて二度目の春が来た。
あの奇妙なお客さんはあれ以来、来ていない様子だ。
試したらどうです、おにいさんも
少なくとも『龍』と『鳳凰』は残っているんじゃないでしょうか
時折ふっと、あの時の彼の声が聞こえる。
休憩時間などに缶コーヒーでも買おうと小銭入れを出した時、僕はこのところ、『スーパーラッキー』をつい見てしまう。
コーヒーではなく、『スーパーラッキー』を一回試してみようかな?と、思い始めている。
思いのままの人生ってのはなかなかいいもんですよ
誘うような声に僕は、ふらっと一歩、踏み出した。




