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「なあ悠夜、学校の編入試験っていつだっけ?」
夕食時、梓が唐突に聞いてきた。
「二週間後だよ。覚えてないのか?」
狩人育成学校には入学試験はないが、編入試験はある。
一年生の授業内容は基礎的なことばかりだが、二年生からは授業で魔獣との実戦も行うため、一年生の授業内容をすっ飛ばして、二年生から始めるというのなら、その学年の授業についていけるだけの実力を示さなければならない。
悠夜は第三級狩人なので、階級章を見せれば編入試験など受ける必要はないと神谷が言っていたが、梓はそうもいかない。
既に梓は普通の雷魔法と強化魔法を習得している。
梓が今まで普通の魔法を使うことができなかったのは、普通の魔法の術式が梓の魔力密度に耐えきれず自壊してしまうことが原因だったので、悠夜が普通の魔法を使うときにいつも行っている自分の魔力密度を普通の術式が耐えられるレベルまで低くする技術を教えてやると、今まで何度も術式の展開を練習していた上に、元からかなりのポテンシャルを内に秘めていた梓は、すぐに雷魔法と強化魔法を習得できた。
習得してから日が浅いため、精密なコントロールはまだ慣れていないが、それを差し引いても実技試験の方はなんとかだろう。
問題は学力だ。
元々梓は勉強が得意ではなかった。
その上、元いた街の狩人育成学校では入学早々グレていたため、学力は非常に残念なことになっている。(魔法に関する訓練だけは自主的にやっていたらしい。)
編入試験の合否は、実技試験と筆記試験の合計値で決まるため、筆記試験の結果が悪くても、実技試験の結果が良ければそれで補うことができるがそれにも限度がある。
そのため、梓は多式魔法の鍛錬に加え編入試験に向けての勉強もやっているのだが、成果はあまり芳しくない。
「梓はそろそろ勉強に専念した方がよさそうね」
「い、いや、まだ大丈夫だって」
雪子の言葉に勉強嫌いな梓が上擦った声を出す。
「でも、いくら実技で補うっていっても梓の学力じゃ危ないんじゃないの」
一葉が上から目線で忠告するが……
「一葉に言われたくねぇよ!春休みの宿題教えてくれって雪菜に泣きついてたクセに!」
「なっ、なんでそれを!?」
残念ながら一葉の学力も決していいとは言えないのが現状だ。(元の世界ではしょっちゅう悠夜に泣きついていた。)
そんなわけで、三姉妹の中では三女で学年が一つ下の雪菜が最も学力が高い。
ちなみに、悠夜のこの世界における学力は、特定の分野に関しては専門家すら上回るが、専門外(興味が湧かない分野)はすこぶる悪いというアンバランスなことになっている。
その後も周りが梓に勉強することを勧めては、梓が渋るというやり取りが続いたが、雪子の「もし、編入が無理で一年生から入学ってことになったら、悠夜と同じクラスになることはまずありえないわね」という言葉に態度を一変させた。
そして梓が勉強に専念すると決心した次の日
「うぅ、悠夜~、全然わからねぇよぉ」
梓は早くも挫けそうになっていた。
「どうした、一体どこがわからないんだ?」
悠夜は魔法の歴史に関する本から顔を上げ、梓の薬草学に関する本を覗きこむ。
「ここ」
「……」
梓が指差したところは、非常に基本的なところだった。
今悠夜と梓の二人は街の図書館に来て勉強の真っ最中だ。
昨日悠夜は梓に「お願いだからオレと一緒に編入試験受けてくれ!」と懇願され、悠夜も階級章を使った試験免除は少々ズルいかもしれないと思っていたのと「家族の中で一人だけ試験勉強しないといけないのも酷だろうし、一人で編入試験受けに行くのも不安だろう」ということで、梓の編入試験に付き合ってやることにしたのだ。(梓はことあるごとに悠夜に甘える癖がついてしまっており、悠夜も鍛錬以外ではついついそれを許容してしまうのが最近の悩みだ。)
筆記試験の内容は主に、魔法理論、魔法の歴史、サバイバルの知識、魔獣の生体、薬草学があり、悠夜は歴史が壊滅しており、普通の魔法理論がイマイチだが、それ以外はかなり、もしくはそれなりにいけるので、梓ほど必死になって勉強する必要はなく、梓の勉強仲間というよりほとんど教師役兼付き添いの様な状態になっていたが……。
悠夜がサバイバルの知識以外が壊滅状態の梓に、思いつく限り分かり易い説明を試みていると後ろから声を掛けられた。
「あ、あの悠夜くん?」
「ん?」
振り向くとそこには桜が立っていた。
「やあ桜、奇遇だね」
「ああ、こんなところで会うとは思わなかったよ」
どこか嬉しそうな顔になる桜。
「なあ悠夜、その人は?」
だが、梓の顔は桜と逆でどこか不機嫌そうだ。
最近ではだいぶマシになっていた目つきが、初めて会ったときと同じとまではいかないがかなり悪くなっていた。
「?この前話しただろ?たまにチーム組んで依頼受けてるって、その仲間さ」
悠夜は第三級狩人で桜は第七級狩人のため、悠夜は依頼の階級を桜に合わせなければならないが、悠夜は神谷から裏で高難易度の依頼を幾つも回してもらい、高額の報酬を得ているので、普通の依頼まで階級の高いものばかり受けようとは思っていない。
そのため、悠夜は協会の方から協力要請がない限りは、手頃な階級の依頼を受けているので、桜とは既に何度か同じ依頼を受けている。
「同世代の女子とは聞いてねぇよ!」
キッ!と桜を睨み付ける梓。
「うっ」
桜は梓の視線に一瞬怯むが、すぐに睨み返す。
悠夜は二人の間で火花が散る幻覚を見た。
「えーと、とりあえず自己紹介したら?」
どうしてお互いに睨み合っているのかは分からないが、自己紹介ぐらいはするべきだろうと思って言ったのだが……。
「風霧梓だ。悠夜とは一つ屋根の下で暮らしてる」
「(なんで、そんな言い方するんだ?普通に家族でいいだろ?)」
「私は鳴宮桜。聞いての通り悠夜くんのパートナーだ」
「(いや、僕はチーム組んでるとしか言ってないよ?)」
妙な言い回しをする二人。
ツッコみたいと思ったが、何故かやめた方がいい気がしたので口には出さないでおく。
「そういえば、桜はどうしてここに?」
初対面から険悪な雰囲気を漂わせる二人を、このまま放置するのは危険と判断した悠夜はすぐに話を逸らす。
悠夜の意図を察したわけではなさそうだが、桜はすぐに答えてくれた。
「私は毒霧蛙の生態についての書物を探しに来たんだ」
「ああ、この前のアイツか」
毒霧蛙とは、トノサマガエル程の大きさの霧状の毒液を吐き出す魔獣だ。
悠夜と桜は以前、大口土竜という地中に潜む従鼠と同じ位の大きさをした魔獣の討伐作戦に参加したのだが、大口土竜と一緒に土の中からこの毒霧蛙が大量に出てきたのだ。
悠夜と桜は特に被害を受けることはなかったが、共に依頼を受けていた何人かの狩人が毒の霧を吸い込んだり、目に入ったりしていまい、一時的に呼吸困難や痛みで目が開けられないといった症状に見舞われた。
毒はそれ程強力なものではなく、解毒薬を使えばすぐに症状は治まったが、相手を怯ませるには十分な威力と煙幕の効果を持つ毒の霧に狩人達は苦戦した。
一匹の毒霧蛙が吐き出す毒の霧はそれ程範囲が広くはなく、風魔法ですぐに吹き飛ばせるのだが、相手は数が多い上に仕留めようとすればすぐ地中に隠れてしまい、そうやって時間を掛けるうちに毒の霧が周囲に充満し始め、仲間が風魔法で吹き飛ばした毒の霧にやられる狩人も出始めたため、仕方なく悠夜が全員を下がらせ、周囲への被害を無視して広範囲に高出力の魔法を打ち込み、力技によるオーバーキルで強引に戦闘を終わらせたのだ。
あれは正直、消費した魔力と仕留めた魔獣の質と量が釣り合っていなかったと思う。
毒霧蛙は元々この辺りには生息していない魔獣なのだが、後で協会に聞いてみると、最近ではこの周辺での毒霧蛙の目撃情報が増えており、この周辺でも毒霧蛙が繁殖し始めたのではないかと協会内では噂されているらしい。
この弱肉強食の世界では、違う地域の生物どころか、新種の生物が現れることもたいして珍しいことではない。
ここでは、生物が環境に応じて適した変化や進化を行う速さが、悠夜の元いた世界とは比べ物にならない程速い。
今まではそこらじゅうにいた生物がいつの間にか絶滅していたり、どこにもいなかった生物が突然現れたりといったことはかなり頻繁に起こっているのだ。
「わざわざ調べに来るなんてマメだね」
「これから遭遇することが多くなるかもしれないからね」
まあ、真面目な桜らしいといえばらしいが。
「そういう二人はどうしてここに?」
「編入試験の勉強だよ」
「え?階級章は使わないのか?」
「ああ、なんかズルい気がするし、梓一人に試験受けさせるのもね」
悠夜の言葉を聞いて、桜は机の上に視線を向ける。
悠夜の前には魔法理論と魔法の歴史に関する本が幾つか置いてあるだけだが、梓の前にはあらゆる科目の本が置かれている。
それを見て、桜はだいたいの事情を察したようだ。
そしてすぐに、「いいことを思いついた!」といった顔をする。
「もしよければ、私が勉強を教えようか?二年生からの編入だと試験の内容は、一年のときに習う範囲から出題されるらしいから教えることは可能だ」
「ほんと?それは助かる」
一葉は教師役としては論外だし、雪菜は得意分野なら既に一年のときに習う範囲ぐらいは教えられるが、編入試験の全科目はさすがに無理だ。
桜の申し出は非常にありがたい。
「ちょっと待ってくれよ!」
だが、梓がここで口をはさんできた。
「どうした?」
「別に悠夜は、その人に教えてもらわなくても合格できるんじゃないのかよ」
梓はいまいち状況を理解できていないようだ。
「何言ってるのさ、桜に勉強を教えてもらうのは梓だよ」
「え!?」
「「え」って、そりゃそうだろう。今一番ヤバイのは梓なんだから」
悠夜の言葉に桜が頷く。
「う……」
「桜の成績は校内でもトップレベルらしいから梓の教師役にはうってつけだろ?」
「一年のときに習った内容もちゃんと覚えているぞ」
「くうっ……」
何故か勝ち誇るような顔の桜と悔しそうな、というか屈辱をあじわっているかのような顔の梓。
なんだか二人は相性がよくなさそうだが、できれば仲良くしてもらいたいものだ。
{桜}
「(ふふっ、勉強を教えるというのは、一緒にいる口実にはうってつけだな。できれば、悠夜くんの教師役がしたかったのだが、そこは仕方ないか。
それにしても悠夜くんに、妹さんが三人いるとは聞いていたがこんなに綺麗な娘だったなんて、それにどう考えても悠夜くんのことを狙っているじゃないか!)」
{梓}
「(くそっ!なんだよこの人はっ!
勉強教えるとか言っておきながら、思いっきり悠夜といるのが目的じゃねぇか!
ライバルは一葉と雪菜だけで十分だってのに!)」
その後、桜と梓は最初のうちは決して仲がいいとは言えなかったのだが、時間が経つにつれて次第に打ち解けあうようになった。
理由は、お互いに友人が少ないというところで通じ合うものがあった。というかなり悲しいものだが……。




