悠斗
山田動物霊園の新人歓迎会に
聖は遅刻した。
間際に<隣組の集まり>を知らせる電話があったのと、
雪道を徒歩で行くのに時間が掛かった。
予定外に日が暮れてからの出発になったので
懐中電灯片手に、ゆっくり歩くしか無い。
シロは軽々と走る。
先に行き、また飼い主の元へ戻る、を繰りかえす。
興奮状態で随分楽しげ。
結月薫と山田鈴子が居ることも
新人も、その犬も
嗅覚で感知済みの上機嫌。
……新人も、その犬も、きっと良い奴なんだ。
期待値が上がってきたところで
またシロが戻ってくる。
「あれ? 一緒に来たの」
シロと一緒に何やら黒いのが一緒に走ってくるでは無いか。
懐中電灯の明かりで
ソレはシロより一回り小さいと
かろうじて分かる。
「そっか。もう友達になったんだ」
聖の目尻は下がる。
やっと事務所の前に到着。
山田鈴子の白いベンツと黒の軽自動車があった。
カオルが「ガハハ」と笑う声。
既に酒宴は始まっている様子。
「遅くなりました」
聖は勝手に入って行った。(中がうるさいのでノックに反応無し)
「シロはどうする?」
ドアを閉める前に
振り返り、外の犬に聞く。
シロは雪の上を黒い犬と
楽しげに転げ回っている。
犬達を見守るように白いスーツで金髪のアレ(鈴子の守護霊)が立ってる。
「犬は外で、いっか」
「にいちゃん、此処に、刑事はんの隣に、座り」
鈴子と薫は向き合って座っていた。
鈴子の隣が新人だ。
新人はさっと立ち、深く頭を下げた。
「初めまして桜木悠斗です」
低い柔らかい声だった。
イントネーションから関西人では無さそう。
グレーのスーツにエンジのネクタイ。
背が高く肩幅の広い身体に、よく似合っている。
「あ、どうも。神流です。隣の剥製屋です」
聖は、悠斗の整った顔立ちに
真っ白な歯に
一瞬、見覚えがある気がした。
だが、すぐに錯覚だと……。
こんな爽やかな容姿の男
どっかで会っていたら覚えていない筈は無い。
会った記憶は無い。
きっとネットニュース画面で見た
イケメンのタレントに似ているのだろう、と。
「セイ、ユウちゃんな、こう見えて俺とセイより年上やねんで」
ユウちゃん?
カオル、もう、その呼び方?
短い時間ですっかり打ち解けたらしい。
結月薫はもこもこした白いセータを着て
酒が入って赤い顔。
「そうなんですか。メチャ若見え。羨ましい」
改めて悠斗を眺める。
とても30過ぎには見えない。
大学生でも通るくらい、肌が綺麗で
雰囲気が、なんというか、可愛らしい。
「にいちゃん、イケメンやろ。ユウトは№2のホストやってんで」
と鈴子。
(赤いパンツスーツ。光沢があってふんわりした、多分カシミア。
大粒トパーズのペンダントと指輪は共に五角形)
元ホストで<ワケ有り>なのか。
挨拶の後は
一言も発しないで、ただ微笑んで頷いている様子は
ホストはしっくりこない。
世間擦れしていない学生の佇まいだ。
「芸が無いのに、顔だけで№2や。トップはな、顔は平凡、気配りと話術で客の心を掴んでる」
鈴子に言われて悠斗は
「スミマセン」
と、申し訳なさそう。
「ええやん。アンタには向いてなかったんや。ここはペラペラしゃべらんでいいから、きっと勤まるで。犬に導かれた縁や。犬は嬉しそうやんか。アンタも此処で安心して暮らしや」
悠斗はホスト仲間3人で大阪市内のタワーマンションをシェアしていた。
ある日、仕事の帰り(早朝)、黒い犬が飛びついて、じゃれついて
離れてくれない。
悠斗も元々犬好きで、この犬を追い払えなかった。
だが、当然マンションでは飼えない。
悠斗は、先の身の振り方を考える前に
マンションを出て、
なんと車に犬を乗せ、放浪の身となった。
職場にはありのままを話し、その日から欠勤。
鈴子は店長から、その話を聞いた。
丁度中川の後任を探していたので、犬ごと、引き抜いたという。
「ミナミ(大阪の繁華街)のウチ(山田不動産)のビルに入ってるホストクラブやねん。たまに行くからユウトの事は知ってた。ホストには向いてないと思ってた」
成る程、
<ワケ有り>とは、そんな事か。
野良犬と出会って犬のために仕事も家も無くしたエピソードなのか。
ほほえましい。
ちっともマイナス要因では無い。
聖の内心は顔に出たのだろう。
「この子、ちょっとした過去があってな、にいちゃんには言うとかなと、」
と鈴子。
「いや、いいですよ。俺に話さなくても」
他にも何か有るようだが、聞く必要も無い。
第一、本人を横に置いて、この会話は失礼じゃないのか?
「桜木さん、コップが空ですよ。飲める方なんでしょう?」
聖は話を終わらせようと、
悠斗のグラスにビールを注いだ。
「あ、有り難うございます。……神流さん、私はですね、か、過去にですね、」
悠斗の手が、声が震えている。
「過去に興味は無いです。さあ、飲みましょう」
聖は始まりそうなカミングアウトを遮った。
「は、はい……でも、やっぱり話しておかないと」
そうですよね?
悠斗はすがるように、なんでだか薫を見た。
「セイ、俺が、かいつまんで話す。あんな、正当防衛やと受け取って」
カオルの、妙に力がこもった声。
「正当防衛……」
何の話?
「桜木さんは過去に暴漢に襲われた。連れを守る為に暴漢と戦い、結果は相手側の自爆。勝手に車に轢かれて、死んだ」
「……そうなの?」
聖は改めて悠斗の手を見た。
まだ震えている。
大きな手に
<人殺しの徴>は無い。
あ、そうか。
俺が、<人殺しは見れば分かる>と、
カオルも社長も知っているから
この人を見て
人殺しと思うかもと
先回りしたんだ。
暴漢とトラブって、ソイツが死んだ。
これも、俺が関知する人殺しの範囲かと。
「事故でしょ。こっちに非が無い交通事故みたいなもんじゃないですか。気の毒でしたね」
聖は悠斗に同情した。
「そうやろ。俺もな、ユウちゃんに忘れてしまえと言うたんや。過剰防衛ですらないと警察が判断したんや。前科でも無いのに、いちいち人に言わなくていいと。前科でも言わんでいいけど」
「何でか知らんけど、この子は初めて会う人に話すねん。あとで知って忌み嫌われるくらいなら、先に開示してしまいたい、らしい」
2人に言われ、悠斗の目に涙が滲んでいた。
不可抗力とはいえ、自分のせいだと、思っているのだ。
人を殺してしまった自分が怖いのだ。
同じように、
たとえ事故でも、死に関わったと聞けば恐がり避ける人も居ると
充分に知っているのだろう。
聖は悠斗の律儀さに心を打たれた。
自分は<人殺しは見れば分かる>と開示できない。
出生時に母を殺したと、誰にも話していない。
左手が母の手だと、自分にはそう見えると
知っていたのは父だけだ。
薫にも鈴子にも
マユにも
話していない。
この先も誰に知って貰う気も無い。
当人が重荷なんだから
誰かに話せば聞いた奴が重荷になる。
面倒臭いことになるかも。
面倒臭いのは勘弁して欲しい。
ようするに
秘密を開示した後の厄介な状況が嫌で
開示しない、のだ。
その点、コイツは黙っていれば済むことを
わざわざ……。
なんで?
それは、
俺より心が綺麗なのかも。
「一通り、顔合わせは済んだ。さあ、冷めてしまうから遠慮せんと全部食べてや」
鈴子が今夜用意したのは中華料理。
テーブルに置ききれず、
カウンターの上にも皿が並んでいる。
70キロほど先にある
G駅前の中華料理店から出前を頼んだらしい。
「神流さんは、奈良の出身では、ないのですか?」
悠斗が話しかけてきた。
声が緊張している。
当たり障りの無い話題を考えて、やっとコンタクトをとってみたと
遠慮がちに。
「あ、それは、ですね、えーと」
悠斗の緊張が伝染したのか、聖はすっと、言葉が出ない。
「地元やけどな、父が関東人やねん。父子家庭でな、こんな山奥やし、殆ど父と二人きりでおったから、セイは関東弁なんや」
カオルが割って入った。
「桜木さんは、関東ですよね?」
聖は悠斗と会話を繋げたい。
悠斗が、気に入ってしまったから
喋りたいのだ。
「はい。そうです。東京生まれです。高校を卒業してから10年程は千葉に。大阪に来たのは1年前です」
真面目くさって答える。
おそらく無口な性分なのだ。
これで、よくホストが勤まったと思う。
「ユウトは渋谷でスカウトされたんや。居酒屋で働いていたのをな。店にモデル並みのルックスのが、おらんから」
鈴子は、スカウトの目は確かだったと言う。
ホストは16人で、中にはタレントでダブルワークもいる高級な店だと。
リップサービスが出来ないのに客が付き、売り上げに貢献したと
自慢げに言うのだ。
さては、もしかして、鈴子がスカウトした?
そうに違いない。
大阪に連れてきた責任があるのだ。
犬とホームレス、と聞いて
自分が保護すべきと
鈴子なら考えるだろう。
中川の後釜に丁度良かったのではなく
悠斗の居場所に霊園が丁度良かったのだ。
「セイ、面白そうな人ね」
マユは聖の上機嫌が嬉しそうだ。
「うん。不思議な奴だったよ。まだちょっとしか分からないけど」
「歓迎会でしょ。色々話したんでしょ?」
「そうでも無いんだ。お喋りなタイプじゃ無いし、社長と薫がずっと喋ってたからさ」
聖は思い出し笑い。
「やだ。一人で楽しまないでよ。あの2人、また何か面白い話をしてたの?」
「それがさあ、高級北京料理が目の前に並んでるのに、薫が鞄から肉まんを出したんだ。肉まんを10個もだよ、」
「肉まん? 社長が中華を出前したと知らなかったのね」
「そう思うだろ。知らないで買ってきたと。ところがカオルは食い物にうるさいから社長はメールで知らせたんだって」
「そうなの。中華と知っていて肉まん買ったの? なんで?」
「なんで肉まん、とマユも思うだろ。だけどカオルは中華だから肉まん、って言うんだ」
「どうしてかしら」
「もし寿司だったら買ってこない。合わないから。中華に肉まんは合うやん、って」
「なるほど。カオルさんの感覚なのね」
「そう。それでも10個は多い、って社長は大笑いしてた」
「多いわよね。新人さんは? 肉まんの件は何か言ったの?」
「うん。『余ってもタマネギが入ってるから犬にやれませんね』って」
「まあ。犬好きらしいじゃない……セイと気が合うかもね。友達になったりして」
「それはどうかな。隣人が嫌な奴ではなさそうで良かったけどね」
「隣人?」
「そうだよ」
桜木悠斗は霊園事務所の駐車場で
車で犬と寝泊まりしたいと、希望していた。
鈴子は、バスルーム付きのユニットハウスを用意すると言っていた。
「事務所にトイレはあるけど風呂は無いからね。県道沿いに銭湯があるけど、ずっと先で毎日通うのは大変だから」
「その人、よっぽど犬が大切なのね。……どんな犬?」
「はっきり見てないんだ。黒っぽい毛並みだったよ」
「えっ……黒い、の? 確かなの?」
「暗くて懐中電灯の明かりで見たから。多分黒か濃い茶色だな。大きさはシロより一回り小さい。これくらい」
聖は、そこに居るかのように、悠斗の犬を
抱くリアクション。
「短毛ではないよ。モコッとしてた。雑種だね、あれは多分」
近いうちに陽の下で、あの犬を見れる。
これからずっと隣の家に居る犬。
早く見たい。
吠える声を聞きたい。
懐いてくれたなら
黒い毛に、尻尾に
肉球に歯に、触れるかも。
聖は悠斗に不快感は全く無く
犬には興味津々で
すこぶる上機嫌だった。
明日、あの犬に会うかもと思うと
明日が待ち遠しい。
それくらい気分は上がっていたから
「また、黒犬なのね」
マユの呟きは耳には入ったが
その声が怯えを含んでいると
気づきはしなかった。
最後まで読んで頂き有り難うございました。
剥製屋の物語はまだ続きます。
仙堂ルリコ




