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「(これで何頭目だっけ?)」
街を出てから二日経ち、予定通り紅角鹿の生息している森に到着した悠夜は、現在気配を消す魔法の
隠密系統魔法 絶影
を使った状態で茂みに隠れている。
悠夜の視線の先では、少し前に置いておいた神谷がくれた紅角鹿の好む匂いを放つ餌(形は穴のないカロリーメイトのようなもので、鹿せんべいではない)に一頭の紅角鹿が寄ってきていた。
見た目と大きさは、悠夜が元いた世界の鹿とあまり変わらないのだが、角はまるで刺突武器にするために、職人が加工したんじゃないかと思うほど鋭く尖っている。
紅角鹿が周囲を警戒しながらも餌を食べ始めたところで、悠夜は魔法を発動させる。
属性系統魔法(氷) 氷晶牢
魔法を使ったときに生じる魔力の余波を隠蔽する魔法の
隠密系統魔法 穏行
は使っていないので、紅角鹿はすぐ魔力の余波に気付いて頭を上げるが、そのときはすでに、悠夜の魔法が紅角鹿の足元を凍りつかせて拘束していた。
この魔法は本来、紅角鹿程度の大きさの標的であれば、全身を氷漬けにすることもできるのだが、紅角鹿の角は非常に再生能力が高いので、可能であるなら生きたまま捕えて角だけを回収し、その後は逃がしてやるのがいいと神谷が言っていた(紅角鹿の肉はクセが強過ぎて、食べようとする者はほとんどおらず、毛皮もたいした値段はつかない、とも言っていた)ので、威力は最小限に抑えている。
悠夜は茂みから飛び出すと、つい最近出来上がった王鼠の前歯から造った脇差を抜き放って、素早く紅角鹿の角を斬り落とすと魔法を解除する。
武器をなくした紅角鹿は、交戦の素振りも見せずに逃げて行った。
紅角鹿は角があるうちは結構攻撃的な性格だが、角がなくなった途端臆病になる魔獣なのだ。
「うん、悪くない」
悠夜が今使った脇差は、土倉ではなく大手の武器屋が造ったもので、仕上がりは僅かに土倉のくれた刀に劣るのだが、それでもまずまずの性能だ。
土倉は現在、上級魔獣の頑丈過ぎる素材の加工に四苦八苦していて、中級魔獣の素材に構っている暇などない状態だ。
以前工房に行ったときは、炉を今まで使っていたものより高い温度に耐えられるようにするための強化工事をやっていたし、上級魔獣の素材にも対応できる上質な砥石を求めてあちこち駆けずり回っていた。
ちなみに、そんな頑丈過ぎる素材を、悠夜は一体どうやって工房など存在しない「死の森」の中で武具として加工したかというと、実はほとんど原型のまま使っていたのである。
まず、「死の森」で悠夜の主な武器だった長刀は、角を生やしたティラノサウルス(刀角竜とかいう名前らしい)の角にゼロ距離から超高出力の魔法をブチ当てた際、へし折ることができたものを木製の柄と鞘を付け加えただけの状態で使用していた。
次に鬣付きサーベルタイガー(牙剛獅子)の牙を削って造った大型ナイフは、頑丈でザラザラした質感の石を探してきて、強化魔法を施すことで強度を上げ、それで牙の根元の部分をガリガリと地道に削って持ち易いようにしたもの。(牙の根元以外は、わざわざ削らなくても、元から刃物の様になっていた。)
黒い巨大蜥蜴(黒溶竜)の皮で造ったレザーコートとズボンは、剥ぎ取った皮をそのまま牙剛獅子の丈夫な鬣で縫い合わせただけ。(着心地は決していいとは言えなかった。)
鋼のような甲羅と一軒家ぐらいの巨体を持つ亀(頑鋼亀)の甲羅で造った胸当て、籠手、脛当てに至っては、重打撃系の魔法をぶつけて破壊することに成功した甲羅の破片の中で、丁度いいサイズに砕けた破片を牙剛獅子の牙と同じ要領で、最低限形を整えただけである。
悠夜自身「原始人かよ」とか思ったりもしていたが、工房もなにもないところでは、破壊することはできても、加工するとなればこの程度が限界だったのだ。
まあ、「死の森」に生息していた魔獣は、どいつもこいつも物の例えなどではなく、実際に全身が凶器だったので、こんな雑な加工でもちゃんと武器として機能はしていたが……。
そんなわけで、それ程の代物をまともな武具に仕上げようとしている土倉の作業が難航するのは当然のことであり、まだ完成の目処は立っていない。
今斬り落とした角と、これまでに集めた角を数えてみると、既に依頼書に記されていた規定量を上回っていた。
「やっぱり、人目がないとやり易いな」
ここからもう少し進んだ場所には、悠夜が今暮らしているのとは別の街があるのだが、悠夜の移動速度でも一日、並みの人間では三日近く掛かるので、その街から狩人が遥々やって来ていたりはしない。
そのため、この辺り一帯に人は悠夜しかおらず、人目を気にせず多式魔法を多用した悠夜は、森に来てから半日ほどで目標を達成した。
「半日程余ったな」
この辺りに来るのは初めてなので、悠夜は余った時間で、何か興味をそそられる魔獣の素材や薬草がないかと森の中を散策し始めた。
「この森は随分と毒草が多いんだな」
周囲の植物を観察する内に分かったことだが、この森の植物は調べてみるとその大半が毒を持っていた。
思い返してみれば、この森に住む草食系の魔獣は、悠夜の暮らしている街の近くにある森に比べて、種類が限られていた。
おそらく周りが毒草ばかりの所為で、草食系の魔獣は毒に強い耐性を持った種類しか生息できなかったのだろう。
そういえば今までは、調合といえば治療系の薬ばかりやっていた気がする。
「今度毒薬の調合でもやってみるか?」
元いた世界で言えば、なんの冗談だと笑われるか、警察に通報されそうな台詞を口にしながら悠夜は毒草の採集を始めた。
「ん?」
悠夜が、黒と黄色の縞模様の葉と青紫色の花を持つ、やたらと禍々しい見た目の毒草の採集を行っていると、何者かの視線を感じた。
瞬時に体内の魔力を外部に漏れない範囲で最大限活性化させ、感覚を研ぎ澄ませる。
「(いた)」
悠夜の鋭敏な感覚は、気配からすぐに視線の出所を特定した。
気配は一つだけで、それは今悠夜の後ろへ回り、ゆっくりと近づいて来ている。
距離は、まだそれなりにあるところから判断して、この気配の主の隠密行動の腕は中級者か、それより少し下といったところか。
仮に襲い掛かってきたとしても、自分にとって危険性はそれほど高くないと判断した悠夜は、相手の出方を窺うため、気付いていないフリをして毒草の採集を続ける。
しばらく経つと、気配は悠夜の背後の茂みまで到達して一旦止まる。
「(どう出る?)」
わざわざ気配を消して人の後ろに忍び寄って来た時点で、やることは限られているが……。
そして、その予想通り背後で攻撃的な気配が膨れ上がり、それと同時に ガサッ と音を立てて何者かが、悠夜目掛けて飛び出してきた。
一番ありそうな展開だったので、悠夜は特に焦ることもなく、しゃがんだ姿勢から一気に足を伸ばして横に跳ぶ。
後ろで ブンッ と何かが風をきる音を聞きながら、身を翻して音のした方に向き直り、刀の柄に手を添える。
ここまでは全て予想通りだったのだが……
「……女の子?」
襲い掛かってきたのが、自分と同い年ぐらいの少女だとは思っていなかった。
悠夜の視線の先では、槍を持った少女がこちらを睨み付けていた。
濃い金色の長い髪とルビーの様な深紅の瞳、身なりを整えれば、かなりの美少女なのだろうが、目つきがやたらと悪いのに加え、全身が薄汚れているので台無しだ。
「持ち物を置いていけ」
少女が低い声で短く告げる。
「山賊ってやつなのかな?」
「余計なこと喋るんじゃねぇ、黙ってオレの言うとおりにしろ」
「自分のことオレなんて呼ぶ女の子は初めて見たよ。それと答えはNOだ」
悠夜がキッパリ言い切ると、少女はおもむろに片手を横へ突き出し、一つの術式を展開した。
「……それは……」
悠夜は目を見開く。今悠夜の目の前で少女が展開しているのは、魔獣が使用する術式それも変性系統の魔法だった。悠夜のように特殊な鍛錬法で魔力密度を上げるか、術式に魔力を圧縮する工程を付け加えていなければ使えないハズの魔法。
だが、それ以上に驚いたのは少女が見せた表情だった。
少女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
悠夜が驚愕している間にも、術式の展開が完了し、魔法が発動する。
ドガッ!!
少女の手から放たれた魔力塊が、射線上にあった木を一本吹き飛ばす。
「もう一度だけ言う、持ち物を―」
言い終わるより早く少女の体から力が抜けて、その場に崩れ落ちる。
悠夜はすぐに駆け寄って、少女を抱き止める。
少女は気を失っていた。
「驚いたな。素の状態でこれだけの魔力密度を持つ人間がいたなんて」
さっきの魔法の威力からして、この少女の持つ魔力密度は、中級魔獣に匹敵するレベルだろう。一カ月近く魔力密度を上昇させる鍛錬を行っている一葉と雪菜も、まだここまで魔力密度は高くない。(光夜と雪子は言うまでもない。)
少女が、独自の魔力密度を上昇させる鍛錬法を持っているという可能性は、なくはないが、極めて低いだろう。
魔力密度を上げる鍛錬には魔力を圧縮する術式が必要で、それを開発できるほど術式に精通しているのなら、魔獣の術式を人間が使用することが、どれだけ魔力を無駄に消費するかということも分かっているハズだ。
人間用の術式を開発するとまではいかなくても、魔獣の術式を人間に適した形に改良するぐらいはできると思う。
しかし、この少女は魔獣用の術式をアレンジすら加えず、そのまま使用していた。
そのことから、この魔力密度の高さは、少女が先天的に生まれ持ったものだという可能性が一番高い。
疑問はまだ他にもあるが、今の問題は少女の容態だ。見た所、疲労、栄養失調、発熱の症状が色濃く表れ、かなり衰弱している様子だ。これに無理な魔法の使用による魔力の枯渇が重なり、意識を失ったのだろう。
「こんな最悪のコンディションで、戦闘なんかやろうとするなよ……」
ぼやきながらも悠夜は少女を抱き上げ、落ち着ける場所を探し始めた。




