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ケイオスブラッド ~暗渠の一滴~  作者: 黒十二色
第二部 今は灼熱のオシェラート
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第37話 名もなき少女の過去

 グレースが眠りについた後。


 ザミスが慌てて駆け寄って、俺からグレースを奪い取って抱きしめた直後、俺は空を見た。


 そこには、映像が映し出されていた。


 目をこすってみても、やっぱりそこには、映像がある。ついでに言うと、音声付きだった。


 いったい何のスキルなのかわからないが、俺のスキルも進化しているらしい。


 犬レース場の空では、三つの数字を記す女性の手を見ただけだったが、今度は何だろうか。


 俺は降り注ぐ雪のせいで白くなった視界のなかで、その映像を眺めた。


  ★


 身体の二倍くらいはありそうな大きな編み籠を背負った女性と、腕を引っ張られている六・七歳ほどの幼い少女。二人とも金色の髪をしている。


 青い服を身に纏った母親らしき女性は、何かに追われるように、時折背後を振り向きながら、息を切らせて、薄暗い林の中を走っていく。


 やがて砂浜に着いた母親は、娘の肩に手を置いて、穏やかな口調で言うのだ。


「母さんはここで戦うから。おまえは逃げなさい」


 戦うというのは明らかに嘘だった。もはや、自分ではどうにもならない凶暴な相手に、理不尽な暴力で襲われているといった状況のようだ。


「あたしの言う事を、よくきいてね。まずは何を置いても一つ目、困ったことがあれば、八雲丸という人のところをたずねなさい。それが、おまえの父親よ。おまえは彼に内緒でできた子供だから、とてもビックリすると思うけど、彼ならなんとかしてくれるはず。誰かから名前をきかれたら、こう答えなさい。じぶんは、八雲丸の娘だ、って」


 幼い少女はこくこくと子供らしく頷いた。


「二つ目。今からおまえを籠に入れて流すけれど、一日は、何があっても外に出てはダメ。あたしの武具一式を一緒に入れておく。大きくなったら、大事に使いなさいね。弓と、胸当てと……あとは何がいいかしら……いえ、悩んでる時間なんて無いわね。それじゃあ、ここに入って」


 子供一人どころか、大人も入れそうなくらいの大きな編み籠に、わが子と武具を素早く丁寧に押し込み、沈まない程度に食べ物と服も入れた。


「どうか、こんな世界でも、生きてね」


 震えた声がきこえたあとに、少女の視界は闇に包まれた。籠が閉じられ、流されたのだ。


 激しい打撃音と、押し殺した悲鳴がきこえたけれど、言いつけ通りに外には出なかった。


「……母さんの匂い」


 目を閉じて、母親の服を抱きしめて眠った。


 しばらくすると、身体が浮いたような感覚があった。パニックになりかけたけれど、何があっても外に出るなという言いつけをしっかり守り、身体を丸めてじっとしていた。


 籠には防水だけじゃなく、衝撃吸収の機能もあった。


 高所からの落下をものともしない加護が施されているようだ。


 籠は水の流れにのって世界(ロウタス)の果てまで辿り着き、回転しながら落下して、しばらくそのまま、動かなかった。


 やがて、編籠から金髪の少女が赤土の大地に這い出ると、寒さを感じたようで、母の形見の上着を羽織った。長い裾をひきずりながら、不毛の地を歩く。


 見た目はオシェラートの風景そのものに見えたが、やはり吐く息が白かった。


 その頃にはすでに、黒い空に伸びていく光の柱が見えていたので、そこを目指すことにした。


 やがて、光の柱に近づくと、人の集落があった。


 そこで暮らす毛深い大人たちを見て、金髪の少女は恐怖をおぼえた。


 でも、人々は優しかった。迷子の子供を発見して、しゃがみこみ、優しく語り掛ける。


「大丈夫か」


 ――わからない。


「どこから来たんだ」


 ――わからない。


「親は?」


 ――あたしを籠にいれて流した。


 それでなんとなく事情を察した住人達は、彼女を迎え入れた。


 毛深い男は彼女に根菜のスープを与え、優しく語り掛ける。


「我々はこのひどく冷たい大地のなかで、生きるために必死で智恵を獲得した。凍らない土を発見し、暖かくなれる場所を求め、硬い場所を掘れる道具を発明した。まるで大いなる何かに導かれるかのように大いなる火を掘り当てた我々は、今や、その救いの炎に祈りを捧げるための建物を築いている。少女よ、きみもこの世界に来た以上は、我々とともに、大いなる火を大切に守っていくのだ」


 少女は、よくわからない様子だったが、食べ物をもらった恩を返すためだろう。深く頷いた。


 月日は流れていく。


 少女は、少し成長はしたものの、短命な周囲の人々とは違って、少女のままだった。


 母親の形見の服を身体に合わせて切りつめて、ぶかぶかの形見の胸当てを装備して、形見の弓と矢で戦う。


 戦う相手はモンスター。獰猛な犬型の獣が多く出た。真っ白な神殿を築く人々を、彼女は弓スキルで守り続けた。


 数年か数十年だろうか、長い年月をかけて神殿は完成した。


 小さな、てのひらに乗ってしまうような大きさの、しかし力強い炎のある場所には、火を見下ろすように幅の広い円筒形の縦穴がつくられ、穴の壁面に無数の横穴が掘られた。そこで神に仕える人々は生活してきた。


 地底の炎を本当に大事に拝み続けたが、異変が起きた。


 炎が弱く、細く、消えかけた状態になってしまった。


 いくら燃える素材を差し出しても、いくら祈りを捧げても、弱い炎は弱いまま。


 変わらない消えかけの弱さだった。普通の炎とは違う(ことわり)のなかで燃えている炎だということに、人々はあらためて気付き、心の底から祈ったけれど、火は燃えなかった。


 炎が弱まったことで、神に仕える者たちは、人々から攻撃を受けるようになった。


 大切に守られてきた壁面の穴に住んでいた者たち……神に仕える毛深き者たちは、抵抗しなかった。次々に命を落としたり、住む場所を追われたりしてゆく。


 金髪の少女は、ひとり神殿を守っていた。おまえだけでも逃げろと言われても、逃げなかった。


 ――母さんも最後まで戦った。あたしも、もう何年も生きてる。子供じゃない。戦う。


 はじめて弓矢を人に向けたとき、涙がこぼれた。


 ――なんだこれ。


 撃てなかった。身体が動かないようだった。


 戦うと決めた。戦わないと襲われて、命も奪われるかもしれない。それなのに、できなかった。


 死ぬのがこわかったのかもしれない。傷つけるのがこわかったのかもしれない。


 金色の髪の少女は、弓を引いた姿勢のまま、敵を前に、すっかり固まってしまった。


 暴動を起こした者の刃が、今にも突き刺さろうとした。


 ところが、刹那、赤い服を着た赤髪の女が、その刃を掴んだ。


 賊は、「なんだお前、何しに来た」と言いながら、彼女の手に握られた刃先を押し込もうとする。


 すると、赤い服の赤髪の女は、力強く言い放った。


「世界を救いに来ました」


「どういうことだ」


「大いなる火を守りに来たのです」


「残念だったな! ここにあんのは、ちっぽけな火を守るインチキ宗教だけだ。ただのみすぼらしい消えかけの火なんかで、寒さはおさまらねえし、腹も充たされねえ!」


「ただの、みすぼらしい消えかけの火? いいえ、そうではありません。暗く、静かなところで、人の来ない場所で、人知れず燃え続けていくはずのもの。そのままにしていれば、『境目の管理者』の身体の中で、永遠に燃えていたはずのもの。だけど、人はこんなところまで来てしまい、その火を掘り出してしまいました。このままだと、この広い世界(だいち)全体そのものが、根源のエネルギーを失って、消えてしまう」


 ――わからない。なに言ってる。


「だから、その火に呼ばれて、あたしが来たのです」


 ――なんで。


「それは、『根源の火』には、人に特別な目を授けて、運命を変えていくという本能があるからなのです。ま、あなたには、言ってもわからないでしょう。でも、あなたじゃない、未来の誰かには、きっと、この意味がわかることと思います」


 金髪少女は首を傾げた。


「ね、金の髪のあなた、神聖な火のある場所に、心当たりはありますか?」


 少女は、目の前の女性が何のためにそんなことを言っているのかサッパリわからない様子だったが、それっぽい場所は知っていたので、深く頷いた。


 そして、赤髪の女は賊を蹴飛ばして沈黙させると、咳ばらいをしてから、言った。


「それと……未来で見ているあなたに、一つ言っておきます」


 なんと、映像を見ている俺に向けてのメッセージである。


「あなたのスキルは、『過去視』の能力です。やっとスキルに目覚められてよかったですね。男の子には無理かもしれないけど、悪用しないように」


 何をいうか。スキルが得られて、俺は本当にうれしいんだ。悪用なんかしたら、何かからの罰が下って、スキルがなくなってしまうかもしれない。だからそんなことは、


「絶対にできない」


「……あらそう。ならいいです」


 驚いたことに、俺は過去の人間と会話してしまった。



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