鬼でも弱る時はある
山崎から衝撃的な言葉を聞いた椿だか、以前の様に取り乱す事はなかった。
あの後、彼らの死体は四日も晒されたのだと聞いた。
山南の死も藤堂の死も誰が悪いでもなく、それぞれの志を貫いた結果がこうなったまでの話。
もしも誰かを、何かを恨むとしたら『時代』だろうか。
椿は怪我をした隊士を労い治療をした。
誰もがいつもと変わらない椿を見て安心していた。
「椿。ちょっといいか」
土方が椿を手招きする。
「なんでしょうか」と問えば「少し付き合え」と草履を履いてさっさと行ってしまう。
慌てて椿も後を追った。
土方は隊士の中でも体格がよく背が高い。
そんな土方の歩む速さに椿が追いつくはずもなく、小走りでついて行く。
「土方さんっ、待って下さいよ」
椿は降参したのか、歩くのを止め膝に手をついてハァハァと肩で息をする。
「ん?」と振り返った土方が椿を後方に見つけ、慌てて大股で戻ってきた。
「悪い!考え事をしていたら、気付かなかったな」
「いえ、それよりまだ歩くのですか?」
「ああ、もう少し歩くが・・・よしっ。詫びにこうしてやる」
「え?えっ、わっ」
土方は「暴れるな」と言い椿をヒョイと背負ったのだ。
そして無言でズンズンと進んでいく。
清水寺へ続く産寧坂を土方は椿を背負って歩いているのだ。
「土方さん、下ろしてくださいっ。歩けますから、重いですよ!」
「駄目だ。お前は転ぶだろう?ここは別名三年坂って言って転んだら三年以内に死ぬらしいぞ。それに重くねえからじっとしてろ」
何故か土方の声がいつより柔らかく優しく聞こえる。
鬼の副長とは言えきっと彼も弱っているのだろうと椿は思った。
黙って土方の背に身体を預けると、じんわりと優しさや温もりが伝わって来るようだった。山崎のそれとは違う、家族のそれに似ていると。
家族なんて幼い頃に別れているのだから知る由もない。
でも、もしもそれなら土方は間違いなく兄だ。
「寝てるんじゃねえだろうな?下ろすぞ」
登りきった所で土方は椿を下ろした。
紅葉はもう終わってしまったのか、枝からは葉が落ち始め寒々とした風景が広がる。そして振り返ると、そこからは京の中心部がよく見えた。
腕組みをして黙って街を見つめる土方は、凛々しかった。
「俺はつくづく自分が嫌になるよ。武士になりたくて幕府のために命をかけるって決めたのに、仲間ばかりを殺している」
「え?」
「これから間違いなく戦争になる。薩長同盟で倒幕派には勢いがある。近く新選組も幕府と共に戦うだろう。きっと大勢の仲間が死ぬ。おまえの大切なやつも死ぬかもしれねんだ」
椿は黙って聞いていた。
土方は自分が仲間を殺し、これからも死なせるかもしれないと言っている。其処には焦燥感を僅かに漂わせて。
「でも、後悔はしちゃいねえ。殺した奴らの分も俺は死ぬまで刀を振り続けるよ」
「土方、さん」
なぜそんな事を自分に言うのだろうか。誰も土方を責めたりしない。
皆、土方を慕い信じているのだから。
「椿。それでもお前は新選組と共に有り続けるのか。お前は武士じゃねえ、いつ離れてもいいんだぞ」
「何を言っているのですか!私が居なかったら誰が我儘な副長を宥めるのですか?鉄之助さんはまだお若いから無理です。山崎さんは忙しいので無理です。それに私は軍医ですよ。従軍すると言ったはずです!土方さんが私の命を護ってくれるって言ったのですがっ」
椿は土方を見上げ、力いっぱい睨んだ。
「武士に二言はありませんよねっ!もしそうなら副長とは言え、切腹ですよ!」と怒鳴った。
土方は目を見開いて驚いた。暫くの沈黙の後、
「まったく、椿には敵わねえなっ!」
と、頭を掻いてそう吐き捨てた。
土方は椿の気持ちを確かめたかったのだろう。多くの仲間が理不尽な死を遂げ、自分を恨んでいるだろうとそれで良いと思っていた。
しかし椿の心は何も変わっていなかったのだ。
「土方さんまでそんな・・・」
「ん?お前、いったい何人に敵わねえって言わせたんだ」
「数えていませんが、その言葉は聞き飽きました」
褒め言葉で言ったつもりだったが、椿にはそうは聞こえていない。
しかも自分だけでなく他の者もそう言ったと。
「ははは。やっぱり椿には誰も敵わねえよ。山崎がギリだな」
土方はにやりと笑って、椿の頭をポンポンと撫でた。
もう子供ではないと抵抗して見せるが、いつまで経っても椿は椿なのだ。土方はそれが嬉しかった。
「仕様がねえな、嫁に行くまで護ってやるよ」
「もうっ!結構です!」
大政奉還がいよいよ勅許された。徳川の時代は終わりを告げようとしている。
何がどうなるのか予測不能な世の流れを、命がある限り足掻きながら走るしかないのだ。
いよいよ、薩長の動きが激しさを増し始めた。
翌月、新選組は会津藩と共に伏見奉行所へ移動する事となる。
二度と京の町には戻らない出立となるのだ。
土方さんは鬼と呼ばれていましたが、本当は弱虫で優しい人だったんじゃないかと、勝手な妄想でした。




