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山崎さんを知りませんか?  作者: 佐伯瑠璃
番外編 そして未来へ
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烝さんが一番頼りになります。

「あの、烝さん」

「なんです?」

「そのっ。優しくして、くださいね」


椿はとても緊張していた。祝言を挙げてからも幾夜ともなく過ごしてきたはずなのだが、未だにこんな調子だ。


「俺はそんなに酷いですか」

「いえ、とても優しいのですけど。えと・・・」

「けど?」


初めて肌を重ねたのは、戊辰戦争が勃発する前夜だと記憶している。

あの時は椿から「抱いてください」と言われたのだが。

今はすっかりあの時の雰囲気はなく、こうして耳まで染めて毎回の如く「優しくしてくださいね」と言うのだ。


「烝さんは優しいのですけど」

「はい」

「起きられなくなるまで、されるからっ・・・」


そう言って烝の隣で布団を被って隠れてしまった。

烝がそっと布団をめくって顔を確かめると「見ないで下さいっ」と拗ねてみせる。

お陰で烝は毎回、初めてのように妻を可愛がるはめになる。


「椿、いつも言っていますが。逆効果です」

「えっ、そんな」

「可愛い過ぎます。だから、止まらないのですよ?」


こうして二人は甘くて熱い夜を経て行った。


***


朝、いつものように身支度をしていると椿の様子がおかしい。

とてもきつそうに起き上がり、朝餉もあまりすすまない。


「椿。少しいいですか?」


烝は椿を夫婦の部屋に連れて行く。


「あの、烝さん何か?」

「具合が悪いのではないですか?」

「え、あ、はい。少し。でも暫くしたらよくなりますから」

「朝が辛いのですよね?」

「はい」


気がつくと、医者のはずの椿が烝から問診を受けている。

立場がまるで逆転している。


「腕を出して」


烝が椿の手首を取り、脈を診る。

その顔はいつも以上に真剣だ。目を閉じ、指で何かを数えている。

そして目を開けた烝は椿の顔を見つめる。


「え、烝さん?」


烝は突然、椿を引き寄せた。

そして、正座を崩し胡座をかいた上にぽすっと横向きに椿を乗せた。

烝は大事そうに椿の背や肩を撫でながら言った。


「気づいてないんですか?」

「え!何に、ですか?」


烝は何故か目元を赤く染め、俯き加減でこう続けた。


「夫婦ですから、教えて下さい」

「はい」

「月のものは、来ていますか?」

「え、烝さんっ!」

「大事な事です。椿、俺に教えて」

「えぇっと、先月は来ていません。その前は確かあったと」

「今月は?」

「今月は、あれ?来てもいい頃を過ぎてしまいました」


烝は「やはり」と呟く。「なにが?」と椿が問う。

それに烝は「ふはっ」と吹き出してしまった。

椿は眉間に皺を寄せ、怪訝な顔で烝を見る。


「まったく、椿は自分のことは全然駄目ですね」

「どう言う意味ですか」


すると烝はそっと椿の下腹に手を添えた。

それが何を意味しているのか・・・


「ぇ、嘘っ。本当?烝さん!私たちっ」


椿は顔を高揚させてそう叫んだ。

烝がにこりと笑い、「たぶん」と答えた。


椿は嬉しさのあまり、烝の首に手を回し抱きついた。


「私たちの、子がっ!?嬉しいっ!」


これでは夫婦逆ではないか。

夫に先に気づかれ、腹に子が出来たのではないかと指摘される。

太陽の様な笑顔を作り喜ぶ姿は、あまりにも椿らしい。


「暫くは無理は禁物です。今月も月のものが無ければ間違い無いと思いますが、念のため産婆に確認しましょう」

「烝さんの見立てなら間違いないですよ」

「脈から確かめただけです。それにこれは管轄外ですよ」


それでも椿は変わらずにこにこして、烝の首に回した腕は緩めない。

嬉しくて仕方がない。


「烝さんとの子が・・・私、死ぬほど嬉しいです」

「椿。死んではいけません」


烝は額をコツンと合わせて優しく叱り、その体をぎゅっと抱きしめた。


その後、悪阻つわりで寝付くこともあったが「腹の子が元気な証拠だ」と産婆から励まされ、椿のお腹は日に日に大きくなっていった。


「出産のことも学んでおくべきでしたね。医者なのに・・・」

「なんでも完璧じゃ面白くありませんよ。俺の仕事がなくなります」

「ふふっ。それもそうですね。ではこの件はお産婆さんにお任せします」


椿も往診に行く事がある。そんな日は必ず烝も一緒だった。

手を繋ぎ、歩く速度はずっと落として。見る者皆が、微笑ましく見守っていた。


十ヶ月十日とつきとうかはあっと今にやって来た。

痛みに堪える椿に烝は擦ってやることしか出来ない。出産は女の仕事、男は立ち入り禁止だ。

いよいよその時が来ると、烝は部屋から追い出された。


正座をし、拳を握りしめ、祈るような思いでその時を待った。時折、漏れる声は苦しそうだ。

それでも椿はそれ以上の声はあげなかった。


(どうか、どうか椿と子が無事でありますように・・・)


ガタンッ! 産婆の助手が出てきた。


「旦那様、お湯をお願いします!」

「はい。すぐに」


あらかじめ沸かしてあった湯を持って来ると再び助手は中に消えた。


「椿」と烝が囁いたその時!


ンギャっ、ンギャっ、ンギャーァ、ンギャー と大きな産声が屋敷に響いた。


ああ、産まれたのだと安心した気持ちと、椿は無事なのかと言う不安が押し寄せる。


「旦那様どうぞお入りください」と言われ、恐る恐る部屋に入る。

そこには胸元まで汗で濡らした椿が、小さく微笑みながら横になっていた。


「椿っ!」

「烝さん。見てあげてください。ほら、男の子です」


顔をくしゃくしゃにして、全身が真っ赤だった。まだ少し汚れていたがその姿は愛らしい。

力強く泣く我が子を目にして、烝は涙を流した。


「烝さんっ」

「すみません。俺、嬉しくて」

「はい。これから頑張ってくださいね。父さま?」


健やかに育って欲しいという願いを込めて、たけると名付けた。

山崎 健 明治三年、春の事だった。


***


「椿、まだ床上げはだめですよ」

「えー。でも、もう大丈夫です」

「駄目です。椿はお乳だけあげていればいい。これからもっと忙しくなるんです。今だけですよ」

「それでは烝さんが」


健が生まれてから、烝は女中のオトと忙しく家中を走り回っていた。

椿の床上げまでは自分が全部するのだと言ってきかない。

湯あみが出来ない代わりにと、烝自らが手拭いで椿の体も拭いている有様だった。


「あの、ちょっと甘やかし過ぎでは・・・」

「今しか甘えられないのですから、俺に任せてください」


椿は自分が床上げしても、烝はきっと同じような事を言って頑張るに違いない。

そう心の中で思ったのだとか。


こんな旦那様だったらなぁ・・・。

理想と現実は異なりますが、山崎さんならきっとこうなはず。

次回で、完全完結です。

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