第六十一話 後遺症
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【回想終わり】
俺が目を覚ました時、最初に感じたのは、奇妙なほどの静寂だった。
ヴラドを倒した後の記憶はない。
だが、あの時の怒りと悲しみの奔流だけが、魂に焼き付いた傷のように生々しく残っている。
「…ブランは、どこだ」
俺は、もう一度問うた。
声が、自分でも驚くほどに冷たく響く。
「…そうか」
俺の口から漏れたのは、ただそれだけだった。
涙も出なかった。怒りも湧かなかった。
ただ、心にぽっかりと巨大な穴が空き、そこを冷たい風が吹き抜けていくだけ。
その日、俺の心は、完全に死んだ。
そこに居たのは、ボロボロのキリヤだけだった。
先行隊を追い、俺とキリヤの二人旅が始まった。
旅の道中は、ひどく静かだった。
俺は、もう笑わなかった。怒らなかった。
酒すら求めなかった。
ただ、東の空を見つめ、機械のように足を前に進めるだけ。
ブランを失った衝撃と、彼女の背中すら追えないという無力感が、俺の心から全ての感情を奪い去っていた。それはスキルへの恐怖でも、罪悪感でもなく、ただ世界が灰色に見える、底なしの「絶望感」だった。
キリヤは、そんな俺に苛立ち、何度も話しかけた。
「おい、なんとか言えよ!」
「腹減らねぇのか!」
だが、俺から返ってくるのは、生気のない、空虚な返事だけ。
ある夜、焚き火の前で、キリヤはついに堪忍袋の緒が切れた。
「てめぇ、いつまでそうしてやがる!
先に行ったマリーたちに追いつけねぇだろうが!」
彼は、俺の胸ぐらを掴み、力任せに揺さぶった。
俺は、初めて感情の籠った目でキリヤを見つめ、ぽつりと呟いた。
「…追いついて、どうするんだよ…」
「あぁ!?」
「俺は、あいつに何もしてやれなかった…。
最後に見送ることすら、できなかったんだぞ…」
その瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
感情が死んだと思っていた心に、まだ涙だけは残っていたらしい。
キリヤは、何も言えなかった。
ただ、空っぽになってしまった相棒の肩を、力なく叩くことしかできなかった。
ヴラドを倒し、博史が昏睡から目覚めて数日後。
アメリコの街は、歓喜に包まれているはずだった。
だが、奇妙な異変が起こり始めていた。
解放されたはずの民衆が、広場に集まってくる。
しかし、その顔に喜びの色はない。誰もが青白い顔で落ち着きなく辺りを見回し
何かに怯えるように体を震わせている。
「…おい、なんだか様子がおかしくねぇか?」
見張りに立っていたキリヤが、眉をひそめる。
やがて、一人の男が叫んだ。
「薬は…! 俺たちの『祝福』はまだなのか!?」
その声を皮切りに、民衆の不満が爆発する。
「そうだ! 王はいなくなったが、代わりをくれるんだろう!」
「早くしろ! もう我慢できない!」
彼らが求めていたのは、ヴラドが与えていた麻薬だった。
長年の依存は、彼らの心と体を蝕み、もはや麻薬なしでは正気を保てない状態にまで陥っていたのだ。
街のあちこちで、人々が禁断症状に苦しみ始めた。
幻覚を見て叫ぶ者、地面を転げまわって嘔吐する者、
壁に頭を打ち付けて自傷する者…。
アメリコの街は、解放の歓喜から一転、阿鼻叫喚の地獄と化した。
「これが…ヴラドが残した、本当の呪いか…」
看守の一人がそうつぶやいた、唇を固く噛みしめた。
敵を倒せば、全てが終わると思っていた。
だが、現実はそんなに甘くなかった。
博史の身にも、奇妙な異変が現れ始めていた。
旅を始めて数日後の夜。
焚き火の前で、博史は突然、激しい悪寒に襲われた。
ガタガタと歯が鳴り、全身から冷や汗が噴き出す。
「おい、博史、どうしたんだ!?」
キリヤが慌てて駆け寄るが、博史の目は虚空を見つめていた。
「…来る…あいつが、また来る…」
博史の目には、存在しないはずのヴラドの幻影が見えていた。
彼が囁きかける。
『無駄だ。お前の魂は、もう余のものだ。
お前は、余と同じ、快楽を啜る獣にすぎん…』
「うわあああああ!」
博史は、幻影を振り払うように頭を掻きむしり、叫んだ。
「…落ち着け、博史!」
キリヤは、暴れる博史を力ずくで押さえつけた。
夜が明ける頃、ようやく発作が収まり、博史は疲弊しきって眠りについた。
キリヤは、眠る相棒の顔を見ながら、サクラの言葉を思い出していた。
『…博史はんには、気ぃつけてやってくれないか…
あのお香の効果は本人の精神状態に大きく左右される
博史はんは直接嗅いだわけではないが、あの出来事…
わっちの責任だが、わっちはこっちを先導せなあかん…
申し訳ないが、キリヤ、博史はんを頼まれてくれるか』。
それは、英雄の証などではない。あまりにも重く、あまりにも残酷な呪いだった。
発作は夜ごと博史を襲った。
幻覚に怯え、存在しない快楽を求めて身を捩り
時には、キリヤにすら襲いかかろうとすることもあった。
「酒を…酒をくれ…! そうすれば、忘れられる…!」
「駄目だ!」
キリヤは、酒に手を伸ばそうとする博史を、殴りつけてでも止めた。
「もう逃げるために酒を飲むんじゃねぇ!
忘れるんじゃねぇ、向き合うんだよ!」
それは、キリヤ自身の戦いでもあった。
剣を振るうことしか知らなかった男が、
言葉で、拳で、そしてただ側にいることで、
壊れかけた相棒の心を必死に繋ぎ止めようとしていた。
ある夜。
またしても発作に苦しむ博史の隣で、キリヤはなすすべもなく、ただその背中をさすっていた。
ここにあるのは、果てしなく続く荒野と、壊れかけた相棒、そして、キリヤ自身の、どうしようもない無力感だけだった。
「…う…あ…」
博史の口から、意味をなさないうめき声が漏れる。
その瞳は、暗闇の中で何かを追いかけ、怯えている。
キリヤは、ただ歯を食いしばり、博史の体が冷え切ってしまわないよう、自分のマントを強くかけ直すことしかできなかった。
剣を振るうことしか知らなかった男が、言葉も力も通じない、目に見えない「呪い」という敵と、たった一人で対峙していた。
彼は、博史が眠りにつくと、ボロボロになった自分の拳を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「…なあ、ブラン。お前なら、こんな時、どうしたんだろうな…」
その声は、乾いた風に掻き消えていった。
旅は、もはや「二人旅」ではなかった。
それは、**「壊れた器を引きずる旅」**だった。
博史は、生きるために最低限の食事を摂り、
キリヤに促されるままに足を動かすだけの人形と化していた。
時には、夜中に突然起き出して、何もない荒野に向かって叫びながら走り出そうとすることもあった。
そのたびに、キリヤは彼を追いかけ、羽交い絞めにして、夜が明けるまで離さなかった。
キリヤの心もまた、限界に近づいていた。
肉体的な疲労よりも、精神的な消耗が激しかった。
終わりが見えない。希望が見えない。
このまま、二人でこの荒野で朽ち果てるのではないか。
そんな弱音が、何度も喉まで出かかった。
そのたびに、彼は、ポケットに入れていた小さな石を握りしめた。
それは、出発の前に、マリーがこっそり彼に渡してくれたものだった。
『いい、キリヤ? これは、私たち先行隊の居場所を示す魔石よ。もし、本当にもうダメだと思ったら、これを砕きなさい。すぐに助けに行くわ』
『…へっ、いらねぇよ、そんなもん』
『いいから、持っていきなさい。これは、保険よ。…博史くんを、お願いね』
この石を砕けば、楽になれる。
だが、それは、マリーたちとの約束を、そして何より、自分自身との約束を破ることを意味した。
(…冗談じゃねぇ)
キリ-ヤは、石をポケットの奥にしまい込み、固く拳を握りしめた。
(俺様が、諦めてたまるか)
たとえ、この腕が折れようと、この足が動かなくなろうと。
絶対に、こいつを引きずってでも、ヤマトまで連れて行く。
そして、ブランを助け出す。
皆で、またバカみたいに笑う、あの日に帰るために。
彼の瞳に、乾いた荒野に沈む夕日のような、赤く、そして力強い闘志の火が燃え上がった。
それは、誰のためでもない。
仲間と、そして自分自身との、孤独な約束。
彼の背負うものは、壊れた相棒だけではない。
パーティ全員の、希望そのものだった。
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