恥ずかしながら医者の不養生かもしれません
椿は池田屋で怪我をした隊士たちの、その後の経過監察も怠らなかった。
特に、状態の酷かった藤堂と一時的に意識不明になった沖田のその後の治療は入念にした。
「藤堂さん、だいぶ塞がってきましたよ。回復が早いので驚いています」
「本当に?よかった。早く隊務に戻りたいからね」
「でも、もう少し我慢してください」
「えー、暇なんだよなぁ」
「ふふっ。我慢も仕事です」
こうして日に二、三度は部屋を訪れ傷の状態と精神状態を確認しているのだ。
(怪我もだけれど、心の治療はもっと大事だからっ)
あれ以来、医者として心身ともに隊士の健康管理をするのだと張り切っている。
それが時に山崎の嫉妬心を掻き立てたりするのだが、椿が気付くわけもなく・・・
「椿って、山崎くんの事が好きなの?」
「っ!!」
「顔真っ赤じゃん。そっかぁ、そうなんだ。残念」
「え?」
「なんでもない。大人しくしてるよ」
「・・・?」
取りあえず大人しくしてくれるらしい。
先ほどの問いを思い出してまた顔が赤くなる。
(私、すぐ顔にでてしまうのかな。恥ずかしい・・・)
「沖田さん?いらっしゃいますか?」
「・・・」
返事がない。いつもは「どうぞ」と返って来るのに、何処かへ出掛けてしまったのだろうか。
スーっと障子を半分ほどあけ中の様子を覗う。
相変わらずガランとした殺風景な景色が広がるばかりで、布団は敷きっぱなしだった。
「居ない」
再び障子を閉めて、戻ろうとしたところにドンッと背中を押されて部屋に入ってしまった。
「もう、誰ですかっ」
振り向くと、悪戯が成功して嬉しそうに声を殺して笑う沖田の姿があった。
「沖田さんっ!何処に行っていたんですか?寝ていてくださいよ」
「厠ですよ。でも体調は随分いいんですけど、僕はまだ寝ていなくてはならないんですか?」
「安静が一番です」
「いつまで?」
「ぅ・・・。では、今日の診察で判断と言う事で良いですか?」
「うん」
沖田は嬉しそうに条件を呑んだ。
正直に言うと椿は、この沖田のあどけない笑顔に弱い。
なんだか母親になった気分だといつも思う。
先ず、脈を診る。
あの時のように弱いものではなく、力強く脈打っている。
喉の奥、目、そして喉元の免疫器官を触診した。
問題なさそうだ。
「どうなんです?」
「今のところ大丈夫そうです。後は・・・気管支を」
「気管支?」
椿が一番気にしていたのは呼吸器系だった。沖田が池田屋で倒れたのは空気の悪さと暑さや湿度が関係していたのではないかと考えている。
もしそうだとすれば、一定の条件が揃うと再び発作が出るかもしれないのだ。
たまに酷く咳き込むこともあるので塵や埃も関係があるかもしれない。
「胸の音を聞きたいのですが、いいですか?」
「いいですけど、どうやって」
椿は沖田に上半身を出すように言うと、沖田は黙って言われた通りに着物から両肩を抜く。
こういう時の椿は医者の目になっている為、若い男の裸を見ても全く動揺することはない。
むしろいつも悪戯をしかける沖田の方が恥ずかしく感じるほどだ。
「失礼します」
椿は直に触れないように手拭いを一枚肩から垂らすように掛け、その上から耳を当てた。
トクッ、トクッ、トクッと一定の速さで心臓は音を打つ。
「息を吸って、吐いてを繰り返していただけますか?」
すると息を吸う時だけヒューッと抜けたような音がする。椿は真剣に耳に集中する。
が、沖田は堪らない。裸の胸に椿が耳を当てている様子が妙に雄の本能を煽るからだ。
「ちょっ、まだかな」
「はい、いいですよ。次は背中です」
「えっ!背中も?」
そう言うと椿は沖田の背後に回り同じように耳を当てる。
思わずビクンと揺れてしまう。
「じっとしてください」と手で両腕を押さえられた。さすがの沖田も心臓がマズイくらいに早打する。
トク、トク、トク、トク、トク・・・・・・ッ
「ん?沖田さん大丈夫ですか?どこか苦しいですか!?」
慌てた椿が肩越しに沖田の顔を心配そうに覗きこむ。
(ちょっと、これマズいんだけど!)
「大丈夫ですよ」
「でも、心音が早いのですよ?寝ていてください」
「だから、それは椿さんの所為でしょ!」
「・・・なぜ?」
この娘は天然なのか!?山崎の躾が足りないんじゃないのかと心の中で苛立つ。素早く着物を着ると、沖田は眉間に皺を寄せてこう言った。
「椿さんはもう少し男心を学んだ方がいいですよ」
「どうして今、男心の話になるのですか」
「君は天然なのかワザとなのか分かりませんけど、これじゃあ山崎くんが可哀想です」
「え・・・」
急に椿の表情が曇った。真っ赤にして怒っていたのに、今は真っ青でしゅんと小さくなってしまった。
沖田は椿の一転した表情を見て焦った。こんなに激しい変化は今までになかったからだ。
いつもなら「どういうことですか!」と食い下がってきた筈なのだ。
「わたし・・・」
「ごめん。椿さん、その今のは、その」
「失礼しました」
沖田の弁明も聞かずに黙って部屋を出て行ってしまった。
それを追うかどうか迷う沖田。だが、今追った所でうまく説明が出来ないかもしれない。
迷いながらも障子を開けて廊下に出たが、もう椿の姿はそこになかった。
椿はとぼとぼと廊下を歩いていた。途中何人かの隊士に声を掛けられた気がするが、それもよく覚えていない。途中から沖田が言っていることがよく分からなくなっていた。
いつもなら土方の部屋で仕事をするのだが、その土方の部屋も通り過ぎてしまう。
椿の影に気付いた土方が障子を開け「おい、椿」と呼んだが、反応なく行ってしまう。
「なんだ、おかしな奴だな」
忙しい土方はまた部屋に戻ったのだった。
心ここに非ずの椿は何処へ向かっているのか、前一点を見つめたまま歩いていた。
道場の前にさしかかったところで、目の前が暗転した。
ドカッ! 誰かにぶつかってしまったようだ。
よろけてふらついたが、腕を掴まれたので後ろにこけることは無かった。
ぶつかった相手は斎藤だ。稽古上がりだったのだろう。
「大丈夫か?」
斎藤の低く冷静な声が頭上でした。
なんとか「はい」と声を絞り出し、斎藤をよけて歩こうとした時にもう一度腕を掴まれた。
「椿、大丈夫ではないだろ」
「・・・」
口を開け大丈夫と言おうとしたものの声が出なかった。その代りに異常に熱い息が漏れた。
斎藤は訝しげに椿の顔を覗きこむ。
「ん?具合でも悪いのか?」
(え?私、何処か悪いの?そうなの?・・・よく分からない)
「椿、俺が誰か分かっているか?」
「・・・さい・・・っ」
「おい!」
目の前がぐわんと歪みパチパチと火花が散っているのが見えた。
斎藤の声がだんだん遠くなる。
そのまま何も聞こえなくなった。




